第5話「遅参する若狼」
原初、世界には薄暮があった。そこには雑然として、意味を持たない混沌のみが満ちていた。
やがて長き時間が過ぎると、ほんの偶然、混沌の内に、意味を成す形が現れた。これが始まりであった。
それは
始神はそれを見、混沌を切り分け、秩序を与えることを考え、そのようにした。
しかし、こうして始神が切り分けた混沌とは、つまるところ自らの血肉そのものであった。故に、始神は万物の中へと広く散らばり、その原初の姿は永遠に失われてしまった。
―――――アンファール正教会所蔵『ジア・ウルテ記』序章、現代語訳
――――――――――――――――――――――――――――――
「はーい、んじゃ明日は身体測定と健康診断がありまァす。体重絞るなら今からでも間に合うが、若いんだから飯はちゃんと食った方がいいぞォ」
時々なんとも反応に困るジョークを飛ばすアルト先生の主導で、帰りのホームルームが進んでいく。
顔の割にオッサンくさいとこあるな、という感想は胸の奥にしまっておこう。こんなことで貴重な単位を無駄にする必要は無い。
「ふぃ~。終わった終わった」
一息つきながら、教科書やら何やらを鞄へと仕舞う。
紙の安定生産と活版印刷が実現している辺りには驚いた。それとなくリンリン……違った、物知り博士のリシャール君に聞いてみたところ、何でも『大いなる災厄』以前の古代文明の遺構を再利用しているらしい。
大災厄を経ても奇跡的に可動状態にあった施設を探り探りで使っており、もしも下手に動かして壊れたりしたら50年は修復が望めないので、たくさん流通しているようには見えても、本当はまだまだ貴重なんだとか。
「ってことは、お札とかすっごい価値あるのかな? 市場じゃ硬貨は使ってる気がしたけど……いや、けっこう物々交換とかもしてたような……」
「セテラ? 独り言が多いのは昔からだし、わたしは気にしないけど、そのへんにしときなよ。アルト先生こっち見てるよ?」
「おっと危ねぇ、またしても単位の危機が。ごめんねノエル様」
「うん。わかってくれたならだいじょ……、……?」
ドタドタドタドタ……。
何やら廊下が騒々しい。誰か走って来てんなこれ、やっぱり箒と召喚獣だけ禁止にしてても仕方ないんじゃ?
「―――――……ぁぁぁ……ぁぁぁぁぁ―――」
「んじゃ、連絡は以上。風邪引くなよ、風呂入れよ、歯ァ磨けよォ」
さて、早く帰って小洒落たカフェでも探しに城下へ繰り出しますか。
あ、でもお金持ってなかった……。ノエルと私の場合はアルト先生のご厚意で色々と話を付けてもらったので、アンファール王国政府から奨学金が出ているが、それは当然学費に充てるためのものだし。
バイトとかしていいのかな? えぇと、生徒手帳になら校則とか載ってるはず……もしくは生徒指導室のオットー教授かゴデル教官に……。
「っ……つあぁぁぁッ!! おはようございまああァァぁす!!」
―――果たして、走る足音は私たちが詰める教室の前で止まり、勢いよく扉が開くと同時に周回遅れの朝の挨拶が響き渡った。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら顔を上げる男子生徒―――左右に跳ねた深い紺の髪はほとんど漆を思わせるほどに暗く、またその瞳も夜空を閉じ込めたかのような闇色だ。
うちのクラスで黒髪といえば、クール美人ことアスハ・サイジョウさんだが、物静かでミステリアスな彼女とは対照的に、本人の雰囲気は至って溌剌としている。いわゆる陽キャだ、まぁ陽キャというよりバカ枠っぽ……いやいや、初対面の人にそんなこと、心の中ででも言っちゃいけないよね。うん。
そもそも、相手は王立学園に通う生徒だ。平民にも広く門戸を開いているとはいえ、学校のような教育機関はまだまだ上流階級のものという風潮が強い。
一見バカっぽくとも相応の家柄を誇る貴族か、あるいは平民ながらも極めて優秀な学徒であるに決まって……。
「よっしゃ、滑り込み2分前……! 間に合ったぞ……!」
「いや間に合ってないですよカナタ先輩。随分遅いなとは思ってましたけど、まさかこんな時間に来るなんて」
「しょーがねーだろ道に迷ったんだよ! オットー先生探してたら全然別の部屋に着くしさぁ……!」
前言撤回。たぶんバカだわこの子。
何年もしくは何ヶ月ほど王立学園に通っているのかは知らないが、当然、私たちよりかは長く在籍しているに決まっている。
いくらこの学園が広いからと言って、毎朝毎夕集まる教室を間違うこともないはずだ。普通に考えれば道に迷うなど有り得ない。
「つーかその人誰? オットー先生は?」
「伝書は読みましたか? こちらは臨時ですが、新しい担任になったアルト・ディエゴ=ペイラー先生です」
「あっ……し、失礼しましたッ! 自分、カナタ・アマミっていいます! 歳は今年で17、好きな食べ物は肉なら何でも、将来はセントマルクスで近衛やりたいって思ってます! 家の用事でごたついてて王都に戻って来るのが遅くなってたんすけど、これからよろしくです!!」
巻いていくなぁ……。
てかカナタパイセン、飛び級のイズ君にとっては確かに先輩なのだが、私やノエル様と同い年なのか。
まぁ、学園に通う生徒の年齢層は私の知っている高校と大学が混じった感じなので、そう珍しい話でもない。
アンファール王国の法律には就業年齢を定める項目は無いようだが、だいたい13歳から15歳くらいまでに就きたい職業を決め、それから数年を勉強の期間とする考え方が一般的だ。この『勉強の期間』に家業を継ぐならば両親、独立するならばその道の先達に師事し、18歳を迎える頃には一人前に、という寸法である。
そういう慣例であるからして、この国における学校という機関もまた、高等教育ないし専門教育に特化しているわけだ。
王立学園のような規模の大きい学校なら初等部と中等部があったりもするが、それこそ家にお金があり、また幼少期から教養を身に着けなければならない身分の人たちの世界になってくる。
「わ。わたしたちと同い年だね、セテラ」
「ほとんどそうだと思うよ。イズ君が例外なだけで、みんな16とか17なんじゃない?」
「……えっ? 嘘、お前らって同い年だったの?」
「そして何故ここでアルト先生が驚く……。あんま言わないであげてくださいよ、背低いの気にしてるんだから」
「きききき気にしてなんかないよっ!?」
テンプレ通りのリアクションをありがとう、さすがノエル様あざといなあざとい。でも実際かわいいから許しちゃう。
「ん……? 見ない顔だな。イズ、こっちも新しい先生か?」
「さすがに違うに決まってるでしょ。こちらは秋からの編入生、ノエル・ウィンバートさんとセテラさんです」
「何だ、そっか。じゃあ新しい先生ともども、よろしくな!」
「お、おう」
「はい、よろしくお願いしま……きゃっ」
初対面の挨拶を述べるや否や、私とノエルの手を代わる代わる取って振り回すカナタパイセン。このイケメンにしか許されない距離感の近さ……!
思わず『おう』なんて言っちゃってそれっきりだが、なかなかどうして悪い気分ではない。爽やかなヤツだ。きっと近所のおばちゃんとかにやたら可愛がられているに違いない。
「……で、だ」
さて、それはそれとして、
「ハイッ! 何すか!?」
ミュトスでも屈指の愛想のよさを誇るカナタパイセンも、アルト先生の心は掴めなかったようだ。
普段のアルト先生は、世の無常を儚み憂うような瞳を――ノエルは『不機嫌そう』と形容するが、私の見立てではアレは『眠たそう』だ――していらっしゃるが、いまカナタ君を見ている目は、完全に閻魔大王のそれである。
昨日はカナタ君がお家の事情で学園に戻るのが遅れている、という話を聞いた時は同情を示していたけれど、だからって今回の重大な遅刻を許す気は無いらしい。
いや、仮に私が担任でも普通にキレていたと思うので、当然の反応か。
「遅刻にしても度を越しているな。本当に道に迷ったのか? 初めて王都に来た訳でも、ましてや送迎の人間が居なかった訳でもないだろう」
「あー……いや、信じられないかも知んないですけど、本当っす。お恥ずかしながら……。俺、学園に通い出したのは去年の夏からで。実家から馬車は出してもらいましたけど、それも王都の正門まででしたから」
「……なるほど」
白銀の髪を持つアルト先生と、黒紺の髪を持つカナタ君は、向かい合っているだけで実に画になる。遅刻を叱る教師と下手人の生徒という間柄でなければ、演劇の一幕か何かかと勘違いしていたところだ。
……早く話終わってくれないかなー。ミュトスのみんなと打ち解けるために放課後トークに花を咲かせたいのは山々なのだが、学生寮に引っ越したての今はまだ、さっさと帰って済ませたい用事の方が多い。
具体的には、未だに終わってない分の荷物の整理と、実家からの持ち込みを見送った生活用品の買い出しと―――。
「ちょうどいい。ノエル、セテラ、編入生向けの特別カリキュラムは受けてるよな」
「え? う、うん」
「はい……?」
「だったらよく見ておけ。
予習って何、と聞こうとした私を遮って、
「
「ん? ……えっ? は、ちょ、な……っ!?」
カナタ君の身体が浮き上がった。
突如として引き起こされた摩訶不思議な現象に、私の感情は大いに混乱を示したが、しかし脳みそのどこかが理解していた。
否、仮にも魔法学部に所属しておいて気付かない方がまずいだろう。この魔法使いの卵が集まる学び舎で、宮廷魔術師が披露することなんて決まっている。
「魔法……!」
アルト先生は手に何を持っているわけでもない。とんでもなく強い風が吹いているわけでもない。ただ手のひらをかざしただけで、カナタ君が宙に浮いた!
レジータや王都への引っ越しの時は、護衛の人を伴いつつ安全な街道を通ってきたし、今日までの授業もすべて座学だった。
ノエルは素質からして既に魔法が使えるかも、とは聞いていたけど、私は本物の魔法を見るのはこれが初めてだ。
「
「んなっ……お、おい! アンタがやってんのかよこれ!?」
「昔は無属性魔術とも呼ばれていて―――まァ、四大属性に加えて光と闇の術式が定義された今じゃ、『詳細不明だからとりあえず紀属性』なんて魔法もそうそう無ェんだが。広義には、『応用魔術』と呼ばれる術式はすべてこれに該当する」
無視かよ。薄々気付いちゃいたけど、本気で怒らせると怖いなぁこの人……。
てゆーかこれ、普通に体罰とかなのでは? 遅刻への制裁の域を超えているのでは? とか何とか思いつつ、怖くて止めに行けない私が居るんだけどさ。
「何にせよ励むことだ。繰り返すが、紀属性はそのまま紀元にして基礎の属性だ。魔力の扱いの習熟には最適だぞ。俺もこうして人間1人を浮かせられるようになるまで5年かかったが、おかげで宮廷魔術師の地位も安泰ってわけ」
アルト先生が手を振り払う。恐らく魔法を解除したのだ。
カナタ君が床に落ちる。高さもそう無かったし、背面を下にして落ちたので平気そうだ。よかった。
「ッ……、てめぇ! いきなり何しやが……!」
「次だ。これらは『四大属性』の魔法で、世界を構成する高次元の存在―――『
それなりに痛そうだったが、カナタ君は割とすぐに立ち上がった。そしてそのまま両腕を広げてアルト先生に向かっていく。なかなか喧嘩っ早い。
もちろん、宮廷魔術師として魔法戦闘のエキスパートであるアルト先生が、不用意な接近を許すわけもなく。
「のわ!?」
明らかに「なにか」に
今度こそ怪我をしそうな勢いだったが、幸い舌を噛んだりはしていなかったらしい。
彼の挙動を阻んだのは……何だ? 足元に、岩みたいなものが絡みついて……?
「まず、
戦場なら殺しに行くて。そげな物騒な。
「くおっ……んだこれ、動けね……!」
うぅむ。それにしても、錬金術や土木作業に使えるのは便利だ。
前世では文系だったので化学も建築も門外漢だが、一般教養も同時に身に着くとすれば、学ぶ価値はかなりありs
「
「ぎゃあっ!?」
「
「熱!! あ、熱っ、あちちちちち!」
うっわマジかあの教師、教え子の髪の毛に火つけたぞ……!?
ガチで燃えてるし、呑気に講義とかしてる場合じゃなくない!?
「
「へぶっ」
あ、消火した。
さっきまでは肉食系の獣という風情だったカナタ君だが、今やすっかり意気消沈の濡れ鼠である。
「
「なん……火、水、最初のは……、足のこれ、土か? ……意味わかんねぇ、ありえねぇだろそんなの……」
……ほう?
カナタ君だけでなく、クラスのみんなも目を丸くしているところを見ると、複数の属性を切り替えて使えるのは相当すごいことのようだ。
俺TUEEEEE物ではありがちな話だが、アルト先生もその例に漏れないらしい。ということは転生者である私も期待できるね! ね!
「さて。
「のわあああああああ!?」
アルト先生の詠唱と共に、
傍に居る私たちにはほとんど感じられないが、どうやら物凄い暴風が彼の周りにだけ吹き荒れているようだ。
「
アルト先生がぱちんと指を鳴らす。風が収まり、何やらもみくちゃにされていたカナタ君はそのまま教室の床へと倒れ込んだ。
さっきの風属性魔術で身体と服は完璧に乾いているし、足を拘束していた土属性魔術もとうに解除されているが、始めの頃のように起き上がって飛びかかろうとする気力は失われている。
「で、後は
そういえば、カナタ君が倒れている床も水属性魔術でびしょびしょになっていたはずなのだが、いつの間にやら元通りになっていた。
私には何がどうなったのかさっぱりわからないけれど、紀属性魔術でこっそり別の場所に捨てたりとかしたんだろうか。
「はひゅぅ……」
南無三、カナタ君。お疲れ様です。五体無事なのに疲労困憊か、大変だな。
つかアルト先生、あんだけ暴力的に魔法を行使したのに、結局はカナタ君に傷一つ付けて――前髪を数本焼いたのを除けば――ないのか……!
圧倒的ってもんじゃない実力差だ。周りのみんなもドン引きしている。
「今日のところは俺から口利いといてやる。明日から気をつけろよ、アマミ。んじゃ、今度こそ解散。お疲れェー」
先刻までの魔術の冴えはどこへやら。また鋭利なようで気怠そうな目つきと口調に戻って、アルト先生はそそくさと教室を出て行った。
後に残されたのは、床に這い
「…………ノエル」
「……なに? セテラ」
「私、割と低血圧で、寝起き弱いんだよね。でも、その……朝起きるの、一緒に頑張ろっか」
「うん……そうだね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます