第一章
その1
『
その山は頂上が雲に隠れて見えないほど高く、いかにも『雪蓮花』が生息していそうな
宿の人たちから、「あの山は険しいからやめておいた方がいい」と引き留められた。しかし、鳴鈴には登らなければならない理由がある。心配してくれることをありがたく思いながらも、鳴鈴は気合いを入れて山に一歩踏み出した。
悪天候が続いているせいか、周りにある木の枝に生えた葉は今にも
山の中はうっすらと
湿った空気と、
進んでいくと
振り返ってみると、辺りは白い
目印を残しておけば良かった、と
もう頂上を目指すしかないと鳴鈴は腹を
どうかこの山に『雪蓮花』がありますように──それだけを願って足を必死に動かした。
どれくらい歩いただろう。
霧が濃くなってきたせいでわかりづらいが、先ほどよりも辺りが薄暗くなった気がする。
もう夜になるのだろうかと思った時、動物の声が聞こえて足を止めた。
(……今、なにか動物の鳴き声が聞こえたような……? 気のせい、かしら。そういえば……山の中なのに、動物の気配が全然ないのはどうしてかしら……?)
山の中で動物に
これも異常気象の影響なのだろうか、と鳴鈴が考えていると、再び「きゅ!」と声がした。
鳴鈴は辺りを見回し、少し離れたところにある木の根元の影から、白いキツネのような生き物がひょっこりと顔を出していることに気づく。
キツネは鳴鈴と目が合うと「きゅう!」と鳴いて、くるりと背を向けて駆け出す。
それがまるで「こっちに来て」と言っているように鳴鈴には思え、
もしかしたら、この子は幸運の
キツネを追いかけて行くと、途中でなにかを
どうしよう、見失ってしまう……と思った
目の前に続いていたはずの地面や木々が消え去り、眼下に広がるのは広大な緑。
先ほどまで山の中にいたはずなのに、いつの間にか
いや、すでに崖の上ではなかった。動かしていた足が宙をかき、そのまま鳴鈴の体は宙に投げ出される。
「きゃあああああああっ!!」
ごうごうという風の音、ふわりとした浮遊感──落ちている、という感覚は経験したことがないほど怖く、情けない悲鳴が溢れる。
もうだめかもしれない──そんな弱気なことを思った時、鳴鈴はなにかに体を打ち付けた。
「いたぁ…………あら……?」
全身を
いつの間にか山の中でない場所にいて、崖から落ちた──いったい、なにが起こったのだろう。
混乱のあまり呆然としていた鳴鈴だったが、景色が動いていることに気づく。
(わたし、移動している……? 一歩も動いていないのにどうして……?)
下を覗くと、青々とした葉がたくさん
どうやら空を飛んでいるらしい、と理解すると同時に疑念も抱く。
(あら……? こんなに緑豊かな場所、今のうちの国にあったかしら……?)
なにげなしに空を見あげると、久しぶりに見る青空が広がっていた。
太陽が
先ほどまで
「な、なにかしら、これ……? 銀色の
一人で慌てていると、当然地面が揺れ、急降下し始めた。
「えっ、きゃああああ!!」
鳴鈴は情けない悲鳴をあげながら、振り落とされないように必死にしがみつく。
しかし、もうすぐで地上、というところで振り落とされ、
「い、痛ぁい……!」
少し涙目になりながらお尻をさすって顔をあげ──鳴鈴は、固まった。
銀色に輝く鱗に覆われた巨体に、鋭い五本の爪。神々しさすら感じる知性的な金色の瞳。鳴鈴が今まで出会った生き物とは別次元の存在だと感じるほどの圧倒的な威圧感に、鳴鈴はその生き物から視線を
(……絵で見た、
龍は伝説の存在で、実在しているかも怪しい生き物である。
しかし、今、鳴鈴の目の前にいる存在はどう見ても龍にしか見えない。固い鱗に覆われた
(……龍は本当に存在していたのね!)
鳴鈴は龍が大好きだった。本に書かれた伝承の、龍と人が協力し、種族の壁を越えて
その話を読んでから、鳴鈴は龍に憧れを抱くようになった。龍について書かれた数少ない本を読み漁り、龍のことを知ろうとした。しかし、詳しいことが書かれた本は存在せず、龍という存在は謎のままだ。それが余計に、鳴鈴の龍に対する憧れの気持ちを強めた。
龍に会ってみたい──いつからか、鳴鈴はそんな夢を持つようになった。それが今、叶ったのだ。
これが夢なのか現実なのか確かめるために、鳴鈴はこっそりと手の甲をつねってみた。すると、ちゃんと痛みを感じる。
つまり、これは現実であるということである。
(どうしよう……! 嬉しくて涙が出てきたわ……!)
感動のあまり思わず鳴鈴が涙ぐんでいると、銀色の龍がギロリと鳴鈴を
『……
銀色の龍のその言葉で、鳴鈴はハッと
そして慌てて深々と頭をさげた。
「も、申し訳ありません……! わたしは
『貴様を助けてなどいない』
銀色の龍は
そんな銀色の龍──声と口調から察するに、恐らく
『そんなことより、今すぐ俺の鱗を返せ!』
「……うろこ?」
いったいなんのことだろう、と鳴鈴がきょとんとすると、銀色の龍は怖い顔をした。
『貴様が取った鱗だ! 覚えていないとは言うまいな?』
「あ……あの時の!」
銀色の龍の言葉ですっかり忘れていた鱗のことを鳴鈴は思い出した。
(あの綺麗な銀色の鱗よね。……あら? そういえば、あれ、どうしたかしら……?)
鱗が取れてしまったあとすぐに急降下しだし、振り落とされないように必死でいたため、
『思い出したか。なら、早く
「え、ええっと……」
『……おい。まさか、失くしたとか言わぬだろうな……?』
「えっと……その……」
そのまさかです、なんて口が
どうしよう、と鳴鈴は
すると、少し離れた
もしかして、と期待をして茂みに近づくと、銀色の鱗が草の間にあった。
近くにあって良かった、と鳴鈴は胸を
その時、鱗がぼうっと光ったように見えたが、すぐに光は消えてしまう。
(光ったように見えたのは気のせい、かしら……)
しばらく鱗を見つめ考えていたが、『なにをしているんだ? 早く寄越せ!』と怒られ、鳴鈴は慌てて銀色の龍のもとへ駆け寄る。
「申し訳ありません、落としてしまったようです……これはお返ししま──」
鱗を銀色の龍に返そうとした時──突然、鱗が強く発光し、消えた。
また落としてしまったのかと、地面を一生懸命探しても、鱗はどこにも見当たらない。
「どうして……?」
ありえない状況に思わず呆然として呟き、銀色の龍を見ると、銀色の龍は
『……
「あ、あの……?」
心なしか、銀色の龍の口調が先ほどと変わっている気がする。
それほど鱗は大事な物だったのだろうか。
『──
空から聞こえた声に鳴鈴と銀色の龍が顔をあげると、そこには空色の龍がいた。
『
銀色の龍は空色の龍を見つめて呟いた。
どうやら、青嵐というのが空色の龍の名で、銀色の龍と知り合いらしい。
銀色の龍に続き、空色の龍にまで会えるなんて、と鳴鈴は状況を忘れて
こんな幸運があるだろうか。もしかしたらこれから先の人生のすべての運を使い果たしてしまったのかもしれない、と鳴鈴が考えている間に、空色の龍は銀色の龍に
『やっと見つけた……! 探したよ、白麗。どこに行っていたの? 今、里では人間が結界を潜ったって大騒ぎになっているんだよ!』
(銀色の龍の名前は、白麗というのね)
なんて素敵なお名前かしら、と彼らの名前を頭に刻み込んでいると、不意に青嵐と目が合った。
『な……なんで人間がここに!?』
青嵐が
鳴鈴は青嵐の警戒を
「わたしは蓮華国の公主、鳴鈴と申します。白いキツネを追いかけている途中で誤って崖から落ちてしまい、白麗様に助けていただいたのです」
『気安く名前を呼ぶな。そもそも、貴様が勝手に俺の上に落ちてきただけだ』
素っ気ない白麗の
「で、ですが、わたしが助かったのはあなたのお
『それは結果論だ。むしろ
困った鳴鈴がなにげなく青嵐を見ると、彼は苦々しい顔をしていた。
『……なるほど。どうして白麗が人間と一緒にいるのかはわかった。とにかく、一度彼女を
『じゃあ、こいつのことはおまえに任せた』
あからさまにほっとした顔をして言った白麗を、青嵐はとても冷たい目で見た。
『……は? なに言っているの? 最初に彼女に関わったのは君でしょ。彼女と遭遇した詳しい状況はオレにはわからないんだから、自分で龍王様に説明しなよ』
目と同様に、声まで凍えさせて青嵐はそう言った。
それなのに、青嵐はにっこりと笑っているのだ。その笑みは本気で怒った弟の姿を連想させ、鳴鈴は自分が怒られているわけでもないのに震えた。
白麗は反論する言葉が見つからないのか、
鳴鈴は勝手に、龍は
『ほら、行くよ』
青嵐がそう言って白麗の背を突いて促す。
二人は仲良しなのね、とにこにこして眺め、彼らを見送ろうとしていると、白麗はなぜかギロリと鳴鈴を睨んで近づいてきた。
『……なにをぼんやりとしている。貴様が来ないでどうする』
「……はい?」
なんの話ですか? というように首を
「きゃあっ!! な、なにを……!?」
『貴様を龍王のもとへ連れて行く』
「ま、待ってください……!! わたしにはやらなければならないことがあるのです! だから、あなたたちとは行けません! 下ろしてください!!」
『貴様の事情なんて知るか。そもそも貴様に拒否権はない』
そう言って空を飛び出した白麗に、鳴鈴は「きゃあっ! こ、怖い! 下ろして……下ろしてください~!!」とジタバタと暴れた。しかし、白麗に
青嵐は大変そうだな、という目で白麗を見つめたが声には出さず、付き添う。
そして、鳴鈴は強制的に彼らに連れて行かれたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます