05 イチジクのタルト

 俺はこんな光景を見るために、幼なじみの猫娘マーヤをルーナたんに紹介した訳じゃない。ひどい、ひどいよ……。


「ルーナ、耳の後ろもすいてあげるね」

「ありがとう」


 目の前では愛しいルーナたんが椅子に座っている。その後ろにハサミとブラシを持ったマーヤが座って、ルーナたんの白い髪をいじっている。

 きっかけは俺とマーヤが訪問した時の会話だ。

 なぜか話の流れでルーナたんは「自分で髪を切っているから後ろ髪が切りにくい」と言い、マーヤが「それなら私が切ってあげようか」と答えた。

 かくして急遽、散髪が始まり、マーヤは鼻歌混じりにルーナたんの髪を触りだしたのだ。


 あああっ、俺もルーナたんに触りたいぃぃ!


 幼なじみ相手に、それは俺のだから触るなと言いたくなる。

 けど現実はルーナたんはそっけない態度で俺の奉仕を拒絶し、お前はそこで待っていろとのお達しだ。俺は指をくわえて女子トークを見守るしかない。


「ルーナの髪ってふわふわでサラサラだね!」


 マーヤは茜色の猫耳をピクピクさせてご満悦だ。

 後ろ髪を整えた後は、柔らかい動物の毛を使用した小型のブラシを取り出して、ルーナたんの可愛い耳を愛でている。おのれマーヤ、後で覚えてろよ……。


 所在ない俺はテーブルの隅に縮こまって、卓上の緑色の物体を転がした。

 卵より少し大きな緑色の物体は、開く前の植物の芽のようで丸々としている。緑色と言ったが、実際は少し白っぽくて、片面が赤黒い色に染まっていた。なんなんだろう、これは。相変わらず、ルーナたんの家には珍しい植物が置いてあるなー。


「……それは果物よ。傷むから転がすのは止めて」

「果物?」


 ブラッシング中のルーナたんから一言。

 俺は緑色の物体を見下ろした。

 狼系の獣人の俺は嗅覚が鋭い。確かにこの物体からはクリーミーな甘い匂いが漂っている。でも見た目がいまいち美味しそうに見えない。


「それ、イチジクでしょ。私はイチジク苦手だから、そろそろ帰るわ」


 ひとしきりルーナたんの髪をいじり終えたらしいマーヤは席を立った。

 俺に目配せする。後はうまくやりなさいよ。

 おお、マーヤの癖に気がきくじゃないか!

 後で対価を請求されるとも知らず喜ぶ俺。


 俺を残してマーヤは小屋から出て行った。

 二人きりになった小屋に沈黙が降りる。

 でも全然気まずくない。

 ルーナたんと同じ空気を吸ってるだけで俺は幸せだ。スーハー。


「お菓子作ってあるけど、食べる?」

「食べる食べる!」


 尻尾があればビュンビュン振っていただろう。俺は獣人だが、獣耳と尻尾は普段は出さない主義だ。

 俺の返事を聞いたルーナたんは、台所から丸いケーキの載った盆を持ってきた。

 ケーキからは、イチジクと呼ばれた緑色の物体と同じ甘い匂いがする。

 よく観察するとそれは、ビスケット状の下地を器にして、クリームと果物を盛ったタルトだった。イチジクという果物は中心が赤く皮の近くが白いらしい。四つ切りにされたイチジクの実がクリームの上に大胆に山盛りにされている。


 ルーナたんはナイフを持って丸いタルトを切り分けた。

 切り分けられて三角になったタルトに、俺は渡されたフォークを突き刺す。取り分け皿はなく、本体が載った皿から直接いただく。ここには俺とルーナたんしかいないので、多少の行儀悪さはご愛嬌だ。


「んまい!」


 サクッとした生地の上のクリームは、香ばしいナッツの風味がする。イチジクはとにかく甘くねっとりした風味の果物だったが、クリームと合わさることで香ばしく甘い味に昇華していた。


 タルトをもぐもぐする俺の隣に、ルーナたんがブラシを持って座る。

 ん?


「シリウス、耳と尻尾出して」

「る、ルーナたん。もしかして、そのブラシでとかしてくれるの?」

「そうよ、早く」

「俺もルーナたんのブラッシングしたい、というか俺がブラッシングしたいというか」

「終わったらね」


 それは後で交代ってことか?

 臆病な俺は、ルーナたんに嫌われるのが怖くてそれ以上突っ込めず、大人しく獣耳と尻尾を出した。ルーナたんはいそいそとブラシを構える。


「ルーナたん、いつまで」

「黙って」


 ああ、この甘い拷問はいつまで続くんだろうか。

 タルトを食べながら、尻尾をブラッシングされながら、俺は自分に「忍耐だ忍耐」と言い聞かせる。そのうち終わるだろうと甘い希望を抱きつつ。


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