第三章 第一話

 目の前にある大きな木造の門を見上げて、ちようは目を丸くしていた。

 門には立派な武官が二人いて、眼光するどくこちらを見つめている。えんしずていを目指して、教えを授かると告げると、さっそく連れて来られたのがここだった。

「緋蝶様、ここはおうきよう殿でんと呼ばれています。代々のらいとうぐうが、けん達に教育を受けながら暮らしていた場です。古いですが、手入れは行き届いておりますので、ご安心を。今日からはここで暮らして頂きます。準備は整っておりますので」

 門の奥には、れいに整えられた庭と、立派な建物がうかがえた。

(こんな貴族様のていたくのような立派なところに住むのよね。身のたけに合わなくて、ねむれなさそうだわ。どうしよう。やっぱり帰りたい……!)

 本音だが口にはできなかった。一度決めた以上は何があってもやりげる。それが信条だ。

 一度荷物を取りに帰りたかったが、苑紫に竜神の顔を見た以上、雫花帝の許可なしに外に出る事は許されないと言われた。東雲しののめがあとで、荷物を持って来てもらうよう父親にたのむと言ってくれたので、仕方なく帰るのはあきらめた。苑紫がこちらに向き直る。

「緋蝶様、女帝候補と花賢師は、教育中は雫花帝の許可なく、桜教殿からは出られません。これは教育に集中するとともに、女帝候補と花賢師の身を守る為でもあります。もちろん、外から来る者達も、雫花帝の許可がないとここには入れません」

 苑紫の言葉にうろたえた。正直に言うとまだ混乱しているし、桜教殿から簡単に出られないと聞いて足がすくんでいる。じ気づいている様子をさとったのか東雲が優しく背に手を当てた。

「緋蝶。お兄さんの居場所をき止めるんでしょう。……だいじよう、私がついていますから」

 ささやく声にはっとした。見つめると、東雲がそっと笑う。

あわただしくここまで来てしまったけど、やるからには、全力をくそう。まずは教えを授かって、竜神様に花蕾東宮として認めてもらわなければ。この国に雨を降らせて、なおかつわたしが生きる為には、それしか道はないんだし。それに、兄さんの居場所は絶対に知りたい)

 竜神はつかみ所がない感じはするが、約束は守る方だと東雲は言っていた。

 いまはその言葉を信じるしかない。顔を上げて、大きく息を吸い込む。

「行きます」

 声を上げると、苑紫が小さく頷いた。

「では、どうぞ」

 門をくぐると、そこは緑あふれる中庭だった。苑紫が歩きながら、顔をこちらに向ける。

「奥の建物が桜教殿です。そこで教育を受けて頂きますが、その前に一つ伝える事があります。正確には一月後のしきが終わるまで、緋蝶様はまだ皇族とは認められません」

 東雲がまゆを寄せた。

「どういう事ですか?」

 苑紫が東雲に向き直った。

「これは東雲にも知っておいてほしい事だが、一月後に行われるのは、花蕾東宮として竜神様に認めて頂く儀式だ。そこで招かれた貴族達が緋蝶様に質問をする。それに答えられなければ、雫花帝としての資質はないと判断すると竜神様が仰っているそうだ」

「それって、儀式で花蕾東宮と認められなかったら、命はないって事ですよね」

 皇族と認められないなら、しよみんが竜神の姿を見た事になり、それはしよけいされるほどの不敬にあたる。苑紫がこちらを向いて重々しい表情でうなずいた。

「はっきり言うとそうです。そして緋蝶様が花蕾東宮として認められなければ、ぎのひめはいなくなります。それはつまり、こくが竜神様の守護を受けられなくなるという事です」

 やまぶきの言葉を思い出す。竜神の守護がなければ、この国は遠からず滅ぶと言っていた。

「責任があまりに重くて、押しつぶされそうです……」

 自分のかたにこの国の未来がかかっていると言っても、過言ではないだろう。

 改めてそう考えると、ふるえが走って思わず立ち止まる。となりにいた苑紫も足を止めた。

「その責任をいつしよに背負うのが私達花賢師です。ここには緋蝶様を教育するために選ばれた五人の花賢師達がいます。全員で緋蝶様が儀式で竜神様に認められるようお手伝いをします。しかしわれわれしかできません。あなたが弱気になってしまっては、どうにもならないのです」

 厳しい言葉だったが、不安にられた心をさぶり起こすのには、十分だった。

「……そうですね。わたしが不安がっていたら、どんなにみなさんががんって教えてくださっても、きっと儀式はうまくいかない。絶対にうまくいくとわたしが信じなければ」

 苑紫が、わずかに口角を上げて頷いた。

「その意気です。我々にできる事なら何でもしますので。あとは緋蝶様がどれだけやる気を起こされるかです。頑張ってください」

 苑紫は厳しいが、まじめで噓がつけない人のようだ。

(こういう人は信頼できる気がするわ。厳しいけど、その人の為になる事をあえて口にするんだから。つうだったらきらわれたくないとか、いろいろ考えてえんりよしてしまうのに)

「わかりました。……あの、一つだけお願いがあります。いまの話だと、わたしはまだ皇族ではありません。ですからわたしの事は緋蝶と呼び捨てになさってください。あと、わたしには敬語を使われなくても大丈夫です」

 苑紫が困ったような表情になった。

「しかし、あなたが皇族の血筋である事には変わりません。それならば敬意をはらわねば」

「でも、緋蝶様なんて言われると、こそばゆいというか、ずかしいというか。呼ばれるたびにどきっとするので」

 東雲が微笑ほほえんで、苑紫に目を向けた。

「呼ばれ慣れていないからでしょう。苑紫、私からもお願いします。緋蝶の心の平安を保つ為にも、教育をする間だけでも彼女の希望をかなえてくれませんか?」

 考え込んでいる苑紫に向かって、両手を合わせる。

「お願いします!」

 頼み込むと、苑紫がふっと笑みをかべた。男らしい顔立ちが笑みを浮かべると、ずいぶんと優しい印象になる。さきほどとがらりとふんが変わって、思わず目をまたたかせた。

「────いいだろう。あなたがそう望むなら。教育の間は敬語で話したり、けいしようはつけないよう、ほかの花賢師達にも言っておく」

 口調を変えてくれた苑紫に頭を下げた。

「ありがとうございます!」

 再び歩き出した苑紫に続きながら、次に頭に浮かんだ疑問を口にした。

「五人の花賢師がいると言われましたよね。みなさんどんな事を教えてくださるんですか?」

「我々はそれぞれ、得意な分野がある。たとえば、東雲は作法にひいでている。雫花帝に必要な大内裏での《作法》を教える事になる」

 見つめると、東雲が微笑んだ。確かに東雲はれいただしく、所作が美しいと有名だ。

 田舎いなかから出てきた貴族が、都ではじをかかないよう東雲に作法を習いに来たりもしていた。

 苑紫が歩きながら、自分の胸に手を当てた。

「私はだいだいの護衛隊長だったが、今日からは桜教殿の警護を任される事になる。教えるのは《護身術》だ。本来、女性がけんじゆつや武術を習う事はないが、花蕾東宮は国を治める為にも心と身体からだきたえる必要がある。だから護身術を通してその手伝いをするのが私の務めだ」

 苑紫が庭から建物に入る為の階段に足をかけた。そして前方の戸を手で示す。

「ここに、他の花賢師達を全員集めている。まずはしようかいしよう」

 心臓がきゅっとなって、きんちようかんが高まった。

(東雲様のおしきで会ったあかつき様は花賢師の一人よね。あいいろかみに赤いひとみだったし。でも他の二人は初めて会うわ。どんな人達なんだろう。どきどきするわ)

 息苦しささえ感じながらも頷くと、苑紫が戸を開けた。

「よろしくお願いします!」

 中を見るゆうもなく、頭を下げた。しかし、しばらくしても返事がない。おそるおそる顔を上げると、部屋にはだれもいなかった。隣にいた苑紫がこぶしをぶるぶる震わせている。

「ここに来いと伝えたはずなのに、どうしてあいつらは言う事を聞かないんだ……!」

 冷静で落ちついた声しか聞いた事がなかったから、いかりの混じった声におどろいた。

「君と私以外は、自由ほんぽうな人が選ばれていますからね」

 しよう混じりの声は東雲だった。

「緋蝶。全員首根っこをつかまえて連れて来るから、ここで待っててくれ。東雲、あとは頼むぞ」

 きびすを返した苑紫に慌てて声をかけた。

「待ってください。わたしからごあいさつに参ります」

「だが……」

「教えをう身ですので、ご挨拶に出向くのがれいかと思います」

 苑紫がちらりと東雲を見つめた。

「その方が早いと思います。来いと言われて、なおに来る人達ではないですし」

「……わかった。せっかくだから桜教殿を案内しながら、彼らを見付けよう」

 ため息をついた苑紫が部屋を出たので、そのあとに続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る