第33話 裏山の祠
「えっ? こっちって……」
おかみさんの目は、マミのドヤ顔とその小さな手に握られた串の間を行ったり来たりしている。
「じゃあ行きましょうか」
マミ父はズイとお茶を飲み干すと、ディパックを持ち上げて言った。
「すみません、このお団子を包んで頂けますか? それとお勘定お願いします」
マミ母がお皿に乗ってきたドンドン団子を指しておかみさんにニッコリと微笑みかける。
「あ、はい……」
おかみさんは訳もわからず返事をして腰を上げたが、まだ首は傾いたままだ。
「息子さんの居場所がわかったみたいですよ、さ、早く行きましょう」
「はぁ?」
マミ母はウエストポーチから財布を出しながら何か言いたそうなおかみさんに勘定を促した。
マミは店を出るとぐるりと裏庭に回り込み、山に続く小道を登りはじめた。その軽やかに跳ねる小鹿のような足取りには一切の迷いも感じられない。
「ど、どうして場所が、はぁはぁ……わかる……はぁはぁ……の……ひぃ」
ビブラムソールの長靴とアウトドアウェアで完全装備をしたマミ一家を、つっかけにエプロンという防御力ゼロ装備で追うおかみさんは息も絶え絶えに訊ねる。
「感がいいんですよ、マミは」
抜けるような青空を背景にマミ父が呆れるほど爽やかな笑顔を見せる。
返された答えには全く納得できないおかみさんだったが、息が上がって言葉が出てこない。
「まぁ、付いていってみましょうよ」
マミ母はそんなおかみさんの背中を笑顔で押している。
しばらく山道を登ると小さく開けた場所に出た。
おかみさんはホッと一息つき辺りを見回す。
先ほどまでいた稲穂堂の藁葺の屋根が山のふもとに小さく見える。
「ココですぅ」
突然の言葉に目をやるとマミが手に持った串で草むらを指していた。
何故か仁王立ちだった。
しかしそこには人の気配はなく、初夏の陽気に伸び放題の草が生い茂っているばかりだ。
目を凝らすと草むらの奥に茶色い何かがチラリと頭を覗かせている。違法投棄された粗大ゴミのようにも見えるが、よく見るとどうやら祠の屋根らしい。
「ここは……ササノハさまの……」
おかみさんが額の汗をエプロンの端で抑えるように拭いながら呟く。
「ササノハさま?」
「えぇ、うちの守神さまです」
マミ父が振り向いて聞き返すと、おかみさんは神妙な顔で祠を見つめてる。まだ少し肩が上下しているが呼吸は落ち着いてきたようだ。
「守神さまですか? それにしては……まぁとにかく進みましょうか」
何かを言おうとしたマミ父だが、言葉を飲み込むとそのまま祠の方に向かった。
腰のあたりまで伸びた草をかき分けて祠の前まで進むと、小さなゴム草履が片方だけ転がっていた。
「これ、タダシのです!」
女将さんは草履を拾い上げると、それを胸に抱えて何度も辺りを見回した。しかし、草履の他は何も見当たらない。
「この中ですぅ」
マミは祠を指し、おかみを見上げる。
「この中って……」
おかみさんは口を開けたまま祠の扉を見つめて固まってしまった。
それと言うのも、その祠は田舎の道端でたまに見かける、お地蔵さまを祀ってあるような小さなもので、たとえ子供だからといって人ひとりが収まるようには見えなかった。
「小さいですね」
「小さいね」
マミ母と父が顔を見合わせ、マミの方を見やると、満面のドヤ顔で小さな祠を指している。
マミはしばらくそのままの姿勢でいたが、おもむろにしゃがみ込むと小さな観音開きの扉を開こうとした。
「あわわわ、マミ、待ちなさい!」
マミ母が慌ててマミの腰を掴み引き戻すと、自分の首から外したネックレスをマミの首にかけた。
「迷ったらこれを使いなさい」
「うん、わかったぁ」
「それと、これも持って行った方がいいわね。あなたが食べないでね」
マミ母は店で包んでもらったドンドン団子を一串マミに手渡した。
「うん、あげてくるぅ」
「まずはご挨拶だね。それから、出来るだけ優しくだよ」
相変わらずの笑顔でマミ父がよくわからないことを言うとマミは小さな親指を立てて返す。
「了解ですぅ」
おかみさんはタダシのゴム草履を胸に抱いたままファミリーのやり取りを眺めていたが、次の瞬間その目がこれでもかと言うほど大きく見開かられた。
祠の前にしゃがんでいたマミがパンパンと柏手を打って頭を下げた途端、その姿が消えた。
『すぽっ……』
実際に音はしなかったが、そんな感じでマミが小さな祠に吸い込まれてしまったのだ。
「えっ! いやちょっと、えっ? マミちゃん!? えーっ!!!」
おかみさんはタダシの薄いゴム草履でペラペラと祠を指しながら叫んだ。その首は忙しなく振られ、マミ母とマミ父の顔を行き来している。
「大丈夫ですよ、ここで少し待ちましょうよ」
マミ母がおかみさんの背をさすり
「さあ、お茶でも一服いかがですか」
マミ父はシートに正座をして手招きしながらディパックから
ふわりと漂う抹茶の香りとマミ父の呑気な様子に、あっけに取られたおかみさんは、訳も分からないままササヤマファミリー主催の野点会にお呼ばれする形になっていた。
「大丈夫、そんなにかかりませんよ」
「はぁ……そうですかぁ……」
マミ父から手渡された抹茶の鮮やかな緑と、立ち上る香りにすっかり落ち着いたおかみさんの耳には、薫風に運ばれてくる鶯の鳴き声がのどかに響いていた。
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