「未来の話」

ゴジラ

「未来の話」

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  1


 帰宅途中、誰かの右足を拾った。

 膝下から足先までの右足が私の帰宅を待っていたかのように、道のど真ん中で鎮座していた。

 どうやら自分の足を落としたことすら気がつかず、この場から去って行った人間がいるようだった……いやいや。自分の足を落として気がつかない人間などいる訳がない。

「きっと、どこかの金持ちが捨てたのだろう。こんな高価なものは誰かが拾ってやらないと」

 そんな都合の良い解釈をして、交番に届けることなど考えもせず持ち帰ることに決めた。

 それでも周りの目が気になったので、背負っていたカバンの中身をその場で空にして拾った右足を入れて持ち帰った。


  2


 帰宅してからじっくりと観察した。どうやら女性の足のようだ。

 小さな足は22センチほどで、膝下からくるぶしまで細く美しいラインを描いているのが特徴的だった。肌の状態も良く、手入れの行き届いた右足であることが20代前半の若い女性が使用していたことを確信させた。

 敢えて言うが、この足の持ち主はこの右足を大切に扱っていたのだ。だから今頃、持ち主の女性は慌てて探し回っているに違いないと容易に想像出来た。それでも元にあった場所に返すという気は毛頭無かった。

 それほど、美しい女性の足には男を虚ろにさせる中毒性があると思う。体毛の処理も隙のないほど丁寧に施されていて、産毛一本すら見当たらなかった。眺めるだけでは飽き足らず、鼻をつけて匂いを嗅いで、頬をすり寄せて質感を味わったりもした。もしかしたらと思って、持ち主の情報が何かしらの形で付属されていないか確認してみたが、それらしきものは何も無かった。


  3


 名前をつけようと思う。

 そう思って右足を自分の目の前に立て、数分ほど熟考をしていたがピンとくる名前は浮かばなかった。

「そうだ」

 今、片思いをしている職場の女の名前をつけようとか迷った。でも、それはなんとなく気が引けたので、学生時代に好きだった数人の女の名前から一文字ずつ取って、それを組み換えて名前にした。

 そして「アサミ」という名をつけた。


  4


 それから「アサミ」との生活が始まった。日中は仕事で家を空けていたので、アサミは一人寂しく留守番だった。

 その時は冬が始まろうとしていたし、寂しい留守番の間にアサミが風邪を引いては困ると思って淡いピンク色のマフラーを買って巻いてあげた。

 アサミは少しだけ喜んでいるように見えた。

 そして数日が経った頃。

 アサミに小さな変化が出た。アサミのすね毛が伸び始めてきたのだ。男性用髭剃りで剃ってみたが、出会った時ほど綺麗な肌にはならなかった。むしろ、悪化させたようにも感じた。肌触りの悪いアサミは、次第に魅力を失っていった。


  5


 ここに「エンポリオの春」という小説がある。

 1893年に発刊。イギリスの作家マーティン・バトラーによって書かれた自伝小説である。

 当時、バトラーは41歳だった。作家として最も脂の乗った時期でもあった。しかし、本作が英国内の書店に並ぶ姿を見届ける前に、彼は死を選んだ。死因は覚醒剤中毒による肺水腫だった。自宅の書斎で薬物を多用して亡くなっていた彼を発見したのは、長年使えていた家政婦のエミリオだった。


 「エンポリオの春」を一部抜粋したい。

[1]私は彼に向かってこう言った。「この金の腕時計は、間違いなく君の物だ」それは誰もが確信している。

 しかし、君はこの腕時計を所有する為に、自身が持ち合わせている相応の通貨を手放しただけで、その物体の稀少性。いわゆる価値への追及など放棄している。それは人間を衰退させるだけである。(中略)しかし世界はそこまでに未だ至っておらず、ただ漠然と物体と紙幣の交換に価値があると盲信しているのだ。では一体私たちにとって、何が唯一の資産であるのか。書面など必要としない物。それは肉体と思想だけだ。この二つに置いて、人間は唯一自由を許されており、それに相応の等価などある訳もなく、これの交換など沙汰の外である。(中略)人は物体と紙幣の交換だけで(それはルールに基づいてのことではあるが)我がもの顔をして、それを所持したがる。おまけに、その物体の価値が自分の存在価値と直結している又は同等以上であると勘違いした人間も多く、終にはその資産を他者に自慢して見せびらかす又は所有することだけで優位性を感じるという悲しい結末である。

 唯一無二の所有物である肉体と思考の鍛錬を疎かにして。そんな未来も遠くはないと私は一人嘆く。

[1]「エンポリオの春」第3章「気付き」





                       2018年11月18日執筆


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