身体にあった服がある

初めて食べたときには感動さえした有名なお店のタピオカミルクティー。しばらくは毎週のようにその店に足を運んでいた。

たった今その店の前を通り過ぎた。少しも食べたい気分にはならなかった。

もうその店には数ヶ月行っていない。少し飽きて足が遠のいたときにも、今日と同じでタピオカを食べたい気分には全くならなかったものの、かつての感動を求めて試しに食べてみたことがあった。結果、最初に味わった感動の100分の1も得ることは叶わなかった。


食べ物も、漫画も、友達も。夢中だった当時には「きっと一生好きでい続けるに違いないのだ」という確かな自信のあったものたちも。どれもこれも、気がつけばその存在感は失われてしまっている。


すでに存在感を失ってしまったものたちには、最早何も感じない。そんな自分を薄情な奴だなと、少しだけ思ったりもする。

それでもたった今このとき、心から大切だと思うものたちのこと。それらもいずれは自分にとってどうでもいいものになってしまうのかもしれないというその可能性は、僕には怖くて怖くて仕方がない。


未来の僕が何を好きかなんて、今の僕には分かりようもないし、出来ることも一つもない。もし過去の自分が今僕に電話をかけてきて、今はもう好きではなくなってしまったものたちについてその素晴らしさを力説してきたとしたら、きっと僕は鬱陶しく思うことだろう。好きじゃないものは好きじゃないのだからしょうがない。それは今の僕にもどうにも出来ないことなのだ。


だから今の僕にできることは、せめて今この瞬間、確かに好きなものたちを、精一杯大切にすることだけなんだと思う。そして未来でもまたきっと素敵なものたちに出会って、それらを心から好きになるのだと思う。失われたもの、失うかもしれないもの。それらに心を奪われるよりも、これから訪れるであろう素敵な出会いたちを、わくわくしながら探して行こうと思う。

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