あなたの嘘と壊れたもの

仔月

あなたの嘘と壊れたもの





アーケード街に、ローファーの音が不規則に響く。一人ではない、二人ぶんの足音。時刻は2時。昼間には大勢の人で賑わっていた。だが、今や、人の気配はない。わたしたちを除いて。好都合だ。これから、わたしたちがすることを思えば


「ねえ、透。本当に、こんなところにいるの……?」

「いるはずよ。あれは人の情念が集積したもの。大勢の人が集まる場所に現れるはずよ。きっと。」


そう、わたしたちには目的がある。それは、人の情念が集積したもの、怨を打ち倒すこと。怨をそのままにしておくと、大勢の人に危害をもたらしうる。何せ、情念の集積物だ。そんなものに接触されてしまうと、普通のひとの精神には負荷がかかる。そして、負荷が限界に達したとき、そのひとの精神は崩壊し、周囲の人々に危害を加え始める。まるで、怨のように……言うなれば、怨とはウイルスのようなものだ。怨は独力で増えることはできない。だから、人間を利用する。人間の精神に負荷をかけ、その精神を破壊し、周囲の人々への危害を加えさせる。そして、そのことをきっかけに、人々の情念は増大していき、それを糧に怨が生まれる。悪循環だ。そのため、それを堰き止めるもの、ウイルスへの抗体をもつものが必要となる。それが私たちだ。


「さ、おしゃべりは終わりよ。明、いつものように後方支援を頼むわね。」

「うん。分かった……透も気を付けて」


眼前には、闇が広がっている。そのなかから、「黒々としたもの」が現れる。怨だ。それは、直径1メートルほどの浮遊する球体に見える、だが、その表面には髪の毛のようなものが乱雑に巻き付けられており、髪の毛のあいだにはいくつもの鮮やかな色が。そう、唇だ。人々の情念をうけて、それらは呪詛をつむぐ。まるで、その姿は、蠢く幼虫のようで……


「気持ち悪い……」

独り言つ。何度見ても、この気味の悪さに慣れることはできそうもない。それでも、わたしたちがやるしかないのだ。


一挙に終わらせるべく、わたしは距離を詰めようとする。彼我の距離は10メートルほど。距離をつめてしまえば、こっちのものだ。そのとき、怨が不自然な挙動をする。髪の毛が蠢いている。その姿は、今にも爆発しそうで……


マズイ。そう思ったときには手遅れだった。怨が体表の髪の毛をしならせ、鞭のように振り回してくる。横なぎの攻撃、それを回避すべく、わたしは身体を伏せる。だが、反応の遅れが致命的だった。鋭利な風が通り抜け、生温かいものが頬を伝う。まさか、怨が物理的な干渉方法を獲得するだなんて……いや、考えてみれば、妥当なことかもしれない。怨はウイルスのようなものだ。そして、ウイルスは進化する。だから、怨が変化していくことも十分に考えられることだ。わたしの考えが甘かった……


「透!大丈夫!?」

後方の明が声をかけてくる。そうだ、後方には明がいる。明は怨を攻撃するための術をもたない。わたしが何とかしなければ……


だが、髪の毛の鞭をどうするか、あれのせいで近づくこともままならない。そして、わたしの能力は至近距離でのみ効力を発揮する。そのとき、一つの考えが思い浮かぶ。そうだ、発想を変えればいい。


怨が体表の髪の毛をしならせる。そして、こちらにむかって、それを大きく振り回す。前へ踏み出す。そう、躱すという発想が間違いだった。わたしの能力は至近距離でのみ効力を発揮する。それは対象に触れていることが条件だからだ。では、対象とは何か。それは怨だ。そして、体表の髪の毛は怨の「一部」である。つまり……


「こうすれば……いいんだよね!」

鞭のようにしなるものが迫りくる。それに向かって、わたしは手を伸ばす。刹那、硝子が砕けるような音がした。それに伴い、耳をつんざくような悲鳴がきこえてくる。断末魔。どうやら、わたしは賭けに勝ったらしい。そう、体表の髪の毛も怨の「一部」である。それならば、それに触れることができれば、わたしの能力、怨を破壊する能力が発揮される。


「ヒヤッとしたよ。ちょっとだけね」

怨に歩み寄る。まだ、息があるらしい。従来の個体とは異なり、しぶといらしい。あるいは、触れた場所が身体の一部であったからなのだろうか。どちらにしても、やることは決まっている。

「じゃあね、バイバイ」

右手を振り下ろす。絡み合っていたものが解けるように、空へと消えていった。



「透!大丈夫?」

明が駆け寄ってくる。不安げな表情をしている。どうやら、心配をかけてしまったようだ。

「大丈夫だよ。こんなもの、かすり傷だから」

「そう……それならば、いいけど……でも……」

と返すも、どうにも歯切れが悪い。どちらかと言えば、明は温厚な性格だ。だから、血を見ることになれていないのかもしれない。

「それより、怨が物理的な干渉方法を獲得するだなんて、驚いたよ~」

「え……」

明の表情が変わる。驚き……いや、当惑しているのだろうか。それもそうだろう。まさか、怨が物理的な干渉方法を獲得するとは、わたしも予想していなかった。

「そう……なんだ……」

「そうだよ~ それは置いておいて、帰ろっか。もう、このあたりに怨はいないみたいだし」

時刻は二時、草木も眠る丑三つ時。人知れず、怨を打ち倒す。それがわたしたちの「日常」だ。





「じゃあ、このあたりで……お大事に」

「うん、またね。」

そう言い終えると、明は隣の家に入っていく。そう、わたしたちは幼馴染だ。幼いころ、わたしはこの能力を発現し、この世界には怨という存在がいることをしった。わたしは、酷く当惑した。当然だ。そんなものがいるだなんて、想像したこともなかったのだから。世界は怨に浸食されていて、わたしだけがそのことに気付いている。孤独だった。そんなとき、明が声をかけてくれた。きっと、そのときのわたしは相当にまいっていたのだろう。でも、明は真剣に話を聞いてくれた。こんな荒唐無稽な話を……今でも覚えている。あのとき、明が言ってくれたことを、あの一言にわたしは救われたのだ。


「実はね。わたしにも見えるんだ。だから、不安に思うことはないよ。」

そう、言ってくれた。もはや、わたしは孤独ではなかった。それ以来、明とは行動をともにしている。


父と母を起こさないように、家のなかへ入る。自室へ向かうべく、廊下を進んでいくと、あることに気が付く。リビングに明かりがついている。もう、三時にもなるのに、まだ起きているのだろうか。わたしが言えたことではないけれど……リビングの扉をそっと開け、中を覗く。話し声が聞こえてくる。父と母だ。何の話をしているのだろうか?


「……大体……お前が……いっそ、病院に……」

「あなたこそ……仕事に……それに、いまさら……明ちゃん

にも……」


明?明の話をしているのだろうか。だが、穏やかではない雰囲気だ。怨との戦闘を通して、身体には疲労が蓄積している。一刻も早く、ベッドに倒れ込みたい。二人が何を話しているかは気になるが、リビングの扉をそっと閉め、その場を去る。


自室の扉を開ける。やっと、帰ってこれた。たった一晩の出来事なのに、とても長い時間を過ごしたような気がする。怨の変化、父と母の会話、さまざまなことがあって、疲れてしまったのだろう。ベッドに倒れ込み、意識を手放そうとする。そのとき、スマホのアラームが鳴った。こんな時間に?誰だろう?こんな時間に連絡をよこしてくることを厭わしく思いながらも、連絡の内容を確認する。明からだ。メールボックスを開き、件のメールの内容を確認する。


「明日、大事な話があるの。放課後、近くの公園に来てもらえる?」


大事な話?何だろうか。いずれにしても、明からの誘いを無下にするわけにはいかない。


「いいよ~」


スマホの電源を落とす。明からの話、それが何かは気になる。けれど、今はこの気怠さに身をまかせたい。





公園が見えてくる。砂場、滑り台、鉄棒、それらのものがギュッと押し込まれた小さな公園。懐かしさがこみ上げてくる。小さいころ、明とよく遊んでいたところだ。


公園に入ると、明がベンチに座っていた。その姿を見て、わたしは駆け寄る。


「ごめん!待たせちゃった?」

「ううん、大丈夫だよ……」


明の表情は沈んでいる。その表情がこれからの話題の深刻さを物語っているようで……


「それで、話って?」

「うん……それはね。わたしたちに関わることなの」


わたしたちに?とすると、怨の話だろうか。


「単刀直入に言うね。透、わたしはね。ずっと嘘をついていたの。はじまりは些細な嘘だったかもしれない。それがこんなことになるなんて……」


小さな嗚咽。突然のことに、わたしは当惑する。嘘……?そんなものがあったというのだろうか?


「どういうこと?明が嘘をついたことなんてなかったと思うよ」

「ううん、あるの……透。本当はね。怨なんてものはいないんだよ」


瞬間、世界が暗転しそうになる。明が何を言っているかを理解できない。怨がいない?そんなはずはない。今、わたしの頬には切り傷がある。昨夜、怨につけられたもの。これが動かぬ証拠だ。


「その頬の傷、透がつけたんだよ。最初、わたしも驚いた……なにもないところで、地面に伏せたかと思えば、自分で自分の頬を切り裂き始めるから……」


透の言っていることが信じられなかった。そんな……それでは、わたしが今までにしてきたことは何だったのか。


「本当にごめんなさい。わたしがあんな嘘をついてしまったから、わたしも見えるなんて言ってしまったから……!」


明は崩れ落ちる。その背中からは黒い瘴気のようなものが立ち上がっている。黒い瘴気……?そうか。合点がいった。明は怨の攻撃を受けていたのだ。だから、わたしたちの関係を傷付けるようなことを


「待ってね。明、今助けてあげるから」


右手を振りかざす。が、透に触れるか触れないかのところで、右手が動かなくなる。まるで、石膏で固められたかのように。


「どうして……?どうして、動かないの。今、力を使えなくて、いつ使うのよ……!」

「透、本当はね。力なんてものもないんだよ……」


気が付いたら、わたしは走りだしていた。とにかく、この場を離れたかった。遠くへ、もっと遠くへ。がむしゃらに足を動かす。


扉を開け、自室にかけこむ。乱れた呼吸を落ち着ける。一体、何なのだ。怨がいない?能力なんてものは存在しない。そんなこと、とても信じられない。それに、わたしの世界を肯定してくれたのは明だった。その明がわたしの世界を否定する。そんなことがあるのだろうか?


やはり、明は怨の攻撃を受けているのだ。そうに違いない。ならば、わたしが立証しよう。怨がいることを、そして、この能力が偽りではないことを。そう決心し、わたしは街中へと繰り出す。時刻は16時。丑三つ時にはほど遠い。



いた。怨だ。アーケード街の通りの中央、大勢の人が行き交うなか、黒色の球体が浮かんでいる。どうやら、まだ活性化はしていないようだ。今まで、明のアドバイスを受けて、怨を打ち倒すのは深夜に限定していたが、これからは活動の幅を広げるべきかもしれない。


そのとき、怨が奇妙な動きを見せる。体表の髪の毛は蠢き、髪の毛の隙間の唇が呪詛を紡ぎ始める。マズイ、活性化しつつある。そのとき、若い男性がその傍を通り過ぎようとする。


「あなた、そこをどきなさい!」

怨が髪の毛をしならせる。このままでは間に合わない。男性と怨のあいだに身体をもぐりこませる。瞬間、鈍い痛みが走る。


「いますぐ、ここを立ち去りなさい。死にたいの!?」

ぼんやりとした表情。どうやら、状況を呑み込めていないようだ。無理もない。力なきものが怨を視認することはできない。きっと、攻撃を食らいそうになっていたことに気付いてすらいないだろう。


怨に向き直る。このままでは、周囲に危害を及ぼしかねない。


「……ええ、そのアーケード街で合っています!不審な少女が暴れていて……早く来てください」

傍らをみると、さきほどの男性が電話をかけていた。すがりつくように、スマホを握りしめている。一体、どうしたというのだろう?

「あなた、何をしているの?」

「ヒッ、近寄るな!あんた、いきなり現れてきて、何なんだよ?」

「きっと、あなたには分からないわ。それより、ここを立ち去りなさい。危ないわ」

「危ないのはアンタのほうだよ。まったく、どうかしてるよ……」

辺りを見渡す。男性だけではない。大勢の人々が奇妙なものを見るような視線を向けている。その視線は、怨にではなく、わたしに向けられていた。


そう、そうだったのか。明の言っていたことは正しいのかもしれない。どちらにせよ、わたしが世界からずれていことに変わりはなかったのだ。わたしの「妄想」を一つのセカイにしてくれたのは明だった。今さらながら、そのことに気付かされた。アーケード街のウインドウに、わたしの姿が反射する。その身体からは黒いもやが溢れ始めていた。壊れているのは、わたしか、セカイか。どうだっていい。こんなところに用はないのだから。そして、わたしは右手をふりおろす。全てを終わらせるために

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