そこ退けそこ除け大馬鹿が走る
義経流の長い歴史を見ても、彼の存在は今までに例がなかっただろう。
それこそ鞍馬山にて義経に剣を教えた天狗は、このような人間が現れることなど想像していなかったはずだ。それこそ驚天動地の存在であることだろう。
「撃て! 撃て!」
拳銃を手に、闇の中で狙いをつける。
だが驚天の動きを捉えきれず、引き金を引こうとすればすでに目の前にはいないものだから、いつまでも引き金が引けないまま。それでも引き金を引いたとしても、当たることはない。
地面や、荷が詰まっている鉄箱にぶつかった銃弾が火花が放つほんの一瞬かつ小さな光を頼りに距離を詰める驚天が跳躍。
一人の頭に飛び乗って首に脚を絡め、胴を捻って
首が背中に至りそうになるくらいにまで捩じられた男は卒倒し、完全に倒れるまえに倒れる方向にいる仲間を斬るための足蹴にされる。
右腕、左腕、口に握り、
此度の悪党である商会の連中が、なんだか不憫に思えてきた。
「佐天様、今のうちに……」
「あぁ、妖刀を回収してきてくれ。俺は異国の連中を捕縛する」
「了解」
跳ぶ、駆ける、斬る。
天才は軽やかに、鮮やかに、冷血にただ敵を斬る。難聴には銃声も罵声も届かず、敵の焦燥は手に取るようにわかる。そこに駆けつけ、斬り付ける。ただそれだけのこと。
千里疾走。
駆け抜ける駿馬はひた走り、一切の容赦なく斬り付ける。
眉間目掛けて放たれた銃弾を銜える刀で弾き、衝撃で落ちたそれを蹴り飛ばして目の前の敵の腹を貫く。
刀が一本減った隙を見つけ、銃を構えた異国の黒人目掛けて走る驚天は草履を脱ぎ捨てると敵の腹に刺さったままの刀の柄に飛び乗り、握っていた刀をも足で掴んで蹴り上げ、斬り上げる。
足で掴んだ刀をさながら竹馬、もしくは天狗下駄のように足蹴にして、背中からさらに抜いたのも合わせた合計四本の刀を携える姿に驚く敵を見て、驚天はニンマリと口角を持ち上げた。
「今、ぎゃふんと言ったか?! 言ったなぁ!!! もっと言えぇぇぇっ!!!」
足の指で柄を握り、さながら蹄鉄を鳴らす馬のように刀を脚に駆け抜け、鼓膜を破らんという馬鹿でかい声量で嘶く。
見たことも聞いたこともない、人間とは思えない常軌を逸した動きにて味方を狩っていく様に恐怖を感じた商会の会長は、縋り付くように妖刀を抜く。
すると会長の恐怖を糧に力を得たか。妖刀は老いた会長の肉体をみるみる変貌させ、白い髭が長く伸びた
「おぉ?! おぉぉっ!!! なんだなんだぁっ?! 異国にはこんな化け物みたいな奴がいるなんて聞いてないぞ?!」
「あんの馬鹿・・・・・・」
毎度のことなのだが、回収する妖刀の情報くらいは頭に入れて欲しいと思う。そのせいで苦戦を強いられることは少なくないし、作戦が失敗することだってある。
だがこの男にそんなことは馬に念仏。気にするまでもない些事というものだろう。
失敗することがあると言ったばかりだが、佐天の知る限り驚天が仕事で失敗したことなど隠密行動主体の情報収集くらいで、戦場に出ればまず負けなどなかった。
何故か。問うまでもない。
彼が戦いの天才で、これ以上ない剣術馬鹿だからだ。故に驚天童子――人を驚かせる天才と自ら名乗っているし、団員にもう、その名を笑う者はない。
現にどうだ。今だって奴は、これ以上なく楽しそうに笑っている。目先に美味そうな――基、斬り甲斐のありそうな獲物が現れたからだ。
「あっはははっ!!! 面白い、面白いぞ!!! 思わずぎゃふんと言いそうになったが、なんとか踏み止まった! 俺に言わせようなどとは大したものだ! いいだろう! その挑戦乗ったぞ怪物! どっちがぎゃふんと言わせるか、勝負と行こうじゃあねぇか!!!」
怪物と変わった会長――怪長は自身の大きさに比例して巨大化した刀を握り締めて襲い来る。
人の言葉と理性を失って、もはや人間大の大きさとなった刀を振り回す怪長の一撃を、驚天は真正面から受け止めて、両腕の力こぶを命一杯膨らませて生んだ馬鹿力で弾き返した。
まさか力で押し負けるなどと、思わなかったのだろう。理性を失いつつも、驚愕の表情を浮かべてたじろぐ姿に、驚天は大きく口角を歪めた笑みを浮かべ、叫ぶ。
「ぎぃゃぁぁぁぁぁぁぁふぅぅぅぅぅぅぅんっっ!!!」
(結局言うんかい!)
内心皆突っ込みを入れたであろう大声量の咆哮と共に振り下ろされた一撃は、怪長の巨体を押し倒す。斬撃は防がれたため斬れなかったが、驚天は皆の驚く様が心地良くて笑っていた。
妖刀、
持ち主を含めて妖気の交わった対象の内なる力、心音、あらゆる秘め事を暴露する。あの刀の前では、どのような秘め事も意味を成さず、皆が最初から奥の手を繰り出さざるを得ない。
驚天の並々ならぬ怪力も瞬発力も、すべてこの妖刀の能力だ。それだけでも充分強力だというのに、変則的な四刀流は初見では見切れない。
故に一人もいないのだ。初見で、奴に勝てた相手など。
「佐天様、逃走しようとしていた異邦人の捕縛が完了しました」
「よし、一体退避だ。あの怪物はあの馬鹿に任せる。すでに斬り殺した奴は仕方ないとして、悪党であろうとも最低限の命の保証はしなければならないからな・・・・・・そういうわけだ! 任せたぞ、驚天!!!」
難聴男には届いていない。が、逃げようとする佐天らに気付いた怪長が刀を振り下ろすと、自ら飛び込んで空中で止め、己に意識を向けさせて反らし、避難までの時間を稼いだ。
こんなとき、団員らは口を揃えて言うのだ。
以心伝心。言葉が届かずとも意思が通っているのだと。
佐天はそんな綺麗なものじゃないと否定するが、心底厭というわけでもなさそうで、一瞥を配った先の驚天もまた、任せろと背中で語っているようだった。
何より、佐天が背中越しに「だが――」と付け加えた一言が余計に、そう思わせる。
「あの馬鹿とまともに組めるのは、俺だけだろうな」
「ぎぃぃぃぃっやっっ、ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっっっ!!!」
交錯する驚天の剣が、怪長の妖刀の防御を掻い潜って首根を斬り裂く。
黒く濁った体液を吐き出した怪長の曇りきった汚い声が、呻き、吠える。
「ぎざまう゛ぁ! おヹ! なぜ、だぜじゃまう゛ぉずる?! にっぼんがいぎのごるにばごれ、ごりぇじがなびと、だぜわがばぶ!? いずべぐぶ、いごぐどのぜんめんぜんぞーにばればにぼんががでぶぼじょ、ほしょぅう゛ぁ・・・・・・!!!」
「あ? なんだって?! もっと明確に、喋らんかぁぁっ!!!」
悲鳴か絶叫か慟哭か。ともかく、片腕を落とされた怪長の声が倉庫内に響き渡る。さらにそれを掻き消す一撃を、驚天は繰り出さんとしていた。
「言いたいことがあるのなら、何故訴えなんだ! 何故裏でこのように盗人猛々しい真似をする! 真にこの国を思うのなら、幕府なりなんなりと訴えるべきだろうが!!!」
「ぞんだう゛ぉの・・・・・・どうでもいい!!! 我が商会が無事にこの日本に残り続けていればそれで――」
「それが貴様の本音かぁぁぁぁっっ!!!」
馬喰の前ではあらゆる秘め事は暴露され、露見される。
二脚二腕に携えた刀のどれがそれなのかはわからないが、妖刀は間違いなく、会長の真の目的を暴露した。
日本のためと言いながら、真に胸の内にあったのは己の保身。それを聞いた、まだ息をしていた商会の面々の驚愕と落胆の顔と言ったらない。これ以上なく、心躍らない顔をしている。
ずっと笑い、それこそ怪物のように駆けていた驚天の動きがここで止まった。意気消沈、まるで大人しくなってしまったことに、誰もが驚きを禁じ得ない。
「んだよ・・・・・・もっとこう、胸を高鳴らせる野望とか、そういうのが詰まってると思ってたのに、それだけかよ・・・・・・じゃあこれ、一体何のための戦いだよ、畜生」
大音量で叫ぶしかできないと思っていたのに、突然イジけたようにボソボソと呟き始めるから尚のこと驚かされる。
そのことに驚き過ぎて、怪長の拳を刀一本で受け止めたことに、もう驚けなくなってしまっていた。もはや当たり前のように感じてしまうほど感覚が鈍り、狂っている。
「この野郎、畜生が・・・・・・周りが全員シラケた面しちまったじゃあねぇかよぉ・・・・・・これじゃあおめぇ、ぎゃふんと言わせてやれねぇじゃねぇか」
彼の中にあるぎゃふんの定義は、佐天にも理解し切れていない。
だが時折、戦意を無くし、絶望感にただ食われて瞳から力を無くした人間を、彼はそう呼ぶことが多かったことだけは知っている。今回もまさしくそうだった。
日本を救うために尽力したいと思っていた若者らが、己の保身のために怪物にまで成りはてた怪長の醜さに怯え、絶望し、諦めている。
驚天童子は、もはや我慢ならんと飛び上がった。
「見るがいい! 驚天動地に心震わせ、高らかと絶叫せよ! 我が名は天下に轟く驚天童子! 生きる限り高らかと、おまえらの心の下に嘶け! 走れ!!! 迷うことなく突き進め! それが出来ぬと言うのなら、この驚天童子がぎゃふんと言わせてやろうじゃあねぇか!!!」
倉庫の屋根が吹き飛び、怪物はただただ馬鹿デカくなっただけの刀を振るう。しかしその時点で、勝負は決していた。
何せ彼の剣――義経流は元々、敵の懐に入り込むことを想定した剣技なのだから。
「己を解放し、俺の力を解放しやがれ!!! 我が名刀たる名を、馬喰!!! 馬のように実直に、ただ目の前の餌目掛けて走るだけの無能なり! しかしてその心はただひたすらに、己の野望を叶えんと駆け抜けられる馬鹿者であるぞ!!!」
己の脚の
「ぎぃぃぃぃっやっふぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっっっ!!!」
怪物の断末魔が響く。剣速が速過ぎるのか、斬られた箇所が熱を持って、長く生えた体毛から発火し、苦しみ藻掻く怪物を焼き殺す。
直後に元の常人が握れる大きさにまで戻った刀を、驚天は足蹴にしていた刀で叩き折った。
「ぎゃふんと言えぬ刀など、この世にあるべからず!!!」
格好よく決めた、と思った矢先、事態の収束を知った佐天がそそくさと戻ってきて殴られた。
「回収しろという目的だったろうが! 何故折った!」
「人にぎゃふんと言わせぬ刀なぞある価値なし!!! 何より俺が許せん!!! 故に折った、それだけのことだっ!!!」
「己の信条を大事にするのは勝手だが、仕事はしろ! 後始末に報告書を書くのは俺なんだぞ! 俺の身にもなれ!」
「何?! 報告書なら俺も書いているではないか!!!」
「あれが報告書と言えるのならな!!!」
周囲を無視した二人の言い合いは、その後数分間続いた。いつも通り、先に佐天が折れて話を戻す。
「あなた方の身柄は、我々が一時的に預からせてもらう。妖刀による影響を確認、検査し次第その後の処遇を決める。抵抗するものは斬って良いと許可もある。どうする」
抵抗などするはずもない。こちらは旨いこと言いくるめられ、利用された人間だ。本当は即刻家に帰り、家族の顔を見て後は寝たい。
だが強いて言うならば、この男にこれだけは言っておかなければと思っていた。
「・・・・・・あんた、強いんだな。思わずぎゃふんと言っちまったよ」
「――ならばよし!!! 今後もきっと、ぎゃふんと言える出来事に会えるぞ!!!」
馬鹿はただ実直に、愚直に真っ直ぐ進むだけ。
その在り方だけは、商会の面々も団員も、そして佐天すらもそうありたいと思える人としての憧れの形。そこに自らの力だけでなり得ている彼を表す言葉はやはり、天才以外になかった。
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