参 山爺

 ……板張りの天井が、ぼやけた視界に飛び込んできた。

 日本家屋にありふれた床の間のようだった。畳の上に敷かれた布団で、彼は寝ていたのだ。

 夢の中にいた小学生の面影を残す、まだ高校生ぐらいの人物。巨大全裸幼女を目撃して、山道から転落したあの少年だった。


「目覚めたようじゃな、若いの」

 横でしわがれた声がして、そちらに顔を向けた。

 開いた引き戸の向こう。廊下から、車椅子に乗った着流しの老人が眺めていた。

「……はい」

 少年は開口した。

「ここは。あなたは、誰ですか?」

 訊きながらも、同時に己だけが閲覧できる形で確認する。

 (ステータス、表示)と。


  名前   / ???

  職業   / ???

  LV   / ???

  SS   / ???

  異名   / ???


 ――日本列島だけが、海しかない別の地球らしき星に転移して以降、誰もが表示させられるようになったステータスだ。

 言葉でも内心でも〝ステータス表示〟と唱えれば、自分のものを開示したり目前の人物のを拝見することができる。これは相手に気付かれないように詠唱者だけが閲覧することも可能だが、自身の情報をどこまで公開するかも脳裏で決められる。

 老人は全てを隠しているようだった。


「わしは山左座衛門さんざえもん。ここはいちおう、その自宅じゃよ」

 人のよさそうな老体は自ら名乗り、車椅子を漕いで床の間に入ってきた。敷居の段差はスロープで補われ、移動しやすいようになっている。

「空き家じゃったが、〝地孫光臨ちそんこうりん〟で旧社会のめんどうな手続きは不要になったからのう。住ませてもろうとる。バリアフリーな改装もされとるし、手伝いもおるからいいところじゃよ」


「そう、ですか」

 目近に来た山座衛門なる老人に応じつつ、少年は上体を起こす。

「あの、おれは滝定陸徒たきさだりくとです。えーとたぶん、道をはずれて……いてっ!」

 名乗った少年は腕を押さえて唸った。それから、自分が見覚えのないパジャマを着用していると気付く。


「わしのお古ではないからな、心配するな」

 頬を赤らめながら老人がほざいたのでぞっとしたが、陸徒と名乗った少年はいちおう台詞を最後まで聞く。

「ここに保存してあった文明じゃ、新品のようじゃよ。光臨の騒動で家主もいなくなったからな、もろうてもかまわんじゃろう。それより無理をするでないぞ、医者の診断では軽い脳震盪じゃが、安静にしとったほうがええ。

 あとは手足に打撲とかすり傷がある程度じゃ。もっとも、この街も医療器具なんぞは不足しておるでな。わしの同居者がお主を発見した手前、こちらで引き取ったのじゃが」


「そ、そうですか。それは、ありがとうございました」

 素直に、陸徒は軽くお辞儀をした。

 それでも、すぐに立ち上がった。すると足も痛んだが、歩けないほどではなかった。

 危なそうな老人から逃げようというわけではない。……ぶっちゃけそれもいくらかあるが、他にも個人的に重大な事情を抱えていたためだ。

「気遣いはありがたいですけど。おれ、行かなきゃならないんです」

「そんな身体でどこにじゃ?」

 山座衛門が目を丸くして、少年を見上げる。

「なぜ生き急ぐ?」

 問いに対して、陸徒は老人の横をすり抜けつつ口答した。


「〝山魔王やまおう〟を倒すために」

 ド ン !


「倒す!?」

 廊下に出た少年を、山座衛門は車椅子ごと振り返った。

「〝三裁人さんさいじん〟の頂点、山魔王を倒すじゃと!?」

「なにか?」

 陸徒は顔だけ振り向いた。

「己の述べていることの意味を……」

 一気に緊迫した空気の中。口に仕掛けた老人は、途中で閃いたように温厚そうな面構えを緊張に染めた。それから、発言を切り替える。

「――いや。お主の乗ってきた文明。あれは山菜ゲームで勝ち取ったんじゃな?」

「……山菜ゲーム。なんスかそれ?」


 がしゃん!

 コントよろしく老人はすっ転んだ。車椅子ごと。


「ただいま――ちょっ! 山爺やまじい、大丈夫?」

 タイミング良くか悪くか、玄関の引き戸が開いて少女の声が入ってきた。陸徒を発見した張本人、――ガールスカウト衣装の香奈美だった。

 そこから真っ直ぐいった廊下の突き当たりが床の間なので、光景は彼女の目にばっちり映ったのだ。むしろ、陸徒が暴力を振るったようにも見えたのである。

「あんたっ」

 ためにか、少女は尋常でない速度で急接近すると少年の襟首をつかんで捲くし立てた。

「世話になっといて、恩人のお年寄りを粗末にするとはどういう了見よ! このおんつぁバカ!!」

「お、おれはなにも。えと、君は?」

「しらばっくれんじゃないわよ。あたしはあんたを助けてやった優日名香奈美、その爺さんはあたしの師匠で通称山爺! 謝罪しなさいよ!」

「待て待て待て、この若いもんの言う通りじゃ」

 山爺と呼ばれた山座衛門が制し、ようやく少女は動きを止める。と、両手で反動をつけて器用に車椅子ごと起きた。

 それから手を伸ばし、香奈美の尻を撫でる。

「ふぅ、こうやって癒されればすぐに元気になるわい。一部がじゃがな、フヒヒヒッ」


「死ねっ!」

 少女が吼え、スカートからパンチラするのも構わず老人を蹴り倒す。明らかに先ほどよりヤバい転倒だ。

「こ、これが一瞬前まで身を案じていた相手に対する態度か!」

「誤解なのは了解したわ、この調子だもんね。で、なんで転んでたわけ?」

「おまえから回し蹴りをされ……」

 鋭い眼光に突き刺され、山爺は主張を変更する。

「うむ。この少年にちょっとしたボケをかまされてずっこけただけじゃ」

 それから、香奈美の持っていたショルダーバッグの膨らみを確認して言及した。

「とりあえず、物々交換で夕飯の材料は手に入ったんじゃな。飯にしよう」

 すごすごと、逃げるように老人は家の奥へと引っ込む。

 それを腕組みして見送りながら、少女は陸徒へは目線を向けずに、

「疑って、ごめん」

 と、照れたような小声で詫びた。

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