【2】 苛立ち

 夏休みに入る前の学校というのは、妙な雰囲気があると和也は感じた。高校生にとって夏休みというのは、それそのものがビックイベントであろう。遊びに勉強に恋にバイトに、楽しみ方や生き方は人それぞれである。先生たちの言う有意義な生活とは、正直何を言っているのかは分かりかねる。たぶん、勉強の事を言っているのだろうが、そんなことに時間を割く生徒は受験生か意識の高い生徒だけであろう。とはいうものの、和也は学校での成績が悪いわけではない。むしろ良いほうであると自分でも思っている。得意不得意はもちろんあるが、そこまでひどい差をつけないように頑張っているつもりである。特に英語には力を入れている。これは趣味の影響をモロに受けているが、おかげで英語教師からの評判はいいと思う。

 ここまで勉強に力を入れているのは、完全に親への対策としてだ。正直な話、和也の親、特に母親はバイクに乗ることに強く反対している。理由は親としてならばもっともなことであるが、やはり危険だからというものだ。和也がバイクに乗ることを決心したとき、激しく言い争いをしたものだ。そしてもう一つの理由が、学業に影響が出るというものであった。なぜサッカーや野球等のスポーツが良くて、バイクになった途端に学業を盾に使うのかは一切分からなかったが、和也の予想では、たぶん母親は世間体を気にしているのではないかというものであった。サッカーや野球等のスポーツは世間体はいいものであろう。夏や正月にはテレビ中継されるほどの有名な大会があり、世間からのイメージは良いに違いない。これらのスポーツをやっている生徒はさわやかで、礼儀正しくて、いい奴が多いというなんとなくのイメージが引っ付いているだろう。それとは違い、高校生がバイクに乗るなんて不良しかやらないという負のイメージが多少なりともあることも否定できない。

 和也は、危険だからだとか学業がどうだとか、そういうことを盾に使ってモノを語る母親とは、仲があまり良くなかった。きっと態度にも出てしまっているのだろう。ヒステリック気味な母親に心底うんざりしている和也だが、学校での成績が良ければ文句はあるまいと思い、勉強でもあまり手は抜かない。危険性がうんぬんの話は、とにかく気を付けるからということで押し通した。

 そんな和也は、自分がバイクに乗ることだけでなく、バイクレースも大好きであった。世界規模で開催されているバイクレースの情報には常に目を通している。和也が英語の勉強に力を入れているのも、これが影響していた。世界的に活躍するレーサーたちは、英語を普通にしゃべれることが多い。インタビューやチームのスタッフとの会話は英語で行われるため、英語ができなければ話にならない。自分はレーサーではないが、こういう人たちに少しでも近づきたくてのことであった。ペラペラという訳では決してないものの、英語の記事の内容を理解できるくらいには、読解が得意であると自分でも思っていた。会話できるまでには程遠いが...。

 頭の片隅ある将来の夢は、こういった世界的なレースに出てみたいというものであった。しかし、今更この世界に飛び込んでいけるとは、正直思っていない。半ばあきらめた夢である。レースで活躍する選手たちというのは、とびぬけた才能があったり、昔からバイクレースと共に生きて生きたような人種である。自分にそこまでの才能があると思うほど自惚れてはいないし、バイクを嫌う母親のもとに産まれた和也には、到底無理な話であった。



 猛暑の中、和也は駅のホームを歩いていた。夏の場合、電車から降りたとたんに熱気が体を覆い、汗を噴き出させる。周りには、同じ学校の制服を着た生徒や、別の学校の制服を着た生徒たちが歩いていた。暑さに苛立っているのか、早歩きで改札へ向かう者や、すぐ先に迫った夏休みの予定を話す者もいる。

 駅のすぐ周りには、大きなデパートや書店、様々なお店が入った複合施設がある。駅の規模自体は大きくはないが、この街に暮らす人々は多く、また東京の公立大学も存在するため、学生の街という印象も受ける。とは言うものの、ここは最近になって発展してきた街でもあり、東京の端っこの方にあるということもあって、そこまで大都会というわけでもない。しかし、住むにはちょうどいいというのが、和也の評価であった。他の友人たちからの評判はあまりよくないが、和也はこの街が好きだった。

 改札を抜け、すぐに右手に曲がる。すると正面には東京の公立大学のシンボル的存在の大きな塔が見える。それをしり目に駐輪場に向かい、自転車を取りに向かう。せめて原付さえあれば、こんな地獄のような熱気の中をわざわざ自分で自転車をこぐ必要なんかないのにと、夏になるといつもイライラさせられる。しかし、原付にまで資金を回せるほど、和也の懐は潤ってはいない。中型バイクを一台維持するだけでも、高校生からすれば非常にキツイ状況なのだ。バイトで稼げる金なんて、たかが知れている。当然、親に頼るわけにもいかない。細々とバイトをしてカツカツのバイク生活を送っているのだ。バイクの維持費は、ガソリン代だけではない。タイヤやエンジンオイル、その他の消耗品や自分自身が身に着ける装備品、保険料など、とにかくお金がかかる。それに加えて、もし故障したときのために、それに充てるための貯金もしておかなくてはならない。本当に頭が痛くなる。

 今日は金曜日で夕方から夜までバイトがあるため、その事を考えながら下り坂を自転車で下っていると、横の道路を一台のバイクが駆け抜けていった。あまりにも大きな排気音で、シートは上方に伸び、ハンドルも通常の物より変に長く内側に絞られている。排ガスを放出するためのパイプを途中からぶつ切りにしているからなのか、まさに爆音と言った感じであった。いわゆる、族車というものであった。きっと、バイク=不良というのは、こういう連中からついたイメージなのだろうと思った。

 目の前に違法車両がいるにもかかわらず、警察車両がすぐに出てくる気配が無いため、若干モヤモヤした気分で交差点で信号待ちをする。先ほどの暴走族のような車両も律義に止まっていた。せめて乗り手を拝んでやろうと思い、気づかれないように、かつマジマジと見つめた。

 鮮やかにペイントされた車体であった。見たところ、旧車に分類されるほど年式の古いバイクであった。乗り手は二人いた。シート前方に座り運転しているのは、金髪で半袖半ズボン姿で浅黒く日焼けした、いかにもな男性である。ヘルメットは一応してはいるが、安全とは程遠い半キャップのもの。シート後方には、茶髪に染めた長い髪を垂らした女性が座っていた。こちらも男性と同じようなヘルメットをかぶっていた。両者ともに、やはりそっち系の人間だなと思った。

 信号が青に変わり、そのバイクが走り出したとき、後方に乗っていた女性と目が合った。和也はその顔に見覚えがあった。学校でも見かけた顔だ。

 スカートを限界まで上げ、ピアスやブレスレットを身に着け、制服は気崩し、化粧をし、一緒にいる友人らも同じような連中ばかりのギャル。素行の悪そうな男連中と一緒に行動していて、いわゆる普通の生徒である和也等の他の生徒たちはあまり関わろうとしない連中。噂程度の話であったが、彼女が地元の不良グループに所属する人物と親交が深いとの話も聞いていた。教師陣もビビっているのか諦めているのか、指導をしようとしない。幸いにも、連中は他の生徒に興味がないのか、いじめをしたりちょっかいをかけてくることはない。もちろん、和也も関わったことがない。

 和也が着ている制服を見て自分と同じ学校の生徒と気づいた様子であったが、特に興味を持った様子はなく、前方へと顔を向けた。

 バイクはそのまま走っていった。

 同じ女性でも、一匹女狼とはまるで違うなと思った。歳が違うならば、当然それなりの印象の違いはあるだろう。しかし、それだけでは言い切れない、なんとも言えない魅力の違いがあった。不良どもからすれば、和也からすれば汚く見える染め上げられた髪をした化粧の濃い女のほうがいいのかもしれないが、どちらが綺麗かや魅力的かと問われたら、一匹女狼を選ぶ男のほうが多数なのではないかと思った。人生経験の浅い高校生のガキが女を語るなど、自分でも滑稽だが、和也自身も、自分の女を見る目がそこまで酷いものだとは思っていなかった。

 和也も横断歩道を渡り、川沿いにまっすぐ進む。少し遅れて白と黒の車体に赤色灯を載せたマヌケな車がヤンキーバイクが走っていった道を走っていく。

 親に暑さに煩わしいヤンキーバイクに仕事をしない国家権力。最近、イライラすることが多いなと自分でも思いながら、これまた駅からやけに遠い家に向かって自転車をこいだ。


 

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