小百合

坂本 ゆうこ

小百合

女が死んだ。

常に自分を罰していた。頑固な女だった。

奥村の上で死んだ。上下運動が悪い痙攣に変わったことに、奥村ははじめ気が付かなかった。女は白目を向き一度天井を仰いで、重力に従い男の胸に倒れた。

五分ほど、何が何だかわからずにぼうっとしていた。女がもう動かないということがようやく解って、ゆっくりと女から離れた。内臓は温かかったのに、皮膚はすっかり冷たくなっている。

部屋が冷えていることに気が付いた。女に毛布をかけ、顔を見ると、満足気である。

「小百合」

奥村はため息を吐いた。



根本桃子が妹の死を知ったのは、それから三日も後だった。妹、根本小百合の恋人、太田聡が、本人と連絡がつかないため姉に連絡を取った。姉が連絡をするも応答がなく、心配して小百合の部屋を訪れた時、遺体を発見した。遺体は腕をトイレのドアに繋がれた状態で、脱衣所に横たわっていた。風呂の換気扇がついていた。

桃子が取り乱し泣いてばかりいるので、隣人が不審に思い駆けつけ、現場を確認、警察に連絡をした。


外傷のない遺体には、不可解な点があった。腕に緩く結ばれたレース紐の先が、トイレのドアノブに結ばれていた。裸体で化粧をしていた。そして、膣に花が詰められていた。警察は、殺人として捜査し、ひとりの男にたどり着いた。奥村博一(49)の指紋が、被害者の部屋に大量に付着していた。

取り調べで、奥村は被害者が自分の上で突然亡くなったこと、もう来ることはないだろうと部屋にある彼女の品をひとつひとつ触ったこと、口紅を持ち帰ってしまった事などを話した。しかし、レース紐や花の事は知らなかった。さらに、奥村が、当日被害者が付けていた口紅を持ち帰ったと主張したが、遺体の唇に塗られていたのは別の口紅だった。

「小百合は、わたしの上で突然亡くなったんです。こう、ビクビクっと痙攣して、ばたり。情死って、今でもあるんですね。いや、本当に情死だったかは、分かりませんが」

「と言うと?」

「小百合の死に顔、小百合が自分を罰することに成功した時のまさにそれでした。彼女の死を理解して悲しかったけれども、それ以上に、わたしとのこれまでの逢瀬は罰だったのかと悔しさが勝りましてね…泣けなかった」

奥村の声が震えた。右手で目頭を押さえている。泣いているのだった。

「小百合、死んじまったのかあ…誰も、わたしも、彼女を救えなかった。まだ24だったのになあ」

「……罰とは何の事ですか」

「小百合、理想通りにできない自分を罰するのが日常になってたんです。彼女が自分で打ち明けるまで気が付かなかったけれど、わざと自分を痛めつけたり、不利な状況を作ったりしていました」

「例えばどんな」

「簡単なのだと、自分に爪を立てる。酷いのだと、……嫌いな人に抱かれる。でも、リストカットとか、自殺未遂とか、そういうことはしないんです。他人の目に映るし、親に知れたら面倒だからって。どうして今回は死んでしまったんでしょうか」

「さあ…でも、奥村さんは彼女が亡くなったことをどうして親族に伝えなかったんですか? 警察に連絡するとか、できることはありましたよね」

「死んでから、わたしは彼女の事をほとんど知らないということに気が付きました。親族の連絡先など、知らない。兄弟がいるかも、出身も分からない。アパートの場所も、あの日強引に着いて行ってはじめて知ったんです。警察に連絡はできましたが、しなかった。実は、出来心で彼女の携帯電話の中を見たんです。そうしたら、わたしのような男が他にもいるではないですか。もう彼女のことは忘れようと思いそのままアパートを後にしました。もう彼女のことは忘れることにしたんです」

奥村の話は、概ね正しく思えた。となると、奥村以外の何者かが、毛布をかけられた根本小百合を発見し、風呂場で彼女の体を洗い、ドライヤーをかけ、整髪剤を塗り、化粧をし、遺体を仰向けに寝かせ、膣に花を詰め、トイレのドアと彼女をレースで繋いだのだ。


しかし、被害者の部屋からは被害者と奥村、そして被害者の姉、根本桃子の指紋しか出てこなかった。そして、根本桃子には完璧なアリバイがあるのだった。根本小百合は、彼氏である太田聡にさえアパートの場所を教えていなかったし、体の関係も持っていなかった。一方で、複数の男性と連絡を取り、密会を重ねていた。過去に水商売をしていたことが判明したが、どの男性もそれとは無関係であった。

「奥村の話は、本当なのでしょうか……」

「奥村が犯人だとしたら、どうして部屋中に指紋を残したんだ。被害者の体からはあいつの指紋がひとつも出なかったんだぞ。誰かが、後から被害者の体を清めて悪趣味な飾りを施した…自然ではないが、それしか考えられないだろう」

「そうですよね、根本小百合は外傷もなく、薬物を使った様子もなかった。やはり、奥村の話通り、情死だったのでしょう」

「……。どうだかな。根本小百合はどうしてアパートを家族以外の誰にも知らせなかったんだ? 何かから逃げていたのか?」

「僕なら、何かから逃げるなら家族にも居場所を伝えませんがね…だって、両親は根本小百合に変わった様子はなかったと言っていましたし」

「彼氏を含めた男関係は、両親には何も話していなかったしな。姉は察していたようだが」

「どの男も、知らないの一点張りでしたね…唯一泣いてたのは奥村ですか。全員の証言で共通していたのは、被害者が高価なプレゼントは受け取らず、会計は割り勘か多く払うようにしていた事ですか。あまり深く付き合うつもりはなかったのでしょうね」

「…そんなに男が必要なもんかねえ。近頃の若い子には」

「さあ…でも、奥村が話していた【罰】が気になりますね」

「【罰】を与えるってことは、彼女は過去に何らかの罪を犯したのかもしれないな」

「罪…ですか…」

目線を落とす。手元には本件に関する長所がいくつも重ねられているが、被害者から罪を感じるようなものは、ひとつもないのだった。



「突然呼び出してすみません」

「そんな全然! 大丈夫ですよ」

昭和の香り漂う喫茶店に、太田聡と根本桃子がいた。太田は桃子にメニューを差し出す。

「ここ、コーヒーが美味いんですよ」

「あ、どうも。じゃあそれにしようかな…聡さんは何にします?」

桃子は、妹の彼氏であった男の苗字を知らないのであった。

「僕はトマトジュースで」

「トマトジュース、ですか。赤いのはちょっと…」

「以前小百合、妹さんと来た時に彼女が頼んでいたんですよ。別に血を流して亡くなっていたわけではないんですよね? 過敏になりすぎですよ」

「そうかもしれませんけど…聡さんは随分あっさりしてますね。まるで妹のことなんて忘れたみたい」

「いやだな、覚えてますよ。だから今日貴方に来ていただいて、こうしてトマトジュースを頼むんですよ。僕は僕のやり方で彼女を惜しんでいます」

「……」

店員に注文を済ませると、太田はテーブルの上に両手を置いた。そのまま目を瞑っている。

「…えーと、今日はどういったご用件で」

ゆっくりと目を開き、桃子の目を射抜く。

「単刀直入に申し上げます。桃子さん、僕とお付き合いをしてくださいませんか」

開いた口が塞がらない。じっと目の前の男を観察する。チノパンにシャツ、その上にカーディガンを着ている。もう少しで黒縁の眼鏡にかかりそうな前髪の奥で、二つの目がらんらんとこちらを見ている。妹から聞いていた特徴に、目だけが当てはまらない。この人は誰だ。この男は、誰だ。

「そんなに睨まないでください。年子ならと思ったが、予想以上だ。あなたと小百合は似ている」

「…姉妹ですから」

「何もあなたを小百合の代わりにしようという訳じゃないんです。あなたを一目見た時、好きだと思った。小百合のことはもちろん愛していました。でも、あなたを見つけた時、一瞬小百合を忘れました。はっきり言います。小百合より、あなたのほうが美しい」

「……」

「最初は、小百合の死んだ時の様子や、僕の知らない小百合の話を聞きたいと思ってお声がけしたんです。でも、もうそんなことどうでもいい。あなたを愛している。小百合の話は、二人の仲がもっと深まったらゆっくり聞かせてください。で、どうです? 僕、こう見えても経営者なんで、金は持ってます。絶対幸せにしますよ。うちの親に会ったこと小百合ないですし、僕小百合の葬式行かなかったんで、妹の元カレだってばれません」

「わたし、彼氏いるので、お断りします」

桃子は、彼氏にこんな風に捨てられる妹を哀れに思った。そして、喜んでいた。妹より美しいと言われるのは悪くない。そう、妹の彼氏を一目で奪ってしまうほどに、わたしは美しいのだ。

「……そうですよね。美しいですもんね。今すぐじゃなくていいです。僕に乗り換えませんか? 絶対退屈させません」

「お気持ちはありがたいのですが、お断りします。すみません」

そして、その男を切り捨てる快感。なんて贅沢なのだろう。妹は死んでしまったから、この快感は二度と味わうことが出来ない。しっかり噛んで味わわなければ。

「はじめはお友達、いえ、セフレからで構いません。僕の隣で笑っていてほしいんです」

「え~…困りますよ。どうしようかな」

「迷っているなら、いいじゃないですか。絶対幸せにしますよ」

「……」

「お願いします」

男は頭を下げた。

「……やっぱり、遠慮します。あなたと会うのはこれが最後です」

「……後悔しますよ」

「結構です。もうわたし達には関わらないでください。お会計はわたしが払います。お引き取りください」

男が深いため息をつく。運ばれてきたトマトジュースをしっかりと飲み干して、何かを思い出したようにかばんを漁りだした。

「そうそう、これをお渡しします。もう僕には必要ありませんので」

男はテーブルの上に紺色の箱を置いて、店から出て行った。箱の中には、コップやお土産のようなものが入っていた。おそらく、妹があの男にプレゼントしたものだろう。

誰がお前なんか相手にするか、ばーか。

温くなった紅茶を流し込む。どうか、死人に心が読めませんように、そう願いながら。

箱を置いて、店を後にした。



「昨日ヨォ、小百合が夢サ出てきたんだけンど」

「何サ、今頃出てきて」

「生きてるうちにもっと帰って来てたらね」

「それで、ナァにしてらった。手ッコでも振ってたか」

「…振ってなかったなァ」

「おらァてっきりバサマを迎えに来たのかと思ったよオ」

「まァだ迎えは早いべ。こんなにピンピンしてるんだもの」

「して、どったら夢ッコだったのセ」

「いやサ、お父さんがこさえた蕎麦くっとったのサ」

「おいしいって言ってらったか」

「どうだったべ…忘れてまった。蕎麦食べて、テレビ見て、笑ってらったヨォ」

「お父さんの蕎麦だったら、正月だろうね。正月帰って来なかったもんね」

「変な仕事してらったから。馬鹿なの。おらァ止めたのにサ」

「お父さん、小百合がやりたいならいいって結局納得してたじゃん」

「そんな事言ったってヨォ」

「こんな事言ってもね」

「今さらだべ」

「もう3年も前だもの」

「…桃子は元気だべか」

「元気そうだよ。この前仕送りしてって連絡来て送ったもの」

「そんなの小百合だってそうだったべサ。お母さん、たまには帰って来いって言っておけ」

「自分ですればいいのにね。いいけど」



「なんでそんなに敏感なの?」

「え~…う~ん」

「小百合が言いたくないならいいけど」

「いや、あんまり明るい話じゃないけど、いい?」

「うん」

「わたしさ、自分の事をどうしても罰したくなる時があるのね。昔、その方法のひとつに、嫌いな人に抱かれるっていうのがあって」

「…」

「…この話やめようか?」

「いや、続けて」

「それで相手してくださった方が、乱暴で、こうなったのかも? …わたし、男性関係は、酷いことしかしてきてないの。ごめんね」

「いや、話しづらい事教えてくれてありがとう。実は、元カレに開発されたのかなあって不安だったんだよね。そうじゃなくてよかったや」

「付き合ってはなかったよ。好きじゃないもの。だからね、酷いのよ、わたし」

「そんなことないよ。ね、続きしよ」


……

「小百合」

「小百合」

「小百合」

「小百合」  ………



そうしてもう誰もわたしを気に留めない。

そうしてもう誰もわたしに捕らわれない。

それなのにわたしだけが、いまだに捕らわれたまま。

わたしだけが手を放してくれないまま。






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