七龍大陸物語 ~レオニス・ラフリスと死者の森~

J・P・シュライン

プロローグ

第0話 怯える死者の夜

アメス・センチュリー(AC)1013年・1月

-アメザス王国北部・死者の森-


 りんとした冷気が、容赦ようしゃなく人々の肌を刺し貫く厳寒の冬。

 ひと気の無い静まり返った深夜の森に、ゆっくりと新雪を踏み潰して歩く乾いた足音が断続的に響いていた。

 時折そのみにくい姿を月明かりにさらす足音の主は、片方の目は抜け落ち、もう片方の黒く濁った目は青白い光を放ち、ただれた唇からはボロボロの歯をむき出しにしている。

 その姿は、幼い頃に見たの挿絵にあった、恐ろしい死者の化物の姿を連想させた。


 レオニス・ラフリスはたっぷりと雪を積もらせた大木の影に身を隠し、級友二人と共に、瞬きを忘れたかの様にその恐ろしい姿に目を奪われている。

 三人が着ているお揃いの毛皮の外套がいとうの胸元には【王立魔法剣術学院】の紋章が誇らしげに縫い付けられているが、三人は紋章の金の刺繍ししゅうが月の光を跳ね返して、自分の居場所を教えやしないかと気が気でなかった。

 十五歳の区切りに連れて来られた研修旅行で、まさかこんな化物と遭遇するハメになるとは…。


 級友の一人チャベス・ウッドが、怯えた目を足音の主に向けたまま、太った身体を震わせて声を潜めて聞いて来た。


「あれ、【デッドナイト】だよね?」


 アメザスの子どもなら誰でも知っているに出てくる怪物の名前だ。

 その怪物は、死んだ人間を使ってを作り、人間を殲滅せんめつする悪いヤツというのが、おとぎ話の定番である。


「いいえ、あれは【スカーデッド】よ」


 隣に居たもう一人の級友ジュリエット・パックラーが、長いまつ毛に積もった雪を気にする素振りも見せずに、ヒソヒソ声を返す。

 スカーデッドはデッドナイトに操られる元死人、ゾンビという名称で語られる事もある存在だ。

 見る限りでは、ジュリエットの推測の方が正解と言えるだろう。

 そして、の内容を信じるならば、スカーデッドは心臓を貫けば動きを止める…。


(だが、これはだ)


 青年期特有の華奢きゃしゃな長身を窮屈きゅうくつに縮めながら、レオニスは目の前の現実を半信半疑で見つめている。


 チャベスが青白い顔をジュリエットに向けて心底怯えたような声を出した。


「なぁ、あんなのが居るって事は【アルス・ノトリアの予言】も本当なのかな?」

「知らないわよ!だいたいあなたが深夜に盗み食いしようなんて言い出すからこんな事になったのよ!」

「なんだと?ジュリエットが野うさぎなんか捕まえようとするからいけないんだろ!」

「だって、こんな寒いのに可哀そうじゃない」

「しっ、静かに!今はそんなの関係ない!」


 レオニスは短く声を掛けて二人を黙らせる。


「魔法でやっちゃう?」


 ジュリエットの声には、緊迫の色が濃くにじんでいた。


 魔法剣術学院の生徒は、学校以外で魔法を使わないように、校外活動の際には封魔印ふうまいんを打刻されているが、今回の【死者の森】での研修旅行においては、その危険度をかんがみて限定的に封魔印を解除されている。


 死者の森には好戦的な少数部族や、獰猛どうもうな野生の獣、更には【森流し】にされた凶悪犯罪者たちが跋扈ばっこしているとは聞いていたが、スカーデッドは想定外だ。

 仮にスカーデッド一体をどうにかできたとしても、騒ぎが大きくなってそういった連中まで出てきたらお手上げだ。


「いや、本当に倒せるかどうかも分からない、このままやり過ごそう」


 レオニスは小声で二人に告げ、三人は息を潜めてスカーデッドが自分たちの前を通り過ぎるのを待つ。

 腐乱臭を放ちながら足を引きずるように歩くスカーデッドが目の前を通り過ぎようとした時、レオニスたちの後ろから鳴き声が上った。


『キューッ!キューッ!』


 ハッとして振り返ると、いつの間にかジュリエットが追いかけていた野うさぎが傍に来て、目の前の見慣れぬ生物への恐怖を身体全体で表現している。


(まずい!)


 もう一度振り返ったレオニスとスカーデッドの不気味に光る目線が交錯こうさくした瞬間、レオニスは弾かれる様に立ち上がり、隠れていた大木に蹴りを入れた。

 蹴られた大木たいぼくは、痛みに震えて無数の枝の上の雪を雪崩なだれの様に落とす。

 落雪がスカーデッドとレオニスの間に雪のカーテンを作り、レオニスはその影に隠れる様に飛び出ると、木の枝を利用して大きく跳躍ちょうやくし、空中で身をひるがえしてスカーデッドの後ろに音もなく着地した。


「止まれっ!!」


 小さく叫びながら弾丸の様に飛び込んで、背中からスカーデッドの心臓の辺りを一刺しにする。


(止まってくれ…)


 祈りを込めて腐敗した背中を見つめるレオニスの前で、スカーデッドは糸の切れた操り人形の様に音を立てて雪の中に沈み込んだ。


「レオ!やったわね!」

「よくやったぞ、レオ!!」


 ジュリエットとチャベスは興奮した様子で飛び出してくる。

 笑顔を浮かべるジュリエットに対して、チャベスはまだ恐怖から脱し切れていないのだろう、心なしか声が震えていた。


「もう大丈夫だよ」


 スカーデッドから剣を抜いて、級友に笑顔を見せようとしたレオニスの端正な顔が不意に恐怖に歪んだ。

 レオニスの碧眼へきがんが捕らえたのは、二人の後ろに浮かぶ無数のスカーデッドたちの冷たく光る不気味な目だった。


「後ろっ!」


 レオニスの叫びに、後ろを振り向いたジュリエットとチャベスは、信じられない光景を目の当たりにして一瞬固まった後、慌てて駆け出して来た。

 その背後では、広大な森の大地に降り積もった雪が、何か所も隆起りゅうきしてはその中から新たなスカーデッドを吐き出している。


「レオ、何なんだよあれ!」


 チャベスは新雪に足を取られながらも、懸命けんめいに巨体を揺らして走っている。


「スカーデッドだろ!」

 

 見たまんまだが、レオニスにもそれ以外答えようがない。


「とにかく走れ、あの数は相手にできない!」


 そうは言ったが、すねまで積もった新雪でもつれる足にイライラはつのるばかりだ。

 しかも、研修の宿となっている山小屋からは遠ざかる一方で、既に方向感覚をなくしてしまっている。

 このままでは、たとえ追いつかれなくても森で迷って野獣の餌食になるか、疲れて動けなくなった所をスカーデッドに捕まるか、いずれにせよ八方塞がりなのは明白だった。


「待って!」


 レオニスの不安に呼応するようにジュリエットが立ち止まって二人を呼び止める。


「何やってんだよ、捕まっちゃうよ!」

「待って、チャベス、あれよ!」


 ジュリエットは焦るチャベスを制して雪の積もった木の枝を指さしている。


「雪がどうしたんだ?」

「違うわ、木の枝よ!木の枝をにして飛べないかしら?」

「そ、そんな事できるの?」


 チャベスは息も絶え絶えに不安そうな目を向けている。

 その様子では、このまま走っていても数分で足が止まるだろう。

 

「やってみるしかないようだな。」


 レオニスは観念したように木によじ登ると、丈夫そうな枝にぶら下がった。


「おい、二人で俺を引っ張れ!急げ!」


 ジュリエットはともかくチャベスの体重をまともに受けて、木の枝は大量の雪を降らせながら根元から折れる。


「ジュリエット、やれそうか?」


 不安げに見つめるレオニスとチャベスの前で、木の枝にまたがったジュリエットがと宙に浮いた。


「行けるわ!」


 三人は歓喜の色を目に浮かべて、頷き合う。


「よし!俺たちの分の枝も折ろう!」

「レオ、僕のはデカい枝にしてよ!」


 安心して余裕が出て来たのか軽口を叩き始めたチャベスを見て、やれやれと言う風に肩をすくめてみせたレオニスは、ジュリエットと目が合うと笑顔を交わし合ったた。


(これで無事に帰って暖かい紅茶にありつける…。紅茶にはやっぱりが一番だな…)


 そう思った瞬間だった。


 三人の前で、木の根元の雪がボコボコと不気味な音を立てて隆起し始め、周りを見るとそこかしこで地面の雪が隆起している。


(こっちにも居るのかよ!)


 レオニスはフワフワと頼りなく宙に浮いているジュリエットに向かって叫ぶ。


「ジュリエット、行けっ!」

「そんな!?あなた達は?」

「いいから早く行け!先生たちを呼んでくるんだ!」


 ジュリエットは一瞬の逡巡しゅんじゅんの後、すぐに決意を固めて上空へ舞い上がった。


「すぐ戻るから頑張って!!」


 天から降ってくるような悲痛な叫びが、気休めにしか過ぎない事は十分承知していたが、ジュリエットが途中で引き返してきたりしないよう大声で返す。


「大丈夫だ!」


 レオニスが視線を空から戻すと、周りは既にスカーデッドに囲まれている。

 ヤツらはモタモタとした動きだが確実に包囲を狭めて来ていた。


(間に合わないだろうな…)


 チャベスも同じ気持ちなのだろう。弱気な微笑みを浮かべると、口惜しそうに呟いた。


「最後の晩餐ばんさんは七面鳥の丸焼きが良かったな…」

「俺はアップルパイだなぁ」

「何だよ、それ、そんなんじゃお腹膨れないだろ!」

「お前のお腹は膨れすぎなんだよ!」


 レオニスがチャベスのお腹をつまむと、二人は声を出して笑い合った。


「やるか?」

「うん」


 二人は玉砕の覚悟を決めた。


「いいか、チャベス、まず俺が電撃魔法を掛ける」

「うん」

「多分、数体ははじけ飛ぶだろうから、そしたらそこに突っ込め」

「レオは?」

「俺もすぐ後に続く」

「分かった!」


 レオニスとチャベスは手短に会話を交わすと、玉砕の瞬間に向けて気持ちを落ち着ける。


「行くぞ!痺れろフェチャルート!」


 杖を振って呪文を唱えると、杖の先から電撃がほとばしり、前に居た数体を吹き飛ばした。


「行けっ!」


 それと同時に駆け出したチャベスだったが、すぐに行く手をスカーデッドに阻まれる。

 飾りの様に腰に下げていた剣を抜き、心臓目掛けて突き刺すが、相手の数が多すぎた。

 レオニスも後から続いて、二人で必死に剣を振り杖を振うが、多勢に無勢だ。


「レオッ!」


 悲痛な叫びの方を振り向くと、チャベスが背後からスカーデッドに覆いかぶさられていた。

 レオニスは持っていた剣を、そのスカーデッドに投げつけて級友の危機を救ったが、すぐに周りを囲まれてしまう。

 スカーデッドの心臓を抉る剣はもうなく、杖に込める魔力も尽きていた。


(もうダメか…、父上、母上、兄上、サラ、ロザリー…)


 レオニスは最後の瞬間に、目を閉じて愛する家族の事を思い浮かべる。


 突如、地鳴りのような音が聞こえたかと思うと、レオニスの体がふわっと宙に浮かんだ。

 驚いて目を開けると、視界の端にユニコーンに乗った黒いローブを羽織った人影が、スカーデッドの群れを飛び越えざまにチャベスを抱きかかえて救出するのが映っている。


 どうやらレオニス自身も何者かに抱きかかえられているようだ。

 混乱したまま見上げたレオニスの目に、夜目にも鮮やかな白い歯が飛び込んできた。


「大丈夫か?」


 低く力強い声だが、不思議と怖い感じはなく、温かみさえ感じさせる。


「は、はい」


 ユニコーンは優雅ゆうがに着地すると、体を回してスカーデッドの群れの方に向き直る。

 ユニコーンの視線の先では、三頭のユニコーンが同じく黒いローブを身にまとった人間を乗せて、スカーデッドの群れを切り裂いていた。

 その男たちのローブにはドラゴンの紋章が誇らしげに刺繍ししゅうされている。


(【ウォール・ナイツ】!?)


「隊長!」


 チャベスを抱えたもう一人が、声を掛けて近寄ってくる。

 てっきり男性だと思っていたが、声からすると女性の様だ。


「悪いな、お前はこの子たちのお守だ」


 隊長と呼ばれた男はレオニスをポンと放り投げると、両腰に差した剣を両手で構え、足だけでユニコーンを操ると、ローブを翻してスカーデッドの群れに突入していった。


「ったく、隊長ったら…」


 愚痴りながらレオニスを抱きとめた女性は、そのまま二人をゆっくりと地面に降ろして、不満げな様子で声を掛ける。


「君たち、怪我はない?」

「はい、大丈夫です、…あの、あれは一体?」

「スカーデッドよ」


 表情を強張らせたまま短く答えたその女性は、ユニコーンから降りると背中の長剣を抜いて、ひと通り周囲に目を配る。 

 

「あの、あなた達は?」


 震える声で質問するチャベスに気づいた女性は、二人を安心させるように笑顔を浮かべて答えた。


「私たちは【ウォール・ナイツ】。

 もう安心よ、なんたって【アメザスの双刀】も来てるから!」


 女性が視線を向けた先では、先ほどの男が両手の剣を振るう度に、スカーデッドが心臓を貫かれ、白い雪の中に沈んでいく。

 その姿は、まるでタイフーンに飲み込まれた哀れなゴブリンの様だ。


「凄げぇ!」


 チャベスは思わず感嘆の声を漏らす。


(それよりも、この人今なんて言った!? アメザスの双刀?)


 レオニスは信じられないものを見る目で、ハリケーンのように二本の剣を振り回している男を見ていた。


 【アメザスの双刀】の異名を取るその男は、かつて、レオニスの父アンドリュー・ラフリスと共に現アメザス国王ユリウス・ライド八世によるアメザス統一の立役者となり、その後アメザス軍の総指揮官の座を固辞して死の森と各大陸を隔てる【壁】の守護者・ウォール・ナイツに加入した。

 アメザスのウォール・ナイツの次期総裁とも言われるその男は、各大陸のウォール・ナイツを束ねる【ブラック・ナイト】の後継者に最も近い男と呼ばれている。

 その男の名はショーン・アマンド、七大陸にその名を轟かせるの騎士。


 レオニスたちが唖然あぜんと見守る中、あっという間に十数体のスカーデッドの掃討そうとうを終えたウォール・ナイツたちが戻ってきた。


「君たち、まだ子どもなのにスカーデッドに立ち向かうとは、なかなか勇敢ゆうかんだったぞ!」


 ショーン・アマンドは、戻ってくるなり二人の頭を乱暴にクシャクシャと撫で回す。


「隊長、困ります!叱っていただかないと」


 レオニス達の側にいた女性はどうやら副官のようだ、上官であるショーンをたしなめめる様に叱りつける。


「そうだった、すまんなソフィー。 コラ!君たち、無茶はイカンぞ」


 ショーンは照れたように頭を掻くと、おざなりの叱責しっせきをレオニス達に与えた。


「それよりも隊長…」


 ソフィーが声を潜めてショーンに話しかける。


「やはり、あの予言は本当なのでしょうか?」

「あぁ、間違いないだろう…。」


 苦々しい表情で答えたショーンは、うめくように呟いた。


「空に黄金の金輪きんかんが浮かぶ時、死者の王がよみがえり、生者は息絶えまたよみがえる」


 それはチャベスが言っていた【アルス・ノトリアの予言】の一節だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る