第三話―② 初デートは曇り空



 ──土曜日。私は、憂鬱な気分のまま、待ち合わせの場所に向かって歩いていた。

 生まれてはじめて経験する、男の子とのデート。本当なら、大切な思い出となるはずのものなのに、今日のそれはうそで塗り固められたもの。何の記念にもならない。

 そう思うと、自然とスピードも遅くなってゆく。体のあちこちに見えない重りがぶら下がっているみたいで、歩きにくい。

 ため息をつきつつ、ふと空を見上げた。


「あ……」


 どんよりと、陰った空。まるで、今の私の心を映し出したみたいに、薄暗い。

 もういや、いやだ。泣きたくなってきた。踏んだり蹴ったりっていうのは、こういうのを言うんだろうか。

 ため息をつきながら、アプリを起動。天気予報を確かめる。

 何度確認しても、画面の中には曇りマークが点滅しているのみで、降水確率は高くない。いっそ、大雨が降ってくれれば、中止になるのに。

 そんなひどい考えが頭をよぎる。けれど──



『ま、ままま、まさか! 俺に、デートイベントなんつう奇跡のフラグが立つだなんて! ひゃっほう、人生バラ色だぁ!』



 デートの約束を取り付けた時のいるくんの様子を、思い出してしまった。

 ひどくはしゃいでいた彼の様子が脳裏に浮かび……ちくり、と胸が痛む。

 そんな事を考えながら歩いていると、やがて待ち合わせの場所が見えてきた。

 スマホを取り出し、時間を確認する。……八時十二分。約束の時間まであと十五分以上ある。少し早く着いてしまったようだけど、彼は──


「あ……!」


 待ち合わせ場所である、公園の噴水。その真ん前に、見覚えのあるまん丸顔が、たたずんでいるのが見えた。

 私も緊張しているが、彼はそれ以上だったようで、はたにも気の毒なくらい震えている。かくかく笑っているその膝は、生まれたての小鹿のように頼りない。

 何となく、声を掛けるのをためらってしまう。

 私がどうしようかと迷っていると、彼の方もこちらに気が付いたようだった。


「あ、あささーん! こっち、こっちです!」


 あせったように手を振る入間くん。それを見ちゃったらもう、無視なんてできない。仕方なく、そちらに近付いてゆく。

 ──うれしそうに、しなきゃ。朗らかに、愛想をよくして……笑うのよ、わか


「ごめんなさい、待たせてしまいましたか?」


 精一杯の笑顔を作り、声を掛ける。


「そ、そんな事ないですよ! 俺も、今来たところですから!」


 そこで、会話が途切れた。次に何を言えば良いのか、わからない。多分、彼も同じなんだろう。二の句が継げず、どうにも、間が持たない。


「ええと……ま、まだ時間はありますけど、先に現地に行きましょうか!」


 それを察したのか、入間くんが明るい声を張り上げた。


「は、はい。構いませんよ」


 少し救われた気持ちになり、彼と連れ立って歩き出す。

 入間くんには申し訳なく思うが、何となく周囲の目が気になってしまう。

 何だか、居心地が悪い。つられるように私の気持ちもどんどんと沈んでゆき、せっかく取り繕ってきた、この笑顔の仮面が少しずつがれてゆくのがわかった。

 当たり前だけど、入間くんがそんな事を知るわけもない。一緒に下校した時のように、ひっきりなしに話し掛けてくる。

 それに受け応えはするけれど、私の心は全く晴れなかった。


「せ、せつかくのデートなのに曇り空で残念っすね! で、でも! その分、思い切り楽しみましょう!」

「いえ、大丈夫、です。気にして……ませんから」

「そ、そうですか! な、なら良かった。アハハ……!」


 やがて、目的地が見えてきた。ショッピングモールの中に設置された映画館。

 これが、今回のデートの『目玉』である。


「うーん、結構混んでるなあ」


 休日という事もあり、場内は家族連れやカップルなどでにぎわっているようだった。

 チケット売り場だけでなく、販売コーナーにもそれなりの列ができている。


「さて、何を見ましょうか? なんでも良いって言ってたけれど、アクションやホラーよりは、やっぱり恋愛系ですかね?」

「え……っと」


 無難なデートのスポットといえば、やはり映画館だ。時間も潰せるし、間が持たない、という事も無い。だから、私の方から彼にそう提案したのだ。

 一応、ジャンルは何でもいと答えはしたけど、いざ現地に来てしまうと、少し尻込みしてしまう。やはり、彼と恋愛ものを見るのだけは、お断りしたい。


「そう、ですね……今、話題のあの映画でもいですか?」


 そう言って、看板を指差した。華やかなデザインのイラストで飾られたそれは、見る者の興味をきつけるような作りをしている。


「ああ、『しらのロボット』ですか。うん、俺も見てみたかったし、これにしましょうか! 二席、連番で空いてるかな?」

「あ、じゃあチケットを買って──」


 いつも使い走りをさせられている癖で、チケットを買いに受付へと向かおうとする。


「あ、いいッスよ。俺が買ってきますから、ここで待ってて下さい!」

「え、で、でも……」

「気にしない、気にしない! んじゃ、行ってきますね!」


 そう言って笑うと、いるくんはチケット売り場へと駆け出して行った。

 その後姿を見送りながら、私は不思議な気分を味わっていた。

 そういえば、家族以外の誰かにこうして気遣ってもらったのは、久しぶりだ。

 最後にそうしてもらえたのは、いつだったっけ。

 私は複雑なおもいを抱えたまま、ただただぼうっと、彼の帰りを待つのだった。





 音もなく照明が落ち、周りがだんだん暗くなってゆく。

 劇場内でのマナー勧告と共に、新作映画の予告映像が次から次へと流れ出す。

 そういえば、ふたは本編が始まる前のこの『間』が苦手だと言ってたっけ。

 何でも、お客は予告じゃなくて本編を見に来てるんだから、その他の余計なものは邪魔なお節介!だそうだ。せっかちなあの子らしくて、微笑ほほえましい。

 思い出し笑いをしそうになって、私は慌てて口元を抑えた。

 ちょっとだけ、興奮してきた。映画を見るなんて、久しぶりだ。

 横さえ見なければデートをしている、という感覚を忘れられそうだし。

 うん。せっかくここまで来たんだし、楽しんじゃった方が得だよね。

 そんな事を思っている間に予告が終わり、映画会社のマークと共に本編が始まった。

 うん、評判なだけあって、なかなか面白い。

 絶海の孤島に住む幽霊の女の子が、ひょんな事からロボットの男の子と出会い、少しずつ仲良くなっていく様子が丁寧に描写されてゆく。

 気が付けば私は、のめり込むようにして映画に見入っていた。

 やがて、物語は佳境に入る。主人公とヒロインの切ない別れの描写が、クライマックスを盛り上げていく。思わず手に汗を握った、その時だった。


「──え?」


 突然、生暖かい感触が、私の手を覆う! 何、なんなの!?


「きゃあっ!?」


 思わず、短い悲鳴をあげて、手を払った。

 すると、すぐ隣からあせったような声が響く。


「あ、わ! すすす、すみません!」

「ひ、あ、あう……」


 突然の事に動揺して、涙ぐんでしまった。心臓がバクバクと強く脈打っているのがわかる。いやだ、怖い、怖い……!


「ごめんなさい、ごめんなさい! 調子に乗っちゃって……本当にすみません!」


 必死に呼吸を整えていると、いるくんが泣きそうな声で必死に謝ってきた。

 そこで、ようやく何が起こったかに気付いた。

 どうやら、入間くんは映画の雰囲気にまれたのか、私の手を握ろうとしたのだ。

 彼にしてみれば、ほんの軽い気持ちだったんだろう。実際、そんなに目くじら立てて怒るほどの事じゃない。何せ、私達は『恋人同士』なのだから。


「だ、大丈夫です。こっちこそ、手をはたいてしまって、ごめんなさい」

「あ、あささんが謝る事じゃないですよ! ああ、やっちゃった……何やってんだ、俺ぇ……!」


 他のお客さんの迷惑にもなるし、その後は努めて静かにしようと心がけ、表面上は穏やかに映画を終わる事はできた。

 けれど、エンディングがどうだったか、なんて全く記憶に残らなかった。

 先ほどの感触を事あるごとに思い出して、身震いしてしまったからだ。

 やがて、館内が明るくなり、周りの人々が皆、席を立つ。中には感動したのか、涙ぐむ人さえいるようだ。

 しかし、私達はそんな感傷に浸ることさえできず、足早に劇場を出た。

 気まずいままに、モール内をひたすら歩く。会話も全くなくて、このまま一日が終わるのかと、そんな不安におびえていると……


あささん! 先ほどは、申し訳ありませんでした! 改めて、謝らせて下さい!」それまで黙っていたいるくんが、真剣な顔付きで頭を下げてきた。

「何せ、これまでこういった経験ゼロ! まともに女の子とお付き合いなんてした事が無かったんで、気ばかりあせっちゃって」

「あ、い、いえ! そんな、謝らなくても……」

「だから、朝比奈さんさえ良ければ、さっきの穴埋めをさせてくれませんか? まだ、お昼には早いですし、少しお店を見て回るのはどうでしょう!」


 こちらを気遣ってくれているんだろう。明るく話し掛けてくれるのは、正直言って助かった。とても、ありがたいと思う。


「は、はい。私は大丈夫ですよ。その、入間くんがそうしたいならば」

「ありがとうございます! それじゃ、まずはそうだなあ」


 彼が、大きな頭を振りながら、キョロキョロと辺りを見回す。

 私もられるようにして目線を動かすが、立ち並ぶお店と、そこではしゃぐ人達に圧倒されて、どうにも候補が絞り込めそうになかった。

 それでなくても、このショッピングモールに来るのは、私も初めてだ。普段、あまりお外に出かける事もないし、こういった時に適切なお店の選び方もわからない。


「っと、お? アレなんていいかな?」


 不意に一点に目標を定めたかと思うと、入間くんがパチン、と指を鳴らした。


「時間つぶしにも丁度良いし、あそこのゲームコーナーに行きましょうか」

「あ、はい」


 思わず了承の返事をしてしまい、そのまま彼に促されるままに、後を付いていく。

 お店に近付くにつれ、にぎやかなBGMが私の耳に聞こえてきた。どんどん大きくなるその音に、なんだか足がすくみそうになる。

 けれど、結局。私は、流されるままに中へと足を踏み入れた。



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