第三話 恋敵
☆
日差しが強い日曜日の休日。特にやることもなく、一人でテレビゲームをしていた。基本、外に出ることが少ない僕はこうして部屋でコントローラーを手に持ち、画面に出てくる敵をぶった切る日々を送っていた。
どんなに時間が過ぎても、彩子さんの顔を忘れることができない。来る日も来る日も彩子さんしか頭に浮かばないのだ。街ですれ違う女性を見ても、彩子さんとは比べものにならないほどだ。彩子さん以外の女性が虫に見えてくるのはなんなのだろうか。
楓のライブが終わってから彩子さんに依頼する理由がなくなった今、個人でしか依頼するしかない。本来なら、これで依頼する必要はないのだが、僕個人として会いたいと強く思う。しかし、どんなに依頼しても彩子さんは僕を好きになることはけしてないとハッキリ言われた今、悩んでいるところだ。ふと、ゲームをしながら、悩んでいた時、家のチャイムが鳴った。
ピンポーン
訪問者がくるのは、珍しい。一体誰だと思い、覗き穴でドアの前の人物を確認する。
そこには、金髪少女の楓の姿があった。真っ先にチェーンを外し、ドアを開けた。
「あれ、楓。どうした?」
楓は下を向いて、深刻そうな感じで立っていた。
「……とりあえず、中に入れよ」
僕はそう言って、楓を中に入れた。
座布団の上に座らせて、僕は聞いた。
「楓。なにかあったのか?」
何もメールも電話もせずに、ここまで来るのだから何か事情があることは明白だ。じゃなきゃ、わざわざ、名古屋から大阪までくることはないだろう。ここまで何も言葉を発しなかった楓がようやく口を開く。
「彩子ちゃんはどうしているの?」
楓は彩子さんに触れた。
「え? いや、どうしているのかな……はは」
「恋人なのに、知らないんだ!」
「あ、ほら、今日は友達と遊ぶとか言っていたかな」
適当なことを口にする。
「結婚するのになんで同棲もしていないの? 二人は結婚するんだよね?」
「うん……でも、向こうにも事情があるから、すぐに同棲って訳もできないし……」
「レンタル彼女……だから?」
楓はレンタル彼女の事を口にした。その瞬間、僕の焦りはピークに達する。
「え……? 何をいっているんだ? レンタル彼女……? なんだそれ、訳わかんな……」
「とぼけるな!!」
楓は声を荒げた。
「私、見たのよ。あの時、控室を出て行ったお兄と彩子ちゃんの後を……。二人は本当の恋人じゃなく、雇っただけなんでしょ?」
人気がないところで話していたつもりだったが、どうやらあの現場をこっそりとみられていたらしい。あの現場の一部始終を見られていたとしたら、言い逃れができないのは明白だった。やはり、彼女時間のアラームが鳴ったことが大きかったようだ。それにより、楓の疑う目は強くなってこのような結果を招いてしまったようだ。
「お兄ぃ!!」
黙っている僕に楓はさらに声を荒げる。
「ま、待て! 一回落ち着いて話そう。冷静にならないと、できる話もできないだろう」
「あぁん??」
楓はヤンキーみたいな口調で言った。完全にお怒り気味である。こうなると、手のつけようがない。
「私に嘘を付いたことを認めますか?」
「……はい」
認めてしまった。
「そうゆうことだろうと思ったよ。ブサメンのお兄ぃにあんなべっぴんさんの彼女ができるわけないものね」
「…………」
本当のことだが、ここまで言われると、屈辱的だ。
「レンタル彼女ってそもそも何? まぁ、言葉通りの意味なんだろうけど」
ここまでばれてしまっては隠しきれなかった。僕は諦めてレンタル彼女について話す。
「うん。日にち、時間、場所を指定して決められた時間の間は依頼者の彼女になるのがレンタル彼女であって、注意事項がいろいろあるけど、それに沿ってデートする感じかな」
「なるほど。いくらするの? それ」
「時間によって決まる。一時間六千円計算で、指名料、交通費があって、それの合計で決まります」
「ふーん」
楓は不機嫌そうな感じである。
「なんで、言ってくれなかった訳?」
「いや、だって母さんに言われるとまずいし……」
「私はともかく、ママに嘘を付くのは許せないね」
楓にばれたなら母に言うことは目に見えていた。結果としてはやはり楓にも嘘を付く必要があったので仕方がない。
「か、楓――母さんには頼むから言わないで……」
「嫌! 言います」
そう言うと、楓はスマートフォンを取り出し、電話をかけようとする。
「ちょ、待てって!」
僕は楓のスマートフォンを奪おうとする。
「離せ! かけるったら、かけるの!」
スマートフォンの取り合いが始まってしまった。大人になってこのようなことをしている時点で子供だか、今、ここで楓に電話をされたら、非常にまずいことになる。なんとか楓のスマートフォンを奪い取った僕はそれを死守する。母さんにかけられてたまるか、と。
「い~や~! 襲われる~!」
スマートフォンを奪われた楓は新たな手段で僕に対抗する。
「バカ! 大声出すな! 隣に聞こえるだろ」
「なら、その手を離せ――バカ兄ぃ!」
「それは困る!」
「こうなったら、かくなる上は……」
楓の視線が変わった。目線の先は、テーブルの上に放置してあった僕のスマートフォンだった。
「まさか……」
「そのまさかよ!」
楓は僕のスマートフォンに向かって飛び込んだ。それを手に入れた楓はスマートフォンを持ってトイレに駆け込み、鍵をかけた。
しまった! やられた。僕は毎回、入力するのが面倒なので、ロックをかけていない。つまり、今の楓は僕のスマートフォンをいじり放題という訳であり、つまりは母に電話するのも可能ということになる。
ジリリリリ、ジリリリリ、ジリリリリ
トイレから僕のスマートフォンの着信音が聞こえる――電話だ。
「あ、はい。もしもし」
なんの躊躇もなく、楓は僕の電話に出た。なぜ、お前が出る?
「――はい。――ええ。――そうですけど……え?」
楓は普通に電話をしている。相手は一体誰だというのだ。トイレの外ではよくわからない。
ガッシャン
数分の電話のやりとりの後、トイレの鍵が開き、ゆっくりとドアが開いた。
開いたドアに楓は下を俯き、左手に僕のスマートフォンが握られていた。その表情は魂が抜けたみたいだった。
「お、おい。電話、誰からだったの?」
「病院から」
「……で?」
「…………」
「……おい」
「……ママ、亡くなったって」
☆
たった一人の母親を失った。どうやら、母は病気に勝てなかった。
悲しみの中、僕と楓は仕事を休み、母の葬式に出席する。まさか最後に会ったのが、彩子さんと同伴の時になるなんて。しかも、僕は母に嘘を付いたまま死んでいった。それだけが心残りになる。
「ママ……なんで先にいっちゃうのよ」
棺の前で楓は泣き叫ぶ。父が一足先にこの世を去って、それに引き続き、母もこの世を去ってしまうなんて……。
せめて、嘘を付いたまま、死なれるのではなく、本当のことを打ち明けてから死んでもらいたかったと、後悔する。僕は……最低の嘘つきだ。
僕は何も親孝行できなかった。考えてみれば、僕は母に何もしてあげられていない。今の僕を見たら、母はなんて言うだろうか。情けなく思うだろうな。
「お兄ぃ……ちょっと席外すね」
楓は式場から出て行った。
棺の中の母を見る。まるで眠ったように死んでいる。この感覚は父の死でも体感したことだ。震えが止まらないような感覚。口うるさかった母は今では懐かしく思う。鬱陶しく思うところもあったが、死んでしまった今ではその有難味も充分理解できた気がした。
母の葬儀は静かに終えた。
「二ノ宮陸さん」
僕の名前が呼ばれ、後ろを振り向いた。そこには身覚えのない白髪のおじさんがいた。
「どちら様ですか?」
「私ですよ。覚えていませんか? 中部総合病院・主治医の小笠原です」
「あぁ」
小笠原と聞いてピンときた。以前、病院に訪れた時に母の症状を説明してくれた人だ。白衣ではなく、黒のスーツを着ていたので別人に見えた。 病院を出ると、こうも違う人に見えるものなのか、白衣しかイメージがないので気づかなかった。
「ご愁傷様です」
小笠原は軽くお辞儀した。
「あ、いえ……」
「二ノ宮さん。医者としては、最前を尽くしました。しかし、お母様を助けてあげられなくて申し訳ない」
「いいんです。小笠原さんのせいではありませんし」
「はい……。お母様は亡くなられる直前まで楓さんと陸さんの心配をされていました。いつも、お二人の話をされていて、その時は生き生きとしていました」
「そうなんですか……」
「実は……二ノ宮さんにお渡しするものがございまして」
そう言って、小笠原は内ポケットから封筒を取り出した。
「それは?」
「お母様が亡くなる前に書いたものです。ベッドの下に挟んでいました。中身は見ていませんので、どうぞお読み下さい」
封筒を受け取り、中を開封する。
『――陸へ
この手紙を見る頃には、母さんはこの世にはいないでしょう。お父さんに続き、二人を残して、去ってしまうことを許して下さい。陸の前ではなるべく元気な姿を演じていましたが、無理があったようですね。正直、身体を動かくのはしんどかったです。最後まで迷惑と心配をかけてしまいごめんなさい。母さんは天から二人をいつまでも見守っています。
ちゃんとご飯食べるのよ。部屋の片付けもしっかりしてね。毎日ゲームはせずに寝るときは寝て下さい。歯磨きも朝と夜ちゃんとすること。身体に負担をかけるようなことはしないように。規則正しい生活を送って下さい。
それと、生命保険に入っているので、お金が下りたら、楓と二人で山分けしてください。無駄使いをしないように。二人が私の子で本当に良かったです。自慢の息子と娘です。母さんの分も二人仲良く生きてください。私の誇りです。
PS
彩子さんの件、早く本物の恋人になれるように頑張ってね。母さん、応援しています。陸ならできる。母より』
「え……」
母さんは何でもお見通しだった。自分が死ぬ予感も、そして、僕が嘘を付いていたこともなにもかも――全部知っていたんだ。
「母さん……ごめん、ごめん、ごめん」
気づいたら、涙がこぼれていた。母に申し訳ない。母は僕の事を全部見ていたんだ。彩子さんと本物の恋人ではないと、気づいていたのだ。母には嘘は通じないようだ。自分が情けない。
☆
母の死から数週間が経った。僕は相変わらずの感じだった。自分が恥ずかしくて母に顔むけができないくらいに。仕事以外は極力外出を控えて休日はゲームをする生活が定着しつつあった。既に母の心配を無視した生活に嫌気が差してきた頃合いだった。何を弄れているんだと自分に言い聞かせる為、部屋着から着替えて家を出る支度をした。
特に目的地はない。ただ、休みの日に一日中、家の中で過ごすのもあまりよくないと思ったからだ。
玄関の扉に手をかけてふと、重みを感じた。何かと思い、表面を覗き込んだらレジ袋がドアの取手に引っかかっていた。中身を覗いてみると人参、ピーマン、キャベツ、ナスといった野菜が詰まっていた。中に手紙があった。
『良かったら食べて下さい』
その一言だけが書かれてあり、差出人の名前はなかった。
近所に知り合いはおらず、何故自分の部屋にだけ野菜があるのか謎だった。近所付き合いがない僕としては初めてのことであったので余計に不思議で仕方が無かった。
だが、返そうにも差出人が分からなかったら返しようがない。捨てるにしても食べ物を捨てるなんてそんな粗末にするようなことはできなかった。仕方がないので引っかかっていた野菜は自分の冷蔵庫に収めることにした。誰だが分からないが、この野菜達は有り難く頂くとしよう。
家を出て、街中を歩いているといろいろと考えてしまう。母の事、楓の事、彩子さんの事……。
少し、衝撃的のことがたて続きに起こり過ぎである。また、この後も衝撃的なことが起こりそうでならない。外に出たのは良いが、目的もなく、ウロウロすることはあまり好きではない。こうゆうことなら家でゲームをしていた方が、ましに思える。
「はぁ……。帰るか」
と、ため息をつきながら独り言を言う。回れ右をして、家に引き返そうとした瞬間、あるものが目に止まる。
「え? 彩子さん?」
道路を挟んで、反対側の歩道に彩子さんらしき人を見かけた。慌てて、後を追うことにした。どんどん歩道を歩いていく彩子さん。
反対の歩道を渡りたいのだが、信号が赤でじれったい。足踏みしながえら早く、信号が青になることを祈る。ようやく、青に変わり、ダッシュ。なんとか、彩子さんの後ろをキープ。気づかれないように探偵のように物陰に隠れながら、その後を追う。
尾行から十分後――。公園の広場に入った彩子さんが手を振って、駆け足になった。
誰かと待ち合わせかと思ったら、まさにその通りだった。
待ち合わせた人は髪が肩まであるロン毛の男だった。見た目からはどことなく、イケメンである。見ただけでチャラそうな人で、自分とは無縁の人柄だ。そんな男を彩子さんは笑顔で手を振る。もしかして、この人が本命の彼氏なのだろうか? いや、依頼者と信じたい。遠方から眺めていたので、会話までは聞こえない。五分ほど、立ち話をして、二人は手を繋いで、歩き出した。僕はまだ、まともに手を繋いだことがないので、なんだか腹に立つ。
ん? これが『嫉妬』と、いうやつなのだろうか。初めて湧き上がる感情だった。
距離をとって、彩子さんと謎の男の後を追う。
何か話ながら歩いているが、やはり距離的に全く会話が聞こえてこない。二人はどこかの店に入った。僕は慌てて、二人が入った店に入る。
「いらっしゃいませ。お客様、予約されていますか?」
店の名前もなんの店かもわからずに入った僕。タキシードを着た店員に呼び止められた。
「い、いえ。してないです」
「申し訳ありませんが、当店は完全予約制となっております。予約のないお客様の入店はできません。お引き取りください」
追い出された。
店の看板をよく見ると、一流のイタリア料理店だと、わかった。こんなところに彩子さんと男が入っていったというのか。さすがにこんなみずぼらしい格好をした自分がこんな店に入れる訳ない。店の外からでは店内を見ることはできない。これまでか。
かと言って、ここで数時間も立ち尽くすと、かえって目立つ。周囲を見回す。
「――お!」
近くに喫茶店を発見した。ここで二人が出てくるのを待てる。
喫茶店に入り、窓際の席に一人座る。
「いらっしゃいませ。ご注文は何にいたしましょうか?」
「え…と、ロイヤルミルクティーをお願いします」
「かしこまりました」
ロイヤルミルクティーでひとまず二人が出てくるのを待とう。一人で喫茶店に入るようなキャラではない僕は一体何がしたいのだろうか。つい、彩子さんに反応してここまで尾行してしまったが、なんだかバカバカしく、思えてくる。
約、二時間――
一流のイタリア料理店から、二人が出てくる様子がない。そろそろ、何か動きがほしかった。喫茶店に居座るのも限界だ。
そんな事を思っていたら、ついに動きが出た。彩子さんと男が出てきたのだ。
僕は慌てて伝票を持って席に立つ。
☆
喫茶店を出ると、彩子さんと男は一流のイタリア料理店を出て左右別々の道を歩いて行った。どうやら、二人は現地解散をしたようだ。どちらを追うべきか。彩子さん? 男? 迷っている時間はない。方角的には男の方が近い。僕は彩子さんと一緒にいた男を追った。
男は手をポケットに入れて急かせかと歩く。意外と早足だった。スタイルもよく高身長の為、大股に歩くのだろうか。僕は全力で走っても追いつく気配はない。身長も低く足も遅いせいもあるのだろうか。
先程同様、信号に捕まる。何故、こうゆう時はいつも赤なのか。本日二回目の信号に殺意が沸いた瞬間だった。ギリギリ、男を視界にとらえている為、見失うことはなかった。
僕は信号が青に変わった瞬間、走って男に追いつこうとした。息を切らしながら、走って、走って、走ってようやく男に追いつく。
「ハァ、ハァ、あ、あの、待って下さい」
後ろ姿の男に話しかけたつもりだったが、男は自分のことだと、気づかずにそのまま歩く。声が枯れて大声が出せず、気づいてもらえなかったので僕は男の前に回り込んで、両手で広げて、通せんぼした。
「あの! ちょっと待ってください!」
男は目の前に僕が現れて、驚いたように立ち止まる。
「何事?」
男の口から漏れたセリフに僕は追加で言う。
「突然ごめんなさい。でも、教えてほしいんです。あなたは彩子さんとどのような関係なんですか?」
「なんの事だ?」
「とぼけないで下さい。さっき、一緒に居ましたよね? 一流のイタリア料理店に二人が入って出てくるのを見ました」
「…………!」
男は僕をじっと見て、拳を手のひらに乗せて『なるほど』といったポーズをとる。
「君……もしかして、彩子の依頼者の一人だったりする?」
「え?」
男は馴れ馴れしく、『彩子』と呼び捨てで言った。この人が彩子さんの本命の彼氏なのだろうか?
「あ、やっぱそうでしょ? 実は俺も彩子を定期的に雇っている者だよ。よかったら少し呑んでいかないか?」
「…………はぁ」
☆
「申し遅れた。俺は宇尾(うお)島(しま)康(こう)介(すけ)と言うものだ」
「あ、二ノ宮陸です」
僕は宇尾島という男と共に、近くのバーに入店していた。
彩子さんを共にレンタルしている者同士、何故かこうして一緒に呑むことになった次第だ。
「二ノ宮陸……じゃあ、ニノだな! よろしくな、ニノ」
勝手にあだ名を付けられてしまった。宇尾島はおおらかで親しみやすいタイプのようだ。
「よ、よろしくお願いします。あ、あの。宇尾島さんは……」
「康介と呼んでくれ」
「康介は彩子さんとどれくらいデートしたんですか?」
「そうだな……正確には覚えていないが二十回くらいかな」
「に、二十回!?」
僕よりもベテランだった。僕がデートをしたのは三回だけなのに対し二十回はかなり多い。
「良い女だよな? あんな女、他にいないだろうな!」
確かにいない。彩子さん以上に素敵な人は存在しないのではってくらいに
「彩子のことはどこまで知っているんだ? ニノ」
「彩子さんの知っていること?」
僕が知っている彩子さんのことってなんだろうか。
彼女としては気配りができて――
本を読むのが好きで集中力があるところ――
臆することがない熱い心を持った人――
お酒が強くて元気なところ――
ダンスが得意で遊びにはいつも全力で――
感謝の気持ちとお礼を忘れないところ――
探せばいくらでも出てくる。彩子さんには魅力しかない。素晴らしい人なのだ。全部好きだ。彩子さんの全てが僕のハートを掴む。
「そんなに彩子のことが好きなのか。ニノ」
「え?」
しまった。いつの間にか思っている事を声に出していたようだ。
「だが、ニノ。お前は彩子の事を知っているようで知らない。それだけは忘れないことだな」
「康介は彩子さんの事、なんでも知っているの?」
「いや、なんでもは知らない。だが、ニノよりかは知っているかもな」
「康介は彩子さんをどうしたい訳?」
「そんなの、決まっているだろ」
康介はカクテルをテーブルに置いて、少し間をおいてから言う。
「レンタル彼女じゃなく、彼女にするんだよ」
それはつまり、彩子さんを本物の彼女にするという意味だった。まさしく、康介も僕と同じで彩子さんのことが本気で好きらしい。それを聞いて僕はモヤモヤした気持ちになる。
「康介も彩子さんのことが好きってこと?」
「ああ、もちろんだ。ニノも彩子を狙っているんだろ? だったら俺たちは恋敵ってことになるな」
「恋敵?」
「そうだ! 同じ人を好きになったんだ。正々堂々と勝負しようぜ! どっちが先に彩子をモノにできるかを! つまり、ライバルだな。まぁ仲良くしようぜ」
康介は手を差し出した。
「モノって……まぁいいや」
「よろしくな! ニノ!」
僕はその手を握り返し、硬い握手を交わす。
「こちらこそ」
「どうだ? 次、彩子と会う約束はしているのか?」
「……いや、してない」
「彩子は完全予約制だ。予約しておかないと、予定が埋まってしまうぞ? あ、そうだ。俺が先に予約しようかなっと」
康介はスマートフォンを取り出し、電話をしとうとする。
「ま、待って!」と、僕は彩子さんが取られると思い、つい、止めてしまった。
「おっと、冗談だよ。先に予約しな。俺はその後でいいからさ」
康介は随分と余裕の態度である。彩子さんとデートを重ねているだけに心にも余裕がある証拠だ。
「どうする? 予約しないのか?」
「でも、デートする為の口実が見つからないし……」
「そんなのいらないよ。自分がしたいと思えば誘えばいいだけの話さ。相手の都合よりもこっちの都合で決めればいい。それがレンタル彼女のいいところだ。デートしたいんだろ?」
「それはそうだけど……」
僕は考えているだけでなかなか彩子さんとデートにこぎつけずにいた。いつもレンタル彼女を利用する〈理由〉があって依頼していたが、個人的の理由ではさけていたのだ。だが今回、康介の言うように自分の都合で依頼するべきなのかと思えた。僕のような情けない男が彩子さんとデートしてもいいのかと思っていたが、彩子さんの都合ではない――僕の都合なのだと。
母さんの手紙にもあった。本物の恋人になれるように頑張れと背中を押されたのだ。
僕の気持ちはただ一つ――彩子さんのことが好きだ。
僕は自分のスマートフォンを取り出し、例のレンタル彼女の受付に電話をかけた。その間、康介はマスターと会話をしながら酒を呑む。
『はい、こちらレンタル彼女の受付です。ご依頼ですか?』
「はい。そうです」
『お客様、今回のご依頼は初めてでしょうか?』
「いえ、以前三回しています」
『左様でございますか。お名前と年齢をお願いします』
「二ノ宮陸。二五歳」
『はい……あ、二ノ宮様、いつもお世話になっています。今回も彩子をご指名しますか?』
「はい、彩子さんでお願いします」
『では、ご希望のプランを教えてください』
――しまった。勢いで電話をしてしまったので、何もプランを考えていなかった。どうする? 遊園地? 水族館? 動物園? ダメだ。ベタなプランしか思いつかない。
『考えておられないなら、私の方でオススメのデートプランを提供しましょうか?』
毎度、毎度、この受付の人は仕事が早い。こちらの考えを見透かしたかのように話を用意してくれる。
「なにかオススメがあるんですか?」
『はい。例えば、アミューズメントパークや人気アトラクション施設なんかがオススメですよ。その他は、映画、ショッピング、コンサートなど様々です』
「あ、あの、彩子さんが一番喜ぶデートプランはなんでしょうか?」
『少々、お待ちください…………資料によりますと彩子の方でしたら、ユニバーサルなんかどうでしょうか? 彼女は年間パスをお持ちなので、金額の方は安くつくと思いますよ』
「ユニバーサル……ですか」
今人気のアトラクションである。僕は今までは学校の行事では行ったことがあるが、プライベートでは行ったことがない。
「ユニバーサルは止めとけ」
康介が横から僕の会話を聞いていたのか、話を挟んだ。
「え?」
「それは、本物の彼女の時までとっておくんだな! 俺もまだ行ったことがない。行くなら本当の彼女になってからの方が楽しめるだろう。それだけはお互い勝負がつくまではなしにしよう」
康介の意味ありげな発言に思いとどまる。
「わかった。勝負がついてからにしよう」
目と目が合い、熱く確かめ合う。
「ユニバーサルは、今回は辞めておきます。それ以外で彩子さんの喜ぶプランはありますか?」
『そうですか……では、観光スポット巡りなど、いかがでしょうか? 彩子はそういうの好きですので』
「じゃ、それでお願いします」
『かしこまりました。では、日付と時間と場所の方を……』
「はい――ええ――」
その後は、受付の人と当日の細かい事の話をして僕は電話を切った。
「ふぅ」
「予約……できたのか?」
「うん。おかげさまで」
康介は電話の間、横で終わるのを待ってくれていた。
「そうか、ならくれぐれも彩子を怒らせないことだな。怒ると怖いぞ、あの子」
僕は彩子さんに軽く怒られたことはあるが、マジギレされたことがないので、想像するのが恐ろしい。
「ニノ、携帯の番号、教えてくれよ」
「あ、うん」
僕は康介と番号を交換する。改めて思うが、宇尾島って珍しい名前だ。彩子さんは康介の事をなんと呼んでいるのだろうか? こうちゃんとか?
「じゃ、俺、もう行くわ……また会おうぜ。次会った時は、彩子は俺の女になっているかもしれないがな」
康介は冗談交じりで言った。
望むところだ。彩子さんを好きな気持ちは誰にも負けない。
☆
恋のライバル、恋敵である宇尾島康介という人と出会った。康介は彩子さんをかなり前から依頼しているベテランだ。そんな中、僕も最近彩子さんと出会って好意を寄せている。なので、僕と康介はどちらが先にモノにするのか、勝負することになってしまった。
普通に考えて、彩子さんをモノにするなんて、エレベストを登るくらいかなりハードルが高いのは目に見えていた。しかし、母の手紙では、彩子さんを本物の恋人になれるように頑張れと、応援されている。これがもしかしたら母の最後の望みでもあり、僕の大きな目標のようで気が気でなかった。例え、0に限りなく近くても挑戦するしかなかった――いや、僕がそう望んでいるからだ。
恋敵がいようが、本命の彼氏がいようが、僕はそれをなぎ払ってでも彩子さんに手を延ばし続けたい。人生最大の試練といってもいいくらいにとても重要なことだった。
今回、僕が指定した場所は奈良公園――そう、あの有名な奈良の大仏と鹿がいる有名スポットだ。彩子さんが喜びそうな場所(好きかどうか知らないが)を指定した。もっとも僕の意見よりも受付の人がほぼ考えてくれたデートプランなのだが、彩子さんが〈僕が〉喜べば何でもよかった。
今回は嘘を誤魔化す為に呼んだのではなく、正真正銘のガチデートなので、緊張が高ぶる。
デート当日――
デートは十一時からの待ち合わせになっている。僕は三十分前に着く予定だったが、うっかりして電車を一本乗り過ごしてしまった。
待ち合わせの駅に着いたのは、十時四十七分。結構ギリギリで着いてしまった。彩子さんは既にいるのだろうか……。
すると、僕が目にしたのは、彩子さんだったのだが、横にチャラそうな男が二人、彩子さんにまとわりついている。トラブルか? いや、単なるナンパ? とにかくなんらかの問題が起こっているのは見たらわかる光景だった。僕は彩子さんの元に向かう。
「しつこいですね。あなた達! 私は彼氏を待っているんです。どっか行ってください」
「彼氏~? そんなの、ほっといて俺らと遊んだ方が楽しいよ」
「そうそう、俺らと遊ぼうよ~アイス奢るからさ~」
完全にナンパだった。彩子さんが僕の事を彼氏と言ってくれた事に感動したが、今はそんな事を考えている場合ではない。早く彩子さんを助けないと!
「あ、彩子さん!」
彩子さんは僕が言葉を発したことにより、存在に気づいてヤンキーを振り払ってこちらに駆けつけてくれた。
「あ、りっくん!!」
それを見ていたヤンキー二人は
「チッ、本当に彼氏いたのかよ」
「それはいるだろう、あんな可愛い子がいない訳ないさ」
「にしても、あんな冴えない陰キャラが彼氏とはな」
「確かに。あんなブサメンが彼氏なんて、あの子もどうかしているよ」
ヤンキー達の会話に矢が心臓に突き刺さる。僕が来たことにより、ヤンキー達はどこかに行ってしまった。
冴えない陰キャラ――ブサメン――
楓に言われるよりも重く突き刺さる感じだった。僕はともかく、彩子さんの悪口だけは許せない気持ちになる。
そんな落ち込んでいる僕に彩子さんは
「二ノ宮様。助かりました。私、素顔だとよくナンパされてしまいますので、来る途中までマスクとかして変装しているのですが、今回、隠すものを持ってくるのを忘れてしまいまして、このような結果を招いてしまいました――不覚です」
彩子さんは落ち込み気味で言っているが、単なる自慢か嫌味みにしか聞こえないのは何故だろうか。
「ちなみに、今日はこれで二回目です」
「…………」
さすが、彩子さん。次元が違いすぎる。普通に歩いていたら、ナンパをされるのは日常的のことらしい。
「では」
彩子さんは改めて、といった感じに例の注意事項の確認に入る。
「今回も私を依頼していただき、ありがとうございます。今回のデートプランはここ、奈良公園で四時間のデートと聞いております――間違いないですか?」
「はい」
「では、後五分ほどで開始させていただきます。その前に注意事項です――私の嫌がることはしないでください」
簡単な注意事項が終わった。あまり気にしていなかったが、おそらく、〈嫌がること〉というのが彩子さんの怒りに発展するポイントなのかもしてない。とにかく普通に接していたら問題ないだろう。
「彩子さん! 僕からもデートを始める前に言いたいことがあります」
「はい、なんでしょう」
「僕は今回、嘘に付き合わせる目的でのデートではなく、僕と彩子さんの真剣のデートにしたいと思っています。この間の事、覚えていますか? 僕は彩子さんに心から好きになってもらいたいと思っています。僕はこのデートで彩子さんに振り向いてもらいたいと思っています。その事を踏まえてデートしてください」
「何度も言いますが、私はあくまでもレンタル彼女です。二ノ宮様が私をどのように思うかは勝手ですが、私は私のやり方でデートに徹するつもりです。どうしても私の心を動かしたいのであれば、どうぞ力ずくでしてみてはいかがですか? まぁ無理でしょうけど」
これは彩子さんの宣戦布告と受け取っても良いのだろうか? そうであれば、受け取ってあげたい。無理かどうかはやってみないとわからない。そう、諦めたらそこで試合終了だ。
「わかりました。できる限り挑戦します――いや、挑戦させてください」
「お好きにどうぞ。それでは、そろそろ時間ですね」
彩子さんは腕時計のタイマーをセットしだした。
「四時間にセットしました。では、まもなくデートをスタートします」
五――四――三――二――一――
彩子さんは腕時計のタイマーのボタンを今、押した。彩子さんを本気で振り向かすデートは幕を開けた。
☆
「りっくん、行こうか」
彼女タイマーを押した瞬間、彩子さんはビジネス口調から彼女口調に変わった。毎回この変わりように驚かされる。ビジネス口調の堅苦しいのと違い、彼女口調は心が癒される感じになり、まるで別人みたいだ。どちらの彩子さんも好きなのだが、やはり彼女口調の方が断然好きだ。
母にも、楓にも嘘がばれてしまった今、もう何も隠すものはない。堂々と、彩子さんとデートができる。それだけで少し重荷が取れた気がした。今回のデートがまさにそれである。周りを巻き込んで偽らなくてもいい。偽っているのは、僕と彩子さんの間柄だけ。偽りの恋人。それを今回、少しでも前進させる為に彩子さんのハートを掴まなくてならない。
「人いっぱいだね」
彩子さんは上機嫌でそういった。
ここ、奈良公園はいつ来ても人が賑わっている観光地。訪れたことがなかったので、ネットで下調べ済みだ。
「彩子さん、向こうに鹿がいるので見に行きましょう」
「はい。鹿と触れ合いたいです」
公園の中に入ると、野放しにされている鹿がそこら中にウロウロしている。ここの鹿は人間に管理されているが、鹿自体は野生として公園内で生息している。餌は園内に売っている鹿せんべいがあるのだが……。
「りっくん! 鹿せんべい売っているよ。買ってください!」
彩子さんは売り場を指差し、おねだりをする。僕は鹿せんべいを二つ分購入し、一つを彩子さんに渡す。
園内には野放しにされている鹿がそこら中にいる。小鹿達は人間には近づこうとしない。小鹿は集団で行動しているようだ。
「ほ~らほら~おいで、おいで~」
彩子さんは鹿せんべいを一枚とって、小鹿を誘い出す。一匹の小鹿が忍び足で彩子さんに近づく。鹿せんべいをかじり、後ずさりをしながら逃げていく。
「やっぱ、小鹿は人に馴れていないんだね」
彩子さんは少し残念がる。
僕も彩子さんと同じく、鹿せんべいをあげようとする。少し、坂をよじ登り、小鹿に触れようと試みる。
小鹿達は遠方に逃げている為、近づこうとすれば、すぐに逃げてしまう。鹿なだけに足が速い。全力で走って追いつこうとしても鹿は道じゃないところを猫みたいにすり抜けながら走り去ってしまうので近づくのは容易ではない。
「あ、りっくん。鹿の糞……踏んでいるよ」
ダジャレ交じりに言う彩子さんに僕は自分の足元を見る。
「え?」
慌てて、靴を地面に擦り付ける。
よく見ると、園内はそこら中に鹿の糞が転がっている。無数の地雷が仕込まれているかのようだ。足元に注意が必要である。
とりあえず、鹿せんべいが全て無くなるまで、鹿の餌やりは終わらない。鹿はいるようでいない。僕達の周りには現れてくれない。
「鹿せんべいってどんな味がするのかな?」
ふと、彩子さんはそんな事を言う。見た目は普通の円状の物で色は肌色である。人間が食べても、いけそうな感じはするが、それはあくまで鹿の為に作られた餌だ。美味しいとは言えないだろう。
「まさか、食べる気ですか?」
僕はそんな不安を口にする。
「なわけないでしょう」
あっさりと返されてしまった。
「私たちの餌はちゃんと用意してきたのでご安心を」
彩子さんは自分の手提げ鞄に視線を落とす。
「え? もしかして……手作り弁当?」
「後のお楽しみです。さぁ、早くこれを全て消費しましょう」
間違いない、彩子さんの特製手作り弁当だ。まさか、僕の為に作ってきてもらえるとは、思っても見なかった。それは一刻も早く食べなくてはなるまい。その為には手元にある鹿せんべいをなくさなくてはなるまい。僕と彩子さんはポイントを変えて、大人の鹿がいる広場に向かった。
屋台が広がる方面に行くと、多くの人で賑わっていた。そこには角を狩られた大人の鹿が何十頭かいる。丸まった角はなんだか、痛そうである。ここにいる鹿は小鹿とは違い、人間慣れしている為、警戒や逃げたりはしない。堂々と昼寝をしている鹿もいた。いわば、ここは鹿のベテランたちが集う場所のようだ。
「お、大きい鹿だ。食べるかな?」
彩子さんは鹿に鹿せんべいを差し出してみる。鹿はゆっくりした動作で食べた。
僕も別の鹿で鹿せんべいを差し出す。しかし、鹿は見向きもしない。
「な、なんで?」
「多分、お腹いっぱいなんじゃないかな? この辺は人通り多いし、みんなも鹿せんべいあげているから満腹だよ――きっと」
なるほど、確かにそうなのかもしれない。まだ、食べ盛りの小鹿の方が食べてくれそうだ。鹿巡りをして、手元の鹿せんべいの枚数はいい感じで減っていく。彩子さんはいつの間にか、手元に鹿せんべいがなくなっていた。
「あれ~まだ残っているの? ちょっと待っていて」
彩子さんは僕の前から離れて、鹿の元に行く。
「おーい! りっくん! こっち、こっち!」
彩子さんは手を振って僕を呼ぶ。僕は彩子さんの元に走った。
彩子さんが見つけた鹿はがっちりした体格の良さそうな鹿で、僕よりも良い筋肉をしている。彩子さんは普通に鹿の背中を触っていた。
「この子、可愛いね。鹿せん、あげてみてよ」
うーん。どちらかと言うと、ごつい感じがして可愛くないのだが、とりあえず、鹿せんべいをあげてみる。
ぶぉん!
鹿の鳴き声ってこんなものだったか、と思いながら鹿は食べるのを拒否した。
「あれ、どうしたのかな? りっくん、鹿せん、かして」
彩子さんは僕から鹿せんべいを取り、ごつい鹿に差し出す。すると、鹿はなんの躊躇もなく、食べた。
「お、食べるじゃん。良い子だね」
この鹿! 僕が差し出したら、拒否したくせに彩子さんが差し出したら食べるとは、なんて贅沢な鹿なんだ。鹿を見て少し腹ただしく思った。
結局、どの鹿も僕ではなく、彩子さんが差し出した鹿せんべいは食べた。鹿が羨ましかった。僕も彩子さんに食べさせてもらいたいのに、鹿は彩子さんの指が触れそうな感じで食べている。
僕は鹿如きに差別されたと思い込み、凹むのであった。ようやく手元の鹿せんべいがなくなった頃だった。
「さ、お昼も回ったことですし、お弁当でも食べましょうか!」
と、彩子さんは言った。
待っていました! ついに、彩子さんの手作り弁当を堪能できるこの至福の時を僕は待ち望んでいた。
椅子とテーブルがある場所に移動し、彩子さんと席に着く。
彩子さんは鞄から弁当が入った包みを取り出す。
「じゃ、じゃーん!!」
彩子さんは弁当の蓋を開けた。中身は豊富で卵焼き、唐揚げ、タコさんウインナー、ポテトサラダ、おにぎりといった感じで、彩緑でバリエーション充実だった。
「お、おぉ!」
僕は見とれてしまう。見た目からして美味しそうである。まさか、女の子の手作り弁当が食べられる日が来るなんて人生で初めてのことである。
「食べさせてあげようか?」
「マジで?」
彩子さんは箸を手に取り、卵焼きを掴んで僕の口に運ぶ。
「はい、あ~ん」
僕は先程の鹿になったつもりで卵焼きを彩子さんに食べさせてもらう。
「美味しい?」
「うん、メチャクチャ美味しい!」
「そう? 良かった」
彩子さんの手作りは一流だった。彩子さんは料理もできる人のようだ。甘いムードの昼食を終えて、立ち上がる。
「さてと」
「じゃ、本命行きますか?」
僕は言った。
「大仏ね」
「はい。彩子さんは見たことはありますか?」
「うーん――小学生の修学旅行以来だったかな? 最後に行ったのは、もう覚えていないや」
「僕もそうです。プライベートでは来た事ないので楽しみにしています」
「なら、早く行きましょう――りっくん!」
彩子さんは僕の手を引いた――僕は彩子さんに引かれ、歩みだした。手の温もりが直接伝わってきて僕は顔を赤める。
彼女時間終了まで残り――二時間八分。
☆
「うわ! でっかい!」
大仏殿を見て、彩子さんは興奮気味で言った。
入場料を二人分支払い、中に入った矢先に彩子さんは子供みたいに浮かれていた。その様子を僕はデレデレしながら、観察する。
「あ、彩子さん。大仏殿の建造費は約四千六百五十七億円って言われているんだよ」
僕は事前にネットで調べた豆知識を知ったかのように言う。
「あ、そうなんだ」
彩子さんはあまり興味なさそうだ。
大仏殿の中に入り、生の大仏様を眺める。
「うわぁ! 巨人だ」
彩子さんはワンパターンな感想を述べる。
「彩子さん。知っている? 大仏の高さ一五メートル、重さ約二百五十トン、顔の幅三・二十メートルなんだって」
「そうなんだ。りっくん、よく知っているね!」
彩子さんに喜んでもらおうと、昨日の晩に頑張って覚えた。
「じゃあさ、大仏の頭のブツブツは何か知っている?」
「も、もちろん」
記憶を辿って昨日、覚えた知識を引きずり出す。
「あれは螺髪って呼ばれていて、螺は巻貝のことであって、大仏様の『螺髪』も近くでみると渦巻き状の形をしていて……」
「あっ! あれなんだろう!」
彩子さんは自分で質問しておいて、次に気になることの方へ行ってしまった。まぁ、うまく説明ができなかったからよかったが、もどかしい気持ちである。
彩子さんが気になったのは、大仏殿内にある、穴の空いた柱である。柱の前で行列ができていた。どうやら、皆、柱に空いた穴を通り抜けようとしていた。
「あ、面白い。私も通り抜けたい」
「並びましょうか?」
「うん」
穴を通るべく、多くの人が柱の列に僕と彩子さんは並ぶ。
「この穴ってそもそも何?」
彩子さんは次の疑問をぶつけた。
「これは大仏の鼻の穴と同じ大きさになっていて、くぐると『無病息災』のご利益があるそうです」
「あ、なるほど、だからこんなに人が並んでいるのか!」
彩子さんは手のひらを『ポン』と叩いて納得した素ぶりをした。ここに来てようやく僕が下調べしたかいが出た。なんだか、達成感が湧いた。
行列は徐々に前に進み、ついに僕たちの順番がきた。
「お先どうぞ! 彩子さん」
「え? あ、じゃお言葉に甘えて」
と、彩子さんの荷物を持ってあげて柱の前に立つ。
「い、行きます」
彩子さんは背筋を延ばし、クロールの構えで穴に突っ込んだ。彩子さんの細身の身体は穴に吸い込まれるように入っていく。ほふく前進で綺麗に通り抜けた彩子さん。
「やった! 通れたよ」
無駄に喜ぶ彩子さん。謎の感動だった。
次は僕の番だった。太っている訳ではないが、成人男性並の体系はある。こんな小さな穴を僕が通れるのか疑問だった。
僕も先程の彩子さん同様、クロールの構えになり、ほふく前進をする。穴の途中で思った――これは案外きつい。
腹と穴がピチピチである。僕は陸にあげられた魚みたいに上下に身体を揺らしながら出口に進む。
き、きつい――。
「りっくん! 後もう少し」
出口に待ち構える彩子さんに向かい、手を伸ばす。
彩子さんが手を差し出し、その手を掴み、引っ張ってくれた。
「出られた~!」
僕は彩子さんと感動を分かち合う。なんというくだらない感動。
真の謎の感動、再び。
パチパチ
周りからは何故か拍手が巻き起こる。大げさすぎるこの出来事だが、手を頭の後ろに当てながらどうも、どうもとなる。
なんだよ、これは。ちょっと目立ってしまい、恥ずかしくなる。
ぐるりと、大仏殿を観光し、外に出た。
「面白かったね、りっくん」
面白かったのもあるが、半分恥ずかしかった。
大仏殿を出て、再び鹿がいる聖地へ――。
チャン♪ チャン♪
電話の着信音が鳴った。僕のではない――彩子さんだ。
しかし、彩子さんは取る様子がない。
「電話……出ないんですか?」
「――今はりっくんの彼女だから出られないよ」
「僕は大丈夫です。出てください」
「あ、ごめんね」
彩子さんは申し訳ない感じで電話に出る。
「はい――依頼ですね」
どうやら仕事の電話だった。
「宇尾島様ですか――はい、その時間は大丈夫です」
宇尾島? 宇尾島と聞いてすぐに康介のことだとわかった。
三分ほどで彩子さんは電話を切った。
「りっくん、ごめん。次はどこに行く?」
「彩子さん、宇尾島っていう人……どう思っていますか?」
「え?」
「この間、二人のデートを見て、宇尾島って人と話ました。その人も彩子さんのことが好きみたいです。彩子さんはどう思っていますか?」
「……見られていたのですか――話したのでしたらお分りでしょう。彼もただの依頼者であり、好きな感情はありません」
彩子さんは言い切った。好きな感情はないようだ。
「あの方は私の常連です。もっとも私の事を愛しているのは伝わってきますが、私がどうこうはしないので問題はありませんよ?」と、彩子さんは付け足した。
僕は康介には負けていられない。彩子さんを好きな気持ちは僕が上なのだから――。
彼女時間終了まで――残り五十三分。
☆
「りっくん! もう一時間切ったけど、どうしよっか?」
彩子さんにそう言われ、時計を確認する。終了の時間は一五時ちょうど。現在の時間は一四時を過ぎていた。楽しい至福の時間というのはこうも時間が過ぎ去るのが速い。
「人混みがない広場に行きませんか? 残りの時間は彩子さんとゆっくり過ごしたいです」
「いいですよ。では、先程の小鹿がいた広場に行きましょう――そこなら人は多くないはずですし」
そう言って、僕と彩子さんは大仏殿のある広場から小鹿がいる広場に移動した。その間は手を繋いで恋人みたいに――いや、恋人そのものだった。彩子さんの手の温もりが直接伝わってくる。やばい。緊張で手汗が出てきそうだ。
「この辺なら静かですね――ベンチもありますし」
「ここに座りましょう」
そういって彩子さんは腰掛けようとする。
「彩子さん、待ってください」
「え?」
僕は彩子さんが腰掛けるベンチにハンカチを乗せた。
「どうぞ、座ってください」
「りっくん、優しいですね」
「当然のことです。彩子さんのスカートを汚したくありませんし」
「ありがとう」
僕と彩子さんはベンチに腰を下ろした。
「彩子さん、ジャンケンしませんか?」
「え? 急にどうして?」
「もし、僕が勝ったら質問するので、答えて頂けますか?」
「もし、私が勝ったら?」
「彩子さんが条件を出して結構です」
「……なら、私の事、諦めてくれる?」
「え?」
「私はりっくんの本当の彼女にはなれないから」
「…………わかりました。その代わり、僕が勝ったらちゃんと、質問に答えてくださいね」
「約束します」
「では」
僕と彩子さんの真剣勝負が始まった。
最初はグー!
ジャンケン、ポイ!
彩子さんはチョキを出した。僕もチョキを出した。アイコだった。
「では、行きます! あいこで……」
しょ!
彩子さんはパー、僕はチョキを出した。僕は彩子さんに勝った。
「負けました」
彩子さんは軽く落ち込む。
「彩子さん!」
「わかりました。約束は約束です。なんでもお答えします。どうぞ、質問してください」
「では、お言葉に甘えて……。彩子さんに質問です。彩子さんはどうして……」
その時、彩子さんは立ち上がった。彩子さんの目線の先は僕ではない。前方に目がいっていた。
「オラ、オラ、しか公! お食事の時間ですよー!」
彩子さんの目線の先には、小鹿の首にロープでくくりつけてムチで暴行している男、二人組だった。よく見ると、男、二人組は先程、彩子さんにナンパしていたヤンキーだった。
「やめなさい! あなたたち!」
彩子さんはヤンキーに向かって注意を呼びかけた。
「あぁん?」
「あれ? どこの誰かと思ったらさっきの可愛い子ちゃんだ」
「そのロープを離しなさい。小鹿がかわいそうでしょ!」
小鹿はロープにくくられてもがいている。苦しそうに暴れている。
「うるせぇよ。この鹿は俺たちがせっかくあげた餌を食わなかったから、しつけをしているだけだよ」
男はガムをチラリと見せつけた。
「鹿がガムなんて食べるわけないでしょ! そんなものを食べたら病気になるわ! 鹿せんあげなさい――鹿せん!」
「うるせぇ! 指図すんな!」
一人のヤンキーはムチを地面に叩きつけて、脅した。
「や、や、やめろ! お、お前ら!」
僕は彩子さんの前に出て、ヤンキーに警告した。
「おや~おや~、どこの誰かと思ったら、ブサメン君じゃ~ありませんか」
「ホントだ! 冴えない陰キャラ君が僕達に何か御用かな?」
再び、冴えない陰キャラ、ブサメンと言われ、凹みながらも僕は彩子さんを守ろうとした。もし、彩子さんがいなかったら、真っ先に逃げ出していただろう。だが、彩子さんが立ち向かってしまった今、僕が逃げ出す訳にもいかない。
「お、おとなしくその鹿から離れろ!」
僕は怯えながら言った。手足が震えていて声もオドオドしている。
「なんだこいつ」
「足ガクガクじゃん――だっせぇ。こいつどうする?」
「シメとくか」
ヤンキーはゆっくりと僕の方に歩き出す。
「ちょっと、りっくん」
「彩子さん、ここは僕に任せてください。早く安全なところへ」
ここまでなんとかカッコ付けたが、既に限界だった。
しかし僕は彩子さんに背を向いて逃げられなかった…………なので。
「うおぉぉ!!」
僕はがむしゃらにヤンキー二人に突っ込んだ。
当然、結果は……。
ボカボカボカボカ、ドサッ。
「………………なんだ、こいつ」
「弱すぎだろ――つか、だっさ!」
僕は無情にもヤンキーにやられてその場に倒れ込んだ。
――い、痛い。喧嘩ってこんなにも痛いものだったのか。普段、ゲームでは気持ちがいいくらいの敵を倒せるのに現実ではゲームのようにはいかず、簡単にやられてしまった。ゲームしかしてこなかった僕は運動もスポーツもやってこなかった為に招いた結果だった。情けなくて泣けてくる。穴があれば入りたいとはこのような時に使うのだろう。身体が言うことを聞かない。
「もうやめなさい!」
僕の前に彩子さんが立ちはだかった。
「お? 可愛い子ちゃん、そんな情けない彼氏かばってどうなる」
「そんな男捨てて、俺らとデートしようよ」
「いいですよ!」
「え?」
彩子さんは何を言っているのだ、もしかして僕が情けないからヤンキーに便乗してしまったのだろうか。
「依頼していただけたら、どなたの彼女にも引き受けます――それがレンタル彼女ですから。ですが、あなたたちのように人に迷惑をかけたり、動物に虐待するような人は私の嫌がることをしている為、受け付けません。私は依頼者を選びます。私の機嫌を損ねると出入り禁止です」
彩子さんはキビキビとレンタル彼女のプライドを語った。
「レンタル彼女? なんだ、それ。機嫌を損ねると俺たちどうなるのかな? え? コラ!」
一人のヤンキーはムチを振り回しながら彩子さんに反発した。
「こうなります!」
彩子さんはゆっくり男に近づき、背負い投げを決めた――それも綺麗に。
細身の彩子さんが男を背負い投げしたことに目を疑うが、彩子さんは柔道か空手でもやっていたのか強かった。そんな馬鹿力をどこに隠し持っていたというのだろうか全く分からない。
「あなたはどうしますか?」
彩子さんはもう一人の男に言った。
「女が勝てる気になるなよ!」
男は突っ込んだ。
彩子さんは男の動きを利用してすくい上げる感じで華麗に背負い投げを決めた。
あっという間に、彩子さんは女でありながら、男、二人を倒してしまった。
彩子さんは鹿のロープを外してあげて自然に返した。
「りっくん、立てますか?」
彩子さんは僕に手を差し伸べた。このシチュエーションは本日二度目になる。
「はい。ありがとうございます」
僕は彩子さんに手に引かれた。
「弱かったけど、カッコよかったです。素敵でした」
「彩子さんは強いのですね」
「身を守る最低限のことは身に付いています――レンタル彼女には必要な技ですので」
レンタル彼女には、強さも必要な項目なのだろうか?
僕は彩子さんに手当てをしてもらう。
「いつも傷薬や包帯なんかも持ち歩いているんですか?」
「いえ、たまたまです。アウトドア系だと、怪我をするリスクがあるので念の為に持ち歩いています。デートに合わせて持ち物にも変化を付けています」
「できた彼女……ですね」
「ええ、レンタル彼女ですから」
ピピピ! ピピピ! ピピピ!
「おや、ちょうど時間になりましたね」
彼女終了を知らせるアラームが鳴り響いた。
「残念ですが、彼女終了です。二ノ宮様」
彩子さんは彼女口調からビジネス口調に変わった。
「そう……ですか」
「はい。二ノ宮様、一人で立てますか? 帰れますか?」
「なんとか大丈夫です」
「それは良かったです――では、本日の請求ですが……」
「待ってください」
僕は請求の話が入る前に止めた。
「なんでしょう」
「延長を希望します。後、一時間。そしたら満足できると思いますので」
「残念ですが、二ノ宮様、それはできません」
「え? なんで? この間は延長できると、仰っていたじゃありませんか」
「はい。言いました。ですが、それはこの後に予定がなければの話です。先ほど電話がありまして、私はこの後、次の依頼者の元に行かねばならないのです。なので、残念ですが、延長はできません」
「そうですか……え? 先ほどの電話って……」
「はい。宇尾島康介さんです」
まさか、康介がこのあと彩子さんと会うことになってしまうとは思わなかった。
「すいませんが、本日の請求の話をさせていただきます。こちらをご確認してください」
『本日の請求書
指名料――二千円
恋人時間四時間分――二万六千円
交通費――四千円
合計――四万二千円、口座番号……』
「一週間以内に振込の方をお願いします」
「わかりました」
「それと二ノ宮様、本日は邪魔も入り、あまり満足できるデートにならなかったと思われますので、私からお詫びの印として次回、指名料タダと一時間無料の特典を受付の方に言っておきます。これは私の指名に限定することだけを頭に入れておいてください――デートに邪魔が入ったことを心からお詫び申し上げます」
彩子さんは深く頭を下げた。
「いえ、邪魔が入ったのは彩子さんのせいではありませんし……こちらこそ、見苦しいところを見せてしまってごめんなさい」
本当に見苦しいところだった。男として情けない限りだ。
「私は何も気にしていません。では、急ぎますので、失礼します」
「あ、あの、彩子さん」
「はい、なんでしょう」
「僕の質問に答えてくれるという約束の方なんですが……」
「約束します。次回ご利用していただけたら必ず答えます。それまでお預け……ということではダメでしょうか?」
彩子さんは両手を合わせて申し訳ないといったポーズをした。
「わかりました。約束ですからね」
「はい。次回を楽しみにしていてください――それではまたのご利用お待ちしております」
そう言って、彩子さんは歩き出す。
まさか、この後に恋敵である康介の元に行くとは、まるで浮気された気分になったがそれは僕が止めることはできないこと。なんといったって、彩子さんはレンタル彼女なのだから――。
☆
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