伍 準菜五人衆

「完璧に壊れてるなあ、こりゃあ」

 山沿いの住宅街一角にある山爺宅で、陸徒はぼやいた。

 屋外の駐車スペース。そこに停められたスクーターのそばでだ。

 彼の愛車はカバーが外され内部構造を露出している。家主に借りた足元の道具箱からの工具で、いじられていたのだ。

 けれども、なにをやってもいい反応はなかった。夜も近い。

 額の汗を拭うと、陸徒はそこを離れた。そのまま、玄関へと入っていく。内部はもう照明が点いていた。


「どうじゃった?」

 玄関の床から土間へのスロープを車椅子で降り、山爺が訊いてきた。陸徒は答える。

「だめでした、だいぶ酷く故障してるみたいですね」

「もしかして、あたしのせい?」

 奥の部屋から出てきた香奈美が、山爺の隣に並んで案じた。


「山菜ゲーム中だったからデイダラボッ娘に送ってもらえたんだけど、あなたは予定になかったからって扱いがザツでさ。あの子、運んだバイクをちょっと高いとこから落とす地味な嫌がらせしたんだよね」


「まあ、事故ったせいでしょ。おれの不注意だ」

 陸徒の気遣いに香奈美はいくらか安堵したが、少年の方は髪を掻きむしって別なことに悩む。

「けど参ったな、早めに出たいんだけど。この街に直せる人とかいますかね?」

「おるにはおるが……」

 山爺は歯切れが悪く、途中で言葉を詰まらせた。不議そうな少年を置いて、少女と意味深な視線を交わす。

「いい人材はみんな、ハイエナの奴隷よ」

 続きを口にしたのは香奈美だった。

「あいつが軽々しく協力なんてさせないでしょうね。年貢とかほざいて、到底払えないような何かを要求するに決まってるわ」

「ハイエナって?」

「この街に配されてる山主やまぬし

 無知そうに動物の名を発した少年へと、少女は厳かに教えた。

「山界政府の八咫烏が描く五つの山に象徴される山菜採り。準菜五人衆の一角、〝ハイエナの昂〟よ!」


 バンッ!


 そのシルエットが、深刻そうな顔付きの香奈美の背後に浮かび上がった。

「ジュンサイゴニンシュウ……。どっかで聞いたような、聞かないような」

「昂どころかそっち!? あんたまさか、〝葦原中国あしはらのなかつくにネット〟の布告も知らないとかいうんじゃないでしょうね?」

「知らない」

 少女と老人がずっこける。

 ようやく起き上がると、香奈美は怒鳴った。

「文明使いながらどこに生きてんのよ、スクーターは盗んだの?」

「もらったんだよ」

 大真面目に 陸徒は反論した。

「あのデイダラボッ娘とかいうのに草食べさせて」

 またも家の住人たる二人はこけそうになったが、どうにか堪えた。

「く、草か……」

 体勢を立て直しつつ山爺は呟き、香奈美はツッコむ。


「少なくとも一回は山菜ゲームで勝ったってことでしょ! デイダラボッ娘たちに訊けば、葦原ネットで山界新政府が許可してる情報は閲覧可能でしょうに。

 山主の支配地域では勾玉型のスマートフォンもボッ娘から無償で配布される。多くは検閲されてるけど、新政府に関することなら昔のインターネットみたいに知れるじゃないの!」


 ステータスに表示されるLVの数値は単純だ。山菜ゲームに勝てば上がり、負ければ下がる。

 それだけにゲームの上手さが単純に測れるものでもないが、陸徒は2。確実に一度は戦って勝ったことがある。

 勾玉スマホはボッ娘に要求しないともらえないが、ステータスは日本の転移後に例外なく国民全員に表示されるようになった。陸徒はレベルと職業以外を他人に表示しないようにしていたが、そうした編集も自分の脳裏でしかできない。デイダラボッ娘が出現して以降に変わった世界の情報は勾玉で調べられるし初対面時ボッ娘はその旨を説明するので、受け取らないなどまずあり得ない選択だ。

 なにより、山菜ゲームの勝敗はデイダラボッ娘しか決められない。


「はははっ。ほとんど引きこもりだったからなあ、おれ」

 明るくそんな告白を始めた陸徒に、老人と少女は顔を見合わせる。

「いじめられてたとこを助けてくれた人が、冤罪で故郷の村から追い出されちゃってさ。気が滅入っちゃったんだよね。その一年後くらいに、地孫光臨が起きたんだ」


 もう、家主たちは黙っていた。旧政府と社会が崩壊し日本だけが無限の海に転移した、〝地孫光臨〟と呼称されるようになったデイダラボッ娘襲来による機械技術の後退。

 あの時期には、誰もが様々な災悪に見舞われたのだ。他人にはなかなか尋ねにくいことであり、あまり自分から語ることでもない。打ち明けるというのは、相応の理由があるという意味だからだ。


「村の外に出ようともしたけど、暴徒がヒャッハーって家に押し入ってきたりしてさ。隠れてやり過ごして、連中もすぐ帰ったけど。もともとヒッキーだろ、怖くなって出れなくなっちゃったんだよね。共働きの親は二人とも帰らなかったし。それから五年くらい、家の周辺で引きこもってたんだ」


「五年も、じゃと?」

 山爺が口にして、香奈美は訊いた。

「どうやって生活してたわけ?」

「ん、自分の家とか近所の店とか人がいなくなった家とかに余ってたもんをいろいろ拝借したり。……最低の火事場泥棒だわな」

「……確かにね。でも前の政府が崩壊してからは、そういう状況に追い込まれた人もたくさんいたわ。あたしは街のみんなに助けてもらってばかりだったけど」

「待て、若いの」

 鋭く、老人が切り込んだ。

「家にまで暴徒が来たのか、近くに店もあったというに。すると、食料なぞお主が盗むまでもなくなくなっていそうじゃが、五年も持ったのか?」

「うーんと。釣り竿あったから魚釣ったり、大変だったけど狩猟の真似事したりはしてたからな。なんか小春日和な状態が続いてるでしょ、だから山の草食ったり」


「この世界、ボッ娘が述べるところの〝山界〟には春と秋しか季節がないからな。あの小娘らがあらゆる山の幸を実らせるためにそうしておるわけだが、食えるものと食えないものの区別はどうしとったんじゃ」


「えーと。動物や魚とかについては、小さいけど本売ってる店もあったし、他人の家にも図鑑とかあったから。暇だしほぼ読破して、ね」

「そのくせ、山菜は草扱いなのはどういうわけ?」

 釈然としなさそうに質問したのは香奈美だった。陸徒は、これにもさらりと答える。


「うちの親は都会から田舎生活に憧れて村に来た類で、ろくに馴染めてなくてね。そういうことまではやらなかったんだ。おれも山菜採りは好きじゃなかったし、村にはやってる人もいたけどその手の本だけはなくなってたからさ。植物はなに食ったかよくわからないし、草っていうのが呼びやすい」


「山菜の書物か」山爺が推考した。「お主のひきこもっている間に真っ先に持ち去られたんじゃろう。山菜ゲームに勝たねば文明をもらえん上、山界政府がボッ娘の力で旧社会のライフラインも握る時勢では欠かせん」

 それから、彼は核心に触れた。

「つまり。山菜について無知なまま、見分けて食っていたということではないかな?」

「はあ、そうなるのかなあ」

 のんびり返事をした陸徒とは違い、家主たちは衝撃を受けたようだった。


 まもなく、香奈美は引きつった笑いに変わる。

「……う、ふふふ。冗談でしょ。あんた嘘ついてるわね」

「いや、マジだけど」

「ではお主」

 突然、老人が神妙な声を発した。

「あそこにある山菜のうち、どれが一番うまいかのう。ちょいと選んでみてはくれんか」

 彼は玄関の隅を顎で示した。

 そこにはレジャーシートが敷かれており、山菜の小山が載っている。採りたてで、種類ごとに分別途中のものだ。

「え、いいですけど。そうですね」

 いきなりの指示に戸惑いつつも、とりあえず傍らに屈んで陸徒は選定してみた。

「……うーんと、これかな」


 先端が丸まり、そこから茎まで柔らかく小さな葉をびっしりと纏った植物。草蘇鉄の若芽、コゴミが一本選ばれた。


 山爺の広げた手へと載せる。受け取った老人はたなごころの物体を凝視し、独白した。

「……本物かもしれん」

「またまたまた」

 香奈美は乾いた笑顔で、さっそく陸徒へいちゃもんをつけだす。

「んなの判断できるならホラ吹きなんでしょ、山菜採りに慣れてるってことよ。そこまでの実力なんて疑わしいけど」

「いや実際素人だし」少年は反論する。「おいしさはなんとなく感じるだけだって」

「じゃあなに、どうして五年もひきこもってたのがこんなとこに来れたわけ?」


「ああ。あるとき中年のおっさんが村に立ち寄ってさ、あんまり久しぶりの人だったんでヒッキー気質も忘れて挨拶したんだよ。で、いろいろしゃべったけど、おれの生活聞くなりゲーム挑んできたんだ。

 あの、ボッ娘にうまい草食わせた方が勝利ってやつ。それに勝って、賞品にもらったのが乗ってきたスクーターなわけ。その人に教えられた地孫光臨のきっかけに思うところがあったから、山魔王を倒しに村を出てきたわけだ」


「現今は旅立ちの経緯を話さずともかまわん」

 緊張した面持ちで山爺は遮り、ゆっくりと台詞を紡いだ。

「そのうまい山菜を食べさせる試合――〝山菜ゲーム〟というのじゃがな。それで降した相手の名前を、教えてはくれんか」

「いいですよ。……えーと、そうだ!」

 ちょっと悩んだあとにポンと手を叩き、軽い口調で陸徒は明示した。

「さっき聞いたあれですね。準菜五人衆っていうの、彼の役職でした。そこの一角の……、そうそう。北利卯ほくりゅう弥十郎びじゅうろうさん!」

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