炎の帝国(旧)

蛙鳴未明

序 炎鳥飛翔

「帝暦三百年五月六日 深夜、大宮城突如炎上す。炎瞬く間に天を衝き、大火となる。炎揺らめき歪み次第に鳥の形に変貌す。大炎鳥、炎の中より立ち上がり、天へ飛び立ち南西に去る。」

 ~炎帝国正史『大史』23巻~


 深夜である。月は無い。三百年の歴史を誇る帝都炎京は、闇の中に沈んでいる。ただ帝都の中央、大宮城だけが、かがり火に照らされてぼうっと浮かび上がっている。大宮城の十六の門を守る衛兵たちも、かがり火に照らされながらぼうっとしている。悲痛な悲鳴がどこかで響くこともなければ、火事を知らせる鐘が鳴ることもない。代わりに聞こえるのは犬猫の悲鳴ぐらいである。


 大宮城の壁上に掲げられた幾百の旗が、みな一様に風の吹く方に向かってはためいている。風が少し強くなった。旗の動きが激しくなる。風が更に強くなった。旗がバタバタ暴れ始める。特に、色あせた一本は暴れ方が激しい。右に左にバタバタ揺れる。それに合わせて旗竿がミシリミシリと音を立てる。バキっと木の折れる音がした。色あせた旗が根元から折れ、風に押されて城内に落ちた。


 突然風が止んだ。旗が一斉に動きを止め、うなだれる。そして次の瞬間――――ごうっ、という音とともに、火柱が天を衝いた。明るい光が帝都を染める。凄まじい突風が火柱に吹き込んだ。衛兵達が慌てて大宮城を仰ぎ、風にあおられながら口々に何やら叫ぶ。方々の家から人々が飛び出してきた。あっという間に大宮城は大量の群衆に囲まれた。人々が指差し目を見張り口を開けるその中心で、巨大な炎の柱が揺らめきうねりよじれながら天と地を繋いでいる。天も地も人も緋色に染まり、帝都は真昼のように明るい。それはもはや神話の世界だった。


 やがて、炎が次第に形を変え始めた。柱の真ん中と頭部が膨らんでいき、逆に下部は細くなっていく。頭部にくちばしのような突起が付き、真ん中は左右の翼を広げるように広がっていき、下部が二つに分かれて細くなる。最後に火柱が地に倒れこむと、翼を広げた巨大な炎の鳥が姿を現した。群衆は呆気にとられて、ただごうごうと吹く風になぶられるばかりだ。老婆が手を合わせて祈り始める。それを尻目に、炎の鳥はゆっくりと翼を動かし始める。熱風が人々を大宮城の周囲から追い散らす。

 炎の鳥はだんだんと上昇していき、炎京最高の建物「観天台」を見下ろして空中に静止した。その長い首を南西に向ける。翼を力強く振り下ろす。群衆がどよめいた。炎の巨鳥は闇を切り裂き、矢のような速さで遥か彼方に飛び去っていった。


 寸刻前 観天台


 観天台西側の窓に、一人の青年が張り付いていた。炎に赤く染まりながら熱心に炎の巨鳥を眺めている。巨鳥が上昇するにつれて、青年の首もだんだん仰向いていく。ついに巨鳥が観天台の高さを追い越し、青年の顔が真上を向いた。そこにあったのは巨鳥ではなく灰色の髭を蓄えた厳めしい顔だった。二人の目が合う。青年はへらっと笑った。


「あ、今晩は師匠」


 ゴツッという鈍い音。


「ロン!何をやっておるかっ!」


 ロンと呼ばれた青年が額を押さえて床に転がる。不満げな声をあげた。


「何するんですか師匠。あんなもの、滅多に見れないのに。」


 青年の声はどこかのんびりしている。


「あんなものなどどうでもいい。早くこっちに来い!大変なものが見えた。」


 老人が足早に東の窓に向かう。ロンはやれやれとその後に続いた。


「どうせ師匠の言う大変なものなんて、どこかで温泉が湧いたくらいのもんでしょう。」


「やかましい。全く……鳴り物入りの秀才の癖に星も見ずに余計なことばかり見おって。」


「『地を見ずして天解せず』と言いますよ。」


「うるさい!とにかくあれを見てみろ。」


 老人が四角く切り取られた東の空を指差した。ロンがへらへら笑いながらその先を見る。と、その顔が一気に険しくなった。


「帝王星が赤く染まっている……。」


 今までののんびりした調子とはうって変わって、鋭い口調だった。


「帝位が簒奪されたと、そういうことですか。」


 ロンが老人に向き直った。老人は深くうなずいた。


「世が、荒れるな。」


 二人は再び帝王星に目を向けた。赤く紅く染まったその星は、不吉な光を地に投げかけていた。

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