下(完結篇) プロジェクトは唐突に

それにしても、それは唐突に始まった。

『大いなる無謀な挑戦』の舞台となる東京マラソン本番が行われる2011年2月27日(日)から遡ること3ヶ月半。

2010年11月13日(土)の夜に飛んできたH君からのメールで、それは唐突に始まったのである。

そもそも3ヶ月やそこらの練習で、四十半ばの飲んだくれ男がフルマラソンを走ろうとすること自体が無謀である。

だから、それを実現するためには、実行が極めて難しい程の練習を積まなけばならないことぐらいは分かっていた。

が…それにしてもH君からメールで送られてきた練習計画はその想像を遥かに超える過酷なものだった。

それを仮に『Hプログラム』と名付けてみたが、その概要はこうである。


早速、翌週11/16(火)の平日夜10㌔を皮切りに、東京マラソン本番までの101日間での総走行距離目標はなんと約630㌔。

『一分の冗談』もない『正真正銘の本気』。なんとも信じ難い数字である。

単純に1ヶ月当たりにすると200㌔近いわけで、最早これまで私の走っていた距離とはおよそケタが違い過ぎる数字であった。

実はここ2ヶ月の間で、調子に乗って10㌔を2回だけ走ったことがあり、それだけでさえも自画自賛していたのが『Hプログラム』によると、毎週末の土日では最低30㌔を走ることになっているではないか。

その上、平日にもご丁寧にメニューが組まれていて、最低1日、出来たら2日走れ。それも夜に10㌔やと?

と思いつつ、H君が送ってくれたエクセル表をぼんやりと眺めていた。


そして私は思わず「おいおい素人つかまえて殺す気か…」と返信してしまった。

するとH君は「半年間、自分ひとりの意志でコツコツ続けてきたキミならきっと出来る」

「まずはやってみようよ」。

などと言って、やる前から数字に飲まれ、勝手に無理と決めつけて逃げ腰になっている私を励まし安心させ、その気にさせるのである。

そもそも、H君と私には月とスッポンほどのレベル差があるわけで、到底私にはH君の理論を理解する術など無いのである。

だが、それを差し引いたとしても、彼はランニングの技術的なことは殆ど言わなかった。

というか、実は何も教えてくれない『こーち』であった。

ただその一方で、精神的サポートには心と時間と労力を割いてくれる『こーち』であった。

ま、もっと平たく言うと何せ褒めてくれる『こーち』のなのであった。

こんな独りよがりの私でさえも、誰かに見ていてもらえる、誰かが気に掛けてくれるというのはやはり心強く、本当にありがたいことであった。

それが朋友でしかもその道のプロフェッショナルだなんていうのは、何かの暗示ではなかろうか?と思わざるを得ないのだった。


そうしたやり取りを踏まえた逡巡と葛藤を経て、いよいよ飲んだくれが自称ランナーになるための、大いなるそして無謀な挑戦が始まったのであった。


師走の声が聞こえてくると、海老川沿いの落葉樹の木々も葉を散らし冬眠の準備を始めていた。

春にはおびただしい数の散歩人やランナーで賑わっていたことが幻だったかのように、走る人の姿はほとんど見かけなくなっていた。

さしづめそれは、迫りくる寒さがまるで蜘蛛の子を散らすかのようだった。

かくいう私も、その春に発生した典型的な「にわかジョガー」の一人であり、やはり多くの「冬眠人」と同じように、暖かい部屋で過ごしながら次の春を待つ運命のはずだった。

はずだった…が、なのに『Hプログラム』は容赦なく始まったのである。


2010年11月16日(火)晴れ。

これが、東京マラソンのスタートラインに立つための、記念すべき「Hプログラム」の旅立ちの日であった。

そして、この日から数えること104日間、つまり東京マラソン本番である2011年2月27日(日)までのプログラムを飾る第一歩目は、仕事から帰宅した21時からの10㌔走で幕を開けた。

いきなり余談だが、実は実際の「Hプログラム」は走行距離ではなく、走行時間(分)を基準に目標が設定されていた。

ただ、初心者の私にも目標が分かりやすいということもあり、ここではキロという走行距離を基準に書いていきたい。

そんなことで、今夜のメニューは60分間走改め10キロ。

単純に言うとペースはキロ当たり6分平均である。

調子に乗って走った2回限りの10キロ走の時のタイムが60分前後だったことから、自分なりに設定してみたのだが、仕事の疲れも多少残っている晩メシ前の10キロは、当たり前だが簡単ではなかった。

無論、やると決心した初日である。テンションは高いのだが、そろそろ寒風吹き始める11月の下旬の暗い寒空の下に、ランニングウェアに着替えて出ていくところから葛藤が始まるのであった。

さらに、この週末の土日にはそれぞれ15キロずつを走るというメニューが組まれていることも、私を怖じ気づかせるのには十分だった。

こうなったら得意の?公言の法則である。

全く関心を示す素振りも見せない家人に、「とりあえずちょっと一回りしてくるわ」と一言だけ声を掛けたところで観念して玄関を出た。

11月も半ばともなると朝晩は結構冷え込んでくる。昼間はコートが邪魔になったこの日も夜の9時を過ぎて走るにはさすがに長袖が必要になっていた。

得意の出物探しに精を出して買い揃えたいわゆるコンプレッション系と言われる体にピタッと密着するウェアをアンダーにし、半袖のTシャツを重ね着するぐらいが丁度良い感じである。

外灯の多い街道でも暗いのだから、ひとつ覚えのホーム海老川沿いは殊更に暗む。ジョギングロードでは車はほとんど通らないものの、自転車や他のランナーから存在が見えやすいように明るい色の服を選んだら準備OKである。

昼間と違って夜は海老川までの道中も自転車ではなく走っていく。ちなみに家から海老川までは約1㌔なのでHプログラム指令の10㌔をこなすとなれば、1周約2㌔の海老川を4周しなければならない計算だった。

世の中に照らして特段に忙しいわけではないと思うが、曲がりなりにも毎朝7時頃には満員電車に揺られ仕事に向かうのが私の日常だった。

まあ、飲んだくれての午前様よりはよっぽど体には良いのだろうが…仕事から帰って走るのには相応の決心が必要だった。だから躊躇するいとまがないように家人が何か言ったのを聞くか聞かないかのうちに玄関をおもむろに飛び出したのだった。

いつも通り軽く準備運動をしてからぼちぼちと走り出すとちょっと風がひんやりとした。一応の目標は1㌔当たり6分、いわゆる「㌔6ペース」だが走り始めは多少ゆっくりと入る。スタートしてから少しの間、約500㍍ほどは普通の道路を走るので歩行者や車にも気を払わねばならず、かえってウォーミングアップには丁度良かった。ジョギングロードの手前では市場通りという割合大きな生活道路を渡らなければならなかった。信号のタイミングが悪かった日には結構待たされるのでそれはちょっとした運試しなのだった。

ちなみに船橋卸売市場は市場通りを渡る手前の左右両脇に広々とした敷地有する千葉県下においては二大卸売市場のひとつらしい。

市場通りを渡るとすぐにジョギングロードの周回となるが、私はそれをいつも反時計回りで走った。特に意識しているわけではないが小学校から運動会は反時計回りと決まっているし野球のダイヤモンドも然りなので、ごく自然とそうなったのだろう。

ちょっとの間、市場通りの信号に引っ掛かったが脚はもちろん上半身もほぐしたりしていたら割合に待つのは短く感じた。

わずか半年間ではあるが週末に習慣的に走っていたからか序盤の2~3㌔ではさほど苦しさや脚へのダメージは感じなかった。でもプログラム指令はいきなりの夜10㌔、しかも仕事終わりにである。

いかに気持ちを切らさずに走れるかが大切とは思うものの、暗い夜道をひとりぼっちで走っていると「なんでこんなことやってんねやろか」と空しい気持ちが起こったりしてしんどくなる。

11月半ばの寒さも心を冷やし海老川の4周がとても長く辛くなってきた。

ところで、雑誌やネットなどで「走っている時には何を考えているの?」という疑問にランナーが答えているのを見たことがあるがその中身は結構まちまちだった。

ただ傾向的には、初心者ほど走り方やペースなどランニングそのものに関することを考えている印象がある一方、上級者になると、フォームなどが確立されているからなのだろうか、周りの景色を見たり果ては終わったら何を食べようか考えるなどやはり余裕があるように思えた。

その法則に忠実に則るように、多聞に洩れない前者の私はまさしく自分のフォームやペースを気にしながら努めて苦しさを忘れるようにしていた。

でもその夜は「何のために…」との逡巡が久々に頭をもたげてしまい中々集中することが出来なかった。『大いなる無謀なチャレンジ』のキックオフ初日だというのに集中出来ない自分に対する苛立ちも気を散らした。Hプログラムに挑むと決意したつもりだったもののその意欲よりも不安の方が勝ってしまっていたのかも知れなかった。

そんな気持ちのまま漫然と2周したが、依然として心の葛藤は鎮まらなかった。

それが3周目、つまり私の実力的にかなり辛いところに差し掛かる5㌔を超えたあたりで一瞬立ち止まろうかという気持ちがよぎった時。逆に何故か気持ちが吹っ切れた。それはそんなに深い意味も理由もなかった。

ただしんどいことと闘っていると考えることさえも面倒臭くなったのかも知れない。でもそれこそがランニングの効用のひとつではないかと思えた。

「分からん先のことを考えてもしぁあないやろ」と割り切り、怪我の功名か、目の前のことをひとつずつこなしていくしかないという気持ちになったのだった。

恐らくこれを俗に「開き直り」と呼ぶが、そのお陰でこの日の残り2周を走り切ることが出来たのだった。

時計の針がゆうに夜10時を回って帰宅した私は少し冷えた体を熱いシャワーで温めた。その段階ですでに今日の予定をやり切った達成感が心地よかったが、風呂上がりの一杯はさらに格別の自己満足を私の胸に与えてくれた。そして思わず「これやで」と自分に言い聞かせた。「どうせ三日坊主」だと決め込んでいると思われる家人ではあるが、その晩は特段変わった様子を見せなかったと記憶している。


その頃、仕事はまずまず忙しかった。

どちらかと言うと仕事に心血注いで燃えるタイプではないが、40代半ばという年頃相応の仕事は事欠くことはなかった。朝はエンジンの掛かりが悪いことも自負し、いつも少し早めに出勤したが、駅から道すがらの挨拶や世間話が苦手だというのが実という、意外にシャイな一面もあった私だった。

そのため、出来ないサラリーマンの典型ではあるが始業の1時間前には出社していた。パソコンのお守りや安物の会議を含めたデスクワークが半分、得意先や現場への外回りが半分。さほど体を酷使するような仕事ではなかった。

かといって特に頭を酷使するような仕事ではなかったことも念のため申し添えておこう。仕事自体の終業は決して遅い方ではなかったが、なんせまっすぐには帰らず、親の仇でも取るかのように毎晩飲んだくれて午前様というのが日常だった。

そんな私が「帰って走る」などと言ったものだから、完全にサジを投げてしまっていた家人はもとより、同僚たちも「気でも違ったのか?」と一様に驚いたたのは言うまでもなかった。

無論、仕事が優先ではあるが、決意の先手?で敢えて予定表の(火)(木)夕方に「アポ不可」と入れてみた。至極当然ながら同僚の誰しもが「どうせ言うだけの三日坊主に決まっている」とほとんど真剣に受け合わなかった。

しかしこれが“公言作戦”のひとつであるとは誰も知る由がなかったので、私はひとりでほくそ笑んだのだった。


さて、改めて整理すると、基本的なメニューの組み立ては『平日に10㌔を2日間』『土日に2日間で30㌔』。

これをこなせば単純に月間200㌔になる寸法である。

と、書くのは簡単だが、素人の私にとってそれが過酷を通り越した『殺人的メニュー』であることは私のこれまでの生き方をご覧頂いたならば容易にお分かり頂けるだろう。

半年前の5月から始めたぶらぶらジョグではあるが、5月から7月までは月間10㌔。月間合計ですよ!徐々にだが距離を延ばしていった8月、9月、10月でもせいぜい月間50㌔であり、つまり半年間かけて走ったそれ以上の距離を「1ヶ月で走れ」しかもそれを「3ヶ月続けろ」という、なんともバカげたメニューなのであった。

いかにフルマラソンに初めて挑戦するとはいえ、これはあまりにもひどいんちゃうか。これこそが無謀やろ。

しかし、そんな私の不安や懐疑や苛立ちの気持ちなどにはお構いなくHこーちはこう言った。

「何でもいいから東京マラソンでの目標を持とう」

例えば、“笑顔でゴールする”でもいい。

「するとそれに向かっていく力が湧いてくるよ」

これまた子供だましのような話だが「キミなら出来る」の言葉にほだされた(おだてられた)私は、まるで魔法に掛かった子供のようにそそくさと目標を立ててみることにしたのだった。

さてとはいえ、全てが初めての経験でありなかなか気の利いたものが思い浮かぶわけもない。ならばむしろ格好を気にするようなものよりも、自分の素直な気持ちを表現する目標にした方がええことないか?などと一応は思案したものの、かくしてまさに直球勝負の目標を掲げた。そして何度目になるのか、またまた公言作戦の法則に則り、それをHこーちはじめとした朋友とのメールサークル“八重洲会”にぶち上げたのであった。

ちなみに目標は3つ。

①完走

(まさにそのまま、全くひねり無しである。)

②5時間以内

(どうせやるなら記録にも挑戦しようと数値目標もひとつ。)

そして最後の3つ目は男の美学である「強がり」を表す…

③翌日通常出社

聞くところによると初フルマラソンの翌日は、かつて経験したことの無いほどの筋肉痛に見舞われ歩くことさえもままならないらしい。特に下り階段は地獄のようにその歩行を妨げるから通勤ラッシュの人波にさらされる乗り換えのときなどは殊更に辛いのだそうだ。それを考えハナから有給休暇を取るという人も少なくないみたいだが、逆に言うとそれこそが“男の見せ所”やないか。

とまあ、完走なんて夢のまた夢の男に“見せ所”なんてあったもんではないが、ひとり悦に入る私であった。

ところが、そんなことは他人にはどうでもいいことであり、私の無謀な挑戦自体に懐疑的ならば尚更である。

私個人の盛り上がりとは裏腹に、Hこーち以外の朋友の誰からもすぐには返信は届かなかった。

Hこーちからは「素晴らしい目標やないか」とのメッセージが届いた。

そもそも言い出しっぺのHこーちだから当たり前なのだが、またもや私はそれにすがるようにほだされ、真に受けたのだった。

あ、言い出しっぺと言えばもう一人。

罪作りな兄貴にもHこーちとのやり取りも含め練習を始めたことをメールしていた。

月並みに「頑張ってるな」と書いてきた兄貴は、朋友にも増して私の持久力の無さを最も知るうちのひとりだった。

ちなみに兄貴自身は、それなりの持久力の素養はあったかも知れないが、それにしても何十年もコツコツと積み上げ、ついにはエリートマラソン大会にも出場資格を得た経験の持ち主であった。

ゆえに私の無謀な挑戦にも「そんな甘いもんちゃうぞ」という気持ちを抱いていたのかも知れなかった。一方でそんな私の苦手克服を密かに後押しするつもりだったのかも知れなかったが。

さて、そうしてプログラム初日の10㌔は葛藤のうちにではあったが何とか終了した。


それにしても仕事から帰ってきたあと暗い夜道に飛び出すにはいちいち決心が必要だったが、熱いシャワーと発泡酒で落ち着いた。

それは前述の通りであるが「あー頑張ったなぁ」という自分へのごほうび、さしづめ自己満足の儀式であった。

半ば「開き直り」によって逡巡の循環思考から脱した私だったが、次の不安は週末に待ち構える2日間で30㌔のメニューだった。

これまでの人生最長距離を上回る15㌔を2日間連続で走るなど、自信も根拠もあったものではない。

(火)の夜から憂えても仕方ないのは分かっていても、一人で戦々恐々としていたのだった。

そんな心の不安は、体の疲れや痛みも原因となり増幅していた。

これまでぶらぶら走っていた中年男が、突然メニューを組んだマラソン練習に挑戦するわけである。体の色んなところが痛くなるのは当然のことであるが、やはり何と言っても痛いのは脚である。

ちなみに痛みには大きく分けて二種類あると思われた。

ひとつ目はいわゆる筋肉痛で主にはふくらはぎや太ももに現れた。

そしてもうひとつがビギナー泣かせの関節痛であり、典型的なものが膝の痛みだった。

走り始めてから結構早い段階で痛みが出るので、これがビギナーを『三日坊主』に追い込む大きな要因のひとつと思われた。

長い間の運動不足を解消しようとジョギングを始める中年ランナー達の脚筋は個人差はあるにせよ総じて衰えているはずである。そのため関節に直接負担が掛かるので痛みが出やすく、また痛みの程度も想像以上であることも多い。

膝の痛みはランニングの故障の中でも代表的なものであり、極端に言えばそれを経験していない人の方が少ないらしい。筋肉や外部の痛みとは異なり、骨に近いところの靭帯が骨と接触して起こるため何ともガマンしがたい痛さなのだった。

かくいう私もジョギングを始めて間もない頃、右膝の外側に痛みを感じシップなんぞを貼っていたこともあった。しかしその時の私の場合は週末の1㌔だけで、さほど根を詰めてなかったのが奏効したのか幸い悪化することなく付き合えるレベルで済んだのだった。恐らくだが衰え切った脚筋力をゆっくりゆっくりと鍛錬するような走行量が結果として膝関節への負荷と上手く噛み合ったのかも知れなかった。

ところが体とは正直なものでHプログラムを始めたばかりの二日目の夜、つまり(木)の練習中に膝痛再発の兆しが現れた。冬間近の寒さも痛みを誘発するには格好の条件だったのかも知れなかった。そんなこともあり人生初の15㌔走、しかも2日間連続というメニューを前に不安を抱え見事におじけづいていたのだった。

色んなアドバイスをもらっているので当然のことではあるが、初日の10㌔を終えた翌日にHこーちには報告メールを入れていた。

『何とか走り切りました』

という型通りで弱音を伏せた私の心の内を見事に見透かしたように、

『体も疲れたやろうけど心がもっと疲れたんちゃう?』そしてそのあとに、

『精神的に打ち勝って走り切ったのがとても素晴らしい』と例のごとく持ち上げる。

『たかが一日、されど一日。初日は実は鬼門で、そこでくじけるケースを多く見てきたから少し安心しました』

って、そんなメッセージくれたら「やめたい」なんて言われへんやん。

だから膝の痛みの兆候をまだ話せずにいた。

普段の生活を送る分には特に支障がなかったことも、まだHこーちに相談する段階ではないと思わせていたのだった。

それなのに15㌔挑戦の前日(金)はお得意の午前様だった。しかもなまじ夜ランなどを始めたものだから「走った分は飲んでええんや」という手前勝手な意味不明の解釈で深酒したツケはしっかりと(土)の朝に払わされることになるのだった。


朝、目は覚めたが「よし、膝の痛みを言い訳に今日の練習は休もう」とあたかも自分を正当化することで現実逃避を目論む私だった。

すると、嘘のような話だが二度寝をかまそうと布団の中で目をつぶったと同時に携帯がブーンと唸りメールが届いた。

“2日間の夜ラン10㌔を無駄にするか財産にするかは今日(土)のキミ次第だ”

無論、差出人はHこーちである…

さすが色々なパターンを見てきただけあるということか。まさに三日坊主の兆候をしっかりと読まれてしまった。またもやその言葉に背中を押されたか、はたまた手を引かれたか、そのお陰でようようと重い頭と体で重い重い布団をはねのけたのだった。

幸い天気が良かったのは救いでカーテンを開けたら少しだけだが気分がすぐれた。

二日酔いの朝に何時から走るとは厳密には決めていなかったのでぼちぼちと顔を洗い身支度を始めた。おまけに着る服のイメージが湧かないのでベランダで外の寒さを確認し、さらにテレビをつけて天気予報を見た。

要するに決心がつかないからウダウダしているだけであった。そんな煮え切らない自分に辟易しながらも、尚走らなくて済む正当理由は無いかと探している私はさぞ滑稽であったに違いない。しかしレンジでチンした温かいコーヒーをすすりながら、もう一度メールを読み返してみる。

「たしかにそうやな…」

誰に頼まれたわけでもないのに、一人で勝手に決めて一人で勝手に公言して、それでいて一人で勝手に逡巡している。なんという無駄な時間と労力であろうか。

ここまで考えてようやく「もはや行くしかない」と観念したのだった。

そして「膝のことは今日やってみてからその状況次第で相談しよう」と決めたら少しだけ踏ん切りがついたような気がして玄関を出た。


相変わらずコースは専ら海老川沿いだった。

家から近くジョギングコースとして整備されていることが初心者の私にはとても助かるところだった。

また周回コースという安心感も海老川を走る理由のひとつでもあった。つまり1周2㌔の周回なので、よしんば何かあって走れなくなった場合にも困らないという思いがあったからである。

ただそれは逆に“いつでも容易にやめることが出来る”という甘えにもつながる不純な動機からとも思われた。

しかも当時は愚息の送迎名目もあり、海老川までの一般道1㌔は自転車で通っていたから「やりやすさ」はこの上なかった。

さて、いつもは少年野球のお務めの後、午後に走っていた(土)だったが、この日は午前中にした。

海老川まで自転車で行く道中では膝の痛みは感じなかったが念のためスローペースで走り始めた。数字で言うと㌔7分くらいのイメージである。念のためとは書いたものの、初めての距離である15㌔を走り切れるか自信がなかったのが本心なのは言うまでもなかった。

11月の終わりにしたらこの日は割と暖かい方だったが、半袖のTシャツを長袖のコンプレッション系のインナーの上に重ね着した。

下半身には半パンに加え、急遽買わざるをえなくなった膝サポーターを着用していた。ペースを抑えながら走るとさほど痛みは気にならなかったが、やはり経験したことのない距離に対する不安は大きかった。まだまだ凡そランナーと言えるような風体ではない私だったが、それでも定期的に走っているといつも見かけるランナーが出来てきた。それは概ね5~6くらい居たがそのうち数人とは会釈や短い挨拶を交わすようなこともあった。

ひとりは先にも少しだけ触れたことがあるが、寒椿の垣根に旗を掲げる“海老川ジョギング倶楽部”という同好会と思われれるチームのメンバーだった。中学生の頃からかれこれ60年も走っているというその年配の男性はジョギング倶楽部の代表のようである。さすがに頭髪も白く寂しくなってはいるものの、走る姿、いわゆる姿勢や足取りは学生とまでは言い過ぎかも知れないが、十分ランナーと呼べるような軽やかな走りと体型はとても70歳を超えている思えなかった。

夏のある日、「いつも走ってますね」と声を掛けてもらったことがあった。

そんな年配になって尚、体型を維持し走って姿に敬意を払っていたので私は嬉しかったが、さらに「ジョギング倶楽部で一緒に走りませんか」と誘ってもらった。

でも見かけによらず人見知りな私は「いえいえ、まだまだそんなクラブに入ってというようなレベルではありませんので」とその誘いを丁寧に断ったのだが、実は本心から出てきた言葉だったのかも知れなかった。だからその代表の方にも悪い印象では伝わらなかったのではと私は感じた。

もうひとりは、走る姿はもちろん、走るペースが私などとはまるで違う30代後半と思しき上級者の男性ランナーだった。大袈裟に言えば「飛ぶように」走っている彼が全くレベルが違う亀のような私に何ゆえに挨拶してくれるのかが皆目分からなかったのだが、周回ですれ違うたびに会釈してくれた。そして時には「オッス」というような声まで掛けてくれたのだった。

それがある日の夜、駅の裏通りを歩いていると缶チューハイを片手に中々の千鳥足でこっちに向かってくれ男性がいた。全く人のことを言えた義理ではない私だが「えらいご機嫌さんやな…」と思いながらすれ違ったのだった。が「いやちょっと待てよ、なんか見たことある顔やなぁ」と思い記憶を巡らせた。

しかし仕事絡みでもなさそうやし、無論友達でもない。飲み屋での一期一会かとも思ったりしたが「あー、もう思い出せん、あきらめか」と思った次の瞬間。「えっ!?まさかっ!?」あの颯爽としたランニングスタイルとのギャップが余りに激し過ぎて見まがったが、この酔いどれ男はまさしくあの上級者ランナーではないか。

さすがに後戻りして追いかけて確かめるわけにもいかないので確信までは持てなかったが、後ろ姿で見る体型や髪型などからもほぼ間違いないと思われた。

ところで「何でそんなに気にするのかって?」

それは言わずと知れたこと…

「あんなシリアスランナーでもあんなベロベロになるまで飲んでるんや」

「逆に言うと酔いどれでもマラソンを走ることが出来るんや」

と思うと親近感と嬉しさがどっと湧いてきたからであった。

そうやって懲りずに自らの自堕落を正当化しようとしている飲んだくれの私なのだった。

しかしその場限りであっても顔見知りが出来ると、だらしない格好は見せたくないと思うもので、週末の15㌔も何とか走り切ることが出来たのだった。

もう間もなく師走に突入するというのに、その寒風が少しだけ爽やかに感じたのはいわゆるこれが“達成感”というものなのか?

でもこの小さな達成感の積み重ねがこんな私にも持久と継続の力を与えてくれるのだろうか。


自己満足の達成感ではあるが、やはり誰かに伝えたい。そして出来たら批評してもらいたい(本当は評価してもらいたい)。という俗な気持ちは止められず、例のごとく「八重洲会」にメールを打った。


『八重洲会各位、

サタデーナイトのおくつろぎに毎度のジコマンメールご容赦ください(読み飛ばし、スルーともにOK)。

Hプログラムに従い、本日初めての15㌔走に挑戦しました。ホーム海老川を7周です。

とはいえ、自分の中では15㌔という未知の距離に対し不安が9割で、走り出す決心がつくまで逡巡と葛藤があり、かなりグダグダしました。でも逆に言うと意外にも自信が1割ありました。

この根拠なき自信はどこからくるのか?

あとから考えると「この挑戦が三日坊主になるかどうかの分岐点になる」という予感がしたからという気がします。

こんなオレでも三日坊主になりたいわけではない。だから何か不安を打ち消す方法はないかと考えたのです。つまり、ガラにもなくコツコツと続けてきたという“ちっぽけな自負”を守れないか?と自問したとき、空元気しかないという答えに辿り着いたのです。

いつもながら回りくどくてメンゴ~

ということで、強いて自信があると思い込み自己暗示をかけることで未知の距離に挑もうと思ったわけです。でもリアルは机上や空想での成功を簡単には許してくれるわけないわな。もうヘロヘロちゅうか後半はボロボロ。「何とか歩かない」「何とか止まらない」という葛藤だけでした。

お陰様で何とか完走出来ましたが、Hこーちのプラン90分などは到底ほど遠く、105分で㌔7分も掛かりました。

でも、そんな挑戦失敗でしたが、自分なりには収穫が2つありました。

ひとつは自信の「功」と過信の「罪」は表裏一体であるということ。

そしてもうひとつは「苦しんだ分だけ達成感が大きい」ということです。

この自己満足の達成感が次への意欲につながるのかな。

酒が入ると酔狂が過ぎたようです。

明日(日)も15㌔走という厳しいこーちのメニューが待っていますのでそろそろ筆納めにします。いつもありがとう』


こうやって書くことで自分の成果を確かめないとくじけてしまいそうだったから、朋友のみんなには一方通行の迷惑な殴り書きではあることを自覚しながらも、相手になってもらうことがありがたかったのであった。


明日(日)は朝のおにぎり作りから始まるので、ホロ酔いを少し過ぎたあたりで頑張って床に就くことにした。

自分の中では一大決心の大いなる無謀な挑戦ではあるものの、仕事に支障が出るのはやはり頂けないのは言うまでもないのであった。Hプログラムによりこれまで経験したことのない距離やペースを突然に強いるわけなので、まずは肉体的なダメージは避けられない。膝の痛みは今のところ幸い日常生活への差し支えは無かった。

ただ長時間にわたり膝を無意識にかばいながら走ることによってなのか、脚の付け根の外側に張りというかストレスが掛かってきていた。そしてそこから腰にもきた。

腰については17歳高2の頃から付き合っている「腐れ縁」のような間柄であった。

一般的には安静が最も良薬と言われるのは重々に知っていたが、メニューをこなすにはそれに反する必要があり不安が募った。過去の度重なる経験からも、ともすれば歩行にも支障をきたした場合、営業という業務はおろか通勤さえもままならないという懸念があった。両手に余るほどの整形外科を渡り歩いても凡そ完治が見通せないのが腰痛ヘルニアである。プロジェクト開始早々に黄色信号が灯ったとしたら、その先の困難を想像するだけで不安が増すのは当然であった。

Hプログラムに沿ってトレーニングを始めたはずではあるが、よく言えば「意欲的」、ただ逆に言うと「調子乗り」の悪癖が顔を出した。

Hこーちの言うことを聞かずオーバーペースの120分間走(約20㌔)のダメージが大きく残っていたにも関わらず、翌日にはすでに発作の兆しを検知していた腰痛を押しての60分間走。そしてさらにダメ押しがその翌々日のお仕事ゴルフ。

はっきり言って現状を認識できない上、先を全く考えられない浅はかな自分にひとり勝手にイライラしても後の祭りであった。

そしてそこまできていよいよHこーちにメールした。


『腰ヘルニア発作の予兆あり。腰はもちろん脚の付け根から膝外側までが結構痛いんやけどメニュー通り続けるべきなのかな。』


するといつものようにこのメールにもすぐさま反応してくれた。


『報告ありがとう、頑張ってるね』


書き出しはいつもの通りだった。そしてこう継いだ。


『ヘルニアにしても何にしても発作症状が出ているときは一旦安静にして様子を見よう。でもそのままやめてしまってはいけない。痛みが出る原因としては運動の負荷に筋肉や関節などが耐えられない場合が多い。つまり単純に言うとその部位が弱いということ。だから痛みが出てそれきりやめてしまうと何度も同じことの繰り返しになるわけ』


なるほどそれが三日坊主のメカニズムなのか。


『「ならばどうすればええんや?」っていうことやけどキミの場合は少ない負荷ながらも半年間もコツコツと続けてきたことが必ず活きるはずや。今は急に負荷を高くしたから体が悲鳴を上げて痛みが出ている状況やけど、2~3日して多少改善してきたあたりで状態をみながら軽い負荷から再開しよう』


そして、『それまでにメニューを考えとくよ』ととても分かりやすくしかも安心させてくれるようなメッセージをくれたのだった。

とはいえ「そんなんホンマかいな」と普通ならば懐疑的になるところなのだが、実はこのHこーちという男、自らがアスリートであるというだけではなく大学で“スポーツ生理学”とやらの博士号を取得している専門家でもあったのだった。

ゆえにその助言は素人の私をずいぶんと勇気づけるには十分過ぎるのだった。

ともすれば痛みを理由に三日坊主になったか、はたまた痛みを辛抱して無理することで取り返しのつかない故障につながったかも知れなかった。

そう考えると本当に救われた気がした。

腰ヘルニアとは長い付き合いなので日薬で改善していくことは大体分かっていた。ただそのあとも再発を恐れあまり動かさないようにするのが常だったので、Hこーちからの改善メニューを心待ちにしながらも、それでもちょっと不安を持っていた。

数日後にHこーちから送られてきたメールにはこう書いてあった。


『腰の具合はどうかな?改めてだけどランニング時の着地衝撃はほぼ垂直方向、つまり椎間板を押しつぶす方向に掛かるから特にヘルニア持ちの人に取っては要注意です。以下、僕の経験と知見から得た“克服のためのレシピ”を参考までに。

実は僕自身、昨年末から春頃に掛けてひどい腰痛に悩まされウツ状態になる程でその際には色々なことを試してきました。町の整体はじめ、遠くからも治療に来るという都心のスポーツ専門クリニックやオリンピアンも通うカイロなどそのほか諸々です。

しかしどれも効果はありませんでした。それどころかかえって悪化して文句を言ったものです。(必ず聞く逃げ口上は「施術の翌日は痛みが出ることがある」そんなもの本当はあってはいけないのです。)

それでもトレーニングを休むわけにはいかないので「トレーニングを続けながら治療する方法は何か?」とあちこち文献を読み漁り調べました。そして辿り着いた結論は…やはり“トレーニング”でした。ただやり方を間違ってはいけない。然るべきトレーニングを根拠に基づいて正しく行えば必ず改善すると思いますよ。

そこで今後のアドバイスとして。

⚫ランニングでは走り方を意識する。

まずは姿勢を正し走行中は常に腹部の「奥」に軽く力を入れる意識を。ちなみに腹部の「奥」というのは「腹横筋」と呼ばれる筋群で通常の腹筋では鍛えられずまた日常でも意識するのが難しいのですが慣れれば出来ます。まあ、お腹を平らにするイメージです。腹横筋は腰椎の安定性を高めストレスを緩和してくれます。』


Hこーちが、“Dr.Hこーち”になった日のアドバイスはさらに続いた。


『⚫着地は出来るだけかかと着地を避け足裏全体で着地することを意識する。

かかと着地はブレーキがかかるので遅くなるし効率が悪い上にブレーキ効果によって推進力を妨げられた力はダイレクトに膝と腰に及びます。従って足裏全体で衝撃を受け止めることが障害のリスクを最も低く、かつ速く走れる走り方です。

⚫ストライド(足幅)は控え目に。

大またで走れば走るほどモモ裏の筋群(ハムストリング)をストレッチすることになり座骨神経を緊張させます。また太ももを上げ過ぎると今度は体の内側から前方に腰椎を引っ張ることになり、これが腰痛の原因になります。

⚫ランニングのスピードと時間にはメリハリを。

長く走ったその次回は短めに。速いスピードのトレーニングの次は遅めになど、休みの日を入れることと合わせて組み合わせを考えるようにします。3~4週の一度は週当たりのトレーニング時間を半分から3分の2程度に抑えた「リカバリーウィーク」を入れるのが有効です。

●エクササイズを実行する。

例えば、腕立てのようなポジションで肘で上体を支える姿勢で30秒~1分静止。(膝は床につけてもよい)。この姿勢から右に向いて左の肘で体を支え30秒~1分静止。今度は左に向く。これは“ブリッジ”というエクササイズですが、体を丸めたり反ったりせず真っ直ぐにして行うのがコツです。これによって腹横筋がトレーニングされ、僕にはこれが一番効果がありました。これを一か月続けて歩くのも辛かった状態からいつものペースで3時間-走れるようになりました。一日一回でもよいと思います。

●…

●…

以上、参考になるところが一つでもあればこれ幸い。どうかあきらめずに頑張って‼

こーち』


とまあ、こんな具合の手厚いアドバイスの何はともあれ感謝であった。

がしかし、うれしい悲鳴というか、Hこーちの論理的な講釈は素人かつ初心者である私にとっては「猫に小判」のようなハイレベル過ぎる内容に思えた。というか確実にそうだった。

然るにもし、この私がHこーちの論理に従ってこれを実践しようとすると、間違いなく私の頭も体もたちまちこんがらがってしまうことだけは素人の私にも想像に難くなかったのだった。

だから、一旦頭を冷やし冷静に考えたあと、Hこーちの論理を私なりに咀嚼し、私なりの解釈で、私にも実践出来そうなシンプルな形に変換して挑戦してみることにしたのだった。

ちなみにそれはこんな感じになった。


走るときには

① 胸を張ってアゴを引く

② おなかを意識する(力を入れると体が硬くなるので少しへこまし平らにするイメージで)

③ 歩幅を少し狭くする(原点に戻る。着地の位置と足裏着地が期待できる)

無論、“ブリッジ”のエクササイズは即日実行を決めたのは言うまでもないが、それにしてもちょっとシンプル過ぎたかな?


『Hこーちさんよ、俺の悩みも聞いてくれへん?』


メールに参戦してきたのは朋友のひとり、大阪在住のT君だった。

実はT君も少し前に思い立ってランニングしたらしいのだが(私のぶらぶらジョグが関係してるかはわからないが…)、どうも9月から秋口にかけて呼吸が苦しくなったらしく、ちょっと中断しているとのことだった。


と、そんな朋友の疑問や悩みにも答えるHこーちであるが、せっかくなので、T君とHこーちのメールラリーの一部をご覧あれ。


『T君

走ってるんやね!でもちょっと気になる症状ですな。

「しばらく走っていると、息がゼーゼーとなってきて息苦しくなる」だけを読むと、単にオーバーペースかなとも思いましたが、「9月頃から毎年現れる」となると、ちょっと考えてみなければなりません。

喘息の既往歴のあるアスリートや運動者では、運動によってセキや気管支の炎症、閉塞感といった症状が起こる場合がありますが、通常これは冷たく乾いた空気を吸い込むことが大きな引き金になります。

逆に、温かい湿った環境では起こりにくいものです。

もし、6月から8月ごろには症状が出にくいのであれば外気の温度や湿度の影響があるかもしれません。喘息の既往歴がなくても季節の変わり目や、夏の疲労が蓄積された状況では起こりえると言えそうです。

ただ、「10月一杯くらいで症状が収まってくる」とあるので、通常、外気の温度や湿度が低下するこれからの季節ではさらに起こりやすいはずですから、今回の状況とは矛盾します。また、「脱水」なども影響しますので、一日の中で最も体内水分の少ない夜のほうが起こりやすいのかもしれません。走るときには水分補給に気をつけて、疲れたときは無理せず、一定のペースでいつもより少しゆっくり走ってみて様子をみてください。

普段の生活から「息苦しい」やセキが出るなどの場合は、運動によって起こる症状とはまた別のものになりますので、医師の診断が必要です。

参考まで。』


『H君

親切にご返事頂き、深謝。

過去、医者に聞いた時に気温の変化のことは言っていました。

我輩の場合は季節限定なので、例えば花粉症のような症状で

この時期に花粉を出す植物アレルギー等の可能性はないでしょうか?』


『T君

アレルギーの可能性もないとは言えないと思いますが、植物アレルギーだと、クシャミや鼻水、目のかゆみなどもありそうですね。

個人的には、5-6月頃の湿度があがり始める頃、一時的に呼吸が苦しくなることが過去にありました。

これは運動中だけでなく日常でも起こり、少し深い呼吸をしないと息苦しく感じます。いろいろと呼吸器の検査や、貧血を疑い血液検査もしましたが、特に異常はありませんでした。

運動に詳しくない医者の見解はあてになりませんが、おそらくこの時期(レースに向けての追い込み期)の「疲労」、特に「呼吸筋」(肋骨の間にあって肺を膨らませている筋肉)や横隔膜の疲労だと考えています。

急に暑くなり始める時期におこりやすい脱水も関係していると思います。

「9月頃から」となると今ちょうどそんな感じなんでしょうか。

まずは様子を見てみては。』


とまあ、こちらも違わずこんな具合なのである。


腰ヘルニアとの付き合いが長いだけに発作の痛みがトラウマの私ではあるが、Hこーちの言葉を「信じてやってみよう」と、その翌日には思い切ってランニングシューズを履いてみたのだった。


「パパ、また行ったんだ」。

小6の娘がママに言ったのは師走も半ばとなった、とある夜だった。

「そうなんよ。寒いからやめたらってママも言ったんだけどね」。

東京マラソンへの『大いなる無謀な挑戦』などには全く興味のない家族にとっては、平日は連日の午前様で帰ってこないはずのパパが早く帰ってくることだけでさえもリズムを崩される出来事だった。

それがその上、帰ってきてバタバタと走りに行ったりするものだからその変貌ぶりには大いに手を焼いていたのだった。

とりわけ家人に至っては驚きを通り越し気味悪がるほどであった。

だから子供たちに対し「パパがなんかマラソンやるって言ってるけどどう思う?」と逆に素朴に聞いてみるのだった。

子供は小6の娘と、くだんの小2の息子である。

運動に無縁のママほどではないが、しんどい持久走を自分から好むような子供はあまりいないと思うので、2人ともほとんど興味がないのは当たり前である。

「走ってるのは知ってるけど、マラソンって何㌔くらい走るの?」と娘。

「うーん、たぶん40㌔とか何とかだと思ったけど」とママ。

息子のほうはそんなことはどこ吹く風とゲームに夢中である。

「パパってそんなに走れるの?」とまた娘。

「いや、無理だと思うよ。だからママ『絶対ムリ‼』ってパパに言ったんだもん」

「じゃあ、でも何で走り始めたのかな?」

「それはママも知らないけど、たぶんお酒の飲みすぎだからじゃないかな」

「ふーん、そうなんだ」

さすが家族というべきか、当たらずとも遠からずである。

さて、会話は一旦終わり、ママ君は子供たちの夕食の片づけを始めたが、大きいものだけを先に洗った。

どちらかというとパパは食事に世話はかからぬ方ではあったが、小一時間で帰ってくるであろう後には、それでも酒の肴の一つでも用意しなければならなかったので、小さな洗い物はまとめることにしたようだった。

「○○ちゃん、学校のマラソン大会はいつだっけ?」とママが娘に聞いた。

「えーと、たぶん1月15日だったと思う」

「それ、2年生も同じなの?」

「いや、違うけどその前の日か次の日だったはず」

「じゃあ、校内マラソン週間は来年1月になってからかな?」

「いや、来週から始まって2週間あると思うよ」

どうやら、小学校のマラソン大会は1か月後くらいのようだ。

「△△くん、マラソンの特訓はしないの?」

ゲームに夢中の息子はまったくの無反応である。

「△△くん」もう一度優しく読んだがまだ答えない。

小6のお姉ちゃんが間に入ろうとしたその瞬間‼

「△△聞いてんの‼」ついにママの火花が散った瞬間であった。

「特訓はやらない。寒いし、しんどいし」

やるな息子、ちゃんと聞いているではないか。

「でも、パパが走ってるのは知ってるよね?」

「それは知ってる」

でも、なぜパパが走り始めたのか?

△△くんだけにしんどい思いをさせるわけにはいかない、という決意から走り始めたなどとは、パパから教えられていない家族は知る由がなかった。

「一緒に走って上げたらパパ喜ぶと思うけどなぁ」

「でもパパすぐに怒りそうだもん」

「△△、一緒に走って上げなよ」お姉ちゃん自ら墓穴を掘ってしまった。

「なら、○○ちゃんも一緒に走ったら?」

「お姉ちゃんが一緒ならやってもいい」どうやら決まりのようであった。

そこへ計ったようにちょうどパパが息を切らしてご帰還である。

「お帰り、どうだった?」いつもはあまり興味を示さない家族がなんか珍しく優しい。それをパパは訝しがっているようである。

「まあ、疲れたけど予定通りにはいけたよ」

そう言ってそのまま風呂に行ってシャワーを浴びようとするところに息子が近づいてこう言った。

「パパ次はいつ走るの?」

「んーせやなぁ、出来たら明後日(木)の夜かな」

なんでそんなことを聞くんやろうと不思議な顔をしているパパに

「じゃあオレも一緒に走る」

「ホンマか!?」

この“ポパイのほうれん草”にも勝るとも劣らないスーパーエネルギーチャージに「△△くんホンマか!?」と連呼である。

「せやけどママにちゃんと言うたんか?」

「うん、お姉ちゃんも一緒に走るって」

「ホンマか!?ホンマにホンマか!?」

今度は三連呼である。

台所ではママとお姉ちゃんが何とか大笑いをこらえ、涙を流さんばかりであった。

そして風呂場からは鼻唄ならぬ歓喜の歌が響き渡っていたのだった。


(木)の私は朝から落ち着かなかった。

社内イントラのスケジュールには“18:00予定あり”と早々に書き込み突発事故の発生をガードしていた。

だがそれだけでは飽き足らず、“(予定入力不可)”と書き足すほどの念の入れようである。得てしてこういう時に限って面倒な仕事が舞い込むことがあるので、いつもとは別人のように猛然と業務をこなしていた。それを見た同僚がどう思っていたかという愚問などここで説明する必要までもないが、あっけに取られて仕事を差し込むことさえも忘れていたのは確実だった。

かくして作戦通り?私はほぼ定時に退社し帰途に着いたのだった。

さて、子供たちと走るとはいったものの、一体どんなメニューにしたらいいのかな…などと思案しながら帰る電車は満員電車にもかかわらず楽しい時間だった。

とはいえ子供たちは海老川1周2㌔がいいところだろう。慣れてくれば多少距離や時間を延ばせるかも知れないが最初からあまり厳しくして続かなければ元も子も無い。

しかし「自分はやはりHプログラムに沿って10㌔やっとかなアカンしなぁ…」とか考えていると早いもので最寄り駅にまもなく着くところだった。

電車を降りて暫し考えていたが「ま、子供たちと相談しよ」と私はそそくさと家に帰ったのだった。

問題は子供たちが2㌔で私が10㌔走るためのフォーメーションをどうするかということだが、話は意外と簡単だった。帰って子供たちと家人に組織した結果はこうである。子供たち2人は海老川のエビス像のところまで自転車で行き、私1人だけが家から走って行く。子供たちが自転車で伴走する感じである。

そしてエビス像のところに自転車を置き3人で軽く準備運動をしたらいざスタート。3人で一緒に海老川を1周走るのである。

ペースはいちばん小さい愚息のスピードに合わせるのがやはり無難だろう。

そうして無事に1周を走り終えたら子供たちのマラソン大会に向けた練習はおしまいである。

ただ私のミッションは終わらないので私1人だけはそのまま走り続けるのである。残りあと3周だ。そしてここからがミソである。

暗い夜道を走り終えた子供たち2人だけで帰らせるわけにはいかない。かといって私までが一緒に帰ってしまうと私のミッション完結せず、また舞い戻って走るのか?はたまたそうでなければミッションを変更するのか?という選択を余儀なくされることになる。

ここが家人との相談だったのだが、結果は至って単純な話で子供たちが私の残り3周を自転車で伴走するというものだった。

しかもである。

子供たちから「パパ頑張れ~」などと可愛い応援の声まで掛かるという、これぞ一石二鳥の優れものなのであった。

こうして思いがけず、たびたび一人勝手に逡巡と葛藤を繰り返す、煮え切らない私にとって、新たな、そして強力な援軍モチベーションが生まれたのであった。


この頃には曲がりなりにも10㌔程度の距離を走ることは、私にとって挑戦から習慣になりつつあった。それでも15㌔になるとそうそう楽ではなく毎週末の厳しいHプログラムをこなすことに疲れかけていたのもまた事実だった。

そこで走るという単調な作業の中に何かスパイスを加えられないかと考えるようになった。仮に10~15㌔とすると走っている1時間から1時間半は実は貴重な時間なのである。

その貴重な時間の使い道として「仕事のことを考えると良いアイデアが浮かぶ」という人もいると聞くが、こと私に限っては走っている間に仕事のことを考えるほど仕事熱心ではないのは誰かに言われなくても自覚していた。それ以前に、そもそも走っているしんどい時にそんな仕事のことなど考える余裕がなかったというのも本当のところではあったが…

他方、その昔ウォークマンの時代から、ランニングだけではないが運動をしながら音楽を聴くスタイルが見られるようになってきた。しかし私にはそんな洒落た趣味などないのは言うまでもないが、それでももしそれでランニングの苦しさを少しでも紛らわすことが出来ればトレーニング効率が上がって“一石二鳥”ではないかと考えた。

ただ、ウォークマンの頃はおろか、この歳になるまでいわゆる携帯プレーヤー的なもののお世話になったことが一度もなかった。

だから全く要領を得ない私であったが、思い切って会社の若い人に尋ねてみた。

「なんかかさばらずに歌を聴けるもん知らない?」

それにしても不調法な聞き方である。

「え?何に使うんですか?あっ、もしかしたらランニングですか?」

あっさりとバレた。

「まぁ、そんなとこかも知れんけど、あんまり人に言わんといてね」

「えー、すごいじゃないですかー」

社交辞令のお世辞と分かっていてもオジさんウレシイ。

「いやいや四十半ばのオッサンの“年寄りの冷や水”やで」

「でも東京マラソン走るんですよね?」

何で知ってんねん。

「いやいや分からん、分からん。もし走れたらていう感じやから」

「音楽聴きながらランニングってカッコいいですよね」

おいおいマジか。

「全然体力なくてしんどいから、ちょっとでも紛らわされへんかなと思って」

「いつも携帯持って走ってるんですか?」

何の話やろ。

「あー、一応なんかあったらとウエストポーチみたいなヤツに入れて走ってるけど」

「だったら簡単ですよ」

そう言えば最近は着うたとか着メロとかよく聞くよな。

「携帯で歌聴けるの?」

そうして私にとってはまるで魔法のような方法を教わり、なんとなんと生まれて初めて携帯に歌をダウンロードする。いう快挙を成し遂げたのであった。


はてさて、そんなこんなで私は似ても似つかないイヤホーンを耳に入れて海老川を走っていた。

トレーニングが苦しいことに変わりはないが久し振りに歌を聴くことが少し楽しみになり、走り出しの決心がつきやすくなったような気がした。

そしてこれも気のせいかも知れないが歌のリズムが走るピッチの維持にも好都合に思えた。

人により歌の趣味は当然違うけれど、私みたいにそのバリエーションが少ないヤツも珍しいのだろうと自覚はしていた。

しかもその時計が自分の若い頃、つまりだいたいが昭和で止まっていたのも自己満足の好きな私の特長だと変に自負していた。

でもこんなことがなければ音楽を聴くことから疎遠というかほぼ皆無となっていた私には、思いのほかその歌たちが力を与えてくれた。そのお陰で、走っていてしんどいときにも時間が経つのが少し速く感じられたのだった。

時に、私の歌の好みなど他人にとっては全く関心がないことはさすがに重々承知しているわけであるが、それを敢えてひんしゅくブーイングを覚悟して申し上げるならば、その好みとは柄にもなく「ちょっとセンチメンタルでノスタルジックでロマンチックなのにパワフル…」って、もうええわ!

さて、気を取り直して。

当たり前だが携帯には自分の好きなアーティスト、好きな歌を入れて聴きながら走っていた。

だが、歌を歌として聴いていられるのは元気のある走り始めからせいぜい中盤あたりまでであった。

いかに自分の好きな歌とはいうものの、息も上がり脚も重く辛くなる終盤には、往々にしてとてもそんな悠長に歌など聴いてられなくなるのだった。

とはいえ、中には最後の頑張りを後押ししてくれる歌がないわけではなかった。

ではその苦しい場面で私に力を与えてくれたのはどんな歌なのか?

一般的には“負けないで”などと連呼する応援ソングやアップテンポの曲などが定番でありすぐに頭に浮かぶと思うが、私の場合はちょっと違っていた。

応援、情熱、鼓舞というようないわゆるテンションを上げるタイプのものではなく、全く逆に“悲しみの感情”が何故か私に力を与え勇気づけてくれたのだった。

不謹慎だと言われるかも知れないが誤解を恐れずに言うならば、例えばそれは悔しいけれど若くして天に召された母や友人のことを彷彿とさせるような曲だったのであった。

“悲しみ“と書いたが、それは心を残して旅立った人たちの”無念”の思いが、あたかもこんな私に力を与えてくれているようだった。

「もっともっと色々なことをしたかったはずだ」という母や友人たちの心を想いながら「走っていられる幸せ」感じたとき「こんなもん辛いうちに入るかっ!」という自分への叱咤の声が自分の中に湧き起こったのだった。

もっと正直に言うならば胸だけでに留まらず瞼が熱くなったこともしばしばで、その感謝の気持ちがパワーになったのかも知れなかった。


そうして何とかぼちぼちとトレーニングをこなしていたが、2011年の年明けに少し体調を崩した。

と言っても風邪なのだが年末年始の休みに調子に乗って走り過ぎたのが祟ったのかも知れなかった。

自慢でも笑い話でもないが、家に居てもやることがないと暇に任せて走った結果、Hプログラムを超過してしまっていた。

それは距離もペースも日数もである。

Hこーちがこんな素人向けに折角作ってくれたプログラムを台無しにする、またしても“大人げない愚行”を取ってしまったのだった。

それもストイックなヒーロー気取りで雨の日はおろか、年末寒波に見舞われた雪が舞う日までもレインコートを着て走るという身のほどを知らぬ愚かな行為により、必然の結果を招いたのであった。

そして自分ひとりで判断出来なくなり、結局は“八重洲会”にメールを送った。


『八重洲会各位


寒い日が続きますが、皆さんにはご機嫌麗しきことと思います。


それが当方…

情けない(お恥ずかしい)ことにどうも体調がすぐれません。

といっても全然重大な話ではありませんが暮れからの風邪っ気を引きずりこの2日間ジョグ予定をスキップしました。

初日の出runとか言って、張り切りすぎたのかも知れません…

昨日は朝から町医者で風邪の診断をもらい晴れて薬を入手しましたので、夕刻早めに帰宅し着替えして「いざっ走らん!!」っていうところまでいったんですが、愚妻の制止に翻意し勇気ある撤退??で断念しました。

今日は当初より新年会でrun休みの予定ですが 明日からの3連休にはキチンとメニューをこなし立て直したいと思っています。


何となく不安になり、誰かに話したくてメールしました。


PS:Hこーち

全然話が変わるんやけど…

吾輩、いつも右側(腰、足とも)が痛くなる事が多いんですが最近自己診断したところ、右足の方が1〜2センチ長い??ことに気付きました。

こんなことってフツー??

左足に中敷きかなんか入れて合わした方がいいのかな??


K』


今さらながらだが、Kとは私のことである。


「誰かに話したくてメールしました」とか平静を装っているが、本当は誰かの同意や賛同を期待していた。いやストレートに言うと自分の愚かな行為を肯定してもらい慰めて欲しかったのであった。

実は思っている以上に不安でたまらなかったのだった。

その期待に応えるかのごとく、それをすっかり見透かしたようなHこーちがすぐに返信をくれた。


『お疲れ様。


年末年始の慌しさに加え、新年早々がんばって走ったのであれば、この風邪は疲労から来るものであり、同時に、その疲労を長引かせず、 しっかり休んで回復を図れば、実はちょうどよい休養になって、走りにはプラスになることもよくあることです。


心理的には、

体調が悪く体が弱くなっていっているのでは?

風邪なんて引くとこれまでのトレーニングの苦労がムダになるのでは?

風邪から回復しても調子を取り戻すのにまた時間がかかるのでは?

などと思うこともあるかもしれません。


でも大丈夫。

風邪はこれまでのハードワークの延長。

これをしっかり克服すれば、その後にはまたレベルアップした自分がいるはずです。

そこを無理すると、上記の不安が本当になってしまうことも。まずは休むことですね。


トレーニングは疲労の原因や理由でしかありません。走ればエリートランナーでも誰でも疲れます。

しかし、十分に休むから速く強くなるのですよ。

「トレーニングしたから疲れた」は何の言い訳にもなりません。

仕事もいっしょ。がんばってやっても疲れるだけ。「仕事がんばったから疲れた」も初めからわかっていることですよね。


人間には理性があるので、少々の風邪や体調不良でも、責任感の強い人ほど(実は義務感あるいは不安感の大きい人ほど)、仕事のノルマなど、つい無理してしまいます。

しかし、それは生体にとっては破綻への道標。時には必要ですが、人間もしょせんは理性の前に何らかの感性をもつ生き物のはず。ことランニングに関しては、理性よりも感性がより重要です。


つまり、疲れたら休めです。

心(あるいは理性)がGOと言っても、体がNOといえば休むに限る。

休む勇気があれば、必ずレベルアップします(サボりはNGですが)。

体のNOサインを理性や精神力あるいは根性で克服しようとしても無理な話です。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」の言葉は、実は一方通行です。


また余計なことを書いてしまいました。


右側足腰の痛みの件、足の長さ(脚の長さ?)は特に関係ないように思います。

誰でも左右差はあるもので、その原因が骨盤の左右の傾きや、その骨盤の傾きに影響する股関節の「外転筋」の筋力不足が関係している場合があります。

加齢に伴って股関節外転筋の筋力は低下すると言われていて、高齢者のつまずきによる転倒事故の原因でもあります。

股関節外転筋とは、脚を横に持ち上げる働きをもつお尻の筋群です。

実は右側の股関節外転筋が弱っていて、見かけ上、右脚が長く見えているのかもしれません。

ただ、これが原因で同じ側の足腰の痛みが生じるかどうかはわかりません。

腰痛と関係はないですか?足の痛みはどのあたり?


H』


つくづく優しいこーちである。


『Hこーち


毎度ありがとう。

本当に救われますね。

自分ひとりだと不安や義務感に勝てず破たんへの道標にまっしぐらだと思います。


と言いつつホンマにアホな吾輩です。

今朝もその言葉を聞きながらも尚、相当の葛藤がありました。

トレーニングによって「風邪などひかないカラダ」を手に出来ると勝手に想像していたので、風邪をひいている自分に自己嫌悪し、めちゃめちゃイライラと焦ってしまっています。

さらにそうは言われてもやはり今までの練習(大した蓄積ではないですが)が無になってしまうのでは??と恐怖する心がイライラを増幅させてくれます。

元来が自己中心的、自意識過剰タイプの吾輩ですので、ウラを返すと怖がりで勇気が出ないことが往々なんです…

と、いくら屁理屈を並べても解決するわけではないのですが、簡単に自分を納得させるととても不謹慎な気持ちになりそうで、その理由づけ(言い訳)を必要としているだけなんです。さっさと聞き流してくださいね。

今日、明日は自重、明後日に120分走をスライドしようというのが結論です。

休養中は、貴君メールを改めて読み返しつつ、横腹筋運動に励みます。


右下半身の痛みはご指摘の腰痛とも大いに因果関係があると思います。

そもそも腰痛は右おしりを中心とした坐骨から発し、右足外側のラインに伸びている感じでヘルニア系の痛みと自覚しています。普段の生活から常に腹筋を意識し発作を起こさないように注意しいていますが、風邪をひいて関節に力が入りにくい時などはまさに要注意だと思っています。

それでも年2〜3回は発作を起こし歩行がキツくなることがありますので、本番に発症しないように細心の注意を払っていきます。

それと直りませんが昔から右足の踏み出しがガニ股(つま先が開く)で、右足のかかとで左足のくるぶしを蹴ってしまう癖があります。

かつて野球をしていた時などはスパイクで蹴ってくるぶしから血が出ることもありました。

あとは分かってて治らないのが深酒・・・

今週も練習をスキップした水、木は飲みませんでしたが、昨日の新年会ではガッツリやってしまい、それが風邪(特にノド、せき、たん)がすっきりしない要因ゆえ、この3連休は極力控えたいと思います。


本当にどうもありがとう。


K』


と、そこに、私が必要以上にストイックにそしてシリアスにならないようにと気を使ってくれたのだろう。

T君が他愛ないメッセージを差し込んでくれたことで、それでもまだこだわっていた私の気持ちがずいぶんとほぐれたのだった。。


『国分太一も東京マラソンに挑戦とのこと。

K殿、休肝日も必要でっせ。

そういう我輩は数ヶ月間休肝日は無いですわ。

2月早々の人間ドックが恐ろしい。


T』


さらに、幼稚園児のサッカーコーチをしているという朋友A1君が、それこそ“新春走ろう会”とやらで幼稚園児と一緒に走ったという話を、おもしろおかしく書いて場を和ませてくれた。

お陰で、その雰囲気に乗せられた私も少しくだけたメッセージを送った。


『A1君


寒い中ご苦労さんでした。


短気な吾輩にはチャオ軍団引率は到底ムリ。

貴君の活動には敬服ですな。


でも子供が一生懸命やっている姿を見て大人がケツ割るわけにはイカンという気持ちにはなりますね。


吾輩もお陰様で体調もかなり回復しましたので昨日run再開し、ご多聞に漏れず寒かったですが何とか120分/19.5キロ走りました。

またこーちに怒られそうですが、久し振りで張り切ったからかちょっとふくらはぎとモモ裏が痛くなりました。

今日は新年会でrunパスですが、1/16(日)のハーフに向け明日〜土曜日軽くやりながらケアしていきます。


Hこーち

鼻水飛ばしを少しマスターしました。


K』


とまあ、こんな具合に世話の焼ける私を朋友たちが盛り上げてくれるのだった。


『ランナーK殿


お疲れ様です。

とりあえず「120分/19.5キロ」でいいんじゃないでしょうか。

回復後もそのペースで走れるのなら、ベースができている証拠かもしれません。


今週末のハーフでも「2時間15分以内」の目標達成できそうですね。


ただ、トレーニングでそのペースだと、レースでは周りの勢いと緊張感や雰囲気に押されて、簡単にオーバーペースになってしまい、ペース管理が難しくなるかもしれませんね。

そこでどんな展開になるかを見てみるのも、本番に向けてのよい経験になると思います。


なので、今週は体調管理を万全に、けっして、これまでの遅れを取り戻そうとかせず、

トレーニング量を抑えていきましょう。


「鼻水飛ばし」をマスターしましたか。

でも、けっして駅のホームや横断歩道、人ごみの中でやらないように(笑)。

今度は上級者編「走りしょん〇ん」をご教示します。


マスターH』


メールのやり取りのくだりでお気づきのことだと思いますが実は!

私はこの1週間後に人生初のレースを控えていたのである。

それもあって、過剰なまでの不安や焦燥感にさいなまれ自分を見失いかけていたのだった。

さらに、まだまだほんの駆け出しではあるものの、ほんの少しばかり芽生え始めてきたランナーとしてのちっぽけな自負さえもぐらぐらと崩れ落ちそうになっていたのだった。

レースへの参戦は、トレーニングの成果を確かめることはもちろんだが、いわゆる“場慣れ”のためにHこーちがプログラムに組み込んでくれたものだった。

当初の予定では12月に腕試しの10㌔に参加し、フルに向けた実力テスト的な位置付けとして1月にハーフを走る計画だった。

しかしエントリーしていた10㌔大会の当日に、何の因果なのかあまりにも珍しく仕事が入ってしまい、やむなくハーフに直行することになったのだった。

そんな状況での体調不良は相当に私の心を揺さぶったわけだが、みんなのフォローにより臨戦態勢を整えることが出来た。


にもかかわらずである。

ようやく体調も回復しトレーニングを再開していたわけだが、一難去ってまた一難である。

わずか1週間前にあんなにHこーちや朋友たちに心配を掛けたのに、またしても体調不良。今度は脚の痛みだった。

はやる気持ちを抑えつつジョギングで最終調整していたハーフ大会の3日前にふくらはぎに変調をきたしてしまった。

先述の通り10㌔マラソン大会の出走を直前にキャンセルせざるを得なくなり、このハーフ大会に照準を定めていたのになんということか。

ショックを受けた私はやはり一人で困惑した。

一度ならず二度までもこんな直前になってトラブルとは、応援してくれている朋友たちにも申し訳ない気持ちで、果たしてHこーちに言うべきなのか思い淀んだ。

黙って様子を見て自分で決めるべきではないのか?

いや、もし落胆されたとしてもやはりHこーちや朋友たちに打ち明けて相談するべきではないのか?

その晩、暫し悩んだが結論を出せないまま、ランニングについてはほとんど相談しない家人にチラッと話してみた。

「3日後に初めてハーフマラソンの大会に出るんやけど今日走った時にちょっとふくらはぎ痛めてなぁ」

「走れないくらい痛いの?」

「まあ、走れんことはないと思うんやけど、無理して悪化さしたら東京マラソンに影響出るんちゃうかなとか考えてんねん」

「なら、無理しない方がいいんじゃないの」

「せやねんけど、色々とサポートしてくれてるHやらみんなに悪いし出た方がええかな~と」

「なんで?それこそHさんに相談すべきでしょ。逆に黙ってる方が水臭い裏切りだと思うよ」

と、家人が妙に毅然と言い切ってくれたことで躊躇がなくなり、ならば善は急げと翌朝にメールを送ることにしたのだった。


『八重洲会各位


軽い相談です。

昨日帰宅後軽く走ったところ、先日ちょっと痛めたふくらはぎが思いのほか痛い。

(10キロの予定を7キロで自重。)

歩行には特段支障ないのですが走るとちょっと痛い。

(軽い肉離れ系で筋肉痛の兄貴分ぐらいの感じ。)

明後日のハーフに備えるべく今日、明日はムリせずエアサロ+シップで患部ケアに努めるつもりですが貴兄各位におかれましては、何か即効性のあるもの知らん??


K』


またしてもHこーちは速かった!


『お疲れ様。


痛むのはふくらはぎのどの部分ですか?

太いところ(子持ちししゃもの部分)、アキレス腱に向けて細くなっているところなど。


いずれにしてもランニングが困難であれば休むことですね。

どちらにしても明後日のレースに向けては休養が必要ですから。


そして、まだ炎症が起こっていると思うのでアイシングしてください。

できれば氷で直に患部をクルクル回しながら冷やし、赤くなって感覚がやや麻痺する程度(約5-10分程度)行えばよいと思います。

「エアサロ+シップ」は単なる気休めです。

今日明日は朝晩あたりにアイシングを行ってみて、日曜日を迎えてどうかといったところです。

場合によっては参加を見合わせることも、来月のマラソンを考えると英断だと思います。

もし走った場合、同じくレース後はアイシングを行って下さい。


アイシングは水を入れた紙コップを凍らしておき、カップの縁を2センチ幅ぐらいで切り取って使えば手が冷たくなくて済みます。

ふくらはぎなのでやりにくいとは思いますが、タオルなどを下に敷いてやってみてください。

どうしても痛みがひどい場合はアイブプロフィン入り抗炎症剤の服用もよいと思います。


こーち』


ありがたい話である。

さらにT君からも親身なメッセージが。


『流石、H博士。


来月のマラソンを考えると今回のハーフマラソンを控えることは僕も英断だと思います。

(横入りですんません)


T』


その結果、私はハーフマラソン大会に挑戦したのだった。


『八重洲会各位


お陰様で無事ハーフマラソンを完走しました。

まずは低い第一関門ながら何とかクリア出来ましたが、やはり皆さんの応援の力が大きかったので、これからも我慢してメール読んでくださいね!


さて今朝玄関を出たら、まだ薄暗い街にうっすら白いものが…

寒いとは聞いていましたがよりによっての積雪にはさすがにちょっと腰が引けました。

かつて金八先生のロケにも使われたらしい荒川の河川敷で行われたマラソン大会は、寒さにも増して猛烈な風に吾輩(だけではないと思いますが)の心は折れかかりました。


しかも最終折り返しからの約4キロが地獄でしたね!

吾輩の上品な体躯では前に進まないほどのアゲンスト。

さしものTプロのドライバーでも100ヤードしか飛ばないのでは?と思わせる感じでした。


その中で2時間4分44秒は上出来かな…?


足はもちろん疲れてますが、ふくらはぎも大きなダメージには至りませんでした。ご心配かけてすみませんでした。


ただ、今日のペースでは到底フルマラソンは厳しいと思い知りましたので、また地道に練習します。


K』


これは完走後に携帯から速報として送ったメールである。

敢えて興奮を抑えたので、心配してくれていたであろう朋友たちにはちょっと無礼な感じに聞こえたかも知れなかった。

でも、その後のやり取りでその懸念は払拭されたのであった。


『お疲れ様~。

目標達成おめでとうございます!

(目標を10分以上も上回る好記録)

しかも、寒さと猛風の中。東京へ向けての大きなステップとなったと思います。

「最終折り返しからの約4キロが地獄」。

この経験を忘れずに。

マラソンの「地獄」は10キロ以上続くこともありますから。

(「30キロの壁」のあと。その実態はいまだ科学で解明されていない…)。


しかも、二度目の銀座4丁目を通過して晴海、豊洲を目指す35キロ以降のパートは、最後にしてアップダウンと向かい風がランナーを苦しめます。

ここが正念場。これまでのトレーニングの真価が試されます。


でも、ふくらはぎの心配は大事にならなくてよかったです(アイシング?!)。


今後のトレーニングを少し見直しましょう(進歩が早いので!)。

またデータを送って下さい。


明日はゆっくり休みでお願いします。


こ~ち』


『Hこーち


いつもいつもありがとう。

今回も信頼出来るこーちからの適切なアドバイスに救われました。


本当にアイシングに尽きましたね。

前日土曜日はずっと保冷剤を靴下にはさんでました。

お陰でふくらはぎは重大にならずに済みましたが、一方で痛感したのは「最後はモモウラが勝負やな」ということ。

もともとジジイの足のような不甲斐ないモモウラですので至極当たり前ではありますが、ふくらはぎは多少は以前より太くなってきているのが自分でも分かる一方で、モモウラの筋肉はほとんどついていないように思います。

今から急造というものでもなし、地道にプログラムをこなしていくつもりですが、昨日のような馬力を必要とする局面ではモモウラがキツかったです!!


しかし、こーちにほめられるとちょいとケツの座りが悪くなりますが、最近休みだらけのランニング記録データを送りますので是非厳しいご監修を。


あと、僭越ながら初めての完走証を貼り付けて置きます。

(最近はRCチップとかってすごいですな。)


K』


完走出来て本当はめちゃめちゃ嬉しいくせに、反省点を上げるなど冷静沈着を装う姿が滑稽極まりない。


『中村選手


「モモウラ」は「ランニング筋」ですので疲労するはランナーの証。

しかし、ここが辛くなると、ストライド(歩幅)が伸びずペースダウンしてしまいます。

マラソン前半では、できるだけストライドは短めに、ピッチ(歩数/単位時間)を上げて目標ペースを維持するように走りましょう。


「モモウラ」、正確にはハムストリング(大腿の伸展筋群)ですが、ランニングにとってはメインに働く筋肉です。

太ももの表側は、着地の際には働きますが、推進力を生むのはハムストリングです。

ここを意識して走ることもトレーニングでは重要です。


また、ふくらはぎの筋肉も同様に長距離ランにとっては受身になって働く筋ですので、マラソンランナーでは通常それほど太くはなりません。

スプリンターだと、太ももの表側もふくらはぎもキック力を生むために必要ですが。

ハーフを2時間そこそこで走れるんですから、ハムストリングもしっかり成長しているに違いありませんね。


こぉち』


相変わらずほめ上手のこーち。

のぼせ上がらないようにせねば。

と、思っていたらダメ押し?がもう一丁とは、のぼせ上がりを飛び越して舞い上がること必至。


『アスリートK殿


お疲れ様です。

これまでのデータを拝見しました。

プログラム開始から先週末(16日のハーフ)までの9週間、プログラムの実行率77%、トレーニング日数69%でした。

週あたりの平均トレ回数は4回を目標としていたところ、3回未満。体調不良等があったのでしかたないですが、これからの6週間がんばっていきましょう。


ハーフ2時間5分はなかなかでした。ここから推定されるマラソンタイムは4時間24分。5時間切りどころか、4時間30分切りも夢ではなくなりました。ただ、ここでいかに過信することなく努力を積むかが重要です。

ハーフで1時間40分を切った知り合いが走った初マラソン。5時間10分かかりました。


目標ペースを変更しています。

トレーニング量・頻度ともに十分とは言えないですが、ハーフのタイムを考えると、これぐらいペースアップしてもよいかもしれません。トレーニング時間の変更はありません。トレーニング時間も大切ですが、頻度は何とか維持したいものです(週4回)。


今週、来週と、もっともトレーニング時間が多い週になります。これを何とか乗り越えて、「レース一月前」の調整に臨みたいところです。

あと、ふくらはぎにハム、腰、そのほかの痛みや不具合には慎重に。

がまんして無理してやっても、当日はごまかしがききません。


先日のハーフを走りきって、「マラソン」のイメージが湧いてきたかと思います。

「21.0975×2<42.195」です。


こぉ~ち』


こうしてなんとかかんとか人生初のハーフマラソンを完走することが出来た。

ただ2月27日の東京マラソン本番への課題もたくさん残り、見方によっては自信よりも不安の方がかえって増したのではとも思えた。

相変わらずの小心者である私は、この先乗りトレーニングに対しこの不安を拭い去っていけるのだろうかとまたも逡巡した。

しかし、Hこーちを信じ八重洲会の朋友たちの言葉にも勇気をもらい前に進んでいこうと改めて心に決めたのだった。

2月27日まであと残り40日間。Hプログラムによると、本番前の1週間はほとんどトレーニングメニューのないいわゆる“疲労抜き”の時間となる。

一方、それまでの30日間が本プログラム最大の練習量が組まれているヤマ場なのだ。でも実のところそれは量だけではなく質においても同様だった。

今さらながらではあるが、マラソンのトレーニングの一般的なメニューとして大きくはこんなものがある。

①ペース走(一定の距離を一定のペースで走る)

②スピード走(比較的短い距離を全力に近いペースで走る)

③インターバル走(短い距離で、全力とジョギングを交互に繰り返して走る)

④距離走(長い距離を一定のペースで走る)

⑤LSD(ロングスローディスタンス、同じく長い距離だがゆっくりのジョギングで走る)。

その他にも、坂道ダッシュや不整地を走るファルトレクなど、さらに突っ込んだメニューもあるが、それらは私のような初心者にはまだまだ敷居の高いレベルのトレーニングなのでここでは残念ながら無縁となる。

さて、トレーニングメニューそれぞれに期待する効果が違うので、それを複合的に組み合わせることが42㌔という途方もない距離を走るための礎、というか根拠か源泉になるらしい。

ただ、それにしてもそれぞれの目標と、求める結果に応じてメニューのウェイトが変わってくるという難しさもあるようである。

では、私にとっては何がいちばん重要なのか?

私の目標と求める結果とは、何をさて置いても「完走」である。

ということは完走するためにいちばん重要なトレーニングほ何なのか?

それが私の興味なのだが、それこそが私の最も苦手としてきた持久力を養うトレーニングである④距離走なのであった。

と、私のような素人が受け売りをたれ流すまでもなく、Hプログラムには最初からそれを踏まえたメニューがしっかりと組み込まれているのであった。


さぁ、ここからが本当の正念場である。

本番前4週間にあたる来週末に150㌔(25㌔)。そしてクライマックスはその翌週、つまり本番の3週間前に実施する180分間(30㌔)なのだった。

年始の情けない体調不良から、どうにか立ち直りハーフマラソン大会もクリアしたものの、その疲れも蓄積している体での最もハードなトレーニングメニューである。

その難関を前に、不安を通り越した恐怖のようなものが私に覆い被さっていたのだった。


ハーフマラソンを走れたことは、勿論私の自信にはなっていたがこれを過信してはならなかった。

ペース配分などたくさんの課題が見つかったことがそれを物語っていた。

ハーフマラソンもラストの4㌔では冷たい強風が向かってきたことはあるにせよ、それこそ全くの余力なし。

一杯一杯やっとこさゴールにたどり着いたということを考えると25㌔走、30㌔走では同じ失敗を繰り返さないようにしなければならなかった。

つまりそれが出来なければ、もっと先にある未知の42㌔を語る資格さえも持ち合わせないことになるからであった。


翌週末は天候にも恵まれた。

いつものように愚息を野球に送っていったあと、海老川とエビスさんのところまでは自転車で向かった。

今日の25㌔走では走力向上に加えて補給の練習にも挑戦してみようと思っていた。

するとHこーちから「補給のタイミングと量を確認しておこう!」というアドバイスとともに補給ジェルのプレゼントまで送られてきたのだった。 (こーちが契約しているものらしい)

また、真冬とはいえ給水にも注意する必要があり、これは水飲み場で対応することにした。

ちなみにジェルは15㌔(90分)あたりで1つ摂取する計画ではあるが念のため2つをランパンのポケットに入れてスタートした。


25㌔というとホーム海老川を11~12周することになるが、序盤の5周までをいかに辛抱してペースをコントロール出来るかが課題になる。

ここまでトレーニングしてなんとなく分かってきたことだが、走り始めというのはいつもしんどい。息も整わなければ体も脚も硬くて重い。

それは人によって異なるのだろうが私の場合はだいたい5㌔くらいになると「呼吸が同期する」とでも言うのだろうか、息が楽になってくるときがあるのだ。

それに並行して体も程良く温まってくる。が、ここが危ない落とし穴なのだ。

この5~10㌔、更に15㌔あたりを軽く感じるからと言って気分よくいってしまうとその後、例えばハーフマラソンならば終盤に必ず高い代償を払わされる羽目になるのだった。

気象条件が良いと尚更その心配が増すので今日は「ガマンガマン」と言い聞かせながら、序盤の周回に入っていったのだった。

あ、素人の講釈をもう一つだけ。

練習で得られるものには、走力だけではなくそれと同じくらい大事なものがあることを知ったのだが、それは「ペース感覚」というヤツである。

「駆け出しの中年オヤジがそれを言うな」というお叱りの声があちこちから聞こえてきても、やはりそれが“走行距離“や”走破タイム”の向上に欠かせない能力だという確信は変わらないのだ。

でもこれを私が出来るかどうかが問題で…

そう、もうお分かりですよね。

そもそも、それが出来ればオーバーペースで終盤撃沈という失態などあるはずないのであった。

だから却って私のような初心者ほど「時計ばかり見るな」と言われても時計ばかりを見るのであった。


さすがにこの日はそれを十分にすることが出来たのか、これまででいちばんガマンが利いたような気がした。

ジェルでのエネルギー補給も思ったより上手くいき、これまでの最長距離にもかかわらず何とか無事25㌔走をクリア出来たのだった。

すると「よし!これなら来週末の30㌔走も何とかいけそうやな」

と、すぐこれである。

自信と共に過信という魔物が背後から忍び寄っていることに、またもや調子に乗りかけていた私には気づく術はなかったのだった。


だから、こんな感じである。


『明日は7時には起きておにぎりを作り、愚息を野球に送ったその足で180分間走に臨みます。

本来は早く寝て睡眠をとるべきですが、今夜のアジアカップは見逃すわけにはいきませんので、テレビ観戦、即就寝でいきます。


K』


そして、一応は…


『さて…

やり切りました、練習の正念場180分間走。

アジアカップの大熱戦で少々寝不足気味ではありましたが朝、愚息を送ったあと9時過ぎにスタートし12時過ぎに無事終了。

多少の風はあったものの、寒さもほとんど気になりませんでした。


毎度こーちの指示を守れずオーバーペースで、結果30キロを走破。

やはり15〜20キロあたりから足も痛く、当然きつかったですが20キロ以降もなんとかペース(6分/キロ)をさほど落とさず走り切れました。


ただこのペースであと10キロ以上というのはとても想像できなかったので

本番はやはり控え目に入るべきと改めて教訓を得ました。


走行中は2〜4キロおきに給水(ペットで2〜3口)をマメにとり(都合500mlボトル1本)、ジェルは1H25Mと2H30Mの2回を摂取しましたが、とても美味しく元気が出ました。(フルーツ系が特に美味いね・・・って催促しているわけではありませんよ!?)


帰宅後、大阪国際女子マラソンを観て赤羽選手の初優勝に感激しました。(他の選手も素晴らしいですが)

トップランナーでも顔を苦痛に歪める35キロ以降は恐怖ですが、今日の赤羽選手や、昨晩も最後まで止まらず走り回っていた長友選手などのひたむきで美しい姿を脳裏に焼き付け、その姿を想像して頑張りたいと思います。

しかし明日の筋肉痛がどの程度なのか・・・


圭』


満足感に浸っている場合ではないことが、30㌔を走り切ったことで浮かれてしまい、何が目標だったのかをお前は忘れてしまっていないか!

苦しさを乗り込えて30㌔を完走したことは良かったのだろう。

それ自体は否定しない。

しかし、お前の目標は何なんだ?

東京マラソンを完走することではなかったのか。

ならば30㌔走は目標ではなくお前の目標を達成するための手段ではないのか?

30㌔で満足して浮かれているだけでいいのか!

もし、この30㌔走に臨もうとしたときに決めた課題に対して十分な成果が得られたのならば敢えて百歩譲ろう。

しかし結果は十分どころか不十分以下ではないのか。

1月のハーフマラソン大会で見つけた課題をこの間の25㌔走で何とか改善し、克服の糸口を見つけたのではなかったのか。

その舌の根も乾かぬうちにハーフマラソン大会の時と同じ課題を残す結果になったのではないのか。

いやそれよりも酷い!

~ただこのペースであと10キロ以上というのはとても想像できなかったので

本番はやはり控え目に入るべきと改めて教訓を得ました。~

そんな他人事みたいに言うてる場合かっ!


でもHこーちは優しい。

それを勘違いするのではないぞ、俺!


『中村ランナー


お疲れ様です。

「180分30キロ」やりましたな。

かなり目標に近づいてきました。

補給の実践練習もよさそうですね。

今日の筋肉痛は?

しっかり休んでください。それと炭水化物(糖質)の補給は十分に。


ただ、ご指摘のように30キロを走っても、そこから「12キロ」です。

この30キロ走った時点で「まだ12キロあるのか…」と思う場合と、

「あと12キロか。これからだ!」と思える場合では、同じ12キロでもかなりの違いがあります。


「30キロの壁」などど言ったりしますが、ここに体力的、あるいは生理的な「壁」というものが存在するかどうかは不明とされていますが、人によっては心理的な「壁」があるのは間違いなさそうです。

しかし、これは自分で自分の壁を作ってしまうのですよ。


また、これは日常生活のほかの事でも当てはまりますね。


ちなみに、ずいぶん前に80キロのウルトラマラソンに出たことがありましたが、このときには「30キロの壁」などはありませんでした。40キロ走ってもまだ「ハーフ」。あと40キロあります。

ではどこかに「壁」があったかと言うと、結局、どこにもありませんでした。

たぶん、心理的に80キロは「とにかく長い!」としか思えず、「10キロ×8回」と考えて、その1回ごとに集中していたからよかったのだと思います。

マラソンも「30+12キロ」ではなく、「10キロ×4回とちょっと」などと思って走っています。


なので、今回の「180分30キロ」の成果として、体力的走力的な面で今のよい状態を知ることができましたが、ここがかえって「壁」とならないように、今後、「教訓」として活かしてください。

そして、この「教訓」を得ることのできた今回の180分走は大きな収穫ありです。


トップ選手も、初めてのランナーも「辛さ」「苦しみ」はいっしょです。走るスピードが違うだけです。

(あるいはそれまでの努力の蓄積も違うかもしれません。でもすべての生活を考えるとやはり同じ?!)。

なので、フィニッシュで得られる達成感もいっしょだと思います(あるいは悔しさも?!)。


またジェルを送ります。ここから4週間、まずは疲労回復、そして調整で調子を上げていきましょう。


こーち』



この通り、ようやく完走したという感じの30㌔走ではあったが、Hこーちの優しい言葉の厳しいアドバイスを聞いてみてちょっと翻って考えてみた。

さっきは自分の不甲斐なさに辛抱たまらず、自分への叱責を浴びせたわけだが、少し落ち着いて考えてみたら、こんな対極的な思いも浮かんだ。

今回の30㌔走に対してその出来不出来を論じること自体がそもそもの私にはおこがましい、分不相応ではないのかという思いである。

自らが最も疑っていた、よもや30㌔を完走出来るなど、よもや誰が想像したことだろう。

でももう後戻りは出来ない。

自分への叱責と、一方の自分の頑張りへの許容の両方を携えて、本番までの3週間を大切に過ごさねばならないのだ。

何度目になるのか数え切れないくらいの逡巡を断ち切って過ごさねばならないのだ。


肉体的なトレーニングとしては、この30㌔走がいわゆる”ピーク“ということらしいので、あとは徐々にトレーニング強度を落としていきながら疲労を抜いていく作業になるということだ。

その一方で、練習量を減らすことが不安につながるケースが結構あるらしく、その意味ではオーバーワークにならないようにする「我慢」が重要ということだった。

私の場合はその「我慢」と合わせて、過去の度重なる失敗の教訓を生かすことが出来る精神的な改善、というか「心の入れ替え」が必要だったのが言うまでもないのであった。


だから、本番までの残された3週間はあまり発信をせず、自分との対話を充実させることを心掛けたのだった。


そして、それが奏効しているのかも分からないまま、いよいよ本番まで1週間となった時に、見透かしたようにHこーちからのメールが届いた。


とてもホッとした。


『レース1週間前ですね。

最近は通過タイム速報を携帯メールで送信

してくれるサービスはやってないのかな?!

サイトを見たけれど出てませんでしたので、もしあるようでしたらナンバーを教えて!


東京ビックサイトのエキスポはさぞ盛大なことと思います。

そこで改めて大会の規模と華やかさを目の当たりにすると思いますが、気分も盛り上がるというもの。ただし、テンション上げ過ぎて気疲れしないようにね。


今のところ、27日の東京の天気は曇り時々晴(最高気温10度)の予報。

まずまずのマラソン日和かと思います。

ただ、スタートの待ち時間が寒いかもしれません。

当日のウェアは、長袖のTシャツに半そでのTシャツの重ね着、もしくは長袖のTシャツに通気性のあるウィンドブレーカーのベストなどがよいと思います。

Tシャツはコットンではなく、ランニング用のものが適切。手袋は必需品でしょう。

下はロングのタイツに短パンの重ね着か、あるいはハーフ丈(または七分丈)のタイツに短パンでもよいと思います。

帽子はフリース素材の耳が隠れる丸帽子などでしょうか。

ちなみに、同じようなコンディションで出た僕の場合は、半そでのポリエステルのTシャツにアームウォーマー(暑くなったので途中で脱ぐことができました)、下は短パンのみでした。帽子はなぜかサンバイザー。

スタート以外は特に寒さを感じませんでしたが、個人差はあるので、上記をベースに寒さ対策を考えてみてください。

一応、5時間以内に走り切ることを想定した走りやすさ優先のコーディネートです。

あとはお好みで。長袖のウィンドブレーカーは中が蒸れてかえって体が冷えることもあります。コットン素材のウェアも汗が蒸発しにくいので体を冷やす原因になるので避けたほうが無難。


ただ、昨年(みぞれが降った)は低体温症でリタイアしたトップ選手もいたことから、雨や強風などが予想される場合はまずは防寒対策が必要になります。

晴れていても走っていても、風が吹くと体が冷えることもありますから。

「ペースを維持する」こともある意味、防寒対策になりますが。


H』


そして思いがけず本番3日前には、普段はあまりメッセージを送ったりしないKU君が、短くても心のこもったメールをくれた。

なんとも嬉しい限りだ。


『K選手へ

まだ先の話やと 思っていたビッグステージ。

あと3日ですね。

無理をせずベストを尽くし 怪我をしないで完走するよう 心からお祈り申し上げます。 結果報告を 楽しみにしています。


KU』


そして本番2日前。

いよいよ真打ちの千秋楽登場か、Hこーちの集大成が届いた。


『あさってのために


ランナー圭殿


いよいよ2日前。今日はビッグサイトでの受付でしょうか。

明日はゆっくり休んでください。無理して走る必要もありません。


● あさってのために その1

休むべし休むべし。

まずはゆっくり疲れないようにしてください。

明日(レース前日)の夜は興奮して眠れないこともありますので、十分な睡眠をとるなら今夜です。

明日ものんびり軽く体を動かす程度で十分です。うがいや手洗いも。


● あさってのために その2

食べるべし食べるべし。

炭水化物を中心に。これまで体重のデータを見てこなかったけれど、当日朝は多少増えている程度が理想。

ただし、食べ過ぎ飲み過ぎは禁物。

緊張で胃腸の調子がいつもと違うこともあるので、明日より、今日、しっかり食べておいたほうが無難です。


● あさってのために その3

気持ちに余裕を持つべし持つべし。

レース準備は明日早めに余裕を持って。

新しいシューズやソックスを試すのは避けよう。食べ物も食べなれているもので。

生ものは通常避けることのほうが多いです。


天気がどうやら下り坂です。

最高気温の予想は14度なので比較的高めですが、雨による冷えは考慮したほうがよさそう。特に終盤の海風は体を冷やす原因にも。手袋や帽子は必要です。

下も長タイツが必要でしょう。


● あさってのために その4

レース当日の朝も余裕を持つべし持つべし。

スタートは9時10分(スタートラインにたどり着くまで10〜15分ほどかかるかも)ですので、遅くともスタートの3時間前にはメインの食事を済ませておいて大きいほうのトイレにも行っておくのが理想。

会場までの道中で1時間ごとに、だんだん軽めにしながら糖質を補給しましょう。

先日、送ったジェルをレースの始まる30分前ごろにとっておければベストです。


会場には早めに。

けっこう忙しくてあっという間にスタート時間になります。

着替えの場所確保、荷物預託、トイレ、準備運動、スタート場所へ移動…。

スゴイ人でごった返します。余裕を持ちましょう。

特にトイレには長蛇の列ができるので、できれば会場までの道中、こまめにトイレに行っておいたほうがよさそうです。

それでも直前に行きたくなったら並ぶしかありません。

余分な「重量」をもって走るぐらいなら準備運動の時間がなくなってもトイレにいっておいたほうがよさそうです。


準備運動は普段どおりに。

周りの人のやっていることは気にせずに。

むしろ、何もやらなくてもOKです。

移動中に少し早めに歩くなどでも十分。


● あさってのために その5

ペースを守るべし守るべし。

スタート直後はみんな「10キロレース」と勘違いしているかのように飛ばします。けっしてその勢いに押されないように。

マイペースを刻みましょう。

前半は控えめぐらい控えめに(トレーニングではついオーバーペースになる傾向があったので気をつけよう)。

前半はくだりが多いのでペースが上がりますが、そこも抑えましょう。

くだりのダメージは上り以上に後半に効いてきます。ストップウォッチでペース管理ができると理想的です。

後半はペースが落ちるのとの闘いですから、前半にハイペースで行く必要はまったくありません!

むしろ、前半スローペースで行って後半にペースを上げることができたほうが、結果としてベストタイムとなるでしょう。

5時間切りのためのペース配分を明日考えておいてください。


● あさってのために その6

レース中はこまめに補給すべしすべし。

気温、汗のかき具合にもよりますが、30分に一度は水分補給しましょう。

水の飲みすぎには注意。必要以上に飲むのは「水中毒」の原因になります。

ただし、汗をしっかりかいている限りは積極的に飲みましょう。

エネルギー補給も忘れずに。給水所のバナナや携帯しているエネルギー食など。

スポーツドリンクもあるのですが、それはお好みで。


● あさってのために その7

楽しむべし楽しむべし。

痛みと苦しみの中、楽しめといっても無理な話しかもしれません。

でも、満足したレースを走るには、「楽しもう」と思える気持ちが大切だと思います。そして、これがもっとも大きな「チャレンジ」だといつも思っています。

Enjoy the pains!


と、いろいろと書きましたが、他に書きもれたこともあるかもしれません。

でも、とりあえず、昨年11月から約3ヶ月続いた「完走への道」(The Road to

Tokyo)ですが、これで僕からのアドバイスは終わりになりそうです。

あとは、走るだけ、です。


目標達成を祈念します。


こ〜ち』


実はちょっと泣きそうになりながら、私は返事を書いた。


『Hこーち


いつもにも増してホンマにありがとう!

「あさってのために」心強い限りです。

今からレースが無事終わるまでのお守りとしてしっかりと心にくくりつけておきます。

一方でHこーちのアドバイスがこれで終わると思うととても寂しい万感の思いです。


ただ、不躾な自己評価ではセンチメンタルな歌の方がアクティブなものより力が湧く?ようだったので、こんな思いもパワーに変えて走りたいと思います!


さて先程、東京ビックサイトにて受付を済ませ、いよいよ逃げ場の無いところまでやってきました。

ナンバーカードは中途半端にゾロ目が惜しい「22898」

もし宜しければ以下サイト(ランナーズアップデートといって、携帯で現在地やラップタイムが分かる優れモノ)にて生存確認をしてみて下さい。


http://r.tokyo42195.org/


服装は添付写真の通り、頭のてっぺんからつま先まで〆て1万円也の経済性の高い組み合わせです。

尚、怪しい度付きサングラスはソウル明洞製(4万ウォン=3000円)。


さて、Hコーチはもちろんのこと、「かけがえのない気の置けない仲間」一人ひとりの応援のお陰で無事明後日のスタートラインに立つことが出来そうです。

本当にありがとうございます。

さらに当日には、強力(協力)サポーターKO君に面倒を見てもらえるので、心おきなく自分の力を出し切ることに集中できるはずです。


思い起こせば、ひょうたんから大きなコマが出て、Hプログラムにチャレンジを始めたのが昨年11月16日。

それから約100日の長いようで短い時間でした。

20年間ロクに運動をしなかった、しかも持久走オンチの吾輩にはかなり厳しく辛いメニューが続きましたが、気がつけば

11月105キロ

12月166キロ

1月211キロ

2月146キロ

合計627キロ/100日を走っていました。

でも、おこがましい話、自分でも頑張ったなぁと思うのは、距離もさることながら、627キロの練習中に一度も歩かなかったことです。


でもそれも、苦しいときに顔や言葉を思い浮かべることが出来る仲間がいてくれたからだと改めて思っています。


とりわけ、言い訳と弱音の連続でくじけそうになったとき、いつも前向きに受け止めてくれたH君には感謝の言葉も思いつかないくらい感謝しています。

今日のアドバイスも心に刻んで走ります。


K 45歳

明後日、皆さんのその気持ちに報いる決意で

初めてのフルマラソンに全力で挑みます。


でも、同じぐらい楽しんできますのでご心配なく!!


K拝』


前日に朋友KO君からもメールが届いた。

私のようなダラダラしたものではなく、とてもとても短いメールが届いた。


『明日、丸々一日をKのために空けてある』


とてもとても短いけど、とてもとても力強いメッセージと共に、最強の援軍を得た私は、まさに“ビギナーランナー冥利”に尽きる男であると、誇らしくなった。


ちなみに、KO君はもちろん地元中学校の同級生であり、20歳前後の頃には“マジメな草野球チーム”で共に白球を追った仲間である。

ただ、主に野球友達だった当時はそれ以上でもそれ以下でもない距離での付き合いだった。

私が2000年に生まれ故郷の大阪から東京に飛ばされてから、かれこれ10年余りが経っていたが、その頃にほぼ時を同じくして東京に栄転したのがKO君だった。

しかも何の因果か、はたまた暗示なのか、広い関東地方でよりによって自転車で10分という場所にお互いが住んだのだった。

“遠くの親戚より近くの他人”などと引き合いに出すまでもないが、ご近所さんになったことで家族ぐるみも含めた付き合いの距離も格段に縮まっていったのだった。

いい加減なお調子者の私には、その対極にいるようなKO君のことが、かつての中途半端な距離感では理解出来なかった。

しかし会って飲んで話す機会が増え、その価値が分かってからは朋友の中の朋友になるまで殆ど時間を要さなかった。


物事を冷静に公平に見て適切に判断するタイプのKO君は一見寡黙だが、その実、内面は情熱的で相手の事を自分の事よりも先に考えられる熱い男なのだった。


そんな信頼のおける朋友には、Hこーちも全幅お任せのようだが、そのことも合わせてダメ押しのメールをくれた。


『サポーターKOさん、明日はよろしくお願いします。

みなさん、携帯もしくはPCで「22898」をチェックしましょう。


天気予想に「晴」マーク点灯。

予想最高気温が16度とのことですので、寒さよりも「脱水」が心配かもしれません。


30分に一度(5キロに一度)、カップ1杯程度、水もしくスポーツドリンクを飲むようにしてください。


ただし、無理して必ず30分ごとに飲む必要はなく、給水所が見えたらのどの渇きやおなかの具合を確認してください。

夏のレースではないので、水分補給の目安はあくまで「のどの渇き」でOKです。

おなかがちゃぽんちゃぽんしないように(ある意味危険です)。

給水所は5キロごとだったかと思いますが、逃すと30分は飲めないことも考慮してください。


スポーツドリンクで摂ると糖分補給にもなりますが(ただし、アミノバリューは余計なアミノ酸がはいっているので注意)、ジェルを摂るなら、それを流し込む目的としても水を摂りましょう。給水所手前でジェルを摂り水で流し込みます。


明日は朝から湘南藤沢マラソンのサポートボランティアです。

16キロレースですが、江ノ島入り口での誘導です。

携帯で「22898」をチェックしていますよ。


よい一日を!


こ〜ち』


ついに前日まで来てしまった本番を前に、小心者の私が家族に対して取った行動はというと、相変わらずの自己本位で一方的なものだった。

まずは一人で身勝手に練習に邁進してしまったことのお詫びとそれを容認してくれたことへの感謝。

次に明日、本番当日に“気が向いたら応援に来て”という、素直でないお願い。

(本当は絶対に来て欲しいのだった。)

そして最後にランニングキャップへのメッセージ書きのお願い。

これは私の半ば強制なので、家人と子供2人がキャップのツバの内側にそれぞれに書いてくれた。

小2の息子「走れ走れ走りまくれ!」

小6の娘「夢に向かって勇気を忘れずに!」

××歳の妻「最後まで諦めるな!」


本番前日、私はこんな自己満足の極みを自己本位に満たしたのち、そして最後は八重洲会の朋友たちにメッセージを送ったのだった。


『では、行って来ます!』


2011年2月27日(日)

自分史上において、最も緊張する朝がついにやってきた。

勝負の火ぶたが切って落とされるのは午前9時10分である。

昨日は昼間のうちに今日着るウェアの準備を済ませた。

初めてのナンバーカード装着に多少の時間は要したものの、持ち物も早めにバッグに詰め込むことが出来た。

少し炭水化物多めの夕食も早めに摂り、夜9時頃には寝床に入った。

しかし、不安な気持ちが緊張を誘うのと、命の次に大事な酒を控えたこともありなかなか寝付けなかったのだった。

それでも元来より寝付きは悪い方ではなかったので、頭の中で42㌔までは行かないうちに何とか眠りに落ちたようだった。

夜半に一度トイレに起きたが、予定通りの4時半に起きるまではしっかり眠ることが出来た。

ありがたいことに、丸々一日を私に預けてくれるというKO君との待ち合わせは船橋駅に6時半なのでじっくりとメシやトイレに時間を費やすことが出来た。

そして、時間通りにKO君と無事合流出来たのだが、不謹慎にも私は思わず大笑いをしてしまったのだ。

KO君の格好ときたら、私とどっちが走るのかを間違いなく見まがうような、気合い十分の服装にリュックサックに旗まで立てていたのだった。

新宿駅ではちょっと改装した東口のトイレにすでに行列である。

Hこーちのアドバイスもあり時間に余裕を持ってきたのでしっかり用を足してからスタート地点に向かう。

スタート地点である都庁前までは歩いて10分くらいである。

想像以上である民族大移動のような人波に流されながら都庁の方に向かう途中のことである。

「KOさん」と人混みの中からKO君を呼ぶ声が。

KO君の会社の同僚の人のようだが、どうやらそのご主人がガチランナーらしく、準備に余念がないところだった。

でもせっかくなので4人で記念撮影をして、そしてお互いの健闘を誓いその場をあとにした。

まだスタートまでは1時間少々の暇があったので、寒いのは覚悟で長蛇の行列のトイレに並ぶことにした。

なんと50分もかかった。

サポーターKO君にも悪いことをしたが、彼に荷物を託して、そして握手してスタート地点に向かったのであった。


わずか100日ではあったが、脚や腰や爪や脚の付け根などが痛くなったり、風邪に罪悪感を持ったり、一方、子供にモチベーションをもらって何とか気持ちをつないだり。

色々なことが頭の中をぐるぐると回る中、所定の位置に立った。

すると不思議な感覚なのだが、まだスタートしていないのにもかかわらず、もう自分としてはこの挑戦は終わったような気がした。

それは不肖何某が、やり切ったと自分自身に対し自信を持ってそう言えると思ったからであった。

無論完走を目指して走るのであるが、よしんば完走出来なかったとしても何も恥ずかしいことはない、一点の曇りもないという清々しい気分でスタートラインに立っていたのだった。


『Kさん、


おめでとう、お疲れ様でした。


画像を見ました。

4時間35分からKを探し続けて10分くらい経ってようやく4時間37分の画面となり見

つけました。

緑色のジャージというかランニングシャツを着ている人がやたら目に付きましたね。


ともあれ3ヶ月に亘った挑戦を成し遂げたKさん、改めて拍手。

それとやっぱりプロのコーチだったことをHさんのメールで改めて実感しました。

あれがなければ独りよがりの練習では大変だったことでしょう。


一緒に時間を共有できて良かったです。


OG』


『Kさん!! おつかれさま。

ほんまによーやったな(泣・・) 俺はうれしいよ。

あの・・・Kが、あのような・・・Kが、あんなことしてた・・・Kが、

って もうええか(笑・・)

ビールうまそうやったね~  俺もそのビール味わいたくなってきたかな~?

あかん、あかん 俺には到底無理であります。


A2』


『Kさん


ほんまによう走ったね。 お疲れ様でした。 おめでとう。

4時間34分54秒ネットタイム。何もいうことはありません。

という、こーちのメールを見た瞬間、鳥肌が立ちかけて何かジーンと来ました。


3ヶ月間の練習というと、すごい短期間に思えて、もっと以前からこの話があったような感じです。

次に情熱を燃やしているとは、すごいですなー。


Hコーチは、さながら松岡修造ばりのゲキやったね。


T』


朋友たちからの祝福に、本当に完走出来たことを実感した。


『感謝表明


かけがえなく、気の置けない友人 各位


小生の無謀かつ自分勝手なチャレンジに力を与えてくれて本当にありがとうございました。


お陰様で、昨日無事に生還することが出来ました。

無論、昨日一日ではなく、この3ヶ月間のみんなの支えがあってこそ昨日のスタートラインに立てたわけだと思っていますし、また何とかフィニッシュまで辿り着けたものと感謝しています。

フィニッシュ後、限界を超えたようなカラダを引きずり歩きながら携帯のメールを見たところ、何と着信が51通!!

みんなの激励、祝福のやり取りに感動し思わず涙が出そうになりました。


とりわけ、専属?こーちとして肉体的、精神的両面にわたり支えてくれたH君。

そのアドバイス、叱咤、ケアが無ければ、とてもここまで継続することは出来なかった・・・

不安にさいなまれた時には、常に前向きに肯定してくれました。

風邪を引いてしまった自分を許せず自己嫌悪に陥った時にも、「休養も練習」だと励

ましてくれました。

でも調子に乗ってオーバーペースになりがちな時には、「今はスタミナをつける段階

だ」とたしなめてくれました。

科学的、浪花節の両面から、いつも適切なメニュー作り、見直しをしてくれました。

だからそのメニュー通りにやれば大丈夫だと全幅の信頼を置き、迷わずやってこれま

した。

昨日も熱のこもった指示、激励をくれました。(走っているときは見る余裕ありませ

んでしたが・・・)

本当にありがとう!!


そして「一日をKのために空けている」と昨日朝早くから全面サポートしてくれた

KO君。

朝、駅で会った時、どっちがランナーかと見まがうような気合十分のスタイルで来て

くれました。

朝の新宿のおびただしいランナーの中に二人で突入していったことは忘れません。

飯田橋、東京タワー、日本橋、スカイツリー、ビックサイトを全力で移動し応援してくれました。

しかも、自身のリュックを担ぎ、小生のボストンバックを提げ、先にピンクの団扇をつけた棒を携え。

応援ポイントでは声を掛けてくれた後に沿道を走って追い抜かし写真まで撮ってくれました。

本当にありがとう!!


今日もとりあえず通常出勤したので、目標②と目標③は何とか達成しましたが、いちばん重要な目標①である完走(歩かず)は達成できませんでした。

実は33キロあたりで左モモウラが完璧にツって走行不能、数分間立ち止まりました。(後から考えると給水量が少なかったか、その頃には汗が乾いて塩が顔に噴き出している状況でした。)

ストレッチをして、若干走り方を変えて再度走り出しましたが、その後は尋常でないキツさでした。

Hコーチの言った通りのビギナーの典型そのままに(35キロまでに足が痛いようでは残り7キロは地獄)、34キロ地点の銀座4丁目がまさに「地獄の1丁目」と化し、何とか腕を振ってもがくものの動きはほとんどスローモーション。早歩きの人に抜かれるのではないかと思う有様でした。

さらには、走りながら給水をとることがもはや不可能で、給水ポイントでは数回歩く結果になりました。

情けないことに、こーちの期待を裏切り、自分自身との戦いにも負けてしまいましたが(ホンマに甘かった)、これで次に向かうモチベーションを残したと楽観的に理解し、早速「大阪マラソン」へのエントリーを行いたいと思います。


昨日の帰途には、KO君、小生の会社同僚2名、そして一応駆けつけてくれた家族の異種交流で軽く一杯やりましたが、A2君の言う通り最高のビールの味でした。


僭越ですが、宜しければフィニッシュシーンを。

(グロスタイム4時間37分頃、帽子を取って両手を広げてゴールしているのが小生で

す。)

http://www.enjoysport.jp/running/movie/tokyomarathon/



今回は、たまたま不肖の私Kがマラソンというステージで主役にさせてもらいましたが、いつも誰かが色んなことに挑戦する主役であって、お互いにそれを盛り上げ、応援する仲間でありたいし、その仲間の輪の中に自分もいつも居たいなとつくづく、そして改めて思いました。


本当に感謝感謝!!

ありがとうございました。


K拝』







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飲んだくれが自称ランナーになるまで ちーしゅん(なかむら圭) @chisyunfumi

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