青の絆

ぶらっくまる。

休日でも一緒

 休日に買い物を終えたアドルフは、当てもなくパリ市内をぶらついていた。


 セーヌ川に沿ってリブ・ドロワ側の大通りを歩き、ルーヴル美術館を過ぎた辺りで、四区のノートルダム大聖堂の方まで足を伸ばす。


 ゆったりとした川の流れに目を留め立ち止まると、遠くの方から耳慣れた音が聞こえてくる。


 アドルフが、徐に胸ポケットに手を入れ、取り出したタバコを咥えた。青の回転灯を点灯させてサイレンと共に走り行く車両を横目に火を着け、紫煙をくゆらせ独り言つ。


「今日も平和だ」


 お昼には少し早いが、散歩がてらセーヌ川を越え、リブ・ゴーシュ側の五区を目指す。ムフタール通り界隈には、色々な雑貨店や飲食店が立ち並び、昔ほどの活気はないが、落ち着いて食事するには最適だ。


 途中、サン・ルイ島名物のアイスクリーム屋に立ち寄り、ミントアイスを食べながら橋を渡る。


 住宅街を抜けると、学生街というだけあって、若い子たちが多かった。

 大声で話しながら迫る集団を、建物際に寄ってやり過ごし、歩みを開始して何の気なしに建物の角を左に曲がる。


「うおっ!」


 衝撃で落ちたアイスが、土色の石畳を青白く染めるように散らばる。誰かにぶつかったのだ。


 が、彼はそのまま走り去った。


 白いジャケットを着た男の左腕に視線を向け、「ん? アレは……」と思いながらも、見逃すことにした。


 直後、金切り声が聞こえた。


「どいてぇー、そこのおじさんどいてぇー!」


 軽い衝撃を受けると共にがしゃんと嫌な音が鳴った。


 女性が尻餅をついており、広げた足の合間からスカートの中身が丸見えだった。


 レースのような素材で明るいブルー。


 アドルフが、「眼福、眼福」と内心で呟きながら、手を差し伸べる。が、その手を直ぐに引っ込めた。


「す、すみませんっ。って、アレ?」

「アレ? じゃ、ねえよ。レリアは、相変わらずどんくせえな」

「あ、これは、モンテ警部!」


 慌てたように自ら立ち上がり、恥ずかしそうに頬を紅潮させている女性は、レリア・クレール警部補。乱れた黒髪は、フェアリーショートボブ。白いブラウスに、上品な青のベルベットスカート姿。


 パリ警視庁の刑事警察部門で警部をしているアドルフ・モンテのバディである。


 青が好きなのか? とアドルフは、どうでもいいことを考えてしまう。


「で、何してたんだ? 飯でも食いに来たのか?」


 レリアの家は、この付近だ。何度か送り届けたことがあるため間違いない。


「いえ、丁度帰り道で……ああー!」

「うるせえ! 一々喚くな」


 軽く頭をチョップする。


「だって……」

「ん?」


 レリアが恐る恐るといった様子でアドルフの胸元辺りを指さした。アドルフが俯き、視線を向けると、黒いシャツがミントアイスで汚れていた。


「ああ、これはレリアじゃ……」


 アドルフは、一先ず落としてしまった手提げ袋を拾い上げ、黙り込む。


 カチャリ――と残念な音に、レリアも息を呑んだ。


 手提げ袋から箱を取り出し、中身を確認する。案の定、カップとソーサーが割れていた。ブランド通りを外れたアンティークショップで一目惚れしたティーカップセット。


「はあ……」


 無遠慮なため息に、レリアが瞳に涙を滲ませながら、紙袋の中身を覗き込んだ。


「あ、あぁああー!」

「だから、喚くな!」

「痛い……」


 それもそうだろう。拳骨を落とされたのだから。


「って、違うんです。違うんですよぉー!」

「だから、何がだ。まったくわからねえよ」

「ひったくりです。ひったくりにあったんですぅー!」

「何? って、ことはさっきの奴か!」


 アドルフは、ぶつかった男を怪しんでいた。けれども、不用心な観光客のジャポネがやられただけだろうと見逃していた。


「まあ、諦めるこったな」

「そ、そうですよね……悔しいですぅ、悔しいですよぉー」


 言葉通り悔しそうに地団太を踏むレリア。これでキャリア組だから笑うに笑えない。バディを組んでから半年しか経っていないが、相性が良いのは確かだった。


 長年培った経験や知識を活用して捜査をするアドルフに対し、レリアは自分の嗅覚を頼りに捜査を行う。つまり、アドルフは、現場叩き上げで経験豊富。レリアは、経験こそないが直感力に優れているのだ。


 どうやら、レリアは、場の空気やにおいで犯人がわかるらしい。事実、アドルフの経験により絞り込んだ捜査範囲にレリアを連れて行くと、その日のうちに犯人の潜伏先を見つけたことがあったのだ。


 それはさておき、アドルフは、可哀そうなレリアに昼食を御馳走することにした。


「あ、では、こちらに」


 レリアについて行き、アドルフは来た道を戻る。五区の住宅街を抜け、サン・ルイ島にやって来た。


「ほーう、そういうことか」

「へへ、さすがは警部ですね。わかっちゃいましたか」

「当たり前だろうが」


 どうやら、レリアは諦めていなかったようだ。


 五区は、比較的安全でひったくりやスリが少ない場所である。ただ、学校の近くは学生が多くて人混みがある。そこを抜けると閑静な住宅街。そして、セーヌ川の右岸を渡ると観光地へと至り、再び人混みに紛れられる。


 機会は少ないが、逃げ易くて確実性が高い。


「アイスのにおいがします」

「ああ、そうだな……」


 アイスクリーム屋を通り過ぎながら、アドルフがおざなりな返事をした。


「そっちじゃありませんよ、警部」

「お、おう……」


 ◆◆◆◆ 


 三〇分経過したが、未だ犯人が見つからない。


「あの人も違った……近い、近いハズなんですが……」

「上下白の男を探しているのか?」


 まるで警察犬のように鼻をクンクンさせたレリアが、先程から同じ様な容貌の男ばかりを窺っていた。


「え? はい、そうですよ」

「だよな。ジャケットは白以外のダーク系。黒い靴が青白っぽく汚れている人物を探せ」


 レリアに詳しい事情を説明する。


 犯人らしき人物とレリアより先にぶつかっていたこと。

 アイスが飛び散っていたことから、犯人が蹴飛ばした可能性があること。

 ベルトと靴が黒だったことから、ダーク系のリバーシブルのジャケットを着ている可能性があること。


 それからは、あっという間だった。場所は、四区を抜けて一一区。もう少しで治安の悪い二〇区に差し掛かる辺り。本当にものの数分だったのだ。


 レリアには、毎度のように驚かされる。


 アドルフが提供した情報と己の嗅覚だけで、犯人を見つけたのだ。見事捕縛に成功し、奪われた物を奪還したのだった。


「やはり、モンテ警部は凄いですね!」

「こっちのセリフだ。俺は状況を説明しただけで、においなんかわからん」

「それです! それなんですよ! 警部の洞察力とわたしの鼻の両方があって成し遂げたことなんですから」


 何をいっちょ前にと、アドルフは鼻で笑ったが、その実、その通りだと感じていた。


「……で、取られた物は無事だったのか?」

「ええ、無事でした。ですから、はい。どうぞ受け取ってください」

「は? なんで俺なんだよ」

「これ、警部に渡すために買ったんです。プレゼントなんです」

「はぁ、何でまた……って、これは」


 箱を開けると、ついさっき割れた物と同じ青い花柄のティーカップセットが入っていたのだった。


「はい、警部の奥さん、今週末誕生日ですよね? 好きかと思って、こういうの」


(なんとも、まあ……不思議なこともあるもんだ)


 いずれ、ノンキャリアのアドルフは、追い越される。それでも、可能な限り、レリアとバディを組み続けたいとしみじみ思う。


 今まで何人もと組んできたが、これからもレリアほど相性の良い相手は現れないだろう。


 青の絆――信頼のバディだ。

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青の絆 ぶらっくまる。 @black-maru

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