その4


 鳴鈴めいりんはそれから数日間、読書にいそしんだ。

龍族りゆうぞくの歴史』の二巻は読み終わってしまい、今は白麗びやくらいが借りてきた本を読み、〝つがい〟に関する記述を読みあさった。

 鳴鈴は本を読んでいる最中、白麗いわく「突拍子もない思いつき」をひらめき、実行するために白麗のところに突撃とつげきすることが何度もあった。

 しかし、すべて却下され、鳴鈴がしゅんと落ち込んで部屋に戻る……というのが今では恒例こうれい行事のようになっていた。

 今日もまた、鳴鈴は「突拍子もない思いつき」を閃き、白麗の部屋を訪れた。

「白麗様!」

「……またあんたか。今度はなにを思いついたんだ……?」

 うんざりとした様子を隠しもせず、人の姿で本を読んでいた白麗は顔をあげて言った。

 少し前までは本から視線をらさずに白麗は話をしていたが、最近では顔をあげてくれるようになった。これは大きな進歩だ、と鳴鈴は前向きに考えている。

 それがたとえ、鳴鈴の話を話半分で聞いていると碌な目に遭わないと、白麗が学習したからだとしても。

「はい! 〝番〟になったばかりの状態はいろいろと不安定で、あまり離れられないんですよね?」

「ああ。通常の〝番〟は互いのうろこを交換し、それが体の一部に馴染なじむまで、離れ過ぎると苦しくなるらしい。鱗は龍の力の源でもある。そのため、他人の力を受け入れるのは時間がかかるんだ。受け入れた鱗はいわば磁石じしやくのようなものだ。磁石は同じ力同士はかれ合うが、違う力は反発する。だから〝番〟の鱗が自分の力に馴染むまでは離れられない」

「でも、わたしたちには当てはまらないですよね? 確かにわたしの体のどこかに白麗様の鱗があるのかもしれませんが、白麗様は違います。だから、通常の〝番〟と違って、わたしたちはもっと離れられるかもしれないと思いませんか?」

「確かに、それはそうかもしれないが……」

 白麗は疑わしそうな目で鳴鈴を見つめる。

 その目は「なにをたくらんでいるんだ」と言っているようで、鳴鈴は心外に思った。

 鳴鈴はただ、これが〝番(仮)〟を解消する手がかりになればと思って言っているだけなのに。

 しかし、その不満は心の奥に押しやり、鳴鈴はにっこりと笑顔を浮かべる。

「だから、どこまで離れられるか試してみましょう!」

「……は?」

 なにを言っているんだ、という顔をして白麗は鳴鈴を見る。

「わたしたちが〝番〟になったことは通常ならば〝ありえない〟ことなのでしょう? なら、思い切り離れることで〝番〟を解消することも〝ありえない〟ことではないのでは? それに、どれくらい離れられるのかは知っておいても損はないと思います」

 力強くそう訴えた鳴鈴に、白麗は考えるようにうでを組む。

 そして、少ししてうなずいた。

「……不本意だが、あんたの言っていることも一理ある。いいだろう、あんたのその提案に乗ってやる」

「ありがとうございます!!」

 初めて自分の提案が通り、鳴鈴は喜んだ。

 白麗に認められたような気がして、とても嬉しい。

「では、さっそくわたしは外に出かけて──」

「──待て。あんたはここにいろ」

「え?」

 部屋から出て行こうとした鳴鈴は動きを止め、きょとんとして白麗を見る。

 白麗は不機嫌ふきげんそうな顔のまま、もう一度「あんたは家で待っていろ」と言う。

「どうしてですか? わたしよりも白麗様の方が本を読むのが早いですし、わたしが外に出た方が効率が……」

「効率で言うなら、あんたが歩いて行くよりもおれが飛んで行った方が何倍も速い」

「た、確かにそうですけれど……」

 白麗の言う通りだと思う。しかし、それだけではない気がしてならない。

 もしかして、鳴鈴が家の外に出ることに問題があるのだろうか。

 悶々もんもんと悩んでいると、白麗は龍の姿になり、『じゃあ、少しずつ離れてみる。異変が起きたらすぐ戻る』と言って、外に出て行く。

 それを見送りながら、鳴鈴は自分の部屋に戻った。

 しかし、白麗のあのかたくなな態度が気になって、本を読んでも内容が頭に入ってこない。

 思い返せば、白麗は初めから「外に出るな」と鳴鈴に念を押していた。

(わたしを家の外に出したくないくらい、白麗様はわたしのことが嫌いだってこと、なのかしら……)

 ちょっとだけ。本当に少しだけだが、鳴鈴は白麗と打ち解けてきたような気がしていた。

 それは、鳴鈴の思い込みだったのだろうか。

(悲しくて、なんだか胸が苦しい……心なしか、呼吸するのも苦しいわ……)

 鳴鈴は深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせようとする。

 しかし、何度深呼吸を繰り返しても、胸の苦しさは収まらない。

 むしろ、余計に苦しくなっているような気がする。

(……こんなふうになるほど、白麗様に嫌われていたことが悲しいのね……)

 鳴鈴は胸を押さえ、浅く呼吸を繰り返す。

 そしてぎゅっと心臓がつかまれるような痛みを感じ──突然、なにかに引っ張られるような感覚がした。

 え、と鳴鈴が驚く間もなく、一瞬で景色が変わり、ゴン、と思い切り鼻になにかをぶつけた。

「いったああい!!」

 鳴鈴が鼻を押さえてうずくまると、『おい、あんた……』と驚いたような声がすぐそばで聞こえ、鳴鈴は上を見る。

「え……びゃ、白麗様……!? 出かけたはずでは……?」

 なんとそこには、先ほど出かけたはずの白麗がいたのだ。

 よくよく周りを見てみると、ここは空の上。

 どうやら鳴鈴は、龍になった白麗の前足に乗っているようである。

 鳴鈴が鼻をぶつけてしまったのは白麗の体のどこかだろう。

『それはこっちの台詞せりふ……いや、そうか。ここが限界ということか……』

「なんの話です……?」

 鳴鈴が首をかしげて尋ねると、白麗は『離れられる限界がここ、ということだ』と答えた。

「えっと、つまり……?」

『俺たちは通常の〝番〟と同じように、一定の距離以上は離れられないということだ。どうやら、俺の家から龍王のじいさんの城あたりまでが離れる限界らしいな。でも……おかしいな。〝番〟から離れれば離れるほど、胸が苦しくなるはずなんだが……』

 不思議そうに首を傾げる白麗に、鳴鈴ははた、と思いつく。

(も、もしかして、さっきわたしの胸が苦しかったのは……)

 鳴鈴は自分の考えが合っているか確かめるべく、白麗に話しかける。

「あ、あの、白麗様……」

『なんだ』

「白麗様はわたしが現れるまで、胸が苦しくなかったのですか?」

『ああ。別になんともなかったが……あんたは違うのか?』

 怪訝けげんそうな白麗に鳴鈴は先ほどまで、息ができないくらいに胸が苦しかったことを白麗に告げると、白麗は納得したように頷く。

『……なるほどな。俺たちの場合、〝番〟でかかる負荷は俺よりもあんたの方が大きい、ということか。お互いに力を交換し合う〝番〟では平等に負荷がかかるが、俺たちの場合はあんたが俺の力──鱗を取り込んだだけだ。だから今回、俺はなにも感じず、あんたは胸が苦しくなったうえに、俺の力に引き寄せられてここまで強制的に移動させられた、と……』

「なるほど! わたしの方が体も小さいですし、引き寄せられた時にわたしがぶつかった方が怪我も最小限で済みますものね。その方が都合がいいですね!」

 これが〝番〟の力なのね、とキラキラとした目で言う鳴鈴に、白麗は微妙びみような顔をし、『負担があんただけにかかるのに、いいのか……?』と呟いたが、はしゃいでいる鳴鈴の耳には届かない。

 そしてごほんと咳払せきばらいをして、言った。

『……とにかく、離れられる距離がわかっただけでも良しとするか。家に戻るぞ』

「はい」

 鳴鈴が素直に頷くと、白麗は家に向かって体を方向転換させたのだった。




 その後も何度か似たようなことを繰り返しながら、〝番〟についての本を読み続けた。

 しかし、そのどれもが〝番〟に関する考察や注意事項、〝番〟の実録などで、〝番〟の解消法について書かれた本はなかった。

(〝番〟を解消することがありえないことなのだもの。〝番〟の解消方法が簡単に見つかるとは思っていなかったけれど、ここまでなにも情報がないなんて……)

 正直なところ、鳴鈴も白麗も行き詰まっていた。

 何度も書庫に足を運び〝番〟について書かれた本を探しては借りているが、このまま〝番〟の本を探して読むだけではなにも進展しないのではないか、と思う。

(なんていうのか……方向性が違う、というか……なにかこう……もっと身近なところに重大な手がかりがあるような……。まあ、ただの勘だけれど……)

 ふう、と鳴鈴は手に持っていた本を置き、伸びをする。

 鳴鈴が今読んでいるのは『龍族の歴史』の第四巻である。この巻は、龍と人がまだ共に暮らしていた頃の様子について詳しく書かれており、その中には鳴鈴の知っている伝承もあって、楽しく読んでいたが、読み終わってしまった。

(続きも読みたいけれど……五巻以降が見つからないのよね……どうしてかしら)

 不思議に思いながら、鳴鈴は本を返すべく、白麗の部屋に向かう。

 その途中で、なぜかいつも気にならなかった書庫の存在が目につき、鳴鈴は書庫の前で足を止めた。

(白麗様の書庫、か……そういえば、ここは入ったことがなかったわ)

 最初に白麗の家に来た時に部屋の中をのぞいたきりだ。

 鳴鈴はふと、普段の白麗はどういう本を好んで読んでいるのだろう、と気になり、書庫の扉に手をつく。

(……家の中は好きにうろついていいって、最初に白麗様がおっしゃっていたもの。勝手に入っても怒られない……はず)

 少し自信がなかったが、鳴鈴は好奇心を抑えることができず、書庫の中に入る。

 白麗の書庫は、龍王の城にある書庫の四分の一にもならない広さだった。

 しかし、たなという棚には本がびっしりと詰まっており、白麗の読書量をうかがい知ることができる。

 鳴鈴は適当な書棚から一冊手に取った。

 その本は鳴鈴にとっては難しく感じる本で、哲学的なことが堅苦しい文章で書かれたものだった。

(わたしがこれを読んだら一ページで寝てしまう自信があるわ……)

 鳴鈴が好むのは伝承や冒険物語である。あとは恋愛ものも読むが、こういう難しい哲学的な本は読まない。あまり頭を使わない本が好きなのだ。

 鳴鈴はそっと手に取った本を棚に戻す。

 白麗の書庫にある本の分類は多岐たきおよんでいた。それこそ、鳴鈴の好きな伝承や冒険ものから、先ほどのような難しい本まで、あらゆる本が並べられている。

 しかし、その中に恋愛ものが一切ないのが白麗らしくもある。

(白麗様が恋愛のお話を読んでいるところなんて想像できないものね)

 白麗が恋愛の本を読んでいるところを想像し、鳴鈴はくすりと笑う。

 もし白麗が恋愛ものを読むとしたら、きっとすごく眉間みけんしわを寄せて読むに違いない。

 そろそろ戻ろうとした時、とある一冊の本が目に入った。

(……あら? この本……)

 なんとなく見覚えがある気がして、鳴鈴はその本を手に取る。

 その本は随分ずいぶんと古い絵本のようだった。しかし、とても丁寧ていねいに扱われているのか、あまり傷んではいない。

 鳴鈴はその本の表紙を見て、目を見開いた。

(これは……国にあるわたしの部屋の絵と同じだわ……!)

 鳴鈴はかすかに興奮を覚え、少しだけふるえる手でその絵本を開こうとした。その時、「きゅい!」と突然、てんの鳴き声がして、あわてて本を元に戻す。

 なにも悪いことなんてしていないと思いつつも、白麗に黙って勝手に書庫に入ったことが鳴鈴には後ろめたく感じたのだ。

「て、天……どうしたの?」

 鳴鈴は笑顔を浮かべ、いつの間にか足下にいた天に声をかける。

 天は不思議そうな顔をして見ていたが、ハッとして、鳴鈴の服を引っ張る。

「なに……? どうしたの?」

 いつもと様子が違う天に鳴鈴は戸惑とまどっていると、天は書庫を飛び出した。

 鳴鈴は天の様子が気になって、あとを追いかける。

 天が向かったのは、鳴鈴が寝泊まりをしている部屋だった。書庫に行くまで本を読んでいた場所で、天はぴょんぴょん跳ねている。

「本当にどうしちゃったの、天……?」

「きゅうきゅ!」

 天が指し示したところにあったのは、一冊の本だった。

「あ、白麗様にお返しする本……これを忘れているって教えてくれたのね? ありがとう、天」

 得意げに胸を反らした天に心癒やされ、ついでにその体をぎゅっと抱きしめてふわふわの毛並みを堪能たんのうする。

 満足した鳴鈴は天を離し、忘れた本を手に取る。

「……あら? こんな本、あったかしら……?」

 その本の題名は『世界のすべてがわかる本~これであなたは幸せになれる~』という、なんとも怪しげな本だった。

 あまり厚い本ではないので、白麗のところから本を持ってくる時に気づかなかったのだろう。

(……こんな怪しげな本をあの白麗様が選んで借りてきたの……? いえ、白麗様が選んだのだもの。なにかしら〝番〟に関する記述があるのだわ)

 これを読み終わってから返しに行こう、と鳴鈴は思い直し、座って本を開く。

 その内容も題名に違わず、胡散臭うさんくさいものばかりだったが、その中に『〝番〟を解消したくなったら』という項目を見つけ、鳴鈴は目を見開いた。

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