第二章

その1


 悄然しようぜんとしていた鳴鈴めいりんが気づくと、先ほどまでいたはずの部屋ではなく、どこかの家の前にいた。

「ここは……」

『──おれの家だ』

 つぶやいた鳴鈴に答えたのは、白麗びやくらいだった。

 驚いて振り返ると、白麗の体がすっとかすんでいく。

 信じられないことが起こり、固まる鳴鈴の目の前で、白麗の大きな体が消え、代わりにそこには人が現れた。

 銀糸のようなつややかなかみんだ金色の瞳が印象的な見目麗しい青年。外見の年齢は人間でいう、二十歳くらいだろうか。

(すごく綺麗な人……この人は白麗様、なの?)

 りゆうが人の姿になれるなんて、知らなかった。

 ぼうっと白麗に見惚みとれていると、彼は嫌そうな顔をした。

「あんたを俺の家に連れてきたのは、龍王りゆうおうのじいさんの指示で〝仕方なく〟だ。家の中をうろつくのは構わないが、俺に近づくな。家の外にも出るな。〝つがい〟の解消方法は俺が見つける。わかったな」

 そう一方的に言って、白麗は一人で家の中に入ってしまう。

 一人ぽつんと残された鳴鈴はどうすればいいのかわからず、戸惑とまどった。

(家の中に入ってもいいのよね……? でもなんだかわたし、白麗様に嫌われているみたいだわ)

 鳴鈴は悩み、家の前に座り込む。

 こうして一人でいると、嫌なことばかり考えてしまう。状況がまったく理解できていないうえに前途多難で、これっぽっちも前向きな気持ちになれない。

(……お父様の容態が心配だわ……早くこの状況をなんとかして、国に帰らなくては……でも、白麗様にはなにもするなと言われてしまったわ……)

 こういう時、弟の黄蓮こうれんならどうしただろう。

 黄蓮は優秀だから、きっと鳴鈴には考えつかないようなことを思いつき、この状況を打破するためにすぐに動くに違いない。

 対する鳴鈴はといえば、頭が真っ白になってしまって、なにをするべきかも、どう動けばいいのかもわからない有様だ。

(どうしてわたしはいつもこうなの……みんなに迷惑ばかりかけて、結局は他人任せになってしまう……なんて、情けないのかしら……)

 鳴鈴は涙が溢れそうになるのを懸命にこらえる。

 泣いてもこの状況がどうにかなるわけではない。だから、泣いてはだめ。

 そう何度言い聞かせても、涙はなかなか引っ込んでくれなかった。

「──きゅ!」

 突然聞こえた鳴き声に、鳴鈴はひざを抱えてうつむいていた顔をあげた。

 きょろきょろを辺りを見回すと、鳴鈴の足のすぐそこに、追いかけていた白いキツネがいて、つぶらな赤い瞳で鳴鈴をじっと見つめていた。

「あなた……あの時の……!」

 白いキツネは鳴鈴と目が合うと、「きゅい!」と鳴いて鳴鈴のかたに飛び乗った。

 そして、はげますように頭をほおにすりすりとさせてくる。

 その感覚がくすぐったくて、鳴鈴は声をあげて笑った。

「やだ……ふふっ……くすぐったいわ!」

 鳴鈴はひとしきり笑ったあと、キツネを抱きあげた。

「ありがとう、わたしを元気づけてくれたのよね? とても優しい子ね」

 どういたしまして、と言うように「きゅう」と鳴いたキツネに鳴鈴はもう一度、笑い声をこぼす。

 キツネのふわふわとした毛並みに顔を埋めやされたあと、鳴鈴は顔をあげた。

「あなたのおかげで元気が出たわ。落ち込んでいてもなにも解決しない……わたしはわたしにできることをしなくては」

 よし、と鳴鈴は気合いを入れ、キツネをひと撫でしたあと立ちあがる。

(わたしは龍のことについてなにも知らない……まずは龍のことを知りたい。それに──白麗様のこともちゃんと知りたい。まずは龍のこと、白麗様のことを知ることから始めよう。それを知っていけば……いずれ白麗様の〝番〟になった理由を知ることもできるのかしら?)

 ふと、そんな考えが過ったが、鳴鈴は首を振り、白麗の家の中に入るべく、一歩を踏み出す。

「とにかく、まずは白麗様と仲良くならなくちゃ!」

 そう言った鳴鈴に答えるように、白いキツネも「きゅ!」と鳴き、鳴鈴のあとに続いたのだった。


「……ひ、広いわ、この家……うちの城よりも広いんじゃないかしら……」

 息を切らせ、よろよろとしながら壁伝いに家の中を歩く。

 勢いよく白麗の家に入ってみたものの、あまりの広さに鳴鈴は迷子になった。

 考えてみれば、龍の住む家である。

 龍の体長は、鳴鈴の感覚だとおよそ成人男性が五人分くらい。その大きさに合わせて家を作ったのなら、人間である鳴鈴が広く感じるのも無理はない。

 部屋数自体は少ないものの、その一つ一つの間の距離がとんでもなく広いのだ。

「ようやく最後の部屋ね……ここに白麗様がいなかったらどうしよう……」

 不安になりながら、鳴鈴は部屋の扉を叩くが、返事はない。

「……聞こえていなかっただけ、よね? よし、もう一度……」

 今度はもう少し強めに扉を叩いてみるが、やはり返事はない。

「白麗様! 鳴鈴です! 入りますね!」

 そう宣言し、鳴鈴は扉を開ける。

 この部屋は今まで見てきた他の部屋よりも、小さめの造りだった。

 龍の姿で過ごすには狭そうだが、人の姿で過ごすには少し広い──そんな大きさの部屋だった。

 おそる恐る中に入ると、部屋の中央にある椅子いすに人の姿のままで座っている白麗を見つけ、ほっとする。

 それとは対照的に白麗は、鳴鈴を見るなり顔をしかめた。

「……俺に近づくなと言ったはずだが」

「わたし、考えました。わたしになにができるか……それを考えて、まずはあなたのことを──龍のことを知りたい、と思いました。だから、ごめんなさい。わたし、白麗様にまとわりつきます。しつこいと言われようが、白麗様のことを知るまで、わたしは白麗様から離れません」

「はあ……? なに言ってんだ、あんた……?」

 呆れた目をして鳴鈴を見た白麗に、鳴鈴はにっこりと笑った。

「それが本来の白麗様の口調なのですね! これでひとつ、白麗様のことを知ることができました」

「……別に。あんたに取り繕うのが馬鹿ばか馬鹿しくなっただけだ」

 顔を背けて言った白麗に、鳴鈴は一歩近づく。

「白麗様……わたしにもなにかお手伝いをさせてください。家事でも雑用でも、なんでもいいのです。わたしにもなにかやらせてください!」

 そう言って頭をさげた鳴鈴に、白麗は胡乱うろんな目を向けて呟いた。

「……あんた確か、公主って言っていたよな……?」

「はい! 覚えていてくださって、嬉しいです!」

 にこにこと笑顔を向ける鳴鈴に、白麗は一瞬ひるんだ。

「……普通、公主が家事や雑用をやるって言うか……?」

「今、なんておっしゃいました?」

 小さくぼそぼそとなにか呟いた白麗の言葉が聞き取れず、鳴鈴が聞き返すと、白麗は「……なんでもない」と答える。

「とにかく、あんたに頼むことはなにもない。大人しくしていろ」

 白麗は冷たい口調で言い放ち、もう用は済んだとばかりに鳴鈴から顔を背けた。

「……わかりました。今日はこれで引きさがります。その前に、ひとつだけ教えてください」

「……なんだ」

 仕方なく、といったふうに答えた白麗に鳴鈴は意を決して尋ねた。

「白麗様は──わたしが、お嫌いですか?」

「嫌いだ」

 即答だった。

 一瞬の迷いもなく、どこか憎しみさえもっているように、白麗は答えた。

 その答えに、鳴鈴の胸は痛む。わかっていたとはいえ、面と言われると傷つく。

「あんただけじゃない。人間自体が、嫌いだ」

「え……?」

 予想外の答えに鳴鈴が目を見開くと、白麗はもういいだろうと言わんばかりに立ち上がって、鳴鈴のうでつかんだ。

「これで満足だろ? もう俺に関わろうとするな」

 そう言って白麗は鳴鈴を部屋の外に追い出すなり、扉を勢いよく閉める。

(……人間自体が、嫌い……? どういうこと……?)

 鳴鈴はしばらく呆然ぼうぜんとして白麗の部屋の扉をながめて考え込んだが、その答えは出てこない。

(……また次の機会に聞いてみよう。と、いっても、教えてくれるとは限らないけれど……あら? そういえば、白いあの子、白麗様の部屋に置いてきてしまったわ)

 少し心配になったが、賢い子だからきっと大丈夫だろう、と結論づけ、鳴鈴はとりあえず寝る場所を探しに、家の中を再び歩いたのだった。




 次の日の朝、鳴鈴は目を覚まし、いつもの自分の部屋の天井ではないことを不思議に思ったあと、昨日のできごとを思い出して跳ね起きる。

(夢ではなかったのね……)

 今までのことがすべて夢だったのでは、と少しだけ期待していた自分が情けなく思ったが、すぐに気持ちを切り替え、手早く身支度を整えて部屋を出た。

 この家は白麗が使っている比較的小さめな部屋を除き、三つある。そのうちの一つは書斎──どうやら白麗は本を読むのが好きなようだ──となっており、残りの二つは空き部屋だった。鳴鈴はその空き部屋の一つを借りることにした。

 鳴鈴が部屋を出ると、廊下の少し先に人の姿をしている白麗がいた。

 白麗は鳴鈴を見るなり不機嫌ふきげんそうな顔になった。

「おはようございます、白麗様」

 にっこりと鳴鈴が挨拶をすると、白麗は顔を顰める。そんな白麗の肩には白いキツネが乗っていて、鳴鈴を見ると「きゅう!」と元気よく鳴いた。

「あ、その子……! すみません、勝手についてきてしまって」

 昨日、白麗の部屋に置き去りにしてしまったことを、うっかり忘れてしまっていた。

 鳴鈴が慌てて謝ると、白麗がいぶかしげな顔をする。

「なにを言っているんだ? こいつ──てんは俺と一緒に暮らしている」

「え? そ、そうだったのですか……?」

 驚いて目をパチパチさせる鳴鈴に天は元気よく「きゅい!」と鳴いた。

 まさか白麗と一緒に暮らしているとは思ってもいなかった。

 白麗と天を交互に見比べると、白麗が不愉快そうにまゆを寄せる。

「そんなことより、城に行くぞ」

「はい……?」

 一瞬、なにを言われたのか、呆気にとられていた鳴鈴にはまったく理解できなかった。

(しろにいく……シロニイク……?)

 上手く言葉が変換できず、ぱちぱちと瞬きを繰り返す鳴鈴に、白麗はいらついたように舌打ちをしたあと、もう一度言った。

「龍王じいさんのいる城に行くって言ったんだ。昨日行ったばかりなのに、まさか忘れたとは言わないよな?」

「え、ええ、もちろん覚えています。白麗様はお城に行かれるのですね。わかりました、いってらっしゃいませ」

 わざわざ言わなくても、自由に出かけていいのに。

 律儀りちぎな方だなあ、と鳴鈴が感心していると、白麗はくわっと目を見開いた。

「あんたも行くんだよ!!」

「え……ええ!? わ、わたしもですか……?」

 驚いて思わず聞き返してしまった鳴鈴に、白麗は不満そうな顔をする。

「忘れたのか? 俺とあんたはあまり離れられないんだ。どれくらいまで離れられるかわからない以上、とても不本意だが、あんたを連れて行かざるをえない」

「なるほど……」

(そうか……一人で動けないのだったわ。白麗様にとっては嫌なことかもしれないけれど、わたしにとっては白麗様を知る機会が増えるわけだから、とても嬉しいことだわ!)

 鳴鈴はうんうんと納得をし、にっこりと白麗を見て笑う。

「わかりました。お供いたします!」

「……ふん」

 元気に宣言した鳴鈴から白麗は顔を反らし、歩き出す。

 鳴鈴はそのあとを元気よく追いかけた。

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