High Eの音

 数日後。音楽室。今日は日曜日だけど、コンクールの近い吹奏楽部にそんなものは関係ない。


「ねぇ君さー、ぼくのこと、見えてたりするの?」


 さて、先生になんて言われたっけ。もはや書き込むスペースもない楽譜のそこに、無理やり文字をねじ込む。いつも走り書きするせいで、もはや一昨日の書き込みすら暗号になっている。


「もしぼくが見えてるんだったらEの音を出してよ。いーよ、だけに、なんてね。返事をしてくれてもいいけどさ?」

「今のところ、ピッチが合っていませんね。1st……天野から順番に」


 さすが天野先輩。一発だ。一瞬で終わった。強豪校なだけあって、1stの先輩たちはみんなほぼ一瞬だった。ということは合ってないのは2ndか。わたしじゃないといいけど。


「では次、星野さん」

「はい」


 返事と同時に楽器を構える。今音が欲しいのは25小節目の頭の伸ばしの音。もはや楽譜を見なくてもなんの音か分かる。High E……ここでつかまるのはつらい。Eメカニズム、略してEメカなんてものがあるくらい不安定な音。


「次」

「あっ」

「どうかしましたか? 星野さん?」

「……いえ、なんでもありません」


 しまった……。してやられた。視線がわたしに集まる。

 だから、これは不可抗力ですって。まだちくちく左頬に感じるような視線に心の中で言い訳して、もう遅いけどなんでもない風を装ってみる。楽器を息であたためるふりをして、自分のばかさ加減にため息を小さくもらした。



     * * *



「で? どうすんの?」


 あれから約一時間後。今はお昼休みです。……なんて、のんきに実況してる場合じゃなくて。


 案の定、わたしは天野先輩に呼び出しを食らっていた。これが告白の呼び出しならどれほどうれしかったか。わたしが屋上にきて開口一番の台詞からして、そんなのではないことは誰でも分かるよね。


「……たすけてください」

「聞こえないなぁ?」

「たすけてくださいよぉ……」

「なにをかな? 星野さん?」


 顔を上げたら、いい笑顔をしてるか、それとも。なんにしろ顔を上げるのが怖い。

 でも、あれからいろいろ考えてみて、どうしていいかやっぱりわからなくて、頼れるのが天野先輩しかいないのも事実なわけで……。


「うー……すみませんでした」

「まあ、お前ならいつかやらかすだろうから時間の問題だとは思ってたけどな。とりあえず顔上げろ」


 ぽん、と頭をやさしく叩かれて、こんな時なのに顔が熱くなる。


「それに、どうにかしてやりたいんだろ?」


 怒られる前に顔を上げると、予想に反してやさしい顔の天野先輩がいた。うー、なんなんだこの人は。


「おれとしてはあんまり接したくなかったけど、こうなってしまった以上難しいしな」

「すみません……わたしのせいで」

「そう何度も謝るな。今度こそ怒るぞ。……でも、これで貸しひとつな?」


 貸しひとつ、そう言って冗談っぽく笑う先輩。言いながら差し出された小指に、おそるおそるわたしも小指を絡める。


「よし、決まり。それじゃあ今日、部活が終わったらだな」

「えっ? さっそくすぎません?」

「もしおれがコンクールが終わるまで、とか言ったら待ってられるのか? お前」

「……無理です」

「だろ?」


 思い立ったがなんとやらとは言うけど、確かに先輩の言うとおりでもある。わたしがやらかしてしまった以上、あっちからのアピールもはげしくなるだろうし、そうなると徹底的に無視をつらぬくのも大変だ。できる自信がない。


 とはいえ、今日部活が終わったらさっそくかぁ……。なんだか緊張するな。

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