肆 鬣犬

 山中の林に囲まれる荒れた畑の逢魔時。ここに、奇妙なモニュメントがあった。

 まず、女児服姿の亀姫が女の子座りで存在していた。その前にはテーブルがあり、肘掛け椅子もある。そこに、人が集まっているのだ。


「で、戸木沢ときざわ。亀姫が出会ったよそ者ってのは、どんなやつだい?」

 座席に掛け、卓上に足を載せている人影がダミ声を発した。

 婦警の制服を着た、豊満な体つきで三十代後半ほどのいくぶんケバい女。

 大きな胸にワッペンを付けており、そこには三本の足、三本の指、頭と広げた翼で、計五つの〝山〟の字を描く八咫烏やたがらすと、〝SANKAIサンカイ〟の文字を記した紋章があった。同様のものが背中部分には一面に刻印されている。


「へえ。こうの姉貴!」

 傍らに跪いている戸木沢と呼ばれた無精ひげの中年男が、問いに返事をした。悪人面で、警官と自衛隊を足して二で割ったような制服を着用している。

 周囲には、戸木沢と似た服装の大人たちがいた。

 彼らは昂と呼ばれた女の部下で、彼女のものよりは小さな八咫烏がその婦警制服と同じ位置にそれぞれ描写されていた。戸木沢の服だけは、上司には及ばないもいくらか格式の高そうなデザインだ。そして誰もが様々な火器で武装しているのだった。

「そいつは、十代の少年としかまだ判明してないんでさあ」

 戸木沢は報告する。

「身分証の類は持っていやせんで。なにしろ意識を失った状態でありやしたから、定住するかどうか本人から聞くまでは、山魔王のお達しであっしら山界政府軍も物を取るわけにはいきやせんからね」


「ちっ」昂は舌打ちした。「せっかくの獲物だってのに、どうにかならなかったのかい?」

「へえ、なんせ発見したのが山爺んとこの小娘でしたから。それにこのデイダラボッ、亀姫も一緒でしたもんで。葦原あしはらネットで監視されてたでしょうし」

「ふん、めんどうだね」

 椅子の肘掛けに腕を置き、上に伸ばした手の平に顎を乗せて、女はぼやいた。

「いいさ、下調べして気に食わなきゃ追い出すのも手だしね。用心に越したことはない」

「それって、もしかしてそいつが北海道の山を荒らした可能性を――」

 彼女の部下たる山界政府軍兵士たちの顔面が、いっせいに蒼白となる。


「あん?」

 唸って戸木沢を蹴り飛ばし、昂は立ち上がって喚いた。

「ふざけんじゃないよ! あんな都市伝説、誰が恐れるもんか。単なるあたいの好き嫌いの問題さ、そうだろう!?」


 引きつった顔を見合わせて、部下たちは凍えるような笑声を上げた。

「……と決まれば、挨拶する支度でもしようかねえ」

 彼女が目線を送った先は、畑の端の土手の向こう。そこに迫り出した樹木だった。登山家のような格好の少女がそいつを登っているのだ。

 昂は呼び掛けた。

「というわけだ。さっさと採りな理子、無駄な努力だからね」


「ふざけないでください! 大口を叩けるのもこれまでにしてあげるんですから」

 それはまさしく、香奈美との勝負に敗れた理子だった。セミロングの髪を揺らして振り返り、怒鳴る。

 彼女は、隣に伸びるタラの木の枝へと必死に腕を伸ばしていた。先端に、楤芽タラノメがあるのだ。

 もっとも、下は十数メートルはあろう断崖。タラノメは、そこを少し下ったところから育っている細い木の先っぽにある。こうでもしなければ採れないのだ。

「にしてもなんだい」腰に手を当てて、昂は見下す。「目前で収穫するなんて、手の内がばればれじゃないか」

「どうせあなたの出す品は決まっているのでしょう!」

 言い返しつつ必死に伸ばした理子の軍手をはめた指先が、ぎりぎりタラノメに触れた。

「――ッ! ……よっ、し採れました!」

 手袋に穴があき、血の玉が滲んだ。タラの木が纏う鋭利な刺が、指に刺さったのだ。

 痛みに顔形を歪めつつも、どうにか理子は目当ての芽をもぐ。


 ゴオッ!


 木と芽の分断面から、衝撃波が放たれた。

 緊張する部下たちの中で昂だけが平静に、理子が木の育成方向から逆行してくるのを眺めている。

 やがて少女は、対戦者たちと同じ高さの地面に帰還した。

「どうです、このタラノメ。制限時間を全部費やして吟味したんですから、立派なはずですよ!」

 誇らしげに獲物を掲げ、少女は宣言する。

「少なくとも苦労と努力は、あなたの山菜に劣るわけがありません」


  名前   / 理子

  LV  / 38


 ド ン!


「舐められたもんだねえ」

 相対する位置へ移動して仁王立ちとなり、昂は後ろに向かって手招きをした。

 戸木沢が背後に駆け寄り、跪いて長方形の立派な漆塗りの箱を差し出す。昂は受け取った。

「この品に勝つということが、どういうことか忘れたわけでもないだろうに。いくらあんたが、あたいを除けば街の女で二番目の腕前で、男でも一人を除けば敵う者なしだとしてもね」

 理子は現れるものに覚悟して、冷や汗を浮かべた。昂の方は自信に満ちて、蓋を開けていく。

 隙間からは、木漏れ日のごとき光が溢れている。


「さあ、出番だよ〝究極独活アルティメット・ウド〟! 遊んでやんな!!」


 太く長い新緑の輝き。それが、唱えた昂の手中へと取り出されたのだ。

 先端が燃え立つ炎のように分かれ、たくさんの逞しい毛を装備した植物。まさに、名にし負う究極のウドだった。

 一瞬。「ウ~ド、ウ~ド!」と鳴きながら、そいつが手の中で未確認生物の如く躍動したかのような錯覚さえ起こさせる。

「うっ……! や、やっぱり!」

 敵の山菜が放つあまりの威厳に、理子は呻いて身震いさえしてしまった。

「格が、違う!!」

 耐えきれず、一歩後退りさえしてしまう。


「さぁて、そろそろ判定だねっ」

 両者の心情など意に介さずに、巨大幼女はおもしろそうに跳ねながら宣告した。

「じゃ」手の平を合わせ、「いっただっきまぁーす」

 挨拶をする。

 途端。昂と理子、おのおのの手から山菜が離れた。

 宙を浮き、ウドとタラノメがデイダラボッ娘の口へと飛び込んでいく。

 直前。昴は「究極ウド、〝美味くなる〟だ!」と謎の命令を発し、当の山菜は「ウド~!」と応じたかのような幻聴さえもたらしていた。

「うむうむ、むしゃむしゃ、かみかみ、ごくん」

 二人に見守られながら、亀姫は目を閉じてじっくりと山菜を味わう。

 不安げな理子。余裕綽々な昂。


「――そう」

 一言と共に、幼女の巨大な瞳が見開かれる。

 たちまち、周囲の風景が移り変わった。

 視点は一同の頭上から、瞬く間に気圏を越えて宇宙空間に。――日本しか陸地のない地球全体を展望できる高度にまでも上昇する。そこに、かねての他の陸や島が幻となって重なった。

「ただ苦労すればいいというわけじゃない」

 いつのまにか、昂も理子も旅人になっていた。

 どちらも襤褸を纏ったみすぼらしい格好で荷物を背負い、杖をつきながら歩いている。日本から、草原、荒野、森林、砂漠、雪原、……あらゆる極地を越えて地中海世界へと――。

「たとえシルクロードを往復するような旅をしても、なにも得なければ益もない」

 中央アジアを東西に貫いて日本に帰国した二人は、それぞれ握り合わされた己の両手を顔の前で開く。

 ……理子のその中には、なにも入っていなかった。

「なにを得たかに意義がある」

 昂の手中には、上等の絹に抱かれた大いなる輝きがあった。それは全世界を照らし、やがて究極ウドとなり――。

「ここでの評価対象は苦労の多さでなく、成果!」

 辺りの景観が元通りの山となり、亀姫は断言した。

「清々しい緑の香り。太さの意表をつくすっきりとした噛みごたえ。天然の植物にしかない癒すようなおいしさ。全項目において、明らかにウドが上。よって――」

 ボッ娘は、眼下の人間のうち一人を視認し指名する。


 究極ウド/★★★★★

 タラノメ/★★★☆☆


「勝者は、金柿かながき昂!」

 山界政府は歓喜して、理子は呆然と立ち尽くすばかりだった。


  名前   / 金柿昂

  職業   / 準菜五人衆じゅんさいごにんしゅう

  LV  / 59


 ド ド ン !!


「さあて」

 昂は厳かに命じた。

「何度も逆らってきた愚者だ。こないだは警告までしたのに、性懲りもなく挑んでくるとはね。約束通り罰を与えさせてもらうよ」

 部下の男たちが、嬉しそうな表情をした。

「年貢の前払いだ、身ぐるみ剥いでやんな!」

 上司の命令と共に、男たちは理子に躍りかかろうとする。そこに、昂は釘をさした。

「――ただし肌をけがすんじゃないよ。あたいも女だ、不愉快だからね」

 ちょっと不満げながらも、男たちは改めて理子を襲った。

「いやッ、いやぁ――――っ!」

 少女の悲鳴。脱がされた上着や下着が宙を舞った。


 ……数分後。理子は持参していたハンドバッグと着衣を奪われ、泣きながら真っ白な裸身を抱えてくずおれていた。

 それを下卑た笑いでちらちら観察しながら、昂に率いられた山界政府軍は下山していく。

「ねぇねぇねぇねぇ」

 少女にはなんの同情も示さずに、山界政府を小幅なスキップで追いながら巨大幼女が無邪気に訊いた。

「勝ったのに、報酬はいらないの?」

 ある条件での山菜ゲーム勝者は、一品だけボッ娘に物体を創造してもらえるのだ。文明が崩壊する以前、地球上に実在した人工物ならおよそ何でも与えてくれるのである。

「おっと、そうだった」

 戦利品のバッグをあさって、昂は応答する。

「アクセサリーとか化粧道具はだいぶ奪えたからね。服だけ山菜採り用でダサいし、上等なものでももらおうか。いいのが思いつかないから、あとで地孫光臨前のカタログでじっくり選ぶとしようかねえ。ちょっとめんどうだが」


「すいやせん、姉貴」

 後ろで、戸木沢が小さく挙手をする。

「特に当てがないようでしたら、あっしはロケットランチャーとか欲しいんですけども」

「またかい」

 腹心を見もせずに、昂は溜め息をつく。

「市民にはその手の武器を渡さないようにしてんだ。武装蜂起なんてできやしないよ。身を護るぶんは確保してるだろうに」

「へ、へえ。でも、万が一ってことがありやすよ。でなきゃ今度の給料にしてもらう手もありやすが」

「ちっ、警戒心が強い上にめんどうなやつだね。わかったここでやるさ」

「ありがとうございやす。でしたら前回と同じやつで構わないんで、お願いしやす」

 ぺこぺこ頭を下げる戸木沢。相変わらず昂はそれを視認せずに応じた。

「聞いたろう亀姫、そいつが欲しいんだとよ」

「はーい、RPG-7一丁だね。へいお待ちぃー、なんちゃって!」

 そんなことを亀姫が口ずさむと、虚空にその対戦車擲弾発射器が出現。ふわふわと漂って、戸木沢の両手におさまった。

 彼はへりくだって感謝しながらも、主人たる昂の背中を睨んでいた。


  名前   / 戸木沢

  職業   / 昂の側近

  LV  / 24

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