第14話 王女可哀想伝説開幕(目玉を突っつくぞ)

 気付くのが遅れたせいで見失った。

 それは間違いないが、絵ノ介はまだ諦めてはいなかった。今から正しい方向に走れば、まだ竜歩たちに追いつけるはずだ。


 そこまで時間は経っていない。全力で脳細胞を稼働させれば、あの女の考えそうなことは予測できる。


 正面の入口周辺には絵ノ介と王女がいたので、逃走経路はそれ以外。だとすれば。


「裏口か!」


 カウンターを乗り越えて、道なりに進む。

 このエントランスホールは酒場兼用だ。飲食店である以上、どうやったってゴミは出る。一階建ての飲食店の場合、それを真正面の出入り口から処理したりはしない。必ず裏口を使うはずだ。


 竜歩が全員を倒すのに使った時間は驚くほどに短かったので、こちらから逃げ出した人間は一人もいない。時間が足りなさ過ぎて『まだ勝算がある』と思い込んだまま全滅してしまった。


 厨房を潜り抜けると、すぐに裏口らしきドアを見つけた。身体を叩きつけるように開け、外へと出る。

 右を向く。いない。

 左を向く。いた。離れているので小さく見えるが、あの白衣は見間違えようが無い。


「……丹羽ァァァァァァ!」


 路地の突き当り。声に反応した竜歩が怒声に振り向く。

 相変わらずこちらを舐め切ったような笑顔を浮かべ、手をひらひらと振ってから曲がり角へ消えた。


「逃がすか!」


 あの女は危険すぎる。身近に置いておかないと、なにをするのか不安で眠れやしない。

 この世界の明日に朝が来るかどうかも不安になってしまうくらいだ。


「おい! 待て! 足が速……おい!」


 ところで、王女がずっと絵ノ介のことを呼んでいたが、彼はそれを省みることは無かった。

 理由は単純。


◆◆◆


 竜歩を追って走り続けた絵ノ介は、ついに諦めざるを得なくなった。


「……さっきの大通り……か……!?」


 絵ノ介には判断が付かない。先ほどと似たような活気に満ちた場所に戻ってきたことがわかる程度だ。


 絵ノ介にはアストラルフェロウの土地勘がまったくない。これ以上走り続けても無駄だろう。


「くそっ!」


 イヤな予感が止まらない。竜歩がどうして絵ノ介たちを撒いたのかの動機は不明だが、いずれにせよロクな理由ではないはずだ。


 経験則で弥が上にもわかってしまう。つい最近も絵ノ介の故郷を凍土に閉ざしたばかりだ。


 ――考えろ。なにか手がかりはないか? 現状ないとしたなら、ありそうな場所を考えろ!


 集中する。深く思考回路の深淵へと潜っていく。

 記憶を探り、手繰り、吟味して――


「追いついたーーーッ!」

「へぶーーーっ!?」


 背骨がブーメラン状に折れ曲がった。真後ろからの衝撃によって。

 まったく予想外の衝撃に、絵ノ介は前方へと吹っ飛び倒れ伏す。周囲の通行人が数人、それに気付いて目をやるが、そのすべてがすぐに通り過ぎて行った。


「が……なに、が……?」

「痛い……まったく、妾に、ここまで……はあ……っ! させるとは……ふうっ……!」


 荒い息が混じったその声は王女のものだった。どうやら彼女なりに全力で走り、その勢いのまま絵ノ介の背中にぶつかったらしい。


 背中に重くて温かいものをじんわり感じる。倒れている絵ノ介の上に、更に倒れ伏しているようだった。


「まったく貴様は! さっきからずっと呼んでいたというに、何故無視する!?」

「呼んでた……? そうでしたっけ?」

「ああ、もう! 走り過ぎて目がチカチカする……体力勝負は苦手なのだ。あまりの疲労に視界が狭くなってる気がするぞ!」


 這うように動く王女は絵ノ介の肩を掴み、引く。絵ノ介の上半身は少し傾き、近くにあった王女の綺麗な顔を間近で目撃することになる。


 一瞬だけドキリと心臓が高鳴るが、すぐに血が凍った。


「……あの。王女様」

「なんだ!?」

?」

「は?」


 言っている意味が一瞬わからなかったが、右目という単語のみ聞こえたので、顔に手をやった。


「……えっ」


 瞼が凹んでいる。もっとよくよく探ってみると、中身がないことに気が付いた。


 右の眼球が丸ごと消え失せてしまっている!


「はあああああああああああああっ!? なんだこれは!? なにがどうなっている!?」

「いや、無くなっているってことは、どこかに落としたってことじゃ……」

「そんなバカな! 人の眼球がそんな子供のポケットに入ったコインみたいにポロポロ落ちてたまるものか!」

「でも現実に無くなってますよね!? 一体どこに……」

「ん? なんだ? 貴様、どこを見て……」


 二人は同じ方向に目をやった。

 馬車が走るような大通りの真ん中。そこにコロリと転がる球体は、剥き出しの眼球だった。


 信じられないことだが、紛失した眼球はあそこまで転がって行ってしまったらしい。


「まさか俺にぶつかった衝撃で……!」

「アホかーーーッ! 玩具じゃあるまいし、人の眼球がそんなことで一々転がってたまるかーーーッ!」

「丹羽のやることは間違いなく神業だけど、人の視点が欠けてて大雑把なんすよ! とにかくあれを取り戻さないと、馬車が来たりしたら踏み潰されて――」


 グシャリ。


 おもむろに通った馬車が、王女の眼球だったものを踏み潰した。

 液体を撒き散らして、眼球はぺしゃんこになってしまった。


「……」


 二人して絶句する。


 だが、まだ望みが絶たれたわけではないことを絵ノ介は知っている。あれが眼球だったものであれ、竜歩の下へと持っていけば間違いなく復元可能だ。


 あとはそれを改めて王女の眼に嵌め直せば済む話――


「カァーーーッ! カァーーーッ!」


 そのはずだったのだが、どこからともなくやってきた、見るからに腐肉食性の黒い鳥に啄まれ、残骸すらどこかへと持ち去られてしまった。


「……」


 詰んだ。これ以上はどうしようも無かった。


「ふ……う……うええええええええん……!」

「あ、わ、わ!」


 隻眼になってしまった涙の王女を前に、絵ノ介はただオロオロするだけの可哀想な生物と化すのみだ。


 どう転んでも竜歩のことは追えなかった。

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