Quest9:ゴブリン軍団を討伐せよ

◆◇◆◇◆◇◆◇


「……呑気に寝てるんじゃないよ。さっさと起きな」


 ペチペチと頬を叩かれて目を覚ますと、フランの顔が目の前にあった。

 どうやら、優の隣で寝ていたらしい。

 慌てて地図を確認する。寝ている間に敵は本隊を移動させたのだろう。

 地図の一角が黄色に染まっている。


「いいかい? アンタが勝利の鍵だ。ビビるんじゃないよ」

「……はい」


 それなら、優しく抱き締めるとか、成功したら××してあげるとかして甘やかして頂きたいもんである。

 敵本隊――50人あまりのゴブリンが姿を現す。

 ゴブリンは餓鬼に似ていた。

 小さな角を生やし、手足は枯れ木のように細く、腹が不自然に膨れ上がっている。

 肌の色は緑、瞳は赤い。

 盗品なのか、拾った物なのかは分からないが、古びた鎧や短剣で武装している。

 フランによればゴブリンは知能も、筋力もそれほど高くないらしい。

 1匹や2匹なら村の力自慢でも追い払える。

 10匹いたとしても村人が力を合わせれば追い払えるが、決して侮ってはいけない相手だそうだ。

 確かにゴブリンの知力と筋力はそれほど高くないが、逆に言えばそれなりの知能と筋力を有しているということである。

 ここまで言われても危機感を持つのは難しいかも知れないが、ゴブリンの別名を知れば少しは危機感を持つのではないだろうか。

 ゴブリンの別名は国落とし――歴史上最も人間種を殺傷し、国を滅ぼしたことから付けられた名前である。

 思いの外、ゴブリンは統率が取れていた。

 股間が膨らんでいるので、乏しい忍耐を総動員していると分かる。

 三角形が赤く染まった次の瞬間、隊列が崩れた。

 故意か、偶然か、1匹のゴブリンが前に出てしまったのだ。

 ゴブリン達の忍耐は吹っ切れた。


「Goooooooooo!」


 ゴブリンが雄叫びを上げて突っ込んできた。

 隊列は完全に瓦解している。

 もう欲望を満たすことしか考えられないのだ。


「野郎ども! 仕事の時間だよ!」


 応! と冒険者達がフランの命令に従って立ち上がる。


「まずは光だ!」

照明ライティング!」


 魔道士達がゴブリンの頭上に照明を撃ち上げる。

 ゴブリンの足が止まる。

 ゴブリンの目は人間に比べて光に順応するのが遅いためだ。

 人間には眩しい程度の光でもゴブリンには強烈な目眩ましとして作用する。


「さあ、足が止まったよ! たっぷりと矢をご馳走してやりな!」


 弓を持った冒険者が動けなくなったゴブリンに矢を射かける。

 濁った悲鳴が上がり、急所を射貫かれたゴブリンが次々と頽れる。

 この時点は3割ほどのゴブリンが死んでいる。

 ようやく明るさになれたのか、ゴブリンが押し寄せてきた。

 それに対応するのは剣や槍で武装した冒険者だ。

 先陣を切るのはメアリだ。

 メアリは躊躇する素振りを見せずにゴブリンの腕を斬り落とし、そのまま首を刎ねた。

 躊躇していないのは他の冒険者も同じだ。

 3割ほど数を減らしたとは言え、近接戦闘を得意とする冒険者の数はゴブリンを下回っているのだ。


「こりゃ、勝ったね」


 フランは槍を片手に獰猛な笑みを浮かべた。

 まだまだ予断を許さないが、自分の作戦で戦況を優位に運んだのだ。

 笑みも零れるというものだ。


「シャキッとしな!」

「……漏れそうでござる」


 優は杖に縋り付き、辛うじて立っている状態だ。

 戦闘はオーガと一角兎で経験しているが、これは想像以上だった。

 強いて言えば獣同士の戦いだ。

 しかも、とびきり好戦的な。

 冒険者は実に愉しそうにゴブリンを殺している。

 これではどっちがモンスターなのか分からない。


「Goooooooooo!」


 突然、雄叫びが上がる。

 冒険者と戦っているゴブリン達が上げたものではない。

 ゴブリンの別働隊だ。

 しかも、冒険者の横面をぶん殴るのに相応しい位置にいる。


「ユウ、アンタの出番だよ!」

「……ちょ、ちょっとお腹の調子が」

「いいから、とっとと行きな!」

「ああ、僕の杖が!」


 フランは優の杖を取り上げると尻を強かに蹴り上げた。


「Goooooooooo!」

「ひぃぃぃぃぃッ!」


 ゴブリンが再び雄叫びを上げ、優は悲鳴を上げた。

 何しろ、ゴブリン達は股間を膨らませて突っ込んでくるのだ。


「術式選択、泥沼クリエイト・スワンプ×10!」


 優が地面に触れると、地面が硬度を失い、泥濘と化した。

 泥濘はゴブリンの別働隊を完全に呑み込んでいる。

 人間にとっては膝まで埋まる程度だが、小柄なゴブリンは腰まで埋まっている。


「MPの消費が激しい!」


 MPが70%にまで落ち込んでいる。

 地形を変える魔法はMP消費が桁違いのようだ。


「術式選択、炎弾×100!」


 MPが60%にまで落ち込み、炎弾が泥沼に降り注いだ。

 炎弾は着弾と同時に炎と衝撃を撒き散らす。

 直撃したゴブリンは骨を砕かれた上、炎に巻かれる。

 直撃を免れた個体も炎に巻かれた。


「弓使いども! あたしの相棒が目に物見せたよ! 次はアンタらの番だ!」


 弓を持った冒険者が泥沼で足掻くゴブリンに矢を射かける。

 優は吐き気を堪えつつ、その場で胡座を組んだ。

 全て計画通りだった。

 ゴブリンは経験に学ぶ。

 斥候を放っていたのは状況を確認せずに人間と戦い、痛い目に遭っていたからだ。

 フランはそう考え、敵探知でゴブリンの正確な数を調べさせた。

 MPを多く消費して索敵範囲を広げたせいでMPが80%まで減ってしまった。

 しかし、その甲斐はあった。

 当初は50匹と想定していたゴブリンが100匹いると分かったからだ。

 そのまま監視できればよかったのだが、いかんせん魔力消費が激しすぎた。

 そこでフランは2つの作戦を立てた。

 ゴブリンが100匹で攻めてきた時の作戦と今回――本隊を複数に分けて攻めてきた時の作戦だ。


「はぁ、それにしても疲れた」


 優は溜息を吐き、顔を上げた。

 赤い三角形が地図の隅に表示されていたのだ。

 巨大な棍棒を持ったオーガがそこにいた。


「オーガだ! 弓使いどもは退きな!」

「Goooooooooo!」


 オーガが雄叫びを上げ、突っ込んできた。

 空気が震え、大地が揺れる。

 揺れが激しさを増す。

 オーガが泥沼を跳び越えるためにスピードを上げたのだ。


「術式選択! 炎弾×100!」


 優はオーガの跳躍に合わせて炎弾を放った。

 動く標的に直撃させるのは難しい。

 7割近く外れてしまった。

 しかし、残る3割でもオーガを泥沼に叩き落とすには十分だった。


「MPは残り50%いける! 術式選択! 炎だ――ッ!」


 優は反射的に横に跳んだ。

 オーガが棍棒を投げてきたのだ。

 回避には成功したが、オーガの拳が目の前に迫っていた。

 衝撃が全身を貫き、優は宙を舞った。

 地面に叩き付けられ、地面を滑り、幌馬車の車輪にぶつかってようやく止まった。


「ユウ、生きてるかい?」

「な、何とか」


 どうして、生きているのか自分でも分からない。


「あたしがオーガを引き付けるから援護しな! あたしに当てるんじゃないよ!」

「ひ、一人じゃ……」


 危ないと引き止める間もなく、フランは槍を片手にオーガに突っ込んでいった。

 オーガは不愉快そうに唸り声を上げると戦っている冒険者とゴブリンに向かって足を踏み出した。

 ゴブリンに加勢すれば戦況を覆せると考えたのかも知れない。


「アンタの相手はあたしだよ!」


 フランが槍を繰り出すと、オーガは大きく跳び退った。

 突き刺されても大したダメージは受けないだろうに過敏すぎる反応だ。

 いや、ゴブリンだって経験に学ぶのだ。

 オーガが経験に学んでいたとしても不思議ではない。

 オーガは丸太のような腕を振り回した。

 デタラメにではない。

 フランが槍を引くタイミングに合わせていた。

 濁った風切り音が優の耳に届く。

 一撃されただけで死にかねない。

 あんな攻撃を受けてよく死ななかったものだと自分でも感心する。

 今更ながら体が死の恐怖に震える。


「援護だ!」

「分かりました! 術式選択! 炎弾×10!」


 優は炎弾を放つ。

 魔弾ではなく、炎弾を選んだのは目眩ましとしての効果を期待したからだ。

 だが、オーガはこちらの意図を見透かしているかのように大きく跳び退った。


「G、ruru」


 オーガは唸り声を上げた。

 まるでお前の考えは分かっていると告げるかのように。


「援護を!」

「分かってます! けど、オーガがフランさんを盾にしているんです!」


 優は歯噛みした。

 オーガは体を丸め、フランが常に射線上に位置するようにこまめに体を動かしている。

 魔法に警戒しながら、槍にも警戒している。

 どちらかと言えば槍の方が脅威と考えているようだ。

 何しろ、フランが槍を繰り出すと、必要以上に大きく跳び退るのだ。

 毒を塗っていると思っているのかな? と優は内心首を傾げ、敵の思惑に気付いた。


「フランさん! 棍棒です!」

「――ッ!」


 フランが槍を繰り出す。

 槍の穂先がオーガの腕に深々と突き刺さる。

 だが、その時には棍棒を手にしていた。

 フランは槍を引き抜こうとしたが、オーガが棍棒を振り下ろす方が早かった。

 棍棒が空を切った。

 フランは引き抜けないと判断するや否や槍を放したのだ。

 攻撃を躱すことはできたものの、状況は悪化した。

 槍を手放したことで比較的安全な距離から攻撃する手段を失ったからだ。


「ユウ、援護だ!」

「で、でも!」

「当たったらどうしようとか考えるんじゃないよ! そんなことは当たった時に考えればいいんだよ!」


 おお、何と言う男前な台詞でしょう。


「分かりました! 術式選択、炎弾×10!」


 フランは剣を抜き、オーガに突っ込んでいく。

 だが、ダメだ。

 炎弾の軌道上に入ってしまっている。


「ひぃぃぃッ!」


 優は悲鳴を上げた。

 炎弾は真っ直ぐに突き進む。

 そのまま直撃するかと思いきや、フランを迂回するように軌道を変化させた。

 これにはオーガも度肝を抜かれたようだ。

 避けようとする素振りすら見せずに炎弾をまともに食らった。


「……もしかして、フレンドリーファイアの禁止?」


 優の知るMMORPGは仲間に攻撃をできない。

 考えてみればこの世界は神々の作ったシステムの影響下にあるのだ。

 フレンドリーファイアに関する項目があっても不思議ではない。


「術式選択! 炎弾×10! 炎弾×10! 炎弾……!」


 優は立て続けに炎弾を放った。

 フランに当たらないと分かっているのだ。

 これなら遠慮せずに魔法を使える。

 オーガはフランを盾に立ち回ろうとしたが、炎弾を避けることはできない。


「ははっ! やるじゃないか!」


 フランは獰猛な笑みを浮かべてオーガを斬りつける。

 どうやら、戦うのに必死で炎弾が自分を迂回して進んでいることに気付いていないようだ。

 逆に戦いを見守っていた冒険者はあんぐりと口を開けている。


「術式選択! 炎弾×10! 炎弾×10! 炎弾――ッ!」


 炎弾が次々とオーガに着弾する。

 炎によって皮膚は焼け爛れ、衝撃によって傷がグチャグチャになっている。

 フランも着実にダメージを積み重ねている。

 オーガの下半身は自身の血でどす黒く染まっている。

 このままいけば倒せるのではないか。

 そう考えた矢先、オーガが吠えた。


「Goooooooooo!」


 オーガは正気を失ったかのように、いや、モンスターの本性を現したかのよう腕を、棍棒を滅茶苦茶に振り回した。まるで竜巻だ。

 フランはオーガの攻撃を凌いでいた。

 余裕などない。

 辛うじて躱しているだけだ。

 このままでは押し切られる。


「術式選択! 炎弾×10! 炎弾×10! 炎弾……!」


 優は魔法を放つが、オーガは止まらない。

 オーガの攻撃がついにフランを捉えた。

 フランは吹き飛ばされて地面を転がった。

 そのままピクリとも動かない。

 目を細めると、赤いヴェールがフランを覆っていた。


「術式選択! 炎弾×10! 炎弾×10! 炎弾――ッ!」


 さらに魔法を放つが、オーガは一歩、また、一歩とフランに近づいていく。

 このままではフランが殺される。

 気が付くと、優は走り出していた。

 どうすればオーガを倒せるかなんて分からない。

 だが、何もしなければフランは死ぬ。


「術式選択! 炎弾×10! 炎弾×10! 炎弾――ッ!」


 立て続けに魔法を放つが、オーガは止まらない。

 オーガが煩わしそうに棍棒を投げる。

 棍棒が迫る。


「……あ」


 優は小さく声を上げた。

 死ぬ。

 優も、フランも殺される。

 死を意識したその時、ガチッという音を聞いた。

 それは歯車が噛み合う音――。


「あ、あああああああッ!」


 優は喉も裂けよと絶叫し、腕を振った。

 棍棒が2つに分かれて地面に落ちる。


「……こ、これは?」


 呆然と自分の手を見下ろす。

 漆黒の光が両手を包み、刃のようなものを形成していた。


「Goooooooooo!」


 オーガは雄叫びを上げ、襲い掛かってきた。

 恐怖が優の心を支配する。

 だが、体は優の意思に反して動いていた。

 オーガが拳を振りかぶる。

 優はオーガの腕を根元から切断、舞うように回転しながら腕――刃を一閃させる。

 オーガの上半身が地面に落ち、下半身はその場に頽れる。

 あまりにあっけなさ過ぎる勝利だった。


「……あ」


 膝から力が抜け、その場にへたり込んだ。


「Gooo!」

「Goo、Buuuu!」

「Gobu、Gobu!」


 オーガが倒れたことに気付いたのか、ゴブリンが騒ぎ出した。

 ゴブリン語は分からないが、先生がやられたで、撤退や、逃げるで、みたいなことを言っているのだろう。

 武器を捨てて一目散に逃げ出す。

 しかし――。


「術式選択! 魔弾×100!」


 優は魔弾を放ち、ゴブリンを皆殺しにした。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌日、隊商は昼前に広場を出発した。

 夜明けと共に出発する予定だったのだが、ゴブリンの襲撃を受けたばかりだ。

 死体を埋めたり、装備品を回収したり――要するに戦利品の分配で一悶着あったのだ。

 クライアントが引き取り、冒険者に100ルラ支給すると提案してくれなければもう少し時間が掛かったはずだ。


「うう、魔力がガンガン減っていく」


 優は荷物の隙間に体を押し込め、MPを見つめる。

 MPは25%――ゴブリンが全滅した時点で35%あったのだが、目を覚ますと30%になっていた。

 消費スピードは緩やかなものになりつつあるが、この分では20%を切りかねない。


「ユウ、大丈夫かい?」

「大丈夫じゃないです」


 隣に座っているフランに視線を向ける。

 彼女を包むヴェールは赤から黄色に変わっている。

 あの状態から自然回復は有り得ない。

 恐らく、優の魔力はフランの傷を治すために使われているのだ。


「あたしは少し眠るよ」

「どうぞ」


 フランは俯き、すぐに寝息を立て始めた。

 石に乗り上げたのか、幌馬車が大きく揺れ、フランがしな垂れ掛かってきた。

 汗臭いけど、不思議と惹き付けられる匂いだ。


「痛ッ!」


 不意に腕が痛み、優は袖を捲った。


「……え?」


 思わず声を上げる。

 優の腕に亀裂が走っていた。

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