夜の音楽室

「よし、誰もいなくなったな」


 えー、ただいまの時刻はなんと夜の八時をまわろうとしているところです。初夏とはいえさすがにこの時間になると真っ暗だ。部活が終わったのが六時半なんだけど、居残りで練習してる人たちがわたしたち以外帰るのを待ってたら、こんな時間になっちゃった。


 真っ暗な夜の校舎に二人きりなんて、なにも起きないけど。むしろ天野先輩と二人きりだっていうのに、わたしの足取りは重かった。


「あ、まだ残ってたんだ」


 まだ熱気が残る音楽室に入ると、いつものように近づいてくる彼。いつもは目も合わさないけど、今だけは目を合わせる。するときょとんと彼は指をくわえた。


「あれ? いつもは無視するのに……。どうしたの?」

「単刀直入に聞く。お前はどうしてここにいる?」

「あれ、君もぼくのこと見えるんだね。なーんだ」

「なんだとはなんだ」


 天野先輩が尋ねると、幽霊くんはふわりとその場で一回転する。


「ぼくが用があるのは隣の女の子のほうなのに」

「お前が星野にご執心なのは知っている」

「あっ星野ちゃんっていうんだ? よろしくねー!」


 天野先輩を半分無視してわたしに話しかける幽霊くん。にこにこと人当たりのいい笑顔で手を振られて、なんとなくつられて苦笑しつつ手を振り返してしまった。


「いいから質問に答えろ」

「えー? 今までさんざんぼくのこと無視してたのに、今さら実は見えてましたー、だからお話してー、なんてちょっと都合がよすぎない?」


 うぐ。確かにその通りかも……いや、その通りだな……。そうだよね、実は見えてたってことは、今まではずっと無視してたってことになるもんね……。それなのに突然話を聞けなんて言われても、だよね……。


「それについては謝ろう。すまない、悪かった。けど、お前には時間がないんだ。それは分かってほしい」

「時間ならたっぷりあるよ? ぼくは授業を受ける必要もないし、毎日こうしてふよふよ気ままに浮かんでるだけでいいしー。吹部には休みがあんまりないから退屈しないしね、夜以外は」

「……お前、そうして何年ここにいる?」


 天野先輩の声が突然低くなる。


「さあ? どのくらいここにいるかなんてもう分からないなー」


 あいかわらずのんきに幽霊くんは答える。天野先輩が隣で小さく舌打ちしたのが聞こえた。急にどうしたんだろう……?


「最初はほんと退屈でさー、今みたいに吹部もそんなに強くなかったしー。でも最近は星野ちゃんがいるおかげで」

「お前、そのままだと悪霊になるぞ」

「へ?」


 幽霊くんが話しているのをさえぎって天野先輩が言う。わたしと幽霊くんの声が重なる。……悪霊? って言った?


「霊が長い間成仏できないでこの世にいると悪霊になる、そう聞いたことが――」

「まだ残っていたのですか?」


 突然音楽室のドアが開く音がして、びくっとして反射的に振り返る。先生だった。


「すみません。すぐに帰ります」

「天野先輩にいろいろ聞いてました。遅くなってすみません」

「そうですか。練習に熱心なのはいいことですが、休むことも大事ですからね。帰ってしっかり休んでください」

「はい」


 まだどきどきしながら音楽室を後にする。横目でちらっと天野先輩の様子をうかがうと、なにやら真剣な顔で考え込んでいる様子だった。

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