間章Ⅴ「人の外」

『竜の谷』に潜る直前─────。


「裏面街とホルィースの件は聞いてる。相当危ない橋を渡ったらしいな」


「はぁ、まぁ……」


「多少条件を吹っかけた手前、もとい、俺はお前たちの担任だ。面倒見てる学生が無謀な迷宮ダンジョン攻略に挑んで死んだ、なんて噂が立てば宮廷魔術師としての沽券に関わる。そこでだ……今後は依怙贔屓だの何だのみたいなことは考えず、出来る限りの支援をしてやることにした」


 言って、アルト先生は『引き寄せアポート』で呼び寄せた鞄──たぶんあれも魔導具アーティファクトの類──から色々な道具を取り出した。


「この剣はゾエアルキで発掘された迷宮遺物。災厄の時代以前の遺失技術ロストテクノロジーで造られていて、数打物だが軽く丈夫かつよく斬れる。やるよ、お前に」


「え。い……いいんすか、こんな貴重なもの?」


「遺物は遺物でも数打物だって言ったろ? それと、こっちは土精人ドワーフ謹製の革鎧。まァ革っつゥかをバラして紡いだ特殊な糸で編まれてて、独眼鬼サイクロプスに咬まれても破れない。これもやる」


「マジすか」


「あと、保険の刻印符スクロールな。こっちの緑色には治癒ヒール、こっちの黄色には麻痺パラライズ、こっちの赤色には火炎ファイア、こっちの紺色には短距離の転移ワープが仕込んである。転移は1枚、他は3枚ずつしか用意できなかったが……」


「いやいいっすもう充分ですってマジで!!」


 ……いま思えばあれは、残りの寿命が数時間しか無い人間への餞別だったのかも知れない。




――――――――――――――――――――――――――――――




 青い古竜───『隻剣』は、一見すると静かに佇んでいる。

 何は無くとも、縄張り争いをしていた別のドラゴンを降した後だ。迷宮主級ボスクラスの魔物は賢く知恵に長ける。俺たちのような小さい人間を追い払うまでもない、と判断したのか……。


「アルトせんせ───」


「じゃあな。どうしても危なくなったら助けてやる。俺が助けに入るまでに死ぬなよ」


「あっ!? あー!?」


 先生の姿が掻き消え、魔力の残滓すら追えなくなった。極めてレベルの高い身隠しの魔術。

 嘘だろおい、いくら何でも迷宮主級のドラゴンを単独でなんか……!


〈─────……〉


 ……そうして慌てていたのも束の間、


「───ッ……!!」


 何がヤツの逆鱗に触れたのかはわからなかった。

 だが、その翡翠色の瞳がこちらを射抜いた瞬間、背筋を冷たいものが走り抜け───。


〈Gr〉


 


「っ、つ……身体強化エンハンスッ!!」


“抜剣”。

 目の前で凄まじい神秘が膨れ上がる。大気を引き裂きながら、蒼い光の波が迸る。

 強化を全開にして駆け抜けた背後で、紅色竜の死骸が粉々に砕け散るのが見えた。


「クッ……ソ!! 強化付与エンチャント!」


『隻剣』が三度首を振る。この距離は完全にヤツの領域だ。あの光の斬撃を何発も受けたら負ける、というか死ぬ―――ドラゴンの身体の構造上、あれを放つにはそれなりに大きな動作が要る。その隙を突くしかない。

 残った左手を使わず、わざわざ口に咥えて振るのには理由があるのだろうか? 単純に馬力の都合? 何にせよ、考えるのは後だ。大物狩りの定石はとにかく小回りを利かせること。


〈Cooooo―――〉


「ぜりゃあっ!!」


〈……Lr〉


 結晶の刃が光の波を生じるよりも速く、『隻剣』の足元に喰らいついた。

 脛の腱を叩き斬るつもりで剣を振ったが、やっぱり硬い。鱗だけの強度というより、皮膚から筋肉まですべてが分厚くて高密度な感触。

 反撃が来る。小さく跳ね飛んでの踏みつけ、踏みつけ、身体を翻して尻尾の薙ぎ払い。エンハンスとエンチャントの同時使用も慣れたものだが、それでも受けて防ごうなんて絶対に考えられない威力と速度。回避に徹する。

 ドラゴンにしては細身とはいえ、外見から想像していたよりさらに身軽だ。ホルィースのワイバーンもどきと戦った経験―――竜属種の動きと骨格について覚えが無ければ、たぶん今の連撃で死んでいた。


〈Coooooooo〉


 結晶の剣が光の粒になって消えた。近距離なら爪と牙と尾でコンパクトに攻撃すべきと判断したのだろう。

 ……つまり、『隻剣』は剣を使わずとも戦えるし、またその気になればいつでもあれを抜けるということだ。

 手狭な小屋くらいなら一発で木端微塵に出来そうな、顎と牙の強襲。それが3回続いて、ようやく隙とも呼べない隙が見える。

 鼻先に全速力で剣を叩きつけたが空振った。追撃を加える。左腕、竜爪の一閃に阻まれ、人外の膂力で押し返される。

 身動きの取れない空中に弾き飛ばされたら一巻の終わりだ。尾の薙ぎ払いか、あの剣光で蒸発させられるのが目に見えている。あるいは、


「う、……おおぉぉぉッ!!」


 あえて大きく力を流した。強く弾かれ、岩窟の壁に張り付き、思いっ切り蹴り返してもっと速く。

『隻剣』の反応速度を飛び越えて前に出る。一撃、咄嗟に胴体を庇った左腕に命中。奴が着地した俺の方へ向き直るまでに、右足へもう一撃。

 カウンター、左腕の拳が迫る。一度の攻防で近づき過ぎた。対人ならさておき相手は大型の魔物、ここからの回避は無理筋。受けて防ぎ切るのも至難―――大丈夫、まだ。


痺れよパラライズ!」


〈……!〉


 元より、物理攻撃も魔法もあらゆるダメージを減衰する竜鱗に対して、そこまでの効果は期待していなかった。

 でもそこはさすがアルト先生のお手製刻印符スクロール、想像以上の効力で『隻剣』の左腕を食い止めてくれた。

 真正面から受ける、重い、強い、勢いを最大限殺してもまだこんなに―――けど、防ぎ切れる。


「っし……!」


 まだまだ浅いが、傷は負わせた。俺の腕でも、このゾエアルキの剣があれば竜鱗を断てる。

 繰り返していけば、いずれ…………。


「……。……勝てる、のか?」


 スクロールの数は有限だ。俺の体力も、少なくともドラゴンほどずっとは続かない。

 アルト先生は、俺に何を期待して『隻剣』と引き合わせた? ヤツは竜でありながら道具を使う。直感だけど、縄張りに入った動物を片っ端から襲うような手合いじゃない。それが急に態度を変えたのは……。


「いや」


 剣は業物、防具は高級品、持ち込んだアイテムも上等。いくら俺が未熟でも、これで負けて死んだら不恰好すぎる。

 こんな時、伝説の勇者アルティリアスなら……、違う。


 なら―――――。




――――――――――――――――――――――――――――――




 北西エメリチア大陸には『世界の果て』と呼ばれる魔物の支配圏、現生人類の総力を以てしても攻略不能とされる未踏査領域がある。

 南方ラバルカン大陸の地下には言うまでもなく世界最大のダンジョン、ラバルカン大迷宮が広がっている。

 東方シエトラム大陸では、中央の鎮守が及ばぬ辺境の衛星都市は、未だ頻発する魔獣災害に悩まされている。

 そして中央アンファリス大陸は、太古より続くそれらの災厄から遠く、故に最強最後の盾として繁栄した人類安寧の地であるという。


 それでも―――人の世に有り得る、すべての悲劇が拭い去られたわけではない。


 カナタ・アマミは裏面街で生まれた。

 家族は気は強いが心根の優しい母がひとり。父親の顔は知らない。母も語ろうとはしなかった。

 されど、棄てられた民の巣窟である裏面街にあって、母が後ろ暗い稼業に走らずに済む程度の財産を持ち合わせていた理由には、幼心にどこか察しがついていた。


 だから、母が体調を崩して、医者から治る見込みは薄いと言われた時、身形の良い中年の男がに現れても驚かなかった。

 男が所有する屋敷に引っ越し、というよりも匿われてから、病床に臥せって亡くなるまで一度も外出しなかったことも飲み込めた。

 カナタがすべてを受け入れて平穏無事に暮らせることこそ、まさしく母の望みであったから。


 中年の男―――“父”は心優しく誠実な貴族で、生活に不自由することはもはや無くなった。

 の“母”とは、出会った当初は反発する気持ちもあったが、早々に『母』と打ち解けたためにカナタもじき馴染んだ。

 そして、10歳になった日に初めて会った“兄”は、輝かしいほどに清廉で優秀な傑物だった。


 閃光の騎士、ローウェンドリン・ダンクリフ・ラザフォード。


 農産と商業を司る“民”の大公爵家・ラザフォードの嫡男にして、王立近衛騎士団セントマルクス騎士団を束ねる騎士団長。

 宮廷魔術師アルト=ペイラーと共に反逆者ガンド・ラダスベノグを討った――カナタと母がラザフォード家に引き取られた時点ではまだの出来事だが――、アンファール王国最強の剣にして盾。それがカナタの“兄”だった。


 幼少の頃からあまりに変わり過ぎた環境。勉学にも身が入らず、しかしそのことを強く咎めもしない、周囲の大人たち。

 裏面街で、母が営む小さな酒場を手伝っていた時とは、何もかもが違った。自分のみならず母の面倒まで見てくれるラザフォード家の人々に、何一つ報いることの出来ない己が情けなかった。


「あ―――あの! ……その、ロイさ……ロイ、兄様」


「うん? どうしたんだい、カナタ」


「おれ……ぼ、ぼくに、剣を教えてください……!」


 故に、カナタが“兄”に憧れることは必然だった。

 王国最強の騎士。聖剣の勇者ことアルティリアス王の再来とまで呼ばれる男。

 彼の背を追い、多くの人をたすく騎士の道を学べば、いずれ自分もラザフォード家に相応しい人間になれると―――――。




――――――――――――――――――――――――――――――




 強くて、優しくて、カッコいいロイ兄さん。

 真面目一辺倒の堅物かと思えば、父さんが隠し持ってた秘蔵の塩漬け肉をこっそり分けてくれたりもして、陽気で茶目っ気のある人でもあった。

 馬鹿みたいに忙しいのに、仕事の合間を縫って俺に剣術や読み書きを教えてくれて。俺の母さんが死んだ時は、本当の親子でもないのに本気で泣いてくれて。

 いつも、いつだって俺の味方でいてくれて―――――。


 初めてあの屋敷に来た頃からすると、驚くほど背が伸びた。

 礼儀作法や算術も、苦手だけど少しは出来るようになった。

 兵隊を育てる学科の連中にだって、勝てはせずとも簡単に負ける気はしない。

 でも、


「……おおあぁぁぁッ!!」


 剣を振るう度に、兄さんの背中は遠くなっていく。

 生まれとか教育の問題じゃない。俺とあの人じゃ“器”が違う。それが嫌になるほどよくわかる―――生まれて初めて剣を握った日からずっと、誰よりもあの人を見てきたから。


「はぁっ!」


 兄さんなら、竜鱗くらい簡単に断ち切れる。

 兄さんなら、光と熱の魔法でどんな魔物も打ち破れる。

 兄さんなら、治癒の奇跡で何度傷を負っても立ち上がる。


「……っ、おりゃあぁ!!」


 俺には……。


〈―――――!!〉


『隻剣』が跳んだ。手狭な岩窟の中を、しかし半ば飛翔しての大きなバックステップ。

 足止めしたいがスクロールの起動は間に合わない。せめて距離を詰め―――。


〈Ca〉


 ちかっ、と光が瞬いて、ほんの少しの間だけ視界を奪われた。

 蒼い輝きが『隻剣』の顎門に集束する。光波の斬撃の予兆。

 ……1発だけならかわせる。上手くやれば2発目も。あれは剣の軌道に沿って生じるから、直線的でが利かない。つまりフェイントは無い。

 竜の口元に全神経を集中する。輝きが溢れ、高まり、爆ぜて。


「―――――は?」


 それは、翡翠色の爆炎となって吹き荒れた。




――――――――――――――――――――――――――――――




「ったく……どいつもこいつも。俺の知り合いにゃ、ガキ相手に加減も出来ない馬鹿しか居ねェのか?」


 極小の、影で出来た虫のような使い魔を使役し、戦いの場を監視していたアルトが立ち上がる。

『転移』のスクロールにはあらかじめ、こちらから遠隔で起動できるよう仕掛けを施しておいた。大事な生徒を死地に叩き込むなら当然のリスク管理だと思って。

 竜の吐息ブレスが少年を飲み込まんと膨れ上がった瞬間、魔術師は呪文を唱え―――――。




――――――――――――――――――――――――――――――




 魔力の残滓が蒼い光の粒子となって散乱し、赤熱した岩窟の壁面に触れては消えていく。

『剣』がもたらす魔力は青き竜自身の性質と分かち難く結びついており、なればその吐息ブレスもまた翡翠色に染まることは必然。炎として拡散する分だけ、面積あたりの最大威力では劣るものの、そも矮小な人間ひとりを屠るには充分過ぎる火力だった。


 ―――だが、『隻剣』は未だ注意深く、自ら焼き払った岩窟の地面を睨み続けている。

 立ち込める煙の晴れた後、そこにあったのは。焼け焦げ、ひび割れ、たちまちボロボロと崩れ去り。


「……―――っは」


 その中から―――――カナタ・アマミが現れた。

 顔や腕にいくつも生傷を作り、革鎧は大部分が焼けて半ば襤褸と化しているが、五体は未だ健在である。


「クッソ、1発で魔力カラッケツかよ……。やっぱコニーはすげぇな、これを日に何度もやるんだから」


 岩と土のドーム。正式な名称も知らぬまま、仲間がよく用いているそれを模倣し、咄嗟に発動させた土属性魔術。

 カナタ自身は気づいていなかったが、迷宮ダンジョンの環境はボスにとって最も親和性の高いものとなる。常に青き竜の魔力を浴びている周囲の岩窟が、同じ属性―――つまりはある種の耐性を得るのもまた道理だった。


「で……ちょっともったいねぇけど、まぁしゃーなし」


 カナタはスクロールを数枚取り出したかと思うと、それに

 刻まれた術式を損ねられ、封じられていた魔力が漏れ出し始める。魔術の刻印符スクロールの効力とコストを考えれば極めて効率の悪い手段だが、魔力回復薬マナポットでは追いつかない場合に魔力を補充するための裏技。


「……そうだな。剣の腕も、脳ミソも、経験も才能も、何もかんも足りねぇ俺だけど」


『隻剣』は、カナタを見ている。

 鋭く剣呑でありながらも―――何か、とても美しいものを眺めるような目で。


「足りねぇなら、引っ張ってくりゃいい。半端者でも器用貧乏でも関係ねぇ。兄さんなら、俺の知ってる最強なら……いや。俺の知ってる、みんなならどうするか!」


 若き剣士の構えが変わる。シュトスラ流の基礎にして極意である正眼ではなく、兄と同じく左肩を前へ、身体の右斜めに剣を置く型に。


「絶対、最後まで諦めねぇ。全部使って勝ってやる―――俺は独りじゃない!!」


〈―――Quaaaaoooooooooooooooooo!!〉


 応じるようにして、竜が咆えた。

 蒼の輝きが、極限まで高まる。雄叫びと同時、『隻剣』の全身に青白い光の軌跡が浮かび上がる。

 激烈な魔力の乱流が雷鳴となって迸り、岩窟の壁面や天井を飴のように溶かした。時間と空間が不安定化する。混ざり合い、爆ぜる極彩色が過ぎ去った後に、昏い星空の如き闇と燐光の世界が訪れる。

 迷宮主ダンジョン・ボス級の魔物が時折持ち合わせる、前後の消耗を度外視した決戦形態―――『隻剣』もまたそれを有していた。


〈Cooooooo〉


 胴体の付け根より喪われた右腕が、する。

 実体ではない。その身に纏う炎と稲妻に同じ、翡翠色の魔力流で形作られた仮初の右前肢。

 幻影と言えど、再び顕現させた光の『剣』を振るうに不足は無く。


〈───Qa!!〉


 先刻までの比ではない破壊力と速度を伴って、光の刃が飛ぶ。

 近距離であれば、巨体と飛行による白兵戦で事足りる。遠距離であれば、蒼炎のブレスで事足りる。

『隻剣』が振るう光の剣の真価とは―――打ち、突き、薙ぎ、払いといったあらゆる動作を、あらゆる距離から行うこと。すなわちは攻防の駆け引き、常に最適な角度と速度で繰り出される“剣技”にある。


(不思議だ)


 故に、


(俺は、


 故にこそ、カナタには対応できた。

 はやく、鋭く、常にこちらの逃げ道を塞ぐように、芸術的なまでに正確無比の剣。

 外見には何の共通点も無い異形の怪物に、兄の姿が重なる。誰よりも近くで学んできたから―――あの打ち込みに備え、あの足運びを理想と想ったから。

 空間を埋め尽くす熱光線の乱舞を、それでもかわし、かし、剣に最大出力の強化付与エンハンスを施せば耐えて受け流すことすら可能だった。


(やれる。今の俺なら)


 極限状態に伴う脳内物質の過剰分泌、目の前に飛び交う死の予兆―――際限なく早鐘を打つ心臓とは対照的に、頭の中は現実感が希薄なほどに澄み渡っていた。

 少年の五体は、加速する血流に満たされながらも適度に脱力している。


「―――揺籃ヨウラン


 突進と急停止を繰り返し、対手の視線を振り切る幻惑の歩法。

 守りに長けるシュトスラ流には珍しい―――否。元来ならば戦場剣技である“古”シュトスラ流には、流派として発展していく中で洗練・単純化され、そして時代が下り大陸に平和がもたらされるに従い、積極的に使われなくなった攻めの技が多く存在する。


〈Crrrrrrrrr―――〉


「……鷹十字タカジュウジッ!!」


 獲物に飛びかかる鷹のような上段斬りから、腰の捻りを加えた横薙ぎの一閃を叩き込む。

 対人を想定した本来の動きではなかった。通常よりも高い位置から、竜の巨体をようにして切り裂く。


畝り獅子ウネリジシ!」


〈CuuAaaaaa〉


角勁カクケイ……ケン!」


〈Grrrrrrrr……!〉


 左右に素早く切り返しながら、幾度となく斬撃を見舞う。『揺籃』の発展系にあたる対多数用の剣技だが、これも体躯の大きいドラゴンには着実にダメージを蓄積させる連撃として働く。

 続けて、剣を高く掲げ、満身の力を込めた突きを放つ。盾や硬い鱗を持つ敵に対し、斬ったり貫くのではなく、衝撃をとおして体内を攻撃する。


〈AAAaaaaaaaaa!!〉


「っ……つ、ぐ!」


『隻剣』の前蹴り。魔鳥や飛竜ワイバーンが時折見せる、身体能力任せの大振りな行動ではない。明らかに効果的なタイミングと角度が計算された熟練のだ。

 それを紙一重で回避したカナタの目に、竜の口元で瞬く蒼い火花が映った。


「……まだだ!」


 身体強化エンハンスの出力を上げる。と同時に、剣の柄から離した左手へとを集中させる。

 後方へと跳び退りながら、カナタはその手を地面へと叩きつけた。


「土と強化と―――もう一丁、風ェッ!!」


 丸く削り出されるようにして、岩塊の“砲弾”が形成される。

 さらに、強化された筋力による投擲に、重ね掛けした風の魔術が加わって、それは『隻剣』の喉元へと一直線に吸い込まれた。


〈Gou―――!?〉


「なんか、ちょっとコツが掴めてきたぞ……!」


『隻剣』の口内で、既に半ば火球へと変じていた魔力流が暴発し、炸裂する。

 同時に振り下ろされた光の剣の動きは無造作で、明らかに苦し紛れだった。三日月型の蒼い斬撃が無数に乱れ飛ぶものの、その軌道を冷静に見切ってカナタは駆け出す。


〈AaaAAAAAaaaaa……Quooooooooo!!〉


「んっ、なぁ!?」


 そして、カナタが追撃を試みた瞬間、『隻剣』の得物を振るう右腕───蒼い輝きで象られた仮初の腕が、炎の濁流と化して暴れ狂った。

 必殺の威力を誇る光波の斬撃が、縦横無尽に戦場を切り刻む。


「───あっぶ、ねえぇ……!」


 カナタの手元で、温存しておいた『発火ファイア』と『治癒ヒール』のスクロールが焼け落ちた。

 追撃の姿勢に移ろうとした直前、不穏な予感を覚えてあらかじめ起動しておいたものだ。発火の炸裂で光の剣の威力を相殺───することは不可能に思えたので、自爆覚悟でその場から離脱するのに使った。

 同じく『麻痺パラライズ』の符も発動していたが、今度は効果が無かった。こちらは蒼炎の腕に一方的に掻き消されたように見える。

 既に『麻痺』を1枚、3種類を1枚ずつ魔力の補充に用い、先刻の攻防で残るは『発火』『治癒』『転移』がそれぞれ1枚。


(兄さんみたいな賦活、自己再生の魔術は俺には使えない。それが戦闘中か戦闘後かはともかく、無事に生きて帰りたかったら治癒ヒールは絶対温存……少なくとも、今みたいな無理押しには使えないと思ってた方がいい。発火ファイアは色々考えられるけど、スクロールで致命傷を回避するところを2回見られてる。きっと警戒されてるから、今度使うなら攻撃に回すべきだ。あとは───)


 元より退路は無く、手札もまた底を突きつつある。

 少年は覚悟を決めた―――次の交錯で決着をつける、と。


〈Qa〉


 果たして、その意気が伝わったのであろうか。

『隻剣』はまるで練達の騎士の如く、光の剣を正眼に構えた。何が来ようと真正面から斬り捨てると、翡翠色に燃える瞳が語っている。


「行くぞ」


 腕と腰を落とし、地を這う蛇のような低い姿勢から、カナタは全速力で駆け出した。

 蒼き古竜は動かない。動く必要を認めていない。周囲に吹き荒れる嵐が勢いを増していく。そしてそれ以上に、光の剣に集束する魔力―――否、絶大なる神気が、天地の境界あわいをも断ち別たんとばかりに膨れ上がる。


火属性付与エンチャント・ファイア―――いや」


『発火』のスクロールの応用。廃都ゾエアルキより発掘された迷宮遺物の直剣は、まさに現代では失われた高度な魔導技術の結晶であり、永き時を経てなお強化付与エンチャントの魔術によく馴染んだ。



 恐らく尋常の火炎ではない『隻剣』の魔力に対抗するため、カナタが選んだのは己の知る最も強力な魔術―――フランバルト家の秘伝『燼滅エルプティオ』だった。

 魔法には個々人の適性がある。ましてや魔法貴族相伝の奥義ともなれば、その継承と発展を目的に代を重ねてきた血縁者の他には、模倣どころか術式の理解すら不可能と言っていい。

 故に、当然それは真正の“燼滅の魔剣”ではなく、見かけのみを真似た魔法炎を剣に纏わせるに過ぎなかったが―――。


トレース


 第一に、火の魔力を得物に纏い。


ドゥオ……!」


 第二に、噴き出す火炎の推力で加速し。


ウーヌスッ」


『隻剣』には見えている。飛ぶ斬撃に臆することなく迫るカナタの足運び、それの意味する戦法、攻撃の組み立てが。

 少年が一際強く地を蹴った。蒼き竜は光の剣を大上段に据え、渾身の一振りでもって迎え撃つ。


「―――――ニーヒル!!」


 刹那、若き剣士の姿が掻き消えた。

転移ワープ』のスクロール。1枚きりの奥の手であり、宮廷魔術師から託された最後の応援。

 今日放たれた中でも最大の破壊力と最高の速度でもって飛翔した光の斬撃が、空を切る。


〈Quuuuuuu―――〉


 致命的な隙となる、はずだった。

 しかし、竜の翡翠色の瞳に焦りは無い。『隻剣』は。生来の闘争本能と在りし日に培った膨大な経験が、このような局面で対手が選択するであろう戦法を正確に予測している。


〈Syyyyy……Quaaaaaaaaa!!〉


 剣を強く振り抜いた無防備な姿勢から、しかし蒼炎の腕が捻じれて歪み、携える光の刃は水平方向の円の軌道を薙ぎ払った。

 古来、は、その姿を水や霧などに変じる異能を持った魔物に抗するため―――すなわち、短距離転移による後背からの強襲への対策として生まれた剣技である。

 それはまさしく、


「……―――かかってくれると、信じてたぜ」


 カナタが一度は思いつき、やがて捨てた考えと同じだった。


〈……!!〉


 距離を無視する光の剣に対して、射程の優位を失くす位置まで接近するのは前提。最大威力の一撃を避けて、その隙にカウンターを叩き込むのは定石。

 だが―――――歴戦の剣士である『隻剣』が、そういった動きを


竜狩りリュウガリ


 自分と兄が修めているそれとは異なる剣技、異なる術理。

 緩急のついた足捌きによる対応力が強みのシュトスラ流に対し、ジョシュア=フランバルトが操る『アデラーレ派』は、豪速の突進から繰り出される烈火の如き攻勢を旨とする。

 若き剣士が選んだ転移地点は、『隻剣』の背後ではなく真正面だった。


〈Gea〉


 一般的に竜属種の弱点と成り得るのは、眼球や口腔など鱗と筋肉の層による防護が存在しない部位だと言われている。

 まして最重要器官たる脳を守る以上、頭蓋骨は最も厚く堅牢な箇所だ。それは魔物であろうとドラゴンであろうと例外ではない。

 真下の顎門より放たれるブレスをも恐れず、くびですらなく眉間に斬り込もうなど―――。


「―――――“赤光斬シャッコウザン”ッ!!」


 極限まで圧縮された火の魔力が、一挙に炸裂する。

 それは瞬間的に竜鱗の耐熱・耐魔力性を突破して溶解させ、肉を焼き焦がし、頭蓋を叩き割った。

 脳漿混じりの鮮血が、間欠泉の如く噴出する。かつてないほど『隻剣』の命脈に迫る一撃―――蒼き古竜が谷の主となって幾星霜、人智を超えた暴威を誇る竜属種たちですら成し得なかった偉業。


「……、~~~ッ! ……へへ」


 さりとてその代償は、只人の身にはあまりに重く。

 体力、気力、魔力、機転、天運。すべてを懸け、擲って―――それでも、まだ。


〈―――――……〉


 意識を失って虚空へと投げ出される直前、カナタの視線が捉えたのは、まるで老練の賢者のように穏やかで聡明な光を湛える古竜の瞳だった。




――――――――――――――――――――――――――――――




 空中を力なく落下していくカナタの身体を、『隻剣』の燃え盛る右腕がふわりとさらった。

 あらゆる外敵を骨の髄まで焼き尽くすはずの蒼炎は、しかし少年に何の痛痒ももたらすこと無く、ごく静かに揺らめいている。


「派手にやられたな、。雑魚の相手ばかりで腕が鈍ったんじゃねェか?」


 宮廷魔術師アルト=ペイラーが現れた。急いで駆けつけた様子だが、武器の類はもはや帯びていない。

 対する『隻剣』もまた敵対の意思を見せず、額の切創から零れる大量の血液もそのままに、ゆっくりと


〈久しいね、。話せて嬉しいよ。あの子、ちゃんと伝言してくれたんだね〉


 周辺空間の変異は既に収まり、元の薄暗い岩窟へと立ち戻っている。

『隻剣』はカナタをそっと地面に降ろした。仮初の右腕が一際強く燃え上がってから消失する。


「まァな。あいつだってガキの遣いも出来ないほどバカじゃねェだろォが、お前を見てどう思うかは少し心配だった。これからは伝言係としてコキ使ってやってくれ……いや、お前から連絡があるってこと自体とんでもねェ。訂正する、あんまり頼るんじゃねェぞ」


〈おや、嫌われたものだ。僕は友達が少ないんだよ? 君ならよく知っていると思うけれど〉


「お前のそういう冗談のセンス、昔から嫌いだったぜ。とっくに知ってると思ってたが」


 ───真竜ドラゴンの寿命は長い。

 魔物とはそもそも迷宮ダンジョンの影響を受けて変質した生物の総称だが、中でも竜属種は特に魔力の扱いに長け、“生きた魔法”とも呼ばれる。

 そして血気盛んな若年期を終え、老成した竜は世界のあらゆる言語と神秘に通じ、実際に魔術を学び始めることすらあるという。

 なればこの『隻剣』も、そういった老賢竜エンシェント・ドラゴンの1体に違いなく。


「で、どうだ。やっこさんの機嫌は」


〈見ての通りだよ。今日こそ手放せると思っていたのに残念だ。一体全体、何が気に入らないんだろうね?〉


「お前が知らねェなら他の誰が知ってンだよ」


〈ふふ、それもそうか。いや、実際今回の……そういえば、名前も聞いていなかったな。彼は―――〉


「カナタ。俺の教え子だ。形式上だがな」


〈……―――、そうか〉


『隻剣』は、明らかに驚いた様子でアルトを見た。竜というよりは、人懐っこい犬か少年のような表情だった。


〈短い間で、変わるものだね〉


「……ンだよその目は」


〈いや。恩着せがましく言うつもりは無いけれど、この姿になって良いこともあったと思って。君が今、そこに───人の輪の中に居ることが、僕にはすごく嬉しい。イヴもきっと喜んでる〉


「何だそりゃ、気色悪ィ奴だな……」


 アルトは気を失っているカナタを、いささか乱暴に引っ張り上げて背負った。

 について進展が無ければ話す意味も無い、とばかりに踵を返し、そそくさと立ち去ろうとする。


〈もういいのかい? 消耗した今の僕なら、簡単に倒せるんじゃないかな〉


「アホか。コイツを寮まで帰すのが先だ。明日も授業なんだよ」


〈なら仕方ない。じゃあ、また来るように言っておいてくれ。いつでも歓迎する〉


「……お前……、ハァ。あ〜面倒くせェ〜……」


 今度こそ『隻剣』に背を向け、アルトは歩き出した。

 蒼き古竜は、少しずつ遠くなっていくその姿を、いつまでもずっと見守っていた。

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