朱齢石9 齢石、散る   

司馬休之しばきゅうし戦ごろには

劉裕りゅうゆうの相談役となっていた。


北伐が始まると、朱齢石は建康けんこう詰め。

劉穆之りゅうぼくしのサポート兼護衛のような

立ち位置となる。


ここでの書きぶりからするに、

まるで副官の徐羨之じょせんしをすっぽかして

殆どのことを朱齢石に委任していた、

くらいの勢いである。


劉穆之の死後、

劉裕が長安ちょうあんから彭城ほうじょうに移動すると、

朱齢石は、遂に劉裕の副官としての

召喚を受けた。


そして、赫連勃勃かくれんぼつぼつの長安侵攻。

長安総督、劉義真りゅうぎしんの救援要請を受け、

朱齢石、長安に出征。


出立の前に、

劉裕は朱齢石に対して言っている。


「長安を守り切れないと判断したら、

 速やかに劉義真と共に帰って来い」


朱齢石、即判断した。

むり。


なので長安城内の人びとを

引き連れ、即撤退。


長安から潼關どうかんを抜け、

一日ほど東に行ったところに

三国志の時代、曹操そうそうが築いたという砦、

曹公壘そうこうるいがあった。


ここには王敬先おうけいせんという人が

守将として詰めていた。


朱齢石、王敬先と合流し、

迎撃の準備を整える。


が、敵もさるもの。

正面衝突は避け、曹公壘に続く

水路を断ち、干上がらせる。


こうなってしまえば、戦いようがない。

朱齢石らは降伏。捕えられた。


朱齢石、王敬先は

長安に連行され、殺される。

この時朱齢石、40歳。


その爵位は、子の朱景符しゅけいふが継いだ。




十一年、徵為太尉諮議參軍、加冠軍將軍。十二年北伐、遷左將軍、本號如故、配以兵力、守衞殿省、劉穆之甚加信仗、內外諸事、皆與謀焉。高祖還彭城、以齡石為相國右司馬。十四年、安西將軍桂陽公義真被徵、以齡石持節督關中諸軍事、右將軍、雍州刺史。敕齡石、若關右必不可守、可與義真俱歸。齡石亦舉城奔走。龍驤將軍王敬先戍曹公壘、齡石自潼關率餘眾就敬先、虜斷其水道、眾渴不能戰、城陷、虜執齡石及敬先還長安、見殺、時年四十。子景符嗣。


十一年、徵され太尉諮議參軍と為り、冠軍將軍を加う。十二年の北伐さるに、左將軍に遷り、本號は故の如くし、以て兵力を配され、衞殿省を守り、劉穆之は甚だ信仗を加え、內外諸事は皆な與に謀りたる。高祖の彭城に還ぜるに、齡石を以て相國右司馬と為す。十四年、安西將軍、桂陽公の義真の徵さるを被り、齡石を以て督關中諸軍事、右將軍、雍州刺史を持節さる。齡石に敕すらく「若し關右の必ずしも守るべからざらば、義真と俱に歸ずべし」と。齡石は亦た城を舉げ奔走す。龍驤將軍の王敬先は曹公壘を戍り、齡石は潼關より餘眾を率い敬先に就けど、虜は其の水道を斷ち、眾は渴え戰う能わざれば、城は陷つ。虜は齡石及び敬先を執え長安に還じ、殺さるるを見る。時に年四十。子の景符が嗣ぐ。


(宋書48-9_衰亡)




朱齢石については、ほんに劉裕、ていねいに育成した形跡がありますね。その結果長安救援と言うとんでもない大任を任されるに至ったわけだが、赫連勃勃が規格外の厄種だった、と。劉義真と朱齢石てんびんにかけたら、問答無用で朱齢石だった気もするが、この頃の劉裕なんて古傷にやられ過ぎて、どれだけまともな判断ができたかって感じもするんですよね。ともあれ、朱齢石は散った。将来を嘱望されていたにもかかわらず。劉穆之、朱齢石という大ゴマを失ったダメージは半端なかったろうなあ。

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