11 再会

 二〇一八年四月一三日(金)。

 恒平が佐渡の小木港に降り立ったのは、約一年半ぶりだった。このシーズン、船は空いていた。恒平以外の乗船客のほとんどがグループ旅行の観光客だった。

 フェリーのゲートを出ると、自分の名前が呼ばれた。声の主を見ると、中年男性だった。短髪の髪型と人懐っこい笑顔には見覚えがあった。

「久しぶりだな。この時期に帰省って珍しいな」

「おお、隆か。久しぶり。基本的に混まない時期に帰省してるんだ」

「そうなのか」

「隆は誰かを出迎え?」

「ああ、子どもの出迎え」

 隆がそう言った矢先に中学生くらいのスポーツバッグを背負った男の子が現れた。船に同乗していた中学生のグループのメンバーだった。恒平は挨拶を交わした。

「今日は、上越でバスケの試合があってね。恒平はいつまでこっちにいる? 飲みに行こうよ。今日でも明日でも」

「いいね」


 恒平が近所の焼き鳥メインの居酒屋に入ったときには、隆はまだ来てなかった。客は初老の男性が一人だけだった。恒平は店員に他に一人来ることを伝えて、テーブル席に着いた。この店は一〇年くらい前にできた地元の貴重な居酒屋だった。地元出身の大将が妻と営んでいる店である。それまでは近所にこの手の店はなかったから、左党には大いに重宝されているだろう。指定の時間を五分ほど過ぎたところで、隆が現れた。

「ヒデとか他にもあたってみたんだけど、何せ急だから、つかまらなかった」

 隆は席に着くなり、すまなさそうに言った。

「いいよ、いいよ。ええと、この前の同窓会以来か」

「そうだな。ということは、六年ぶりかな」

「そんなもんか。早いな」

 二人とも生ビールを頼んだ。

「四五とはな。完全な中年男だよな」

「ああ。そろそろ健康診断にひっかかる歳だよな」

「ハハハ、そうだな。違いない。健康診断は怖いよ。まあ、俺も二人の子どもの父親だからね。食べ物にもいろいろ気を遣うようになったよ」

 隆は饒舌に話した。声を聞いていると懐かしさがこみあげてきた。

(やっぱり懐かしいな。しかし、なぜ今まで隆と疎遠だったのだろう)

 二〇代の前半に夏に恒平が帰省していたときに隆と二人で会ったことがあった。そのころ、隆はすでに地元の運送業者に就職していたが、お盆の時期で、隆は休みだった。恒平が隆に連絡すると、隆は二つ返事で、恒平の誘いに乗った。隆が車を出して、二人で繁華街の佐和田に向かった。回転寿司の店に行き、その後、ボーリング場にも行った。楽しいレジャーになるはずだった。そうならなかったのは、自分が悪かったのだ。それは弁解の余地がない。

 最後に行った店は、廃バスで営業しているラーメン屋だった。恒平はその店の悪口を口にしたのだった。実際、そのラーメンの味や店内の様子がどうだったかは忘れたが、そういう悪口は隆からしたら許容できないだろう。お気に入りの店の悪口は。そのときはもう帰路に着いていたが、隆は無言になった。

 友人関係では、何でも言えることは大切なことだが、礼儀は必要である。そうした悪口は完全に礼を失していた。言っていいことと悪いことの区別ができていないのは、やはり人間関係の経験値の少なさから来るのだろう。

「そうだよな。俺は中性脂肪値が基準値を超えてて、とんかつなんかもう何年も食べてないよ」

 隆は店員を呼ぶと焼き鳥盛り合わせなどの料理を頼んだ。

「マジか。俺はそっちは大丈夫だな。今でも『かつふみ』には行ってるよ」

「『かつふみ』か~。昔、田村さんの運転で行ったよな」

「ああ。あのときは、楽しかったな」

「今でも田村さんや文華さんとは会ってる?」

「田村さんとは何年か前に会った。彼は結婚して、子どももいるよ。実家で農業を営んでる。文華さんとは会ってないな。佐渡にはいないと思う」

 隆と文華は、文華が東京の短大に進学した後、しばらくして別れていた。「文華に向こうで彼氏ができて、俺が振られたんだ」と隆は言っていた。よくある話だが、話を聞いたのは高校生の頃で、そのときは、二人の交際は憧れであり、貴重に思えていたので、その話はショックだった。

「そうか。田村さんはこっちにいると思ったよ。昔、話したとき、都会には興味がないみたいなこと言ってたから」

「あの人は、そうだよな。俺も今はそうかな。東京で暮らしたいとは思わないよ。恒平は戻ってくる気はないの? 翻訳の仕事はどこでもできるだろ?」

「まあ、俺は戻れないことはないんだが、どうだろうな。実は最近、彼女ができて、その子は会社に勤めてるからなかなか難しいかもな」

「マジか。それはおめでとう!」

 恒平はどこで出会ったかや年齢、職業などの通り一遍の質問に答えた。奈央なおとの交際は大いに盛り上がっていて、実はこの週末も佐渡に戻らずに奈央と会っていたいくらいだった。恒平にとっては、およそ七年ぶりの交際であり、それも才色兼備の奈央とあれば、熱狂せずにはいられなかった。

「ところで、師岡はどうしてるか知ってる?」

 一通り奈央の話をしたところで、恒平は訊いた。

「師岡ね。新宿のホストクラブで働いてたというのは、知ってるよね。あれから、もう二十年以上経つんだよな。師岡とは会ってないけど、母親とはいつだかコンビニで偶然会ったことあるよ。何年も経つのに、またしても謝られたよ。そのときは、東京でタクシーの運転手していると言ってた。最近の消息はわからない」

「そうか。まあ、あの人もどんな人生を歩んでいるのか興味深いものがあるよな」

「ああ、そうだな。でも、あんまり会いたいとは思わないけど。もう俺たちいい年だよな。人生の半分は過ぎたわけで。恒平はこれまでの人生に満足してるの?」

「……満足はしてないけど。そうだな。これまで生きてこれたというので、十分かもな。年を取れるほどに生きた、というので。まだ三〇代前半で死んだ奴もいたけど、俺だって十分にそうなる可能性もあったんだ。仕事だってほぼバイトしかやってなかったし、長く続いた職場でも一年半くらいだった。フリーランスになってからも、危機的状況はあったし、これからもどうなるかわからない」

「翻訳の仕事には満足してるの?」

「う~ん、まあ金銭的には満足はしてないけど、内容的はしてるかも。いずれにしても『でもしか』だけど」

「でもしか?」

「それしかできないってこと」

 恒平は「でもしか」の由来を説明した。

「なるほど。じゃあ、天職じゃないか」

「いいこと言うね。だけど、AIに脅かされる職種の一つであるわけで、将来性があるとは思えない」

「物流業界でもそういうテクノロジーがどんどん導入されてるよ。翻訳に限ったことではないね」

 隆は倉庫作業の自動化の状況を話した。恒平は興味深げに聞きながらも、人生の満足度に大いに関連する女関係について話したかった。実際のところ、今は奈央がいるから満足していると言えたが、それでもこれまでの女関係の失敗こそが満足度を下げているのは疑いようがなかった。女に振られた苦い体験についてつらつら思い出していると、高校のときに隆に彼女をつくれなどと諭されたことを思い出した。今にして思えば、その助言は正しかったのではないだろうか。そういう体験があれば、特に二〇代や三〇代の頃にほとんど彼女がいた時期がないという状況は避けられたかもしれない。


 シーザーサラダ、フライ、焼き鳥といった料理は、東京の一般的な居酒屋の料理よりも美味しいかった。鮮度の違いは明らかだった。地元も悪くはないかな、と恒平は思った。片手にあまるほど友人がおり、親も健在となれば、ある面では都会での一人暮らしよりも充実した暮らしが期待できる。

「恒平も帰って来いよ」

 恒平がトイレから戻ると、隆は言った。まるで思考を見透かされたようで、唖然とした。「また田村さんに会いに行こうか」と隆。それは本気とは思えなかったが、一瞬、高校時代に戻ったような錯覚を感じた。

「いいね」と恒平。


「じゃあ、またな。帰るときは連絡するよ」

 恒平は代行の車から降りるときに言った。

「ああ、またな」


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