第3話 病名宣告の話

あっと言う間に病気が悪化して意識もなくしてしまったから、ママはまだ、自分の病名を知らないかもしれないね。なので、今日はその話をしようと思います。


ママは、プリオン病――孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病と診断されていました。

百万人にひとりの確率で発症するかしないかの、世界的にも珍しい病気です。

珍しすぎて、原因もわからないし治療法もわからない。

クロイツフェルト・ヤコブ病にも何パターンかあり、孤発性というのは本当に詳細不明、原因不明。わかっているのは、確実に死に向かっていることだけ。


プリオン病と言っても耳馴染みがないし、どんな病気かわからないでしょう。

でも、ずっと前にニュースで話題になった狂牛病のことは少し覚えていませんか?

牛の脳がスポンジ状になって、あっと言う間に弱って死んでしまう病気。

ママの病気は、狂牛病の人間版とでも言うような、想像を絶するものでした。


人間は、脳が機能しないと生きていけない。

脳が正常に働いているからこそ呼吸ができるし、指一本動かすにも脳が必要。

生命を維持するためのありとあらゆる現象を指示しているのが脳だから、その脳がかすかすのスポンジ状になったとしたら――。


家にいるころ、最初に現れた目に見える症状は認知症状だったから、若年性認知症ではないかと診断されました。多発性の脳梗塞も、CTスキャンで見つかりました。

偏頭痛がひどいと言って寝込むことがあったころ、ママの脳の中ではすでに異変が始まっていたのかもしれません。

でも、誰もそれに気づけなかった。

ママがあんな病気に罹るなんて、誰も想像できなかった。


あまりに認知症状が速く進むので、私たちもお医者さんもおかしいと思い始めて。

胆のう炎になったので入院したのが引き金になったみたいに、どんどん病状が悪化していきました。

床ずれができて、その手術のために転院した先で、ベッドが壊れるかと思うくらいの痙攣を起こしました。痙攣を起こしたのは、あれが初めてでしたね。

身体が、釣ったばかりのエビみたいに大きく跳ねて、それが数分から数十分続くのです。

あのときの様子は、今でも思い出すだけで体が震えてきます。


人間の身体が、あんな風に跳ねるのを見るのは初めてでした。

目は見開いて乾いて意志がまるでないように見えるし、返事なんてできるはずもない。

発作が起きるのは、夜が多かったように思います。

慌ててナースコールを押して、当直の先生方が飛んできて、瞳孔のチェック。酸素マスク。

慌ただしく心電図が装着され、ママの顔色は白く強張って、苦しそう。とても苦しそう。

私たちは邪魔にならないよう隅に寄って、ただただひたすら、死なないでと祈り続ける数時間。

容態が急変したから、家族を今すぐ、できるだけたくさん呼んであげたほうがいい――お医者さんの言い方は優しかったけれど、それが危篤状態を示す言葉であることも、わかっていました。

あの痙攣の発作は何度か起き、そのたびにママは喋れなくなり、動けなくなり、返事ができなくなっていきました。


一番病気の進行が早い時期で、正直、あのころのことは私はあまり覚えていません。ママをこんなにも苦しめる病名がはっきりとわからず、毎日必死過ぎました。

ママの様子がおかしくなってきてからというもの、少しだけ日記代わりにメモを取っていたけれど、この時期はそれも途切れがちです。

私は、心底疲れていました。ママの良くなる様子がかけらも見えず、この先一体どうなるのかと不安で不安で、どうしたらいいのかわからなかった。


そんなとき、お医者さんから提案がありました。

もしかしたら、クロイツフェルト・ヤコブ病かもしれない。

診断するためには、髄液を採取して、専門の大学病院に検査してもらう必要がありました。その検査を受けた結果――


孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病。

回復の見込みはまったくなく、余命は恐らく三カ月もないだろうという、最悪の診断が下されたわけです。

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