第一章

その1


雪蓮花せつれんか』を求めて馬で駆けること早一日。鳴鈴めいりんは城の周辺で最も高い山へやってきた。

 その山は頂上が雲に隠れて見えないほど高く、いかにも『雪蓮花』が生息していそうな雰囲気ふんいきのある山だった。

 ふもとの宿にお金を支払って馬を預け、ひとまず山頂を目指して歩く。

 宿の人たちから、「あの山は険しいからやめておいた方がいい」と引き留められた。しかし、鳴鈴には登らなければならない理由がある。心配してくれることをありがたく思いながらも、鳴鈴は気合いを入れて山に一歩踏み出した。

 悪天候が続いているせいか、周りにある木の枝に生えた葉は今にもれそうなほど弱々しい。そのうえ、道はぬかるんでいて歩きにくい。

 山の中はうっすらともやがかかり、肌寒く感じる。きっと、山の景色が寂しいのもそう感じる一因だろう。

 湿った空気と、腐葉土ふようどの匂いが鼻につく。地面に敷き詰められた枯れ葉たちは水分をたくさん含んでいて、踏みつけるたびにくつれ、足の先から冷えていく。

 進んでいくと徐々じよじよに空気が冷たくなり、息もしづらく感じた。どれくらいの高さまで来たのか確かめようにも視界が悪くてできない。

 振り返ってみると、辺りは白いきりおおわれ、ちゃんと帰れるかどうかも怪しい。

 目印を残しておけば良かった、と後悔こうかいしたが、後の祭りだ。

 もう頂上を目指すしかないと鳴鈴は腹をくくり、前だけを見て進む。

 どうかこの山に『雪蓮花』がありますように──それだけを願って足を必死に動かした。


 どれくらい歩いただろう。

 霧が濃くなってきたせいでわかりづらいが、先ほどよりも辺りが薄暗くなった気がする。

 もう夜になるのだろうかと思った時、動物の声が聞こえて足を止めた。

(……今、なにか動物の鳴き声が聞こえたような……? 気のせい、かしら。そういえば……山の中なのに、動物の気配が全然ないのはどうしてかしら……?)

 山の中で動物に遭遇そうぐうする覚悟はしていた。ところが、動物どころか虫すら見かけない。

 これも異常気象の影響なのだろうか、と鳴鈴が考えていると、再び「きゅ!」と声がした。

 鳴鈴は辺りを見回し、少し離れたところにある木の根元の影から、白いキツネのような生き物がひょっこりと顔を出していることに気づく。

 キツネは鳴鈴と目が合うと「きゅう!」と鳴いて、くるりと背を向けて駆け出す。

 それがまるで「こっちに来て」と言っているように鳴鈴には思え、咄嗟とつさに「待って!」と言ってキツネを追いかけた。

 もしかしたら、この子は幸運の聖獣せいじゆうかもしれない──そんな予感がしたのだ。

 キツネを追いかけて行くと、途中でなにかをくぐったような感覚がし、さらに霧が濃くなった。

 どうしよう、見失ってしまう……と思った瞬間しゆんかん、視界が突如とつじよ開け、辺りの景色が一変した。

 目の前に続いていたはずの地面や木々が消え去り、眼下に広がるのは広大な緑。

 先ほどまで山の中にいたはずなのに、いつの間にかがけの上に鳴鈴はいた。

 いや、すでに崖の上ではなかった。動かしていた足が宙をかき、そのまま鳴鈴の体は宙に投げ出される。

「きゃあああああああっ!!」

 ごうごうという風の音、ふわりとした浮遊感──落ちている、という感覚は経験したことがないほど怖く、情けない悲鳴が溢れる。

 もうだめかもしれない──そんな弱気なことを思った時、鳴鈴はなにかに体を打ち付けた。

「いたぁ…………あら……?」

 全身をおそう痛みに顔をしかめつつ、助かったことに安堵あんどすると同時に困惑もした。

 いつの間にか山の中でない場所にいて、崖から落ちた──いったい、なにが起こったのだろう。

 混乱のあまり呆然としていた鳴鈴だったが、景色が動いていることに気づく。

(わたし、移動している……? 一歩も動いていないのにどうして……?)

 下を覗くと、青々とした葉がたくさんしげっている木々の天辺てつぺんが見えた。

 どうやら空を飛んでいるらしい、と理解すると同時に疑念も抱く。

(あら……? こんなに緑豊かな場所、今のうちの国にあったかしら……?)

 なにげなしに空を見あげると、久しぶりに見る青空が広がっていた。

 太陽が爛々らんらんと輝き、そのまぶしさに目を細める。

 先ほどまでくもっていたはずなのに、不思議ふしぎなこともあるものだなと鳴鈴がどこか暢気のんきに思い、地面に手をつくと──ポロリ、となにかが突然取れた。

「な、なにかしら、これ……? 銀色のうろこ……?」

 一人で慌てていると、当然地面が揺れ、急降下し始めた。

「えっ、きゃああああ!!」

 鳴鈴は情けない悲鳴をあげながら、振り落とされないように必死にしがみつく。

 しかし、もうすぐで地上、というところで振り落とされ、尻餅しりもちをついた。

「い、痛ぁい……!」

 少し涙目になりながらお尻をさすって顔をあげ──鳴鈴は、固まった。

 銀色に輝く鱗に覆われた巨体に、鋭い五本の爪。神々しさすら感じる知性的な金色の瞳。鳴鈴が今まで出会った生き物とは別次元の存在だと感じるほどの圧倒的な威圧感に、鳴鈴はその生き物から視線をらせなかった。

(……絵で見た、りゆう……? まさか……)

 龍は伝説の存在で、実在しているかも怪しい生き物である。

 しかし、今、鳴鈴の目の前にいる存在はどう見ても龍にしか見えない。固い鱗に覆われた大蛇だいじやのような神獣しんじゆうの姿──それはまさに目の前に存在のことではないだろうか。

(……龍は本当に存在していたのね!)

 鳴鈴は龍が大好きだった。本に書かれた伝承の、龍と人が協力し、種族の壁を越えてきずなを深める物話には特に心躍った。

 その話を読んでから、鳴鈴は龍に憧れを抱くようになった。龍について書かれた数少ない本を読み漁り、龍のことを知ろうとした。しかし、詳しいことが書かれた本は存在せず、龍という存在は謎のままだ。それが余計に、鳴鈴の龍に対する憧れの気持ちを強めた。

 龍に会ってみたい──いつからか、鳴鈴はそんな夢を持つようになった。それが今、叶ったのだ。

 これが夢なのか現実なのか確かめるために、鳴鈴はこっそりと手の甲をつねってみた。すると、ちゃんと痛みを感じる。

 つまり、これは現実であるということである。

(どうしよう……! 嬉しくて涙が出てきたわ……!)

 感動のあまり思わず鳴鈴が涙ぐんでいると、銀色の龍がギロリと鳴鈴をにらんだ。

『……貴様きさま、どうやってここに来たのだ』

 銀色の龍のその言葉で、鳴鈴はハッとわれに返った。

 そして慌てて深々と頭をさげた。

「も、申し訳ありません……! わたしは蓮華国れんかこくの公主、鳴鈴と申します。山へとある薬草を探しにやってきたのですが、その途中で白いキツネを見かけ、追いかけているうちに、不注意で崖から落ちてしまったのです。危ないところを助けていただき、誠にありがとうございました」

『貴様を助けてなどいない』

 銀色の龍はいぶかしげに眉を寄せた。

 そんな銀色の龍──声と口調から察するに、恐らくおすの龍だろう──の様子に鳴鈴が困惑した。

『そんなことより、今すぐ俺の鱗を返せ!』

「……うろこ?」

 いったいなんのことだろう、と鳴鈴がきょとんとすると、銀色の龍は怖い顔をした。

『貴様が取った鱗だ! 覚えていないとは言うまいな?』

「あ……あの時の!」

 銀色の龍の言葉ですっかり忘れていた鱗のことを鳴鈴は思い出した。

(あの綺麗な銀色の鱗よね。……あら? そういえば、あれ、どうしたかしら……?)

 鱗が取れてしまったあとすぐに急降下しだし、振り落とされないように必死でいたため、肝心かんじんの鱗をどうしたのか、まったく記憶にない。

『思い出したか。なら、早く寄越よこせ』

「え、ええっと……」

『……おい。まさか、失くしたとか言わぬだろうな……?』

「えっと……その……」

 そのまさかです、なんて口がけても言えそうにない。

 どうしよう、と鳴鈴はあせり、意味もなく周りをきょろきょろと見た。

 すると、少し離れたしげみにきらりと輝くものを見つけた。

 もしかして、と期待をして茂みに近づくと、銀色の鱗が草の間にあった。

 近くにあって良かった、と鳴鈴は胸をで下ろし、鱗を手に取る。

 その時、鱗がぼうっと光ったように見えたが、すぐに光は消えてしまう。

(光ったように見えたのは気のせい、かしら……)

 しばらく鱗を見つめ考えていたが、『なにをしているんだ? 早く寄越せ!』と怒られ、鳴鈴は慌てて銀色の龍のもとへ駆け寄る。

「申し訳ありません、落としてしまったようです……これはお返ししま──」

 鱗を銀色の龍に返そうとした時──突然、鱗が強く発光し、

 忽然こつぜんと、鳴鈴の手のひらから、鱗がなくなった。

 また落としてしまったのかと、地面を一生懸命探しても、鱗はどこにも見当たらない。

「どうして……?」

 ありえない状況に思わず呆然として呟き、銀色の龍を見ると、銀色の龍はひどく動揺した顔をして鳴鈴の手のひらをじっと見つめていた。

『……うそだろ……そんなことが、あるはずが……』

「あ、あの……?」

 尋常じんじようでない銀色の龍の動揺ぶりに、鳴鈴は困惑した。

 心なしか、銀色の龍の口調が先ほどと変わっている気がする。

 それほど鱗は大事な物だったのだろうか。

『──白麗びやくらい!』

 空から聞こえた声に鳴鈴と銀色の龍が顔をあげると、そこには空色の龍がいた。

青嵐せいらん……』

 銀色の龍は空色の龍を見つめて呟いた。

 どうやら、青嵐というのが空色の龍の名で、銀色の龍と知り合いらしい。

 銀色の龍に続き、空色の龍にまで会えるなんて、と鳴鈴は状況を忘れてひそかに感動にふるえた。

 こんな幸運があるだろうか。もしかしたらこれから先の人生のすべての運を使い果たしてしまったのかもしれない、と鳴鈴が考えている間に、空色の龍は銀色の龍に文句もんくを言い始めた。

『やっと見つけた……! 探したよ、白麗。どこに行っていたの? 今、里では人間が結界を潜ったって大騒ぎになっているんだよ!』

(銀色の龍の名前は、白麗というのね)

 なんて素敵なお名前かしら、と彼らの名前を頭に刻み込んでいると、不意に青嵐と目が合った。

 咄嗟とつさに鳴鈴がにっこりと微笑ほほえむと、青嵐はぎょっとした顔をした。

『な……なんで人間がここに!?』

 青嵐が警戒けいかいするように鳴鈴を見つめる。

 鳴鈴は青嵐の警戒をゆるめるために、笑顔を保って説明をした。

「わたしは蓮華国の公主、鳴鈴と申します。白いキツネを追いかけている途中で誤って崖から落ちてしまい、白麗様に助けていただいたのです」

『気安く名前を呼ぶな。そもそも、貴様が勝手に俺の上に落ちてきただけだ』

 素っ気ない白麗の台詞せりふに鳴鈴は戸惑った。

「で、ですが、わたしが助かったのはあなたのおかげです」

『それは結果論だ。むしろおれにとっては迷惑でしかない』

 困った鳴鈴がなにげなく青嵐を見ると、彼は苦々しい顔をしていた。

『……なるほど。どうして白麗が人間と一緒にいるのかはわかった。とにかく、一度彼女を龍王りゆうおう様のところへ連れて行って、指示をあおごう』

『じゃあ、こいつのことはおまえに任せた』

 あからさまにほっとした顔をして言った白麗を、青嵐はとても冷たい目で見た。

『……は? なに言っているの? 最初に彼女に関わったのは君でしょ。彼女と遭遇した詳しい状況はオレにはわからないんだから、自分で龍王様に説明しなよ』

 目と同様に、声まで凍えさせて青嵐はそう言った。

 それなのに、青嵐はにっこりと笑っているのだ。その笑みは本気で怒った弟の姿を連想させ、鳴鈴は自分が怒られているわけでもないのに震えた。

 白麗は反論する言葉が見つからないのか、ねた顔をしている。

 鳴鈴は勝手に、龍は滅多めつたなことでは感情を揺るがせない存在だと思っていたが、龍も人と同じように表情が豊かだと知り、親近感を覚えた。

『ほら、行くよ』

 青嵐がそう言って白麗の背を突いて促す。

 二人は仲良しなのね、とにこにこして眺め、彼らを見送ろうとしていると、白麗はなぜかギロリと鳴鈴を睨んで近づいてきた。

『……なにをぼんやりとしている。貴様が来ないでどうする』

「……はい?」

 なんの話ですか? というように首をかしげると、白麗が舌打ちをして突然鳴鈴を手でつかみ、体が宙に浮かんだ。

「きゃあっ!! な、なにを……!?」

『貴様を龍王のもとへ連れて行く』

「ま、待ってください……!! わたしにはやらなければならないことがあるのです! だから、あなたたちとは行けません! 下ろしてください!!」

『貴様の事情なんて知るか。そもそも貴様に拒否権はない』

 そう言って空を飛び出した白麗に、鳴鈴は「きゃあっ! こ、怖い! 下ろして……下ろしてください~!!」とジタバタと暴れた。しかし、白麗にこたえた様子はない。

 青嵐は大変そうだな、という目で白麗を見つめたが声には出さず、付き添う。

 そして、鳴鈴は強制的に彼らに連れて行かれたのだった。


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