目を反らすまでもなく、目を向けることもできず

 篝は一人、男を尾行していた。

 妖刀の所持者と思われる者と最近、頻繁に接触しているとのことだ。今回の仕事は彼を尾行し、妖刀の所在と企みを調べることだった。実に簡単な仕事だ。

 上は篝と鬼道を組ませるつもりらしく、今回の仕事でお互いのことをよく知っておくようにと命ぜられた。が、それが酷く難しい。

 互いのことをよく知るには、この仕事はあまりにも簡単過ぎる。ただの尾行と見張りだ。場合によっては刀を抜く必要すらない。

 篝としては、鬼道のことをよく知るためには彼の剣を見たかった。本部に転勤されるほどだ、相応の手練れと見て間違いはないはずだ。なのに上は、どうしてこんな簡単な仕事を寄越したのか。もしかして、自分が期待されていないのではないのかと不安にさえなってくる。それくらいに、この仕事は簡単だ。

 場所は鎌倉。昔には幕府もあった場所だ。海も近いし、それなりに栄えている。人通りも、尾行するには充分過ぎるくらいに多い。鬼道にとっては実に邪魔なことだろう。故に篝は一人、尾行を買って出たわけだが。

 ここ一時間くらい標的は特別怪しい場所に出入りはしていない。妖刀は独特の気配――妖気とも呼ぶべきものを放っているからすぐにわかるが、その気配も未だ感じられない。

 まもなく夕方。帰宅時か。標的の家と、家族構成は調べ上げている。そして足は、そそくさと帰路を歩いている。今日のところは収穫なしか――そう、緊張が緩んだ時だった。

「っとと、これは失礼を致しました。お怪我はありませんか」

「いえ、こちらこそ前を見てなかったもんですから」

 いつの間に回り込んだのだろうか。見ると、標的と鬼道が真正面から肩と肩をぶつけて互いに平謝りをしていた。

 今更気付いたが、鬼道は他の人と比べて頭一つ抜き出て背が高い。故に標的の肩と、彼の脇腹とがぶつかったというのが正しい表現だ。とにかく、鬼道は盲目の身でありながら篝の目を盗んで先回りし、標的に接触していたようだった。

「……あの、もしやあなた目が」

「えぇ、見えておりません。これから友人の家へ向かおうと思っていたのですがやはりこの道は人が多いですね。先ほどからこうして、あちこちぶつかってばかりでして」

「それは大変だったでしょう。よければ私がご案内しましょうか」

「それは非情にありがたい申し出ですが、貴方にもご都合がございましょう。本当に、よろしいので?」

「何、私ももう帰るだけでしたので。家内はうるさいでしょうが、人助けしたとあれば文句もありますまい。ささ、私の腕を」

「そうですか。ではお言葉に甘えさせていただきます、ご親切にどうも」

「いいえ……とんでもない」

 連れられてしまった。

 彼がどこを指定したのかは知らないが、どんどんと奥へ奥へと入っていく。当然ながら、尾行は続行せざるを得ない。彼の狙いがわからないが、ともかく追わなければならなくなった。

 しかしどうしたことか。鬼道と共に、標的はどんどんと人けの少ない場所へ進んでいく。友人宅へ向かいたいと口実を口にした鬼道が、このような場所を指定するとも思えない。

 だとすれば、だ。

「あの、すみません。随分と静かになりましたが、本当にこちらで合っているのでしょうか」

「……あんたの腰に差してるそれ、だぜ」

 人けがほとんどなくなったせいで、今まで通り人混みを利用しての尾行ができなくなった篝は、家屋に上って追っていた。それでも、声を潜めた標的の言葉を聞き逃さなかった。どうもその単語だけには敏感に反応してしまう。職業病のようなものだ。

 だがそれよりも、標的の口調も雰囲気も明らかに変わった。こちらが素か、それとも。

「一目見てピンときたぜ。あんたは盲目だからわかってないかもしれないが、そいつぁとんでもない代物なんだよ。普通の人間が居間に飾ってても仕方ねぇ。それこそ居間から出して、今すぐにでも人の血を吸わせなきゃならねぇくらい呪われてるものなのさ」

「なんとも怪奇的で、物騒な話です。こんな静かな場所で聞くには物騒過ぎて、私の耳に酷く響いて来る。生憎と盲目なので、その分人より耳や鼻がよく利くのですよ。そんな大事な話なら、私はあの人混みの喧騒の中で聞きたかった。それならまだ物騒にも感じなかったでしょうに」

「あんな道のど真ん中で話せる話じゃねぇのさ。昔はそれこそみんな知ってた。俺の爺さんのそのまた爺さんの爺さんだって知ってただろう。だが今じゃ未知の存在だ。既知だったはずが未知になっちまった存在だ。そんなものの話をあそこでしてみろ、警官じゃなくて医療班が飛んで来るぜ。こいつぁ狂っちまってるってな」

「それで、あなたの目的は? これを奪って売り飛ばそうという思惑はらでしょうか。なら妖刀なんて未知の存在について、語る必要はなかったはずですが」

「そりゃおめぇ、売り飛ばすのは刀だけじゃあねぇからさ」

 鬼道は生まれつき目が見えない。彼にとっては先ほどまでいた表通りも今いる暗黒街も同じ暗闇で、暗黒街がどれだけ表通りより暗い場所なのかは理解できていない。

 だがそこにいる何日も風呂に入れていないのだろう人の臭いを嗅ぐことや、虫の息で今にも死にそうになっている子供の声を聞くことは出来るから、酷い場所だと言うことは理解できた。

 表通りはその名の通りこの街の表の顔。しかしその裏で、こうして苦しんでいる人々がいることを把握しながら助けようとする者がいないのは何故なのか。

 生まれつき闇しか知らない男でもわかる。暗黒街。その名の通り、日の丸の闇の部分だ。

「私を、売り飛ばすのですか。それとも、身包みを剥ごうとでも?」

「そんなもったいねぇ真似誰がするか。妖刀を持っていながら平然としてるあんたは常人じゃねぇ。かしらの下へ連れていけば、それの使い方も教えてくれる。盲目のあんたでも、光を取り戻せるかもしれねぇし、それ以上の愉悦が味わえるだろうよ。弱い物イジメってのは、この上なく楽しいんだ……!」

「戻りませんよ。私の目は、生まれてこの方光を見たことがない」

「んなもん、わからねぇだろうがよ。妖刀にはいろんな妖力があるんだ。中には瀕死の人間を蘇生するなんてものもあるらしい。可能性の話だが、あんたの目だって――」

「わかりきってますよ。何せ、

 標的は鬼道の腕を放し、突き飛ばす。だが鬼道を突き飛ばした男の腕は斬り落とされていた。

 周囲の人々が突然の抜刀に驚き、困惑と混乱でその場から動けずに固まっている。

「ご安心を。私は盲目の身なれど、これまで無関係の人々を巻き込んだことはないのです。それに、今は一人でもありませんから。篝殿、皆様を誘導していただけますか?」

「鬼道殿! そういうことは前もって何かしら合図を送って頂きたい!」

 もはや尾行は諦め、介入せざるを得ない。

 さすがに暗黒街といえど、一般人を巻き込むわけにもいくまい。尾行はここまでだ。

「申し訳ありません。ただ、事態を少々軽く見過ぎていたようだったので」

 斬り落とされた標的の手が、力を失って開かれる。見ると注射器のようなものが見えて、中には人体には入れてはいけなさそうにしか見えない液体が詰まっている。

 それを注入されそうになって、咄嗟に返したのだと理解した。

「おいおいあんた、ひっでぇことするじゃあねぇか……こちとら親切で道案内してやってただけなのによぉ」

「残念ですが、私が案内して欲しかったのは悪の道ではありませんので」

「悪の道たぁ言ってくれる。かしらは俺達を救ってくれたんだ。悪じゃあねぇ、善だよ。俺達を助けてもくれねぇ幕府なんかより、俺達には神様に見えたね!」

「例え、利用されてるとしてもですか」

「だとしてもだよ! 祈ったところで誰も救っちゃくれねぇ! どれだけ懇願したところで見返りを用意できなきゃ幕府も俺達を救ってくれねぇ! だけどあの人は、いやあの刀は救ってくれた。俺達を救ってくれたんだ! これに報いなきゃ、仁義もくそもねぇだろぉ!」

 彼の姿がみるみるうちに変貌を遂げていく。

 状況を理解し切れていない人達も、変貌していく彼を見て逃げ出した。当然だ。変貌を遂げた彼の姿は、もはや人間の原型を留めていなかった。目と鼻と口があるから生物ではあるのだろうが、少なくとも人間という生物ではなくなっていた。

 あやかし。妖刀に切られ、その妖力を分け与えられた妖刀の傀儡。手駒。

 風貌は異形の一言で片付けたい。詳細を語ろうと思えば語り尽くせないからだ。何せ定まった形はなく、能力や弱点なども千差万別。これといった種類も何もなく、ただ人間をやめてしまった形状の怪物の総称としてそう呼んでいるだけだ。怪物だとわかれば、鬼でもなんでも、呼び方なんてどうでもいい。

 とにかく、標的はその怪物だった。接触していたどころではない。妖刀に斬られ、怪物に変えられてしまっていた。鬼道に斬られた腕が生えて来て、さらに彼自身支え切れないほどに肥大化。巨大な右腕が、重量を感じさせる音で地面を凹ませた。

「救ってくれたんダ! あの人は、アノ刀は救ってくれタンダ! 俺に、俺達に、力を与えてくれたンダ!」

「救ってくれたのですか。それは一体、何からですか?」

「ナにカラだト?! 決まってル! そんなノ! ……そん、ナ、ノ――」

 止まった。動きも、あれだけ流暢に回っていた口、舌も。動きの一切が止まって、四つに増えた目はどこか遠くの一点だけを見つめていた。そこには特に何もない。彼が見ているのは、その場にない光景だ。徐々に倍以上に膨らんだ体が震え出し、紫色の肌から汗が滲み出て来る。

「先ほど、あなたのお宅を訪問して参りました。あなたを苦しめていたのは、あの方々だったのですか?」

「――!!!」

 怪物はもはや人間ではない絶叫で啼く。肥大化していない左手で頭を抱えて、四つの目から大粒の涙を流しながら呻き、泣いていた。泣き叫んでいた。誰かの名前のようにも聞こえたが、段々と彼の声は人の言葉として認識できなくなっていく。人から離れた化け物へと、成り果てていく。

 そんな彼に、鬼道は刀の鯉口を切りながら歩み寄っていく。刀から漏れ出るわずかな妖気は、目の前で慟哭する怪物から感じられるそれに匹敵――いや、それを超える妖しさを感じさせた。まだわずか、鯉口を切った程度でだ。

「どうやら、酷な質問をしてしまったようです。地方の支部にいた頃もよく同僚に、配慮が足りないと注意されたものですが、どうやらまた配慮が足りていなかったようだ。大変失礼いたしました」

「っ、あぁぁぁぁぁっっっ!」

 肥大化した右腕を振り回し、鬼道を押し潰さんと襲い掛かる。地面が砕けて潰れる重量感のある音が響いて篝が振り返ると、最後に鬼道を見た場所を怪物の右腕が押し潰して、地面には亀裂が入っていた。

「私は盲目の身。人の顔が、あなたの顔が見えません。しかしわかります。あなたが今泣いておられるのが。悔んでおられるのが。私には、聞こえて来るのです。あなたの後悔の悲鳴が」

 彼は目の前にいた。篝の前。そして怪物の前にいた。

 未だ鯉口を切った状態で、完全に抜いてはいなかった。ただ篝から見ればその背から、凄まじい覇気を感じて動けなかった。恐ろしくはなかった。

 壊刀団の面々の中でも特別実力のある者達がいて、側を通るだけでも怖くて緊張してしまうような人達がいるけれど、鬼道からそれに似て非なる威圧感を今、肌で感じていた。

「私は生憎と神様なんて大それたものではないですので、出来ることも限られましょう。ましてやあなたにとっては、救いではないかもしれない。ですが抜かせて頂く。もうこれ以上、こんなに辛く響く悲鳴は御免だ」

 怪物の悲鳴の混ざった咆哮の直後、鬼道は抜刀の構えから怪物目掛けて跳び上がった。

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