最競クインテットは最果ての街を往く
北条トキタ
プロローグ
プロローグ 少年と殺人鬼と聖母
「どうしてこうなっ……たっ?」
少年が一人。血塗れの身体で、崩れ落ちた街で地を舐めるように横たわっている。
この地は彼の故国であり、大陸屈指の大国でもあるサン・ロー王国である。
かつてこの国では戦争に明け暮れ腐敗した王侯貴族が、民兵を率いた革命家によって打ち倒されるという革命が起きた。
その結果、長年続いた大国の動乱は終息を迎えた。各国と友好条約も結ばれて、戦乱の世は過去のものになった……はずなのだ。
なのに、その領内でこの惨劇とは……。少年は奥歯を噛み締める。
「……何だったんだよ、さっきの光は。意味が分かんねぇ……」
大陸最北端のリゾート地だった港街コルヒデは、つい先ほどまで夏だったと言うのに突如、街を襲った大雷のような爆発で大きく変貌した。その際に気を失った少年が目覚めた時には雪がこんこんと降り積もり、崩れた建物と街道を覆いつくしていた。
美しいことで有名な観光地だったこの地は、見る影もなくただ瓦礫の山と咽るような死臭、そして凍える寒さだけがあった。
「ちくしょう……ぜってぇ生き延びてやる。こんな所で、訳が分からないまま死んでたまっかよっ」
少年は茶色の皮鎧に身を包み、背には彼の体格に不釣り合いな重量であろう、一メートル半ほどの大剣を帯びている。
金色の髪を肩まで伸ばしており、その瞳は赤く野性的であった。
少年はこんな時だと言うのに、いや、死が迫っている今だからこそ思い出す。
貧困故に毎日のように疲れ切って、親に物乞いに出された先の街中を彷徨いながら、人々に恵みを求めても無視され続けた不遇な幼少時を。
そして貧しく生きてきたことへの反動で、安定した高収入を求めて役人になるべく、生まれ故郷の街を飛び出してきたことを。
「くそっ、寒さで手足が痺れてきやがった……。動けっ……動けよ! 俺の身体ぁ……っ」
そんな過去への怒りと、捨てきれない将来を原動力に、少年は地面に両手をついて立ち上がり、ふらつく体を両足で支えながらどうにか歩き出そうとする。
しかし、その時だった。
人気がなかったはずの廃墟の中、少年の前に人影が現れる。足音も気配もまったくなく、突然に。まるで闇から生まれでもしたように。
その人影は青色のフードをまとっていて、全体の線は分かりづらかったが身体の大きさから男のようだった。フードに隠された顔からは、弧を描いた薄い唇だけが覗いている。
「な、何だ……あんた? あんたもあの爆発の生き残りなのか?」
死神のような姿に警戒心を抱きながらも、少年は男に話しかけた。
いつでも斬りかかれるように、背の大剣の柄を握り締めて。
「ええ、そのようで。私もとある用事で立ち寄ったこの街で、あの大雷による災害に巻き込まれましてねえ。何事があったのか知るために、誰か他に生き残りがいないか探していたのです」
男はそこで一度言葉を区切ると、少年を値踏みするように押し黙る。
そしてぐるりと芝居がかった大仰な素振りで周囲の街の様子を見回してから、改めて少年に向き直って言った。
「その負傷で今まで奴らに襲われなかったとは、貴方は実に巡り合わせがいい。しかしその幸運も、これまでのようだ。その背の大剣ですが、抜くなら早くした方が賢明かと思いますよ、少年」
男に言われたことで、ようやく少年も気が付く。
自分達がいつの間にか、囲まれていると言うことに。
ガチャリガチャリと金属音を鳴らしながら現れたのは、光沢のある金属の身体から同じく金属を感じさせる四肢、大きな単眼が赤く輝く頭部――
「な、何なんだっ、こいつら! 人間じゃねぇぞっ! 生物っ……でもねぇ!」
「しかも相手を人間と見るなり、即座に敵と認識しているようです。ですから、言ったでしょう。その大剣が飾り物でないなら、早くそれで身を守った方がいい」
少年は戦意に満ちた表情で、言われるがままに大剣を抜き放った。
超重量のその大剣を片手で抜いた上に、ふらつくことなく正眼に構えていることから、かなりの膂力の持ち主なのは間違いない。
一方の男の方は武器も持たずに、両手をだらりと下げてただ様子を見ている。
しかし男が自殺志願者の類でないことだけは、その佇まいから明らかだ。
「やれやれ、ようやく私の一大事業が実を結ぶと言う段階で、えらく厄介な出来事に襲われたものです。偶然でしょうか……? いや、何かの意思を感じますねえ」
男が呟くように発した言葉を皮切りに、鋼の化け物達は一斉に二人に躍りかかる。
少年はその攻撃に咄嗟に反応し、内一体の頭部に斬り込む。しかし鋭い音と共に弾かれてしまい、傷一つつけることは叶わない。
が、それでも彼は生きたい一心で、諦めなかった。
怯むことなく叫び声を上げ、続け様に腕の関節部分を狙って斬り込んでいく。
直撃と同時。剣圧が化け物の身体を押し返し、今度は「ギ、ガッ……」と、音声を漏らした化け物が、動きを僅かに止めたのだ。
それを見た少年は、勝機と判断し笑みを浮かべる。そのまま地を足で踏み締め、一気に大剣を振り抜く。化け物の右腕が関節部分から切り離され、その好感触に少年は勝利を確信した。しかしそこに油断が生まれる。
路地の影から飛び出してきた別の化け物に、少年の両腕が掴まれたのだ。
「……うおぁあああっ!! い、いてぇぇっ!!」
少年は不覚にも大剣を手から落としてしまい、化け物に無造作に左右へと力を込められていった両腕は、抵抗も空しく付け根から裂け始める。
それを少し離れた位置から、男が喉を鳴らしながら笑っているのが見えた。
「筋はいいですが、貴方は如何せん経験値が足りなすぎるようだ、少年。しかし重ねて言いますが、貴方は本当に運がいい。この場に私が居合わせていたのですから」
男は何十体もの敵に包囲されながらも動揺している様子はなく、両腕を左右に開いて拳を強く握る仕草を見せた。
その途端、化け物達は握り潰されたかのように、一気に丸ごと小さく圧縮され、スクラップとなって地面にその破片の数々が散らばった。
ただ一体、少年の両腕を引き千切ろうとしていた個体だけを除いて。
「す、凄ぇ……あんたがやったのか? あんた……何もんだよ、救世主様か?」
その一部始終を見ていた少年は激痛の中、感嘆の声を絞り出す。
彼の両腕を掴んでいる化け物も、稼働はしているがその動きを止めている。
目の前で圧倒的な強さを見せた、この男の仕業で間違いはないだろう。
しかし少年もこの男が自分が今、口にした救世主などではないことに気付いてはいた。
それでも強さと言う一点において、素直に尊敬の念を抱いたのだ。
これだけの力があれば、どこの王国からも引く手数多だろう、と。士官を志す少年にとっては、焦がれるのも無理はなかった。
「いいえ、その逆ですよ。私は世間からは『千人幽鬼』のブラッド・ヴェイツなどと呼ばれているお尋ね者です。命を助ける代わりに取引をしませんか、少年? いえ、名も知らないのでは呼ぶ際に不便ですねえ。まずは貴方の名を教えて頂けますか?」
「ブラッド……ヴェイツ? そういえば、どこかで聞いた気がするな。まあ、いいか。俺の名だっけ? 俺はレイル・レゴリオ。今はしがない傭兵だけど、いずれはどこかの王国に仕官するのが夢だ。この街へ来たのは、商人の護衛で……」
そこまで聞いたブラッドは満足そうに笑うと、静かにレイルの右目を指差す。
そして何をするのかとあっけに取られていたレイルの意表を突くように、指先を彼の目に勢いよく突っ込んで力任せに目玉を抉り取ったのだ。
「うぎゃああああっ!!! て、てめぇ……何をしやがっ……!!」
「貴方にプレゼントしますよ。理論上は完成段階にある、この『凶戦士の眼』をねぇ。まあ、ほんの些細な人体実験ですよ、あまりお気になさらず。これによって貴方がどう変貌するかを、私に見せて欲しいのです」
血がドクドクと溢れ出すレイルの右目があった結膜嚢内へと、ブラッドは強引に作り物の眼球を押し込む。かつてない激痛が彼を襲った。
気が狂いそうな痛みに、彼はとうに動きを停止していた化け物に掴まれていた手から解放された後も、地面を転がり回って絶叫し続ける。
こんな仕打ちをした目の前の男を残った左目で睨み付けるも、痛みで反撃もままならず、次第に彼の意識は遠退いていく……。
そして彼が痛みと寒さの中、死を覚悟した時。走馬灯のように過去の記憶が呼び起こされた。
各国の騎士採用試験に幾度となく落とされ、悔しい思いをしたこと。
実技では抜きんでていたものの、辛うじて文字の読み書きが出来る程度の教養しかない若造を相手にしてくれる国は、どこにもなかったこと。
生きるために不本意ながら傭兵になって、小金を稼いで生活していたこと。
――あ、ああ……これが死か。俺の人生、良い事なんて……なかった、なぁ……。
去来する虚無感と共に、レイルの意識は深い闇の中へと沈んでいった。
深い深い……正真正銘、彼の求める宮仕えの安定とは無縁の暗澹の底へと。
◆◆
「あ、目を覚ましたようだね。君、大丈夫?」
一体、どれくらい横たわっていたのだろうか。
レイルが深い眠りから目覚めたその時、眩しい光と共にその瞳に映ったのは、見たこともない優し気な女性の姿であった。
レイルは、聖母のような姿にしばし見とれる。
女性は、黒を基調とした衣服に身を包み、背中まで伸びた長い黒髪を首の後ろで縛っていた。その姿からは落ち着いた雰囲気を感じるが、年のころはまだ二十代半ばといった感じで、若々しい印象も受ける。
目を移すと、彼女の後ろで、二人の白い甲冑の男達が直立してこちらを見ていた。
それに気付いた途端、レイルは見とれていた事実に赤面して口走った。
「あ、あんた達……誰ですか? それにここは……? いや、そもそも俺、生きて……」
「それだけちゃんと喋れるなら、大丈夫そうだね。それよりも、こいつらを倒したのって君の仕業ってことでいいのかな?」
レイルはまだ意識がはっきりとしないせいで、今の状況を理解出来ずに上半身だけを起こすと、辺りを見回した。
そこにあったのは雪に埋もれた廃墟の姿。そして……数え切れない程の化け物……の残骸。
何か大きな力で叩き潰され、原形を留めていない、一見先程の化け物とは思えない姿で散らばる、無残ながらくたの欠片だった。
「そ、そうだっ! こいつらはさっきの……っ! そして、俺は確か……っ!」
レイルは徐々に抜け落ちていた記憶を、思い出していく。
ブラッドに義眼を入れられてから、自分が今まで何をしていたのか。
内からこみ上げる凶熱に急かされるように、自身の体力が尽き果てるまで、雪の降り続ける廃墟の中を、あの無数の化け物相手に暴れまくっていたことを。
「う、うあああああっ!! あああぁっ、があああああっ!!!」
その記憶が引き金となったのか、今更になって、肉体を限界まで酷使した激痛がレイルを襲う。
「あああああ、がぁあああああ!!」
レイルは頭を抱えながら絶叫に次ぐ絶叫を上げて、地面の上をのた打ち回った。
あまりに異常な光景。しかし、先ほどの女性はそんなレイルに躊躇なく覆い被さるようにして力強く抱きしめると、耳元に優しく囁きかけた。
「落ち着いて。私は新生サン・ロー王国の『革命王の手』の長を務める、アルマ。今、私達は強い戦力を欲しているんだ。大陸を襲う新たな脅威の排除のため、私達の仲間になると言うなら、たとえ君が普通ならざる者だとしても、大目にみてあげるよ」
「あ、ああああっ……くっ、お、王国……にっ? そ、それって仕官出来るって……」
激痛の中、耳を疑う彼女の言葉にレイルは息絶え絶えながらも聞き返す。
アルマと名乗った女性は穏やかに微笑むと、頷いた。
「うん、でも、それは君の頑張り次第かな。働きによっては、正式に採用してあげられるよ。ただ仮採用とはいえ、本当に大変な仕事だから覚悟は決めてもらうけどね」
「……そ、そりゃあ、断る理由はないですよ。……だって、俺の念願の士官のチャンスが、ようや……くっ」
苦痛を上回る歓喜に、レイルは満足げに笑い返すと、そのまま全脱力して再び意識を失った。
そんな彼をアルマは抱き起すと、背後にいた騎士風の二人の男達に目配せをして「収穫はあったね。引き返すよ」とだけ伝える。
そしてそのままレイルを腕に抱えて持ち上げると、サッと踵を返した。
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