おとうさん

 けいむしょのことをボクはよくわかってないよ。

 わるいことをしたひとたちが入る場所だ、っていうことぐらい。


 じゃあ、おとうさんがそこにいるのは。

 おとうさんがわるいひとだから?


「面会は15分です」

「わかりました。ありがとうございます」


 園長せんせいがけいむかんのひとにそう答えて、小さな穴がいっぱい空いたガラスの前にね、ボクと理事長せんせいと園長せんせいの三人で座ったよ。

 ガラスの向こうにおられるべつのけいむかんのひとがね、てじょうをかけたおとこのひとをまんなかに座るボクの前にね。

 連れてこられたの。


「・・・・・・・・」

「・・・・・・ぼうや、名前は?」

「えっ」


 どういうこと?

 あ。そうか。そうなんだった。


夢見ゆめみボクトです」

「誰がその名前を?」

「理事長せんせいです」

「夢見、か。それで、ボクト、か」

「・・・おなまえは?」

黒田くろだただしです。ボクト・・・くん」

「・・・はい」

「今、5歳だね」

「はい。そうです。たぶん」

「・・・5歳だよ。あってるよ」

「はい・・・」

「わけを、聞いてくれるかな?」

「・・・・・はい。でもそのまえに」

「なにかな?」

「おかあさんは」

「・・・それも一緒に話すよ」

「はい・・・」


 まだ、雪はふらないよ。

 でも、とてもさむいよ。


 それから黒田忠さんはとても長い時間をかけてお話してくれたよ。

 つまり、15分ぜんぶ使って。


「ボクトくん。キミにはおねえさんがいた。キミが生まれたばかりの時にはもう5歳になってた。そのキミのおねえさんを、このわたしが殺した」

「えっ」

「そういう罪でわたしは刑務所に入っている。5年前のクリスマスの日だった」

「・・・・・・」


 わたしはキミのおかあさんとキミのおねえさんと一緒に三人で暮らしていた。とてもあたたかいおうちだったよ。その三人家族にもうひとり家族が増えることになった。それがキミだよ。

 クリスマスまで間もない季節にキミは生まれた。男の子、ってきいてキミのお姉さんは大はしゃぎしてたな。生まれたその日にわたしと一緒にキミのお母さんの病院の部屋まで行ってまだほんとの真っ赤なしわくちゃの赤ちゃんを見た彼女は顔をにっこりにっこりさせて何度も何度もキミに話しかけてたよ。

「弟ちゃん」

 ってね。


 そしてキミとお母さんが退院する日がちょうどクリスマスイブだったんだ。わたしは会社を午後お休みにしてもらってキミとお母さんを迎えに行く準備をするために家に戻った。そしてちょうど幼稚園が冬休みになったばかりのキミのお姉さんを乗せて車で病院に向かうつもりだった。


 家のドアを開けようとするとね、鍵がかかってなかったんだ。

 待ちきれなくてお姉さんが何度も玄関まで来てドアを開けたり閉めたりしてたのかなとわたしは思ってね。

 ただいま!待ちくたびれたろう!

 って声をかけながらキッチンに向かったんだ。お留守番をする時、いつも彼女はキッチンのテーブルで絵本を読んだりお気に入りのドールハウスで遊んだりしてたからね。


 彼女はそこに居たよ。

 でも、目を閉じてそこに居た。


 テーブルじゃなくキッチンの床に、うつ伏せでね。

 普段そんなこと彼女は絶対しないんだが、もしかして待ちくたびれて床で眠ってるのかな、と思った。


 少し顔を横にして腕を枕にするみたいにしていたからね。


 風邪をひくよ、起きなさい、ってわたしは彼女の肩を軽く揺すった。

 そうしたら腕で隠れてた顔の下半分がズレて見えたんだ。


 鼻も、口も、ふさがれてた。

 ガムテープで。


 本当に、わたしの背中がいっぺんに汗でずくずくになったよ。

 パニックになる前に、体の動きが全部止まった。

 自分の手の動かし方すら忘れたような感じで、でも、とても落ち着いてるんだ。慌てない。でもそうじゃなくて、本当に慌てるという動作さえできないんだ。


「ああっ!」


 一声叫んでようやく手が動いたよ。

 ガムテープを、でも一気に剥がすことは彼女が痛がるだろうと思ってゆっくりと剥がした。


 AEDの講習を受けたことがあってね、まずは呼吸を確認した。

 当然生きてるか死んでるかという確認じゃなくって、呼吸が正常にできてるかどうかの確認だよ。

 でも、わたしの手の平に空気は当たってこなかった。


 救急に電話をした。

 比較的冷静だったと思う。講習の成果かもしれないな、と客観的な思考をしないと、多分わたしは発狂してしまっただろう。『作業なんだ』と割り切るような感覚で彼女の胸を掌を組んで押さえたよ。まだその瞬間は彼女が生きているという前提で、早く呼吸を回復させないと酸欠で脳にダメージが残るという感覚だった。恥ずかしい話だが彼女を障害者にしたくないというそういう気持ちでもって心臓マッサージを行なっていた。胸骨が折れるぐらいに手の平を沈み込ませないといけないと講習を受けていたから実際にそうした。


 救急車にわたしも同乗した。救急隊員の方たちは車中でほんとうに懸命な努力で彼女への措置をしてくださった。


 搬送された病院は、キミとキミのお母さんがいる病院さ。


 同じその病院の、救急処置室にお姉さんはストレッチャーで運び込まれ、そこで最後の処置を受けた。


 でも、もう実際はわたしが見つけたその時には、死亡していたのだろうと思ってる。誰も断言はできないが。


 キミとお母さんには事実をしばらく知らせなかった。同じ建物の中にいるのにね。

 病院の先生を通じて、わたしとキミのお姉さんはインフルエンザにかかったので急遽面会ができなくなって、だから退院も少し延びるとお母さんに説明してもらった。

 テレビも故障ということで病室から取り外してもらって、それからお母さんの産後の検診数値が少し思わしくなくて安静が必要という風にしてスマホも先生が預かることにしてもらった。


 そうしないとニュースを見てしまうからね。


 不思議なニュースが毎日テレビでもネットでも流された。


 わたしが、キミのおねえさんを虐待していたのではないか、というニュースだよ。


 虐待死ではないかと。


 呆然、という言葉がそれほど当てはまる瞬間はなかったよ。

 一体誰がそんなことを言うのか。


 出所はまったく分からないが、テレビも、ネットもSNSも、わたしがキミのお姉さんを虐待していて、それでちょうどそのクリスマス・イブの日に、とうとうわたしが彼女を虐待で死なせてしまったのだと。


 殺したのだ、と。


 泣きたい気持ちが消え失せてしまったよ。

 だって、虐待をしたと疑われている父親が新しい命を授かったと知られたら。


 キミが、人殺しと疑われる父親の子供だと知られたら。


 大勢の人たちが認めることが事実になってしまう。だからわたしはそれ以来自分の目で見て触れて心に染み渡るものしか、事実とは認めないことにしたんだ。


 キミのお母さんにニュースを知らせたのはキミのおじいちゃんとおばあちゃん。


「あのひとと、別れなさい」


 キミのお母さんは、キミのお姉さんが死んだことを知って、どういう表情をしたのかは分からない。

 わたしはとうとうキミのお母さんにもキミにも会えず仕舞いだったから。

 容疑者として警察に勾留されているわたしのところにキミのおじいちゃんとおばあちゃんは離婚届を持ってやってきた。お母さんのことを聞いても、もう他人だ、の一言で帰って行った。


 わたしは容疑を認めもせず否定もせず、なのにどうしてだかそのまま刑が確定してしまった。

 もうどうでもよかったんだ。


 でも、そこにおられる理事長せんせいが、あなたのお子さんを育てさせていただいています、と知らせに来てくださった。

 キミのお母さんは、キミを人殺しの子供にしないために、赤ちゃんポストにキミを届けた。


 誰の子にもしないために。

 ほんとうに、天からの授かりものにするために。


「時間です」

「あ、待ってください!」


 けいむかんのひとの合図に、ボクは大声を出した。

 そして、訊いたんだ。


「おかあさんは?」

「分からない。おじいちゃんとおばあちゃんが一度だけ、お母さんの行方の手がかりを知らないかとわたしに面会に来たよ。誰も分からないんだ」

「時間です」

「まって!おねえさんを殺したりしてないんだよね?」

「うん・・・キミに会えると知って、本当のことをなんとしても伝えないといけないと思った。わたしがヒナを殺したりするわけない。愛してたんだから」

「おねえさんはヒナっていう名前なんだね。おかあさんの名前は?」

「センナ。千の奈と書いて、千奈」


 その夜、ボクはミチルちゃんに甘えてしまったんだ。

 おかあさんの、ふつうならボクの記憶にのこっていないはずの、後ろでしばったその髪の毛が、ふるん、て揺れる姿に。


「ボクトくん・・・おとうさんに会えて、よかったね」

「うん・・・ミチルちゃん」

「なあに」

「いないのとおんなじでも、やっぱりおとうさんもおかあさんもいるミチルちゃんがうらやましいよ」

「うん・・・うん、そうだね。ほんとうにそうだね」

「おかあさんに、会いたい」


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