虞丘進1 怪我まみれの将
虞丘進、字は
383年、
その功績から
399年に
そこで多くの怪我を負った。
そこから
更には
ん? この書き方、もしかして
劉裕が虞丘進に従ってた、
が正しいんじゃね? まあいいけど。
やはりここでも大怪我。
けれども気にしない。
水軍を率い、逃走する孫恩軍を追撃。
いずれの戦いでも功績を上げた。
402年、再び五斗米道討伐に、
二十日以上防ぎ続ける。
403年には
ここでは
更には
戦功を挙げ続けた。
虞丘進字豫之,東海郯人也。少時隨謝玄討苻堅,有功,封關內侯。隆安中,從高祖征孫恩,戍句章城,被圍數十日,無日不戰,身被數創。至餘姚呵浦,破賊張驃,追至海鹽故治及婁縣。於蒲濤口與孫恩水戰,又被重創。追恩至鬱洲,又至石鹿頭,還海鹽大柱,頻戰有功。元興元年,又從高祖東征臨海,於石步固與盧循相守二十餘日。二年,又從高祖至東陽,破徐道覆。其年,又至臨松穴破賊,追至永嘉千江,又至安固,累戰皆有功。
虞丘進は字を豫之、東海の郯の人なり。少き時に謝玄に隨いて苻堅を討ち、功有りて關內侯に封ぜらる。隆安中、高祖の孫恩を征せるに從い、句章城を戍り、圍を被ること數十日にして、戰わざる日無く、身に數創を被る。餘姚の呵浦に至り、賊の張驃を破り、追いて海鹽の故治、及び婁縣に至る。蒲濤口に於いて孫恩と水戰し、又た重創を被る。恩を追いて鬱洲に至り、又た石鹿頭に至り、海鹽の大柱に還じ、頻戰にて功有り。元興元年、又た高祖の臨海に東征せるに從い、石步固にて盧循より相い守ること二十餘日なり。二年、又た高祖の東陽に至れるに從い、徐道覆を破る。其の年、又た臨松穴に至りて賊を破り、追いて永嘉の千江に至り、又た安固に至りて、累戰にて皆な功有り。
(宋書49-11_暁壮)
淝水の段階で関内侯(※侯爵、ではなくて「関内侯」。いわゆる五爵より下の爵位)貰ってるような人が劉裕の配下として戦ってるのはさすがにおかしくないすかね? 本来は劉裕の上司だったんじゃないかしら。
それにしても虞丘進さん、怪我を負い過ぎである。そしてなぜか彼の伝でのみ地名が異常に詳細。どうせならあらゆる伝でこんくらい詳細に地名書いてくれりゃいいのに。
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