第二章
その1
「ここは……」
『──
驚いて振り返ると、白麗の体がすっと
信じられないことが起こり、固まる鳴鈴の目の前で、白麗の大きな体が消え、代わりにそこには人が現れた。
銀糸のような
(すごく綺麗な人……この人は白麗様、なの?)
ぼうっと白麗に
「あんたを俺の家に連れてきたのは、
そう一方的に言って、白麗は一人で家の中に入ってしまう。
一人ぽつんと残された鳴鈴はどうすればいいのかわからず、
(家の中に入ってもいいのよね……? でもなんだかわたし、白麗様に嫌われているみたいだわ)
鳴鈴は悩み、家の前に座り込む。
こうして一人でいると、嫌なことばかり考えてしまう。状況がまったく理解できていないうえに前途多難で、これっぽっちも前向きな気持ちになれない。
(……お父様の容態が心配だわ……早くこの状況をなんとかして、国に帰らなくては……でも、白麗様にはなにもするなと言われてしまったわ……)
こういう時、弟の
黄蓮は優秀だから、きっと鳴鈴には考えつかないようなことを思いつき、この状況を打破するためにすぐに動くに違いない。
対する鳴鈴はといえば、頭が真っ白になってしまって、なにをするべきかも、どう動けばいいのかもわからない有様だ。
(どうしてわたしはいつもこうなの……みんなに迷惑ばかりかけて、結局は他人任せになってしまう……なんて、情けないのかしら……)
鳴鈴は涙が溢れそうになるのを懸命に
泣いてもこの状況がどうにかなるわけではない。だから、泣いてはだめ。
そう何度言い聞かせても、涙はなかなか引っ込んでくれなかった。
「──きゅ!」
突然聞こえた鳴き声に、鳴鈴は
きょろきょろを辺りを見回すと、鳴鈴の足のすぐそこに、追いかけていた白いキツネがいて、つぶらな赤い瞳で鳴鈴をじっと見つめていた。
「あなた……あの時の……!」
白いキツネは鳴鈴と目が合うと、「きゅい!」と鳴いて鳴鈴の
そして、
その感覚がくすぐったくて、鳴鈴は声をあげて笑った。
「やだ……ふふっ……くすぐったいわ!」
鳴鈴はひとしきり笑ったあと、キツネを抱きあげた。
「ありがとう、わたしを元気づけてくれたのよね? とても優しい子ね」
どういたしまして、と言うように「きゅう」と鳴いたキツネに鳴鈴はもう一度、笑い声を
キツネのふわふわとした毛並みに顔を埋め
「あなたのお
よし、と鳴鈴は気合いを入れ、キツネをひと撫でしたあと立ちあがる。
(わたしは龍のことについてなにも知らない……まずは龍のことを知りたい。それに──白麗様のこともちゃんと知りたい。まずは龍のこと、白麗様のことを知ることから始めよう。それを知っていけば……いずれ白麗様の〝番〟になった理由を知ることもできるのかしら?)
ふと、そんな考えが過ったが、鳴鈴は首を振り、白麗の家の中に入るべく、一歩を踏み出す。
「とにかく、まずは白麗様と仲良くならなくちゃ!」
そう言った鳴鈴に答えるように、白いキツネも「きゅ!」と鳴き、鳴鈴のあとに続いたのだった。
「……ひ、広いわ、この家……うちの城よりも広いんじゃないかしら……」
息を切らせ、よろよろとしながら壁伝いに家の中を歩く。
勢いよく白麗の家に入ってみたものの、あまりの広さに鳴鈴は迷子になった。
考えてみれば、龍の住む家である。
龍の体長は、鳴鈴の感覚だとおよそ成人男性が五人分くらい。その大きさに合わせて家を作ったのなら、人間である鳴鈴が広く感じるのも無理はない。
部屋数自体は少ないものの、その一つ一つの間の距離がとんでもなく広いのだ。
「ようやく最後の部屋ね……ここに白麗様がいなかったらどうしよう……」
不安になりながら、鳴鈴は部屋の扉を叩くが、返事はない。
「……聞こえていなかっただけ、よね? よし、もう一度……」
今度はもう少し強めに扉を叩いてみるが、やはり返事はない。
「白麗様! 鳴鈴です! 入りますね!」
そう宣言し、鳴鈴は扉を開ける。
この部屋は今まで見てきた他の部屋よりも、小さめの造りだった。
龍の姿で過ごすには狭そうだが、人の姿で過ごすには少し広い──そんな大きさの部屋だった。
それとは対照的に白麗は、鳴鈴を見るなり顔を
「……俺に近づくなと言ったはずだが」
「わたし、考えました。わたしになにができるか……それを考えて、まずはあなたのことを──龍のことを知りたい、と思いました。だから、ごめんなさい。わたし、白麗様にまとわりつきます。しつこいと言われようが、白麗様のことを知るまで、わたしは白麗様から離れません」
「はあ……? なに言ってんだ、あんた……?」
呆れた目をして鳴鈴を見た白麗に、鳴鈴はにっこりと笑った。
「それが本来の白麗様の口調なのですね! これでひとつ、白麗様のことを知ることができました」
「……別に。あんたに取り繕うのが
顔を背けて言った白麗に、鳴鈴は一歩近づく。
「白麗様……わたしにもなにかお手伝いをさせてください。家事でも雑用でも、なんでもいいのです。わたしにもなにかやらせてください!」
そう言って頭をさげた鳴鈴に、白麗は
「……あんた確か、公主って言っていたよな……?」
「はい! 覚えていてくださって、嬉しいです!」
にこにこと笑顔を向ける鳴鈴に、白麗は一瞬
「……普通、公主が家事や雑用をやるって言うか……?」
「今、なんておっしゃいました?」
小さくぼそぼそとなにか呟いた白麗の言葉が聞き取れず、鳴鈴が聞き返すと、白麗は「……なんでもない」と答える。
「とにかく、あんたに頼むことはなにもない。大人しくしていろ」
白麗は冷たい口調で言い放ち、もう用は済んだとばかりに鳴鈴から顔を背けた。
「……わかりました。今日はこれで引きさがります。その前に、ひとつだけ教えてください」
「……なんだ」
仕方なく、といったふうに答えた白麗に鳴鈴は意を決して尋ねた。
「白麗様は──わたしが、お嫌いですか?」
「嫌いだ」
即答だった。
一瞬の迷いもなく、どこか憎しみさえ
その答えに、鳴鈴の胸は痛む。わかっていたとはいえ、面と言われると傷つく。
「あんただけじゃない。人間自体が、嫌いだ」
「え……?」
予想外の答えに鳴鈴が目を見開くと、白麗はもういいだろうと言わんばかりに立ち上がって、鳴鈴の
「これで満足だろ? もう俺に関わろうとするな」
そう言って白麗は鳴鈴を部屋の外に追い出すなり、扉を勢いよく閉める。
(……人間自体が、嫌い……? どういうこと……?)
鳴鈴はしばらく
(……また次の機会に聞いてみよう。と、いっても、教えてくれるとは限らないけれど……あら? そういえば、白いあの子、白麗様の部屋に置いてきてしまったわ)
少し心配になったが、賢い子だからきっと大丈夫だろう、と結論づけ、鳴鈴はとりあえず寝る場所を探しに、家の中を再び歩いたのだった。
次の日の朝、鳴鈴は目を覚まし、いつもの自分の部屋の天井ではないことを不思議に思ったあと、昨日のできごとを思い出して跳ね起きる。
(夢ではなかったのね……)
今までのことがすべて夢だったのでは、と少しだけ期待していた自分が情けなく思ったが、すぐに気持ちを切り替え、手早く身支度を整えて部屋を出た。
この家は白麗が使っている比較的小さめな部屋を除き、三つある。そのうちの一つは書斎──どうやら白麗は本を読むのが好きなようだ──となっており、残りの二つは空き部屋だった。鳴鈴はその空き部屋の一つを借りることにした。
鳴鈴が部屋を出ると、廊下の少し先に人の姿をしている白麗がいた。
白麗は鳴鈴を見るなり
「おはようございます、白麗様」
にっこりと鳴鈴が挨拶をすると、白麗は顔を顰める。そんな白麗の肩には白いキツネが乗っていて、鳴鈴を見ると「きゅう!」と元気よく鳴いた。
「あ、その子……! すみません、勝手についてきてしまって」
昨日、白麗の部屋に置き去りにしてしまったことを、うっかり忘れてしまっていた。
鳴鈴が慌てて謝ると、白麗が
「なにを言っているんだ? こいつ──
「え? そ、そうだったのですか……?」
驚いて目をパチパチさせる鳴鈴に天は元気よく「きゅい!」と鳴いた。
まさか白麗と一緒に暮らしているとは思ってもいなかった。
白麗と天を交互に見比べると、白麗が不愉快そうに
「そんなことより、城に行くぞ」
「はい……?」
一瞬、なにを言われたのか、呆気にとられていた鳴鈴にはまったく理解できなかった。
(しろにいく……シロニイク……?)
上手く言葉が変換できず、ぱちぱちと瞬きを繰り返す鳴鈴に、白麗は
「龍王じいさんのいる城に行くって言ったんだ。昨日行ったばかりなのに、まさか忘れたとは言わないよな?」
「え、ええ、もちろん覚えています。白麗様はお城に行かれるのですね。わかりました、いってらっしゃいませ」
わざわざ言わなくても、自由に出かけていいのに。
「あんたも行くんだよ!!」
「え……ええ!? わ、わたしもですか……?」
驚いて思わず聞き返してしまった鳴鈴に、白麗は不満そうな顔をする。
「忘れたのか? 俺とあんたはあまり離れられないんだ。どれくらいまで離れられるかわからない以上、とても不本意だが、あんたを連れて行かざるをえない」
「なるほど……」
(そうか……一人で動けないのだったわ。白麗様にとっては嫌なことかもしれないけれど、わたしにとっては白麗様を知る機会が増えるわけだから、とても嬉しいことだわ!)
鳴鈴はうんうんと納得をし、にっこりと白麗を見て笑う。
「わかりました。お供いたします!」
「……ふん」
元気に宣言した鳴鈴から白麗は顔を反らし、歩き出す。
鳴鈴はそのあとを元気よく追いかけた。
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