今流行の異世界転生に遭った男の話

風呂

パート0:カミサマっぽい何かとの対話

「下に見えるのが、お主がいた世界。上に見えるのが、お主がこれから転生する世界じゃ」

 男は宙に浮いていた。所謂衛星軌道上と言われるような高さに、だ。

 言われて足元に視線を下ろせば、足元にはテレビで見たような地球の地表が広がっていた。大気を流れる雲の隙間から見える大地は、確かに今までに習ってきた大陸の形をしている。

 続けて空を見上げるように上を向く。そこには見た事のない大陸が大海に浮かぶ、知らない惑星が浮かんでいた。それどころか、島レベルの大きな塊が浮かんでいるのすら見える。

 男の話だ。

 男はごく平凡な人生を歩んでいた。

 学生時代は、成績はそんなに良くなかったものの、親に顔向けできないような悪さもせず、なんとか大学まで卒業。

 その後は地元の小さな会社に就職し、時間の空いた時や休日は本を読んだり好きな映画を見たりするのが趣味な、可もなく不可もない社会人生活を送っていた、ただの凡人である。

「いやあ、アンタがあそこで自分の命を顧みず、子供を助けるとは思わなくてさあ。お陰でこっちの予定が狂っちゃったのなんの」

「…………」

 それが今や、どこかで見たことがあるような状況である。

 ……これは所謂、やっぱりアレなのだろうか?

「うん? どうしたんだい? 大丈夫だと思ったけど、もしかして死亡時のショックで魂に不調でもあったのかい?」

 ともあれまず目の前の存在である。

 先ほどからこちらに話しかけてくる存在は、口調が全然安定していないが、全て同じ口から出た言葉である。

 見た傍から姿かたちが変わり、それに合わせて口調も変化しているのだ。

 いや、物理的に変わっているのではない。この存在を認識した時の印象が、固まらないと言った方が正しいのか。

 老若男女、人種、色、声、雰囲気。何もかもが一瞬前と一致しない。人智では計り知れないものを認識しようとしているが為に、曖昧にしか映らない存在。

 そんな『彼』がこちらを覗き込んでくる。

「ハン! どォやら魂に傷とかはないみてェだな。俺にビビってダンマリ決め込んでるだけかァ?」

 ……はっきり言って恐怖しかないんだけど。

 男は生まれてこの方、超常現象の類に遭遇したことがない。実際にあるのかないのかさえ分からなかった。死後の事とはいえ、初めてこんな訳の分からない存在に出会ったのでどう対処していいか分からなかった。

 むしろ死んで初めてオカルトは本当にあったのだなと、変な納得があったくらいだった。

 現在進行形で幽霊みたいな存在としてこの場にいる男は、慣れないものは慣れないのだから仕方がない、とも思うのであった。

 とはいえ、そろそろ此方からも喋らないと何されるか分からないので、男はなけなしの根性を入れて、言葉を絞り出した。

「……あの、やっぱり自分、死んだんですか?」

「あ! やっと喋ってくれましたね。そうですよ。あなたは先程、車に撥ねられそうになった子供を助ける為に道路に飛び出し、代わりに撥ねられて死んでしまったんですよ」

 ……ああ、やっぱり。記憶に間違いはなかったか。

 休日に買い物に出かけて公園の傍を通りかかったところ、ボールを追いかけて三歳くらいの子供が道路に飛び出したのだ。

 そして運悪くそこにスピードを出した車が迫ってきていた。

 母親らしき女性の悲鳴で気付いた。

 反射的に身体が動き、あとはお決まりのコースである。

「あの子供は無事だったんで?」

「うむ。かすり傷は負ったがそれくらいでピンピンしておるな」

「そりゃ良かった」

 男は助けた子供が無事ならそれで良いか、と納得した。元より自分の命にはそんなに頓着しない性分だったのだ。

「良い訳じゃなんだけどね?」

「?」

「予想外の事をされると、色々と面倒なのさ。まあ致命的という訳でもないから構わないと言えば構わないのだが」

「なんか、すみません?」

 『彼』は何でもないという風に肩をすくめることで、返事とした。

 男は少し気になったので尋ねてみると、世界のバランスがどうとか、運命力がどうとか言っていたので、せいぜいダイスの目が悪かった程度の事なんだろうと思うことにした。

「それで、だ。そろそろ向こうの世界に行ってほしいんだけど?」

 と、天上の世界を指さしながら『彼』は言う。どうやら、男が向こうの世界に転生することは世界のバランス取りの為にも必要なことらしい。

「あ、はい。分かりました。じゃあお願いします」

「……サッパリしてるね。もうちょっとこう、何かないの?」

「はあ、あまり気にしても仕方ないですし。ええっと、あなたは神様みたいなものなんですよね? そんな人が抱えている問題を自分がどうこうできる訳ないですし」

「なんだかなぁ。覇気がねえな、覇気が。そんなんじゃ向こうの世界で生きていけねえぞ」

「よく言われます」

 ……言われてました、か。この場合。もう死んでるし。生前に出会った人々にはもう二度と会えない訳だし。

 と思ったところである事に思い至った。

「あの、ちょっとお願いがあるんですが」

「お、キタ? キちゃった? キタコレって感じの流れか!? そうだよそろそろ聞いてくるんじゃないかと思ってたんだ」

 男は『彼』が妙にハイテンションになったのを訝しむ。

 ……まさか『彼』も異世界転生系の小説を読んだりしているのだろうか?

 気にしてはいけない気がした。

「いえ、何分突然死んだものだから、きっと親が悲しむので何か配慮して頂けたらなと。あまり気に病まないでほしいので」

「……はい?」

「一応ここまで育ててもらった恩があるので。最後の親孝行と思ったんですが、駄目ですかね?」

「ううん。お兄ちゃんは優しい人なんだねっ!」

 優しくはない、と男は思った。

 確かに家族とはそこそこの付き合いはしていたと思う。だが、仲睦まじい程だったかと言われると、自分からは決してそうは言えないと、男は自己分析していた。

 家族は自分の事をどう思っていたかは知らないが、例えるなら、友人知人ではあるが、親友と呼ぶには何か足りない関係、みたいなものと言わざるを得なかった。

 血の繋がった者にさえこうだったのだから、他人相手ならさもありなん、といった人生だった。ましてや恋人など一度もできた試しがない。

「いえ、不器用なりに恩を返したい、というのとただの自己満足です。自分との最後の感情が悲しみで終わるには、育ててもらった者としてはあまりにも後ろめたいので。それにどうにかできるなら、後腐れなく次の世界に行きたいもので」

「難儀な性格をしているな。……あい分かった。残された者の心には悲しまないよう、少しだけ精神誘導をかけるが、良いな?」

 戦国時代の武将のような雰囲気で『彼』はそう約束してくれた。

「はい、お願いします」

 男は満足げにそう言った。

 そしてまた『彼』が印象を変えつつ、男に尋ねた。

「で? どうするのよ。まだ望みを聞いていないのだけれど?」

「え? 今のが望みなんですが?」

「今のは今までの事についてですよね? 私が聞きたいのはこれからの事ですよ。転生するにあたって、無茶でなければ一つだけ、願いを聞いてあげますよ」

「ああ、そういう事ですか」

「但し、元の世界での願いを聞いたので、叶えてやれる範囲が少し狭まってしまっているからそこは注意じゃな。まあ可否は言ってやるからの。まずは言うてみるのじゃ。あ、行先の世界は、創作物でよくあるファンタジー世界と思ってくれていいからの。記憶や意識の引継ぎは、特例の転生という事で割と残すほうじゃぞ。普通は全部リセットじゃが」

 ……読書好きか? あとしれっと遠回しに輪廻転生があると言わなかったか?

「それじゃあ……」

 男は少しの間、視線を宙に漂わせ、そして口にした。

「じゃあ、健康な身体で」

「――、何それ?」

 あ、これ素で言っているな、と割と鈍感だと自分でも分かっている男は、それでも間違うことなく理解した。

「小さい頃は、季節の変わり目でよく風邪をひいていたもので。大きくなってからも特に運動に秀でていたわけでもなかったので」

「理由は分かったけど、面白味が全っ然、足りねえなあ。良いのかそんなんで。金持ちの家に生んでくれとか、強大な力をくれとか、ハーレムにしてくれとか、そういうのはねえのかよ?」

「分不相応だと思うんですよね、そういうの。ま、欲しくなったら要努力、ということで」

「……もう何言うまいよ。それじゃそろそろ行くかい?」

「はい、お願いします」

 

 

 こうして、特に変わった人生を送らなかった男は、平々凡々なままに異世界に転生した。

 しかし、異世界の方が男を平凡なままにいさせてくれるかどうかは、別の話である。

 でなければ、物語という名の人生は、面白味がないのだから。

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