日曜日なんにもしない同盟
ますりうむ
第1話 ドラマを見よう
午前九時ちょうど、インターホンが鳴る。
「えへへー、来ちゃった」
電子ノイズが乗った可愛らしい声が、寝起きの私の耳に届く。
のそりと体を起こしベッドから起き出して、大きく伸びを一つ。荒れ狂う髪の毛をぼりぼり掻きながら、インターホンの受話ボタンを押した。
「はい、どちらさま?」
「あたし、あたし!」
「あーはいはい、宗教の勧誘ね。最近お盛んですよねぇ」
「いや違うってば!」
「でも、私も神なので、そちらの神様を信仰することはできません。神様同士お友達になりたいというなら、アポイントメントを取ったうえで、指定の申請書をご記入の上――」
「うわー、めんどくさいやつだー」
「……」
「さぁ、ここを開けて! そして、今日も怠惰に過ごそうよ!」
玄関を開けると青空が広がっていた。透き通るような秋晴れ。その清々しさに負けないぐらい透き通った笑顔が私を迎える。
「おはよう、玲くん!」
「おはよう、つむぎ」
1LDKの我が城に堂々と踏み込んでくる彼女。私はまだパンツにTシャツ姿だというのに、彼女は悪びれもせず、恥ずかしがりもしない。
来て早々、荷物をキッチン前のカウンターに放ると、ソファーに身体を埋めてしまった。
「ふへぇー。やっと日曜日だよー。待ちわびたぁ」
「いつものことながら発言がババ臭いぞ」
「ひどー。女の子に年齢のこと言っちゃダメなんだよ!」
「女の子って歳かよ」
「にじゅーろくさい」
五歳児のイントネーションだった。
「で、一応聞いてやるが、今日は何するんだ」
「もちろん、今日もなんにもしないよ!」
ソファーのひじ掛けに頬をぺたりとくっつけたまま、つむぎは視線だけこちらを向けた。
「だって私たち、日曜日なんにもしない同盟だもん」
「さいですか」
「さいです。……ねぇ、いつも言うけど、さいですのさいってどういう意味?」
ひじ掛けに沿ってごろりと頭を転がすつむぎの無垢な笑顔に、私はただただ癒される。
シャワーを浴びて戻ってくると、つむぎはテレビをつけて眺めていた。
先日購入したばかりの43インチの4K対応テレビ。増税前のセールで超特価で売っていたのを、さらに値切って買ったものだ。十二年連れ添った相棒との別れはそれなりに辛かったけれど、新しいテレビが来てしまうと元の濁りには戻れない。アニメがヌルヌル動くのだ。
「さすが日曜。面白いテレビやってないね」
「それ、先週も言ったぞ?」
「そうだっけ? 言った憶えあるような、ないような……。あっ! もしかして」
「もしかして?」
「別の女と間違えてるんじゃないの? うわー、やらしー」
「何言ってんだよ。毎週日曜日に押しかけて来る奴なんてお前以外いないっての」
「押しかけてとは人聞きが悪いなぁ。あたしはNNDの活動をしに来ているだけだよ?」
「NND……? あぁ、ついに略称まで決まってしまったのか」
日曜日なんにもしない同盟。略してNNDなのだろう。
「なんにもしたくない人間にとって、あの名称は長すぎたよ」
「言葉にまでケチをつけ始めるとはさすが怠惰先生だな」
「えへへー」
「今のは皮肉だぞ?」
「受け取った方の気持ちの問題なんだよ?」
つむぎはいつもポジティブだ。
私は適当な部屋着に着替えて、通勤用に使っている鞄から文庫本を取り出した。いつも通勤中にぺらぺらめくっている一冊で、もうすぐ読み終わるところだった。せっかくなんにもしない日なので、この機会に読み切ってしまおうという魂胆である。
テレビの前を横切って、私は再びベッドに潜る。
私の部屋のベッドはリビングにある。買ったばかりのテレビも、つむぎが脱力して横になっているソファーもリビングにある。1LDKの1は、本来寝室として使われるべきものだが、私はそこにこれまで読んだ本を全て詰め込み書斎にした。
書斎。何度聞いてもいい響きである。
哀れなベッドはリビングへと追いやられてしまった。
ごろりと横になったまま、私はページを開く。
一時間ほど経った頃である。
「飽きが来た」
一瞬、つむぎが詩人になって、秋の訪れに一句読もうと思っているのかと思ったが、どうやら彼女には、風情を感じる感覚器官が欠乏しているようだった。
ちょうど区切りもよかったので、私も栞を挟む。
「何にもしないのだからしょうがないだろう」
「意識的に何もしないことと、暇を持て余してしまうことは矛盾しないよ! 意識して何もしない状態を作ることこそが、過労に悩む日本人の特効薬なのだ! その結果、暇を持て余してしまっても、これは仕方のないことであーる!」
「話が大きくなったなぁ」
「よいかい、玲くん。人類に必要なのはなんにもしない日となんにもしない日に暇にならない手段だと思うんだよ!」
大きい話を始めた時のつむぎは、大抵脳と口が神経で結びついたまま喋っている。聞き流しても差しさわりなく、後で話題を振っても覚えていないことがほとんどだ。
「あたしたちにはその手段がない!」
つむぎが拳を握る。
「この部屋にはその手段がない!」
「ケチをつけ始めた」
「というわけで、今日はドラマの一気見をしようよ」
「急に規模が小さくなった」
庶民的である。
確かに毎週少しずつ進むドラマを、一日かけて一気見するのはなかなか得難い贅沢だ。冬に冷房をつけて大量の毛布にくるまって眠るような贅沢だ。
「DVDでも借りに行くか? 近くにゲオがあるし、車出すぞ?」
「それは否だよ、玲くん」
ぴしゃり。
「あたしたちの同盟を忘れたの?」
「いや、忘れてないけど」
「じゃあ、この部屋から出て行くという選択肢は、一番に却下しなければならないよ。日曜日にこの部屋で怠惰に過ごすことこそがNNDの存在意義なのだから」
「えー」
ドラマを見ることはセーフなのか……。いまだにつむぎの塩梅が分からない。
「いい? 日曜日のあたしたちは、常に受動態でなければいけないの」
「じゃあ、どうするんだよ。ドラマのDVDなんてうちにはないぞ? アニメならいくつかあるけど、どうせ、今日の気分はドラマって言うんだろう?」
「そうだよ。ドラマを見る!」
トンチかな?
「答えはこれです! じゃーん」
つむぎはテレビのリモコンを操作して、アプリという画面を呼び出す。電気屋の店員に教わったけれど、そう言えばこのテレビ、AndroidOSが乗っているのだった。
「動画配信サービス?」
「今の世の中、こういう便利なものがあるんだよ。ほら。映画やドラマがこんなにいっぱい!」
「おー、懐かしいのもあるなぁ。海外ドラマとかほとんど見ないけど、聞いたことある名前がラインナップされている。これは確かに!」
「でしょでしょー。褒めて褒めて」
「いい仕事をした!」
「えへへー」
最近耳にするとは思っていたけれど、なかなか手が出せなかったサービスだ。テレビ一つで出来るなんて目から鱗だ。
「あれ? でも、これお金かかるんじゃ……。アカウント、どうしたの?」
「ぎくっ!」
「ぎく?」
「いやー、そこに気付いちゃいます? 気付いちゃいますよねー。もういっそ、お城でも築いちゃったらどうですか?」
「いや、意味わかんないから」
つむぎの手からリモコンを奪い取って、歯車のマークを押してみる。見覚えのある数字が出て来た。
「これ、私のクレジット……」
「ふ、ふふふ! こんなこともあろうかと、本に集中している間に玲くんの財布から盗んでおいたのさ――いたっ!」
小説の背表紙を振り下ろす。
「勝手に取ったことは謝るってば! でも、絶対後悔しないから! ね! 2週間は無料期間だって言うから、騙されたと思って!」
「……ま、いいか」
一度登録してしまったものは戻らない。無料期間なら私が損することはないのだろうし。
私はベッドから降りて、つむぎの隣に座った。
「ほら、見たいドラマがあったんだろ? どれ?」
「うん! えっと、えっとね……」
リモコンを返してやると、楽しそうにテレビを見ながらポチポチする。
口ではなんにもしないと言いつつも、結構こいつは貪欲なのだ。
「これ!」
トップ画面に表示されたコンテンツを、目を輝かせながら指を差す。
「これね、すごく話題になってたんだよ。とあるマンションで動機がない連続殺人が起こっていくってストーリーなんだけど、先が読めなくてついつい見入っちゃうんだって!」
「じゃ、それにしよう」
私はそっと席を立つ。ケトルに電源を入れ、コーヒードリッパーにフィルターと粉をセットした。
テレビ画面では歳の差のある夫婦がマンションの住人に挨拶を始めている。
二人分のコーヒーをさっと入れて、私もソファーに身を埋めた。
「うわ、この人怪しい。もう、俳優さんからして怪しいもん」
メタ的な発言をしながら盛り上がる彼女の隣で、ゆっくりとコーヒーを啜った。
サスペンスということだから苦めの豆を使ってみたけれど、たぶんつむぎは気付かないのだろうな。
そんな感想を抱きながら、私も画面に注意を向ける。
ドラマはめちゃくちゃ面白かった。
午後九時ちょうど、つむぎが腰を上げる。
「あぁ~。いいところで時間だよぉ」
怠惰ではあるけれど、つむぎはとても律儀だ。
「隣りの家なんだし、もう少し遅くまでいたって構わないのに」
「だめだよ! これは日曜日なんにもしない同盟なんだから。同盟の盟約を破るわけにはいかないもん」
「律儀な奴だ」
「いい? 絶対に続き見たらだめだよ? あたしに隠れて先を見ようなんて絶対に思っちゃだめだからね」
「さぁ、どうだろうな。私のクレジットカードで契約しちゃったからなぁ」
「約束守らないと、こっそりガスの元栓閉めちゃうよ」
地味な嫌がらせだ。
「また来週」
「また来週」
手を振る姿が扉に遮られて見えなくなった。
夫婦でも、友達でも、恋愛関係でもない。ただの同盟関係。
きっと私は、何かとてつもなく大きなものから逃げたくて、彼女がここに来るのを許しているのだと思う。彼女もまた、何かから逃げるために、毎週のようにここに来ている。
きっとそれだけではだめだと思うけれど、それでも今は、悪くないと思える時間だった。
寝る直前にふと思う。
今日もなんにもない素晴らしい一日だった。
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