第4話 それを浮気と言うんじゃないのか?

「社長が、カギはここだって」


 修平は緊張がほぐれて力が抜けた。


 なんだ。鍵の話かよ。それに、ここってどこなんだ?


 葉山は手ぶりで、社長の机の方を漠然と指した。


 いつものことだ。しかたないので、修平はのろのろと移動して、社長の机のところへ行った。


 葉山が引っ張る手真似をする。引き出しのことだろう。鍵がしまってありそうな、上の引き出しを開けてみると、カギは複数あった。


「わかんないよ、どれ?」


 葉山は、疲れた様子で、椅子から滑り降りた。


 修平のそばまで来ると、カギを探して指さした。


「これ!」


「おい、葉山」


 修平は言った。


「松木を誘ったのか?」


 葉山は、え?というような顔をした。


「松木とデートしたんだろ?」


 彼は、意外そうな顔をしていたが、ニコッと笑うと、親指で自分の胸を指して、聞いてきた。


「デートしたい?」


 あほか。修平はこの男をにらみつけた。社長も変だが、社長はもっと変な男を飼っている。


「したかねえわ!」


 修平は怒鳴った。葉山はビビったらしかった。


「社長はどうするんだよ!」


 葉山は修平の方を怖そうに眺めた。


「どうするって……」


 葉山は修平を不思議そうに見つめていた。


「社長に関係あるの?」




 修平の心に疑惑が浮かんできた。


 もしかして、この二人はできてないのか?

 別に恋人同士じゃなかったってこと?


 修平の勝手な誤解だったのか?


 社長の服を着て、同じ家に住んでいる。社長は「あの子」呼ばわりだ。でも、違うのか?


 葉山と修平の間の空間が凍り付き、修平は顔が赤くなっていくのを感じた。自分の勝手な想像と一人相撲か……



「ただの浮気じゃん」


 葉山が甘えた口調で諭すように答えた。


 修平は、はっと我に返った。


 浮気だ? やっぱりそうなのか。勘違いじゃない。当たり前か。


 こいつ、真正の悪党だ。



「言いつけるぞ! 社長に!」


「もう、知ってるよ、ヤスナリ」


 は?


「なんか、怒られた。怒ってた、ヤスナリ」


 なんか? なんかって何?


「ふつう、怒られるだろ?」


「そうかなあ……」


 葉山は本気で不思議そうだった。


「社長は本気であんたを好きだろ?」


「それ、どうでもいいし」


 葉山は冷たく言い放った。



 修平には衝撃だった。


 どうでもいいのか……どうでもいいんだ。うわー……


 見る間に社長は、受け入れてもらえていない、かわいそうな男に転落した。

 なんて気の毒な。ええ、これはこの解釈でいいのか? 正しいのか?


 同じ職場で働いていて、片方は社長だ。葉山は貧乏そうだった。言葉数が少なすぎるし、どこにも通用しそうにない。コンビニのバイトも無理そうだ。(その上、やる気はなさそうだ)


 社長に見放されたら、どうするつもりなんだろう。

 でも、この男に、そう言う計算は、通用しそうになかった。


「松木クンには、振られちゃって……」


 窓の外をぼんやり見ながら、葉山は言った。


「え? なんっつった? 今」


 松木はあんなに乗り気だったのに?


「東通りで、声かけられちゃって、そっちについてっちゃったもんで……」


 東通りで声をかけられたから、そっちについていった? デートの最中に? 誰に?


「松木クン、その女の人が嫌いなんだって言うんだよね」


 待って待って! 声かけてきたのは女の人だったの?


「女性から声がかかったの?」


「ウン。すごいきれいな人で……うっとりした」


 あの葉山に声をかける女……。あの格好の葉山に声をかける……佐名木かッ 佐名木のキレイ版か?


「それで?」


「連絡先交換して、話してた」


 葉山にしゃべらせて、内容の不足しているところを補足質問して全体を理解するのは、猛烈に時間がかかったが、要するに彼は、その女性に夢中になり、長時間話し過ぎて、気が付いたら松木はいなかったと。


「ラインとかしてみた?」


 葉山は首を振った。


「なんで、しないの?」


「めんどくさいよ」


「ひどくない? それ?」


 修平はまた大声になった。


 葉山は首をもう一度振った。


 総合すると、結局よくある話で、しゃべったり食事したりしているうちに、松木とそんなに気が合うわけではないということがわかったらしかった。


 まあ、そううまくいくとは限らない。


 そこは、松木も、多分同じ思いだったのだろう。


 ただ、道端で話しかけられた女性と意気投合したため、デートが終了するというパターンは意味が分からない。だが、葉山のやることは、たいていいつも訳が分からないのだから仕方ない。


 社長の感想がどんなだったか知らないが、とりあえず、松木とのデートはそのあとはなかった。


 全く、修平とは縁もゆかりもない話だったが、修平はとにかくほっとした。

 これ以上の波乱は要らない。


 しかし、葉山ほど厄介ではなかったが、佐名木がいた。

 佐名木はしつこい。

 スタンプだらけのラインが延々と送られてきて、意味を理解するのに苦労した。上下に散々スクロールしないと、肝心の文章が出てこない。



 最終的に、翌々日、彼女たちの学校の近くのカフェで、四人は会合を開いていた。

 修平が折れない限り、ラインが延々と続くことがわかったからだ。


 四人と言うのは、すなわち、香と里奈と佐名木と修平である。


「スタンプの種類って、こんなにあるんだ……」


「男子はあんまり使わないよねえ」


「絵文字を多用する男子って嫌われるよね」


 ちょっと、ドキッとした。

 使ったらダメなんだ……佐名木に備えて、少しばかり買うかどうか悩んでいた修平だったが、買わなくてよかったと思った。


 それはとにかく、修平自身は、本日のテーマである葉山の行動について、基本的に関心はなかった。


 目の前で、いろいろ展開されるので、やむなく、気をもんだり心配したり、嫌になったりしていたが、このしつこい女子三人のような種類の関心を抱いているわけではなかった。


 それなのに、彼女たちは熱心にいろいろと聞いてくる。


 本当につまらんわいと、修平は思っていたが、しゃれたカフェのテーブルに、てんでにアイスコーヒーだのラテだの並べて、女子三人と仲良くしゃべっている現状を、客観的に認識して、彼はハッと気が付いた。


「修平、あたしたちスイーツ頼むけど、何がいい?」

「おごりよ、おごり。今日はね」


 これは、おいしい。


 女子三人に周りを囲まれ、真剣に話を聞かれてるだなんて、周りから見たら、とてもイケてる光景ではないのか?


 女子大は、なかなか身なりには気を付けないといけない場所らしく、三人は、白のサブリナパンツに赤のヒールのサンダル(もうちょっと、脚が長いとすごくキマると思う)や、柔らかい色調のフレアスカートとボレロ(あと十五キロだけダイエットに成功したら、妖精に見えるかも知れない)だの、マニッシュな紺のワンピースに夏らしい白の大きなプラスチックのイヤリング(エラさえ張ってなかったら、かなりイケてると思う)だのと、凝った格好でキメて来ていた。


 このような女性三人に、熱心な目で見つめられている。


 聞かれている内容は、面白くもなんともないが、ま、まあ、自分も佐名木3人組より、もう少しレベルの高い女子が、百合だったとしたら、ちょっとお話くらい伺ってみたいかもしれない。


 一人で聞くのは、ちょっと恥ずかしいかもしれないので、そうだな、仕方ないから葉山でもいいや。松木を連れて行くと、女子のテンションが下がることは、なんとなく、想像できたので、葉山でもネタにして、どんなことをしているのか、お好きな話をしてもらってもいいかな。


 ついでだから、葉山を弟子入りさせて、コーディネートしてもらえれば、あんな恐ろしい恰好かっこうで事務所をうろうろされないで済むのに。


「葉山クンを、コーディネート?!」


 女三人が振り返った。


 その真剣な目つきに、修平はたじろいだ。


「そ、それはやりたいわね……」


「あたしたち、IT学科なんだけど、デザインの方なのよ」


 あ、それで、お三人様とも、服装がハイセンスなのですか?


「ハイセンスって……そんなことはないけど、何しろ、カッコだけはちゃんとしてかないといろいろとね……」


 女子大の掟はなかなか厳しいらしい。


「地味地味軍団もいるけどね」


「いるねえ。あと、メンズファッションが好きな子とか。ミリタリー系とか」


「修平とこの大学はどうなの?」


「オサレな奴はオサレかもだけど、人数多いからね。基本、方向性はないよね」


 ふーんと彼女たちは言った。


 修平はそれまで全く知らなかったが、彼女たちの大学は、男でも女でも、構内に入ろうとすると、きわめて厳重な守衛のチェックが入るらしかった。フリーランスに誰が出入りしても見とがめられない、修平のマンモス校とは、全く違うらしい。


「女の園かー」


 いろいろと勉強になる。想像力が鍛えられるよね。




 忘れていたが、修平は仕事をしに来ているのである。


 仕事は順調らしく、修平はしょっちゅうバイクに乗って、封筒をもらいに行ったり、段ボール数箱分の印刷物を取りに行ってそのまま届けに行ったりした。

 葉山ではないが、直送すればいいのにとよく思ったが、そういうわけには行かないらしい。

 それに、急ぎの案件が多いらしく、彼のバイク便や軽四便は、重宝されていた。ここの印刷屋というのは、印刷物がらみの宅配便屋の意味ではないかと、思い始めたくらいだ。

 社長も忙しそうでほとんど外だった。唯一、暇そうなのが葉山で、彼はしょっちゅうパソコンの前でぐったりしていた。


「なんの仕事してんの?」


「このビラの画、描いてんの」


 葉山は、何かの企画書を見せてくれた。修平はペラペラめくってみた。コンセプトから始まって、商品の説明や販路や想定ターゲット層などが載っていた。どこの会社か知らなかったが、結構な秘密文書なのかもしれなかった。

 最終ページにビラの見本が載っていて、真ん中の四角の部分は空白だった。


「ここ」


 と葉山は、指さした。(その部分が、葉山の仕事なんだと言いたいらしい)


「写真じゃダメなの?」


「かっこいいイメージでって。説明のとこのキャラだよ」


「ふーん」


 なんだかさっぱりわからなかったが、仕事はしているらしい。


「描いて、送って、印刷して色を見てるの」


 出来上がった絵は、主にメールでやり取りしているらしかったが、郵送物もある。彼は、修平が持って帰ってきた封筒を受け取った。


「それ、社長あてだけど……」


 修平は注意したが、全く気にする様子もなく、彼は封を破ると中の紙を引っ張り出した。


 それは女性の全身像のイラストの入ったなにかの広告のページだった。

 多分、服の販売か何かの広告に使うのだろうが、ただのイラストレーターの作品ではなかった。多分、こんな絵を描ける人間はそうそういないんじゃないか。簡単な線なのに、なんとなくセンスのいい女性の特徴をとらえていた。うまい。二度見をさせる何かがあった。そして、色合いがなんとも言えず垢ぬけていた。


「これ、あんたの絵?」


「そう」


 葉山は、全く気にしていなかった。彼は色をチェックしていたのだ。

 紙質が異なると発色が変わってしまう。

 真剣な様子の葉山を見て、修平は驚いた。

 彼がだらしなくない姿を初めて見たのだ。

 やがて、彼はため息をつくと、メールを打った。

 なにか、指示を出したのだろう。


「この頃、仕事が増えて」


 葉山が愚痴った。


「いいんだけど、まあ、はあ」

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