大学時代の私-入学から休学まで-


高校を卒業した私は、アルバイトを始め、大学入学の説明会や履修科目の登録、試験などで大変バタバタしていたと思います。

始めたアルバイトは、飲食店だったのですがなかなか慣れることが出来ず行くことが憂鬱になっていましたがなんとか行っていました。

当時の店長やバイトメンバーは良い人が多く、すぐに落ち込んでしまったり泣いてしまう私をフォローしてくれていました。

オーナーは厳しい人で有名でしたが、なんとか皆との関係は上手く築けていたと思います。


そしていよいよ入学式を迎えました。

不安でいっぱいでしたし、ですが楽しみもあり、楽しい大学生活を送りたいと思っていました。

全体的に、所謂いいとこ育ちの所の子が多く、大丈夫かなぁという気持ちはありましたが、必修のクラスはなんとか馴染めるように積極的にクラスの子たちと話していたり授業中も一番前でしたし、なんとか話をしていました。

なんとなく、最初から「あまり話が合わないかも」という気持ちはありましたが、1年間同じクラスなので馴染むのに必死でした。

必修の授業に関わらず選択授業や教職も自分なりに行き、選択授業でも発表をすることもありました。

サークルに入ろうと思っていたのですが、実際体験に行ってみても同級生はもちろん上級生ともなんだか違うなぁと思っている自分がいて、アルバイトをしないと日常生活に支障が出るのでサークルを入ることは辞め、アルバイトと学業を選びました。

正直、めちゃくちゃ話が合う訳ではありませんでしたし、楽しい!と感じることはあまりありませんでしたが、とりあえず最初だからこんな感じだろうと考えていましたし、周りの子たちも悪い子ではなかったですし、たくさん話してくれるので学校には行っていました。


ですが不慣れなアルバイトが週5日は入っていましたし終わりは0時頃、その後に学校の課題があったので睡眠時間は4、5時間程度でした。

ただ、高校時代の辛さがあったので今の大学生活は幸せだと感じていました。

クラスの飲み会やお昼もクラスの子と食べ、アルバイトも少しずつ慣れてきてバイトリーダーになり、時給も上がり、休日は地元の友達と遊んだり。

ほとんど家にいなかったように思います。

いい意味で忙しくしていました。

前期テストも、クラス最高点を取れたり、他の履修科目もきちんと単位を取れました。

ただ、どこか辛かったり相変わらず気分の差は激しく、部活のことを思い出したりして、しんどい時期はありました。

そこで逃げるように再びまたタバコを吸い始めてしまいました。


夏休みは飲み会やアルバイト、遊びで楽しく過ごし、秋学期を迎え、途端に何故か学校やアルバイトが辛くなってきてしまいました。

何が原因なのかは分かりません。

夏休み明けですし、自分がだらけているのかなと思っていました。

なんとか授業には出ないと、と考え、授業には出ますがなんとなく集中出来なかったり友達と会うのが辛くなってきていました。

アルバイトもあれだけほぼ毎日入っていたのに、なんだか行くのもしんどくなり、ミスも増えていったり店長が変わったのでそこからもアルバイトの人間関係も悪化していきました。

しんどくなってしまった学校と怒鳴り声を上げている店でのアルバイト、そして課題で、なんだか疲れてきたな、と考えていました。

「バイトリーダーなんだから」と、店長やオーナーに叱られ、バタバタと忙しく客層もあまり良くはなく、泣くことも増え、すぐにアルバイトを辞めていってしまう人もたくさんいました。

ですがやっと教師への道が拓けたのでなんとか行っていましたが、徐々に友達と話すのも授業に出るのも教職も辛くなり、必修では一番前だったのが後ろの方の席に座っていました。


そういった低空飛行の状態から転がり落ちるのは早かったです。

これといった原因は分かりませんが、恐らく忙しさや不慣れなことが続いたことかもしれません。

なんだかいつもの癖だなと思っていましたが、必修の授業は同じメンバーと授業をするので、だんだんしんどい、辛い、授業に出たくないと思い始めました。

選択授業はクラス関係ないので、出れていましたが、アルバイトの疲れや早起きで授業中に寝ていました。

広い教室ですし学年も関係ないので何も言われませんが、当然授業も着いて行けなくなりました。

教職は全く出れなくなりました。

行かなきゃ、と思いながら発言が必須な教職の授業は当時の私には負担でした。

出席日数は点数には加算されないので結局テストも受けれず。

必修は行ったり行かなかったり。

腹痛にも悩まされ、行く前は憂鬱感でいっぱいになり泣いたりしていました。

そんな私の気分の差が気に食わなかったのか、だんだんと友達と話さなくなりました。

お昼ご飯も女の子とは食べれなくなり、当時仲良くしてくれた男友達と食べていました。

アルバイトも欠勤が増え、行ってもミス。

お客さんからはクレーム、店長たちの態度の急変、メニューが変わり、ぼーっとしてしまうことも増えました。

新しく入ってきた人がしっかりしていたのでバイトリーダーは降格、時給も一気に減りました。

大泣きしたこともあり、もう帰りなさいと言われていました。


冬に必修の授業になんとか出た日に泣いてしまい、「また泣いてるよ」とうっとうしい顔で言われ、それ以来一切必修の授業には出ず、テストも受けれず。

ある必修の授業の先生にしんどいことを話すと、課題を渡され、膨大な課題をしてなんとかその必修は単位を頂けました。

他の必修科目はテストも受けていない、授業に出ていない。

必修はもちろん選択授業もいくつか落としました。


死にたい、と再び思うようになり、学校に行っても授業には出ず、図書館で過ごし、選択授業にたまに出る程度でした。

教師になりたいのに教職の授業に出ていない自分に腹立たしい思いでした。

でも出れない。


泣いたり死にたいがひどくなり、授業に出れないしアルバイトもあまり入っていなかったのでとうとう病院に行くように勧められました。

バイト代で免許を取ろうと思っていたお金でしたが、自分も、「これはさすがにおかしい」と思い、病院に行きました。

正直行ったことがない心療内科に行くのは抵抗がありましたが、自分の異変は通常のものではありませんでした。

調子に波があることを伝えなかった為か、最初は鬱病と診断されました。

抗鬱剤と抗不安薬が処方されました。


薬を飲み、寝てみると夜中に尋常じゃない吐き気、目眩、熱がありました。

体がしんどくて眠れない。

吐きそうだけど吐けない。

初めての精神薬は体が拒否反応を示していたのかもしれません。

ですが薬を飲んでも良くならず、学校には行くけれど授業は出ない。

再びリストカットは再発。

高校生の頃よりだんだん傷の深さも本数も回数もひどくなっていきました。

アルバイトはお金の為にたまに行っていましたが一切相手にされず。

薬の副作用でミスも余計に増え、泣いてしまい。

結局、辞めてしまいました。

学校は、一応は2回生に上がれたのですが、やっと親に鬱病だと言われたと言ったときには単位は落としまくり、親と病院に行った時に親は不信感があったらしく、違う心療内科に転院した頃にはかなり状態も悪く、休学を余儀なくされました。

休学届を出し、療養生活が始まりました。



ここまでが大学入学から休学までの執筆です。

こちらも少し端的ですが、読んでくださりありがとうございます。




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