EXTRA SECTION

愚かなわたしが筆を染め造りし歌であるけれど・前編

「ボクト!東北で大水だ!」

「うん。クルトくん、今日の最終便に乗れるかな?」

「走れば間に合う」

「うん、分かった」

「ボクトくん!」

「ミチルちゃん」

「気をつけて」

「はい」


 僕は、走る。

 空港行きのライナーに乗るために。

 でもその前に。


神速しんそくさま、行って参ります。もし何かご注意があればどうぞご教示ください」


 僕は自分の意思で行動する。でも、決断に当たっては独りよがりな思考には頼らない。それ自体僕の意思。

 だから、観音堂のお地蔵さまの後ろにおられる神速さまにアドバイスを求めた。


「・・・分かりました」


 言葉じゃないのさ。

 神様である神速さまの意思とご思慮が、まるで作戦参謀のプロジェクト・スケジュールのような緻密さで僕の脳と心とに伝わってくる。

 決して受動じゃない。

 僕が闘神たる神速さまのその英邁を感じ取ろうとする意思なのさ。


 そして僕の後ろには。


「ボクト!急ごう!」

「うん、ミコちゃん。最速記録更新だよ!」


 僕は彼女とふたりで東北行きの最終フライトのシートに深く坐り、配膳された軽食を食べて、そして眠った。


 来るべき僕と彼女が立ち向かう戦いに備えて。


「間もなく着陸いたします。暴風は収まっておりますが依然強い雨で視界は不良です。今一度シートベルトをご確認ください」


 CAのアナウンスに僕と彼女は背筋を伸ばしてゆったりと深呼吸をし、すべてを摂理に委ねた。


『どうなっても構わない』


 これは本心だ。

 なぜかというと、今東北のこの地で現実の溢るる水と対峙しているひとたちも同様の覚悟に至っている可能性が強いからだ。

 けれども、それは諦めではない。

 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというステレオタイプの概念でもない。


『どうなっても構わないということは、本当に、本気でそういうことなんだ』


 仮に今この飛行機が墜落したとしても、それでも構わないさ。


 果たして飛行機は、ギャガっ!というタイヤが接地する衝撃音は立てたのだがまったく違和感なく僕と彼女は空港のゲートをくぐり、人目につかないターミナルの一番端まで駆けた。そして呼ばわった。


白兎はくとっ!」

「ヒヒン!」


 空間の一点突破を成し遂げてその白馬は現れた。

 本当に素晴らしい馬だ、否! 素晴らしい同志だ!


 人語を解し武士の精神とものの憐れすら身に染み込ませたこの白兎というは僕と彼女を神速さまと同様に受け入れてくれた。僕は彼女を前に座らせ、その背中から手綱を握る。


「白兎!GOっ!」

「ヴヒヒィン!」


 脳に貫通するようなダッシュだ。

 白兎は空港の前の大通りを避難するひとたちの車をよけ、人込みをすり抜け、残像すら残らないスピードでアスファルトを駆ける。しかも神速さまがご自慢とされていた通り最先端の緩衝材を施した蹄鉄を装着しており、まるでラバーがラバーに接地するようなクッション性と反発力との両方を実現し、それはこの世で一番快適な乗り心地を提供する乗り物ともいえる。

 なぜそのような快適さが必要かというと、戦闘に突入するその瞬間まで武士たちの心にLuxuryさを維持させ、決して精神も身体も消耗させず、敵への攻撃を最大・最速のものとして爆発させるために絶対に必要なの時間だからだ。


 移動は優雅に。

 Atack は石に齧りついて鬼の形相で。


「ボクトっ!」

「うん!」


 見えた!


 河口と海が交じり合うそのエリアが、完全にEvil Godに支配されている。

 自然の摂理によるコントロールを奪われている。


 ゴウゴウといううねりと海水面・河川面の盛り上がりによって閘門の壁面を呑み込まれている運河から川の流れが逆流し、本来であれば水運をより活性化させるためのその人工の河が完全に人類に対し仇なしている。


 水と同化するEvil Godの味方と成り果ててしまっている。


「魔神っ!」

「なんだ小僧!」


 僕は自ら我が名を呼ばわった。


われ夢見ゆめみ僕人ボクト!本日ただいまこの時点でそなたの野心を摘み取るために参上つかまつった!だがそなたを益なく討ち滅ぼすには忍びない。降参せぬか!?」

 Evil Godは轟音の爆笑をする。


「ぶわあっはっはっはっ!夢見よ!オマエの脳内はお見通しだぞ!『ここで人助けやっときゃあ、将来ツブシが効くなあ』その程度であろうが!」


 言いたいことはなんでも言って構わないが、僕を侮蔑することは神速さまを、神々を罵り軽んじることと同義だ。

 これは決して僕の僭越ではなく、事実そうだ、ということだ。

 だから、僕は、怒鳴り返した。


「無礼者ぉっ!!」


 僕の声は閻魔大王のそれに倣った発声で地の底から響き渡らせ、魔神ごときの輩に対しては声だけで死滅させんばかりの圧力をぶっかけてやった。

 魔神ばらは焦りおった。


「ぐわあぁっ!」


 僕の轟音の怒鳴りつけに両耳を押さえ、苦悶の表情を浮かべる魔神。

 魔神などと神を気取ろうが、それは神速さまを含み、更に神である神速さまですら畏怖しご意見を賜る八幡大菩薩そのほか諸々の八百万の正統なる神々の圧倒的な力、つまり圧力をもって滅ぼされる運命なのさ。


 だが、足掻く足掻く、この魔神ばらめは。


「夢見っ!お前は一旦保留だっ!まずはその小娘から殺してやるっ!」


 河口と海面の淡水と海水とをぶつけ合わせて魔神がその液体のままの状態で水が悪魔の顔に変わる。だが、彼女はそんなものに動じたり臆したりすることは微塵も無かった。


「たわけ!わらわは小娘にあらず!悪夢わるゆめ巫女ミコじゃっ!」

「巫女、だと!?」

「魔神ばらっ!そなたの人類を滅ぼさんとするおぞましき『自己実現』、木っ端微塵に粉砕してあげるゆえに!」

「ば、バカを言うな!貴様のような似非巫女になんの力があろうか!」

「わらわに無くともわらわが奉仕するこの国の八百万の神々にその力ありっ!そなたが100体同時に出現したとてその万倍、億倍の力を授かりしわらわとボクト!恐怖なぞ毛ほども覚えもしませぬわっ!」


 彼女は毅然と言い放ち、魔神の気概を完全に削いだ。


 天晴れ、さすが我の妻となるべきおんな武士よ!

 天晴れ、我の相棒バディよ!


「うむぅ・・・ならば、こうだっ!」


 Evil Godは水をあらゆる兵器に変化させる卑怯で禍々しき独唱を行った。不協和音とノイズまみれのおぞましき大音声だいおんじょうをバックに、水がきゅるきゅると天井へと登り上がる。

 水だからと言って実体なしと油断するわけにはいかない、否!敵を見くびった瞬間に敗北への道を歩むのは永遠に変わらぬ自然の摂理。

 僕と彼女が臍の下あたりの腹に力を込めて魔神の一挙手一投足・呼気での呼吸と皮膚呼吸をすら逃すまいと精神を統一する中、果たして魔神めは総攻撃を仕掛けて来た。


「おりゃあっ!リボルバーを俺の兵隊全員に供給したぞ!ライフルも、ショット・ガンも。それだけでないぞ!ガットリング砲で馬を穴だらけにしてくれるわっ!」


 ドゥグラタタタタタタタ!


 白兎は華麗なステップでそれを全部よけた。

 全部だ。


「Evil God!それがおのれの全軍かっ!生温いぞっ!」

「くそがあ・・・!ならば俺の親衛隊を繰り出すまでよ!」


 魔神は抜き持っていたギラギラと反射光だけは輝かしい幅広の剣でもって自分の鼻を削ぎ落とす。

 ボトボトと粘度の高いドロドロ血が河川敷の地べたに落ちるとその砂粒一粒一粒が魔神ばらの一回り小さな姿を精密に写しとった木偶となり、最初はギシギシとぎこちないが関節の可動がスムースになると先程魔神が放出した武器を拾い上げ、こちらにダッシュしてきた。


「ボクト!数が多すぎるよ!」

「うん。砂粒だから数億塵、まるで宇宙さ。でも、ミコちゃん!」

「うん!」

「すべて塵芥さ!」


 僕は白兎のたてがみをきれいに掌で撫でつけてビロードのような美しい艶のある毛並みを総立てた。


「白兎!払いおおせっ!」


 白兎の目が無慈悲な感情も瞳の光もない真っ黒なそれに瞬間変わる。


 情けを知り慈悲を知る白兎がこの瞬間のみすべての人格を無にして作業だけに徹する。


「ヴヴヴヴヴィィィイイ!ヒヒィイインンンン!!」


 ぶうん!と白兎が首を振るうと、まるでほうきに掃き清められるかのように生きたナマの魔神の親衛隊どもがワシャワシャと虫が手足をもがれ千切れたそれすらまだ断末魔の間動き続けるような地獄絵図を展開しながら黒雲渦巻く空へと舞い上げられ、吸塵器のようなその渦の中へぐるぐるとけし込まれていった。


「白兎。自責の念を抱くでない。彼奴等きゃつめは事象の上では死するのではあるが魔神に意思なく操られたに過ぎぬことを天がご存知で、だから全員が極楽往生するのだ」


 白兎は僕の言葉にきちんと耳を傾け、間違いなく頷いた。


 魔神は地団駄を踏む。


 ガシン!ズシン!ドシン!


 最初僕も彼女もそれが純粋に駄々っ子のような悔しがりかと思ったが魔神はそうして地の底へも貫き通るような鈍痛の如き振動を浸透させる。


「地震を起こす気かっ!」


 だがそれでも僕の認識が甘すぎることが露呈された。悪を極め切った究極の悪党は、まるで教室においていじめのバリエーションを無限に作り出すいじめっ子に匹敵するような執拗な目論見をしていた。


「バカめえ!夢見!俺の望みはそんなものではない!地の底どころか地下のマグマを揺るがし、それは海へと通じて海底火山を爆発させ、津波でこのエリアを滅ぼし尽くしてやるわ!」


 卑怯者めっ!


 だが、僕には咄嗟に知恵が廻るほどの冷静さが残っていなかった。僕の本来の熱すぎる気概ばかりが邪魔して判断がつかなかった。

 だが、彼女は違った。


「ボクト!白兎の蹄鉄をはずすのよっ!」

「なんだって!?」

「はずして魔神の足に打ち付けるのよ!」


 そうか!


 僕は神速しんそくさまから唯一お借りしていた武器を懐から取り出した。

 そう、懐にしまう、魂の如き武器。


 懐刀ふところがたな


「白兎、すまない!痛いであろうが我慢しておくれ!」


 僕は降りて白兎のスリムな、けれどもその見事な直線に近い脚の先にその短刀の切っ先を近づけた。


 そして、凝視する。蹄鉄を一撃で外せる間隙を。


「えい!」


 今度こそ垂れ流しではない、タイトな気合で刀を白兎の生の爪と蹄鉄とのミクロン単位の隙間に、シュッ!と差し入れ同じスピードで刃を戻す。


「・・・」


 痛いはずだが白兎は一声をも漏らさずに僕の作業を受け入れた。

 白兎への最大のいたわりとばかりに僕は最速のスピードで作業を終えた。


「行ってくる!」

「気をつけて!」


 ミコちゃんに送り出され、僕は、ジャラ、と4つの蹄鉄を鳴らしながら自分の足を使ったランでもって魔神に向かってダッシュした。


「夢見!お前なんぞ小さい小さい!蜚蠊ごきぶりの如く踏み殺してやろう!」

「ふ!蜚蠊は素速いぞ!」


 肉薄して初めて気付いたのだが僕の身長と魔神の靴のサイズがまるでぴったりなのだ。踏まれればおそらく本当にゴキブリのように黄色い体液を僕は大地に晒してこの人生を終えることになるだろう。

 だが、僕の死は即この日本の東北エリアの破滅を意味する。そんなことを黙認する訳にはいかぬ。


「ほらほら、こっちだ!」

「この虫めが!」


 まず僕は流れ走りながら魔神の右足の母指球に蹄鉄を打ち付ける。


っ!」


 魔神は虫ピンで刺された程度のあしらいで痛がるだけだ。だが確実に蹄鉄は魔神の母指球に固定された。


「それそれ次々いくぞ!」


 僕は人生生まれて以来体のキレが最高だと感じる。

 まるで踏まれる気がしないし、ダッシュしながら、大振りの足の動きとはいえ魔神が踏みつけるピンポイントの瞬間に懐刀の刃の腹で、ピ・ピン!と蹄鉄を打ち付けるという神業のようなことをやってのけている。


「やった!」


 両足の母指球にそれぞれ1つずつ。

 かかとに1つずつ。

 こうして魔神の両足のプロネーションが蹄鉄を介さないとできないようにした。


「だからなんだというのだ!」


 魔神は強がって再び大津波を起こすべく大地を踏みつける。


 くにゃ。


「な、なんだこれは!」


 ダンダンダン!と踏みつけているつもりが、


 くにゃくにゃくにゃ


 とまるで手応えがない。

 魔神はまるでポンチ絵のようにジャンプして両足で大地を踏み下ろすが音すらしないのだ。


「ふふふ!これが神速さまの最先端の緩衝材だ!隕石が大地に衝突するエネルギーすらゼロにするのだ!」

「そうか、夢見!貴様、神速の弟子か!」

「黙らっしゃい!神速さまは弟子を取ろうなどと狭い了見はお持ちにならぬ!我はあくまでも神速さまに対等に扱っていただき、そして神速さまの戦闘を一度切り見たのみですべて覚えたのだ!」

「なんと・・・この俺ですらここまでになる間、恒星の誕生して死滅するまでの時を要したというに!」

「心根が、本願が違うのだっ!」


 僕は魔神を圧倒した。


 僕の本願はこの世を遍く救うこと。

 いっときでの救いではなく、恒久に、長久に!


 ひとりの漏れもなく、全員根こそぎ、僕と彼女とで救い尽くす!


「ギリギリギリ・・・」


 魔神が悔しさの余りに歯を噛み締めると絵に描いたような歯軋りの音がした。

 みると目が充血して、本当に血涙が流れている。


「ならば、俺自身の残りの命を燃やし尽くす全エネルギーでお前を殺すのみ。夢見っ!」

「何だっ!」

「俺の生きた証たる悪の限りを尽くした攻撃を受けてみろっ!」


 魔神の汗腺という汗腺から血の汗が流れ出した。

 どうやら本当に死ぬ覚悟らしい。


 先程白兎が極楽浄土へ送り尽くした親衛隊どもの捨て残した武器が一斉に空中に浮き上がる。


 その数、無尽蔵。


 短銃も、ライフルも、ガットリング砲も、僕の周りを球体のようにして取り囲む。


 そして、そのやや楕円がかった球体の中心点に僕が位置する。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅうううううう!」


 魔神はどうやら尿道からも肛門からも血を流しているらしい。

 ぴっちりと急所をプロテクトしている彼のレザーパンツから血と汚物が滲み出てくる。


「俺はEvil Godだっ!お前の如き人間になど決して負けぬ!死すとも勝利を手にする!」


 憐れなものよ。

 これほどの激情、使いようによれば僕が望む根元からの救済などたやすいかもしれぬのに。


 でもそれができぬからこそ魔神か。


 そして僕はピンチだ。


「グワハハハハハ!夢見!このフィジカルな武器が放つ弾丸の一斉射撃でお前の肉片など蒸発し尽くすであろう!」


 その通りだ。

 武器の発射口に囲み尽くされた僕に魔神がその命でもって計算し尽くしたタイミングと速度でもって同時に着弾するのだろうから、僕は消え去るだろう。


 痛みも苦しみも感じないのがせめてもの厚遇か。


「死ね!夢見!」


 すべての撃鉄が動き、薬莢に振り下ろされた。


「ボクト!」


 ああ、ミコちゃん。


「お六字を念じるのよ!」


 ふふ。神頼みならぬ仏頼みか。

 でも僕が徳増とくまし学園で育てられたこの5年間、御本尊とお六字のおかげでこうして成長できたことは間違い無いからね。


 そうだね、念じるよ。


 僕が唇をお六字の形に動かしたよ。


『な・む・あ・み・だ・ぶ』


「魔神!わらわの渾身の術を見よ!」


 ミコちゃんが白兎にまたがったまんま、まるでおかぐら神楽みたいに、シュン!ってそでを振ったよ。


 弾丸がすべて放たれて僕に全弾直線で撃ち込まれてくる。


銃弾即変化紫華じゅうだんそくへんげムラサキバナっ!!」


 彼女の声がこの東北の地に高いオクターブで澄み渡るように響いた。


 同時に魔神は嘆くがごとく叫んだ。


「なんだ、それはあっ!」


 無尽蔵の銃弾が、無尽蔵の花びらに瞬時に変わった。


 紫色の、華の、花びらが、無尽蔵に東北の地に舞い上がる。


「ああ・・・」


 僕はため息とともに続けてつぶやいた。


「綺麗だ」



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