朱超石3 北地に散る   

奮戦する朱超石しゅちょうせきらに、

劉裕りゅうゆうが援軍を派遣する。

徐猗之じょきしの率いる五千人だ。


徐猗之がえつ城に向かおうとすると、

北魏ほくぎ軍が包囲してくる。


対する徐猗之、

長い戟を携え、守りを固める。

そこに朱超石らが到着したため、

北魏軍は戦わずして解散した。


こうして北魏軍の憂いを無くした劉裕、

西に進み、蒲坂ほはんを攻略した。

この地の守備に、朱超石を充てる。


ただ、それほど多い人数での

守備ではなかった。

そのため、ひとたび後秦軍が

逆襲のために攻め寄せてくれば、

朱超石、なすすべもなく敗走。

本隊に帰還した。


やがて長安陥落、そして劉穆之りゅうぼくし死亡。

劉裕が長安から彭城ほうじょうに戻ろうかという時、

朱超石は劉裕に水路での撤収をさせた。


長安にドタバタが発生すると、

劉裕は朱超石を派遣、

事態を落ち着かせようとする。


蒲坂にまで至ったところで、

兄の朱齡石しゅれいせきが人々を率い、

長安から曹公壘そうこうるいに逃れるのに遭遇した。

朱超石は黄河こうがを渡って合流。


そして兄とともに、

赫連勃勃かくれんぼつぼつに殺された。三十七歳だった。




超石率胡藩、劉榮祖等追之、復為虜所圍、奮擊盡日、殺虜千計、虜乃退走。高祖又遣振武將軍徐猗之五千人向越騎城、虜圍猗之、以長戟結陣、超石赴之、未至悉奔走。大軍進克蒲坂、以超石為河東太守、戍守之。賊以超石眾少、復還攻城、超石戰敗退走、數日乃及大軍。高祖自長安東還、超石常令人水道至彭城、除中書侍郎、封興平縣五等侯。關中擾亂、高祖遣超石慰勞河、洛。始至蒲坂、值齡石自長安東走至曹公壘、超石濟河就之、與齡石俱沒、為佛佛所殺、時年三十七。


超石は胡藩、劉榮祖らを率い之を追い、復た虜に圍まる所と為れど、盡日奮擊し、虜を殺すこと千を計え、虜は乃ち退走す。高祖は又た振武將軍の徐猗之の五千人を遣りて越騎城に向わしめ、虜は猗之を圍めど、長戟を以て結陣し、超石の之に赴くに、未だ至らずして悉く奔走す。大軍は進みて蒲坂を克し、超石を以て河東太守と為し、之を戍守せしむ。賊は超石が眾の少なきを以て、復た還じて城を攻むらば、超石は戰敗し退走し、數日にして乃ち大軍に及ぶ。高祖の長安より東に還ずるに、超石は常に人をして水道にて彭城に至らしめ、中書侍郎に除せられ、興平縣五等侯に封ぜらる。關中の擾亂せるに、高祖は超石を遣わせ河、洛を慰勞せしむ。始めて蒲坂に至り、齡石の長安より東に走り曹公壘に至りたるに值い、超石は河を濟り之に就き、齡石と俱に沒し、佛佛に殺さる所と為る、時に年三十七なり。


(宋書48-12_衰亡)




北魏軍としても、まともに劉裕とやり合いたくないでいたのがよく伝わってきます。まぁ単純に柔然との決戦考えるといたずらに兵力損耗したくない、ってのがあったんでしょうけど。何せ相手の主戦力は水軍。とことん戦術がかみ合わないだろうから、戦争期間も長引くだろうし、ダラダラ損害も出るでしょう。なのでヘタに戦い過ぎず、劉裕の進軍を鈍らせる、ここに特化した。そもそも後秦相手の援護なんか「援護を出した」って名目さえ立てばよく、そのために大きな損害なぞ払ってもいられない。そんな拓跋嗣のしたたかさが読み取れるような気がします。


それにしても、朱超石の活躍もうちょい見たかったものです。劉裕軍の直轄軍受け持ってたとか、ちょっとただ事でない熱さなんですけど。

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