朱恩の冒険 伝説の海賊とその息子

青空

第1話 海賊だったおれたち

 東の空から太陽が昇り、夜の暗さから徐々に明け方のまばゆさに変わる。日の光を受けてあたりに咲き乱れる花々がきらきらと輝いていた。

 風が花の香りをまとい、あまりの強さに顔をしかめた。

「くっせ」

「目の前にこーんな、美少女が花に囲まれてるってのに、なーにそんな顔してるのよ、朱恩」

 綺麗な黒髪を風にたなびかせ、長いまつげに覆われた黒色の瞳が俺を見つめる。

「美少女って年じゃねーだろ、ライア」

「十二歳のちっちゃい朱恩くんからしたらそーかもね」

「ちっちゃい言うな!」

 劉朱恩、十二歳。背が低くて同い年の子と比べると頭一つ分ちっちゃい。俺のコンプレックス、その一。その二は髪と肌の色。黒い髪に象牙色の肌。死んだ父さんとは全く違う。

 俺の父は七歳の時、船の上で殺された。その時から、俺はライアともう一人、レオという父の友人だった二人と船にいたたくさんの仲間と共に暮らしている。

 ライアは俺の剣の師匠でもある。父が死んでから数年は毎日稽古をつけてくれていた。でも最近はめっきり減っていたから今日は久々の実践稽古だった。

 目の前に立つ彼女は絶世の美女と名高い容姿に似合わず太刀を構えて不敵に笑う。

「さて、始めますか」

 ライアは髪を結わえていた紐の鈴飾りをとり、高く放り投げる。鈴は重力に従い、真っ逆さまに落下し地面に落ちてチリンと軽い音を鳴らした。

 同時に、洒落にならないくらいの衝撃が体に走る。ライアが間近に迫ってきて、俺はというとなんとか剣でライアの刃を止めるっていう状況。

 久々すぎて忘れてたけど、やっぱ速え。それに攻撃が重い。じりじりと剣先が迫りそれを押しとどめるのがやっとだ。

「うん、ごーかく」

 急に軽くなったと思うと次は腹への蹴りが決まる。息がはき出され呼吸が苦しい。蹴り飛ばされた勢いで俺は尻もちをついた。

 まずい、立たないと…。

 そう思って顔を上げるとライアはもう太刀を振り下ろすところだった。身をよじって直撃は避けたものの、肩の辺りをかすり痛みが走る。

 立ち上がって、剣を構える。呼吸も徐々に落ち着いてきた。

 ライアは余裕綽々で俺の体勢が整うのを待っていた。

 次は、ライアよりももっともっと速く動かなくては。

 大地を蹴ってライアに突進する。彼女は軽々と交わし、俺の背後へ回る。

 首筋を狙ってくるのが音でわかった。腰を折り、剣先をかわすと身を翻し彼女の肩甲骨の下を狙って振り上げる。

「よくできました」

 囁くようなライアの声。次の瞬間は耳もとで轟音が響いた。

 頭が割れる、平衡感覚が狂って立ってられない。思わず膝をついた。

 何が起きた。わけがわからず、呆然とする俺にライアは微笑んだ。

「びっくりした?」

「なに、したんだよ」

 耳に聞こえる自分の声が自分のものと思えない。音がどこからきてるのか全くわからない。

「これだよ、これ」

 ライアが広げて見せたのは髪紐についている鈴。

「これをね、こう…」

 鈴を耳もとに持ってきて一気に叩く。先ほどと同じ耳に響く音。

 ぐわんぐわんと頭に反響し吐き気をもよおす。やめろ、やめてくれ。どこかでうめき声が上がっていた。

「こーんな、小さな鈴でも効果てきめんだね、朱恩。耳がいいんだね」

 ライアは微笑みながら、俺の頭へ剣を振り下ろした。目の前が真っ暗になり、俺は意識を手放す。

 火薬の焦げ臭い匂い。視界が開けてくると真っ青な空とギラギラと輝く太陽が目に飛び込んできた。

 潮の香りと足元がふらふらと覚束ない感覚。

 目の前で男の首が飛んだ。


 ああ、またか。またこの夢。うだるような暑さまで忠実に再現されたこの夢は今まで何度も見ていて。

 俺が七歳の時、父が死んだときの、あの日。まだ俺たちは俗に言う海賊をやっていて、海の上で戦ってばかりいた。いつ誰が死んでもおかしくない毎日で、父さんはでもこんなのはこれで最後だと言っていたんだった。

「邪魔だ、小僧!」

 はっと顔を上げると日の光を受けて輝く刃が目前に迫っていた。怖くて目をつぶってしまい、訪れるであろう痛みに身構えた。でも、来たのはおびただしい血しぶき。鉄臭いべっとりしたものがまとわりつく。

「主恩!」

 抱き上げられ、肩に担ぎこまれる。懐かしい父のにおい。金色の髪が眩しかった。

「お前、部屋にいろって言っただろ!危ないからって!」

「ごめん、父さん。でも、怖くて。全部終わったときに誰もいなくなってたらどうしようって思っちゃって」

 今にも泣き出しそうな俺を父さんはなだめすかすように言った。

「大丈夫だよ、父さんは強いんだ。知ってるだろ。簡単に死なないよ」

 背中に触れたあったかい手。でも、死んじゃったんだよ、父さん。昔の俺と今の俺。混じって訳が分からなくなる。この時の父さんは笑っていたんだっけ?夢の中なのに顔は見えない。

 嫌な夢で、夢なのに大好きだった父さんの顔は映してくれない。いつもそうだ。

 あったかくて、大きな肩。その暖かさに甘えるように顔をうずめた。

「怖いよな、そうやって目、つぶってろ。すぐに片付ける」

 そう言って父さんは本当に俺を抱えたまま次々と敵を片づけていく。

「リオン!邪魔!私がやる!」

「ライア、頼んだぞ!」

 後ろから颯爽と現れて、黒い髪をなびかせて、大きな刃で敵を薙ぎ払う。

「相変わらず、豪快だな」

 父さんとライアは互いに背中を預けて戦う。

「味方でよかったでしょ?」

「そいつはもう」

 どっちもが互いに信頼しているからこそ成し遂げられるコンビネーション。まるで踊っているかのようにでも、踊りと違って出来上がるのは死体の山。

 矢が耳元をかすめた。その矢は背後にいた大柄の男の頭を貫いた。

「レオ!危ねえだろ!朱恩に当たったらどうすんだよ!」

 父さんが見張り台に向かって声を張り上げる。

「ばーか!そんなへまするかよ!」

 見張り台で、ボーガンを構えて笑ったのはレオ。褐色の肌に緩やかな絹のような髪。

「ほら、よそ見すんな!」

 レオがボーガンから矢を放つ。それはまた正確に敵の体に当たり、きちんとしとめる。

 レオも、ライアも父さんも強くて、三人がいれば無敵だった。今回もきっと父さんたちが勝つんだって疑ってなかったのに。

「リオン、乗り込むよ」

 ライアが駆け出した。目指すは向かいの船。敵陣真っ只中だ。父さんも後を追う。行っちゃダメって叫びたかった。父さんが死ぬのはこの後。全部、全部わかっていて止めることはできない。

 父さんが肩から僕を下した。

「沙里!朱恩を頼むぞ!」

 すぐそばで、薙刀を振るっていた沙里に声をかけた。沙里は俺より八つ上の十五歳の女の子だ。いつも手ぬぐいを頭に巻いていて、淡い色の着物を着ている。その着物も赤い血で紅に染まってしまっている。

「わかりました」

 沙里は顔色一つ変えず、相手の喉に刃を突き刺した。もろに返り血を浴び、顔にべったりとした赤がつく。

 沙里が俺の手を掴んだ。そのまま父さんと引きはがす。父さんの着物の裾へ手を伸ばした。離れたくない。行かせたくない。お願いだから、ずっとそばにいて。父さん。

「そんな心配そうな顔すんな、主恩。父さんは大丈夫だから、な」

 俺がつかんでいる手とは反対の手で父さんは頭を撫でてくれた。安心させるかのように。見上げると父さんの顔だけは逆光のせいで暗くはっきりしない。

「これが終われば、本当にもう終わり。こんな戦いなんてせずにみんなで一緒に暮らせるから。約束したんだよ、父さん。ここから少し先の初花国ってところの偉い人がさ、俺たちが今戦ってる敵を倒したら、国の一部に住まわせてくれるって。全員で仲間たちみんなで住んでいいってな。楽しみにしてろよ。いっぱい遊んでやるからな」

 その約束は父さんが生きていて始めて意味のあるものになるのに。もう二度と会えなくなったらそんな約束なんて。

 一緒にいなかったら、顔も忘れてしまう。そんな息子なのに。

 父さんは手を離し、ライアの後を追い、向こう側へ渡ってしまった。俺はずっと父さんの方を見つめてようやく、行かないでと口に出して言えた。泣きそうだった。遅すぎる一言に。

「主恩、瞬臣は?」

 沙里は俺の手を引き、片手で敵と戦いながら聞いてくる。瞬臣は、沙里の弟で俺と同い年だ。確かこの日、一緒に船室に隠れているように言われて、それで一緒にこっそり抜け出したんだった。

 船室から出てからは瞬臣とは混乱ではぐれてしまっていて、居場所がわからない俺は首を振った。

「あの、ばか」

 沙里はあたりを見回して瞬臣を探していた。器用に敵は倒しつつ、俺のこともしっかり守ってくれて。十五歳でも沙里は十分強くて、かっこいい。

「見つけた」

 沙里が持っていた薙刀を投げる。薙刀は空を切り、真っ直ぐ飛んで男の肩を突き刺した。何が起こったのかわからないと言いたげに沙里を見て、そのまま息絶えた。倒れた男の後ろから赤い髪をした男の子、瞬臣が震えていた。

 沙里は薙刀を男の肩から抜くと瞬臣の手を引き、戻ってきた。

「自分の身が守れるようになってから出てきなさい、邪魔」

「うるさい!俺一人でもなんとかなったんだよ!」

「そうは見えなかった。あなた達、二人とも邪魔なの。余計な心配をかけさせないで」

「じゃあ、沙里はなんでいいんだよ!沙里だって子どもだろ!」

「少なくとも、自分の身は自分で守れるわ」

 そう話している間も沙里は戦いの手を休めない。俺たち二人を傷つけないようにしっかり守ってくれてる。

「ああ、もう。ほんとめんどくさい」

 沙里が一瞬の隙に下に続く隠し部屋へとつながる扉を開け、俺たち二人を突っ込んだ。

「そっから一歩でも動いたら、物理的に動けないようにするわよ」

 沙里はそう言い捨てて、扉を閉めた。上での喧騒が一気に遠くへ行く。静かになってしまって気味が悪かった。

「あー、もう。なんで見つかるんだよ」

「見つかってなかったら、お前、死んでるだろ」

「まあ、そうなんだけどさ」

 隣の瞬臣は、悔しそうに顔を歪めて体はまだ小刻みに震えていた。

「怖いんだったら、行かなきゃいいのに」

「そんなの、こうして待っている方がよっぽど怖いっての。沙里もレオもリオンもライアも。父さんも母さんも上で戦ってて。全部終わったら、みんな死んでましたって言うのが一番怖いし、嫌なんだ」

 俺もそうだ。それが一番怖かった。今は夢の中で結果がわかっていてだから、余計に。

「主恩、行くぞ」

「行くって…」

「上に戻るんだよ、このままじっとしてられるか。弱くても、怖くても死ぬかもしれなくても。じっとして、ただひたすら待って何もなくなってました、よりは遥かにまし。暴れたいし」

「最後のが本音だろ」

 がたがた震えているくせにそう言って笑う。何もできないのが本気で悔しいって顔で。

「お前も行くだろ?」

 その言葉に頷かなければきっと俺は父さんの死ぬ瞬間を見ずに済む。でも、それはこの時の五年前の俺が望んだことではなくて。自分が見ている夢のくせに全く思い通りにいかないんだ。

「行くに決まってるんだろ」

 夢の中でもきっちり五年前をなぞる。二人で震える体を無理やり動かして、隠し扉を開け、外に飛び出したんだ。

 間に合え、間に合うな。相反する思いが胸を突き抜ける。俺は板を渡って、向こう側の船へ敵の真っ只中へ飛び込んだ。

 父さん、父さん。どこにいるの。過去の自分の声が耳元でこだまする。足は迷いもせずに父さんの下へ向かうというのに。敵の攻撃の間を潜り抜けて、血だまりに足を滑らせ、人であったものを踏みつけて、ようやく金色に輝く父さんの頭を見つけた。

 父さんは敵の船長と向かい合い、にらみ合う。敵の船長は上等の服を着ていて頭に兜をかぶっている。使っている武器はサーベルだった。

 正直言って父さんがこんな奴に負けたなんて信じられないんだ。にらみ合いをといた今、動きは鈍いし、攻撃の重さも大したことない。父さんは余裕で攻撃をかわしている。なのに。

 飛んで、高い位置で振りかざした刃を敵はサーベルで受け止める。父さんの刀が赤く輝いた。

 父さんの刀はフォーマという宝石で出来ている。フォーマはどの鉱物よりも硬い。鋼や銅にも負けない強さ。なのに軽くてしなやか。あんな安っぽいサーベルで受け止めたら刃の方が耐えられない。

 案の定、敵のサーベルはぽっきりと折れて、兜の上へ決まった。兜越しでもその衝撃は強い。敵はふらふらとよろめいて、その隙を父さんは見逃さず刀を振り切った。

 ここまでは勝ってるんだ。父さんが負けるなんて、ことないのに。父さんは衝撃で立っているのもやっとな相手に容赦なく刀を振り下ろして、そして。

「主恩?」

 俺に気が付くんだ。いつも、そう。

「なんで、お前がいるんだよ。沙里は?安全な場所で隠れとけって」

 血がついてお化けみたい。ボロボロの姿で父さんは俺の方にやってくる。それが嬉しくて俺は父さんに抱きついた。血と火薬に混じった父さんのにおい。

「怖かった、な。もう、終わったから。安心しろ」

 父さんはしゃがみ込んで大きな両腕で俺を抱きしめてくれた。ここで覚めてくれればいいのに。ここで目が覚めてくれれば。父さんが死ぬ、その結末を変えられないのなら。その結末を見ないでいいように。

 きっと現実の俺はぐっすり眠ってるんだろう。このままラストまで見届けてから、汗びっしょりかいて起き上がるんだ。

 背中をさすってくれる父さんのあたたかな手。もう少しで冷たくなってしまうこの体。

 ざくっと鈍い音。生暖かい液体が父さんの背中を流れ、俺の手を濡らす。

「父さん、父さん!」

 父さんの肩越しに見えた黒い影。その影は真っ直ぐ俺らを見つめていた。

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