巻49 武人たち1

孫処1  海周りの襲撃者 

孫処そんしょ

 既出:劉裕43、劉裕47、劉裕74

    沈田子1、沈田子2



孫処、字は季高きこう會稽かいけい永興えいこう県の人だ。

戸籍登記簿に季高で登録されていたため、

諱ではなく、字で通用していた。


若い頃はいわゆる任侠の徒で、

劉裕りゅうゆう孫恩そんおん討伐に出向くとき、

大喜びで付き従った。


具体的な功績は載らないが、

桓玄かんげん打倒クーデターにあたって

振武將軍、新夷しんい縣五等侯に。


末っ子(季)を示す字、

そして以上の来歴を踏まえれば、

食い詰め農家の末っ子が劉裕の決起で

チャンスを掴み、大出世した、

と言えるだろうか。


そんなかれは南燕なんえん戦でも先陣の功、

盧循ろじゅん襲来にあたっては

石頭せきとう城防備の設営ののち

越城えつじょう查浦さほの守備に当たり、

建康の川港、新亭しんていで五斗米道軍を大破。


逃げ出す五斗米道軍を見ながら、

劉裕は孫処に言っている。


「奴らが逃げて行くにしても、

 先にアジトが潰されちまってたら、

 逃げ道がなくなっちまうよな?


 いいか、お前にしかできないことだ。

 番禺ばんうを、潰せ」


そうして孫処は三千の兵を率い、

海づたいに南下、番禺を強襲。


五斗米道軍にしても、まさか晋軍が

海ルートを取るとは思ってもおらず、

孫処が番禺から五キロくらいに

迫るにいたり、ようやく気付く。


とはいえ番禺城、守兵はなおも数千、

その城壁や堀は万全。

激戦は不可避である。


孫処はまず、港に繋留されている

船を焼き尽くした。

その上で番禺城攻略にかかる。


折しも天候は、霧。

守り手は、攻め手の動向が掴みづらい。

そこで孫処、あえて兵力を

四方に分散させ、攻撃を仕掛けた。


この策が的中し、番禺城は

その日のうちに陥落した。


盧循の父である盧嘏ろか

副官の孫建之そんけんし虞尫夫ぐおうふらは、

小舟で始興しこうに逃亡した。


孫処は沈田子しんでんしらを派遣。

始興、南康なんこう臨賀りんが始安しあん嶺表らいひょう

これらの地の五斗米道軍を打ち払う。


一方の、盧循。

敗走したりと言えども、その保有兵力は

なおも侮り難いものだった。


番禺城が落とされたことにも気落ちせず、

むしろ取り返さんばかりの勢いで、襲撃。


番禺守城戦は、二十日ほどに及んだ。

この戦いで、孫処は一万以上の兵力を

削ぎに削いだ。


番禺を奪還できないと悟った盧循は、

さらに南方に逃れようとする。


追撃戦に乗り出した孫処だったが、

遠征先の鬱林うつりんで、病を得てしまった。


これ以上の追撃は難しい。

孫処軍の足並みが鈍る。


このアクシデントがあったため、

盧循は番禺のさらに南、

ベトナムあたりにまでの

逃亡が叶うのだった。




孫處字季高,會稽永興人也。籍注季高,故字行於世。少任氣。高祖東征孫恩,季高義樂隨,高祖平定京邑,以為振武將軍,封新夷縣五等侯。廣固之役,先登有功。盧循之難,於石頭扞柵,戍越城、查浦,破賊於新亭。高祖謂季高曰:「此賊行破。應先傾其巢窟,令奔走之日,無所歸投,非卿莫能濟事。」遣季高率眾三千,汎海襲番禺。初,賊不以海道為防,季高至東衝,去城十餘里,城內猶未知。循守戰士猶有數千人,城池甚固。季高先焚舟艦,悉力登岸,會天大霧,四面陵城,即日克拔。循父嘏、長史孫建之、司馬虞尫夫等,輕舟奔始興。即分遣振武將軍沈田子等討平始興、南康、臨賀、始安嶺表諸郡。循於左里奔走,而眾力猶盛,自嶺道還襲廣州。季高距戰二十餘日,循乃破走,所殺萬餘人,追奔至鬱林,會病,不得窮討,循遂得走向交州。


孫處は字を季高、會稽の永興の人なり。籍を季高に注すらば、故に字にて世を行く。少きに任氣あり。高祖の孫恩を東征せるに、季高は樂隨にて義し,高祖の京邑を平定せるに,以て振武將軍と為し,新夷縣五等侯に封ず。廣固の役にて、先に登り功有り。盧循の難にては石頭に扞柵し、越城、查浦に戍し,賊を新亭にて破る。高祖は季高に謂いて曰く:「此の賊は破さるに行ず。應に先に其の巢窟を傾くらば、令し奔走の日、歸投せる所無からしむらば、卿に非ずして事を濟す能う莫からん」と。季高を遣りて眾三千を率いさしめ、海を汎り番禺を襲わしむ。初にして、賊は海道を以て防を為さずば、季高の至りて東衝せるに、城を去ること十餘里にても、城內は猶お未だ知らず。循が守戰士は猶お數千人有り、城池は甚だ固し。季高は先に舟艦を焚き,力を悉くし岸を登り、天の大霧なるに會い、四面に城を陵さば、即日にて克拔す。循が父の嘏、長史の孫建之、司馬の虞尫夫らは輕舟にて始興に奔る。即ち振武將軍の沈田子らを分遣し始興、南康、臨賀、始安、嶺表の諸郡を討平せしむ。循は左里にて奔走せるも、眾力は猶お盛んなれば、嶺道より還じ廣州を襲う。季高の距戰せること二十餘日にして循は乃ち破れ走り、殺せる所萬餘人にして、追奔し鬱林に至り、病に會し、窮討せるを得ず、循は遂に走り交州に向いたるを得る。


(宋書49-1_暁壮)




劉裕軍の the 遊軍隊長が、巻の初っ端を飾ります。いや、この人の戦績ただ事じゃないって言うか、盧循の逃げ道をふさぐ戦略があんまりにもバクチ的(正直この当時の軍隊を引き連れて航海する技術力ってさほどじゃなかったと思う)、だったのに、それを叶えてしまった。孫処のこの働きが無かったら五斗米道軍、と言うか盧循はもっと後々にまで禍根を残したことでしょう。言い換えれば劉裕のバクチ運の強さの象徴的な人であり、まさに巻頭を飾るに相応しい名武将だと思うのです。どっかの趙倫之ちょうりんしと違ってな!(まだいう)


この辺からは政局にそんなに関わってくる人もいないでしょうし、そう言う意味では安心するような、拍子抜けするような記述が続く感じですねー。

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