Quest7:護衛の依頼を引き受けよ

◆◇◆◇◆◇◆◇


 冒険者ギルド――受付の周辺には黒山の人だかりができていた。

 エリーが数人の同僚と共に対応しているが、人は後から後からやってくる。

 優とフランは食堂からその光景を眺めていた。

 よほど忙しいのか、ウェイトレスが注文を聞きにこない。


「今日は冒険者が沢山いますね」

「冒険者ギルドに来たのは2回目だろうに」


 フランが茶化すように言う。


「何か知りませんか?」

「隊商の護衛を集めてるんだろ」


 フランはつまらなそうに頬杖を突いた。


「……隊商の護衛」

「そんなに目を輝かせてもアンタにゃ無理だよ。ヘカティアから王都ヘカテボルスまで20日間は歩きづめだ」

「ヘカティア?」

「ああ、ヘカティアってのはこの街の名前だよ。言ってなかったっけかね?」

「聞いてません」


 そいつは悪かったね、とフランは笑いながら言った。


「話を戻すが、隊商の護衛は歩きづめな上、敵と戦わなきゃならない。ゴブリン、オーガ、狼や盗賊とね。はぐれたり、置いてけぼりを喰らったら最悪さ。さ・い・あ・く」


 フランは不愉快そうに顔を顰めた。


「とは言え、冒険者ギルドを通すんなら多少は安全だ。力量の足りないヤツらは応募の時点ではねられるからね」

「フランさんは置いてけぼりを喰らったことがあるんですか?」

「……嫌なことを聞くね」

「ごめんなさい」


 優は反射的に謝っていた。


「あたしがこの世界で1番嫌いなのはゴブリンで、2番目に嫌いなのが盗賊さ」

「え?」


 思わず聞き返す。脈絡がなさ過ぎて意味が分からない。


「だから、置いてけぼりを喰らった女の末路さ。こいつらに攫われた女は死んだ方がマシって目に遭わされる。見ただけで女に生まれたことを後悔しちまうくらいにね」

「……あの、ゴブリンは」


 思わず口籠もる。


「ゴブリンは人間を孕ませられる。人間だけじゃない。犬でも、馬でも孕ませちまうんだよ。生まれてくるのは全部ゴブリンなんだから最悪さ」

「エイリアンみたいだ」

「アンタの世界にもゴブリンがいるのかい?」

「ああ、いえ、まあ、そんな感じです」


 エイリアンの方がまだマシかも知れない。

 他種族の子宮を借りるという生殖方法は生理的嫌悪感が先に立つ。


「オーガもゴブリンみたいに増えるんですか?」

「あたしがそんなことを知ってる訳ないだろ」


 フランは不愉快そうに顔を顰めた。

 どうやら、モンスターの生殖方法に関する質問はNGのようだ。


「フランさんは隊商の護衛に参加しないんですか?」

「参加しないなんて言ってないだろ」

「じゃあ、参加するんですか?」

「どうして、そんなにしつこく聞いてくるんだい? もしかして、あたしに付いてくるつもりかい?」

「そ、そんなことないですよ」


 優は視線を逸らした。

 もちろん、本心ではなし崩し的に世話を焼いてもらおうと考えているが。


「あんたを連れていって、あたしに何のメリットがあるんだい?」

「……」


 フランの言い分はもっともだ。

 冒険者は命懸けの職業だ。

 知り合いと言えど、一方的に利益を得るだけの関係であってはならない。

 しかし、優はフラン以外に知り合いがいないので、しつこく付き纏い、力を培わなければならない。


「なに、笑ってるんだい?」

「フランさん、僕は昨日までの僕ではありません。新しい魔法を覚えました」

「へぇ、どんな魔法を覚えたんだい?」


 どうでもよさそうな口調だった。


「その名も水生成クリエイト・ウォーター! 水を作り出す魔法です!」

「……」


 フランは無言だった。


「……ショボ」

「ショボってなんですか! ショボって! この魔法があれば水筒を持っていったり、水場を探したりする必要がないんですよ! 水の不足する夏場も安心ですよ!」


 優は身を乗り出して叫んだ。

 元の世界ならば命を狙われても不思議ではない能力だ。


「あ~、分かった分かった。他に覚えた魔法はないのかい?」

「泥沼を作り出して敵を足止めする泥沼クリエイト・スワンプ、自動的に地図を作成する地図作成クリエイト・マップ、周囲の地形を把握する反響定位エコー・ロケーション、敵を察知する敵探知エネミー・サーチを覚えました!」

「……」


 やはり、フランは無言だ。


「言いたいことは分かります。確かに攻撃魔法は増えていませんが、これはこれで役に立つと信じてます」

「信じてって、あんたは……」


 フランは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。


「別にあたしに拘る必要はないだろ。どうして、一緒に行動したがるんだい?」

「フランさんは悪人じゃなさそうなので」

「なるほどねぇ」


 優を入れてくれるようなチームがあったとして、その人達が善人とは限らない。

 気が付いたら、にっちもさっちもいかない状況に陥っている可能性だってある。

 不確かな賭けはしたくない。


「仕方がないねぇ。少しくらいなら世話を焼いてやるよ。ただし、自分の食い扶持は自分で稼ぐんだよ」

「ありがとうございます!」


 スキルが効果を発揮したのか、フランの頬が朱に染まった。

 気まずそうに咳払いをして受付を見る。


「……さっきの質問なんですけど」

「あ、ああ、あたしも参加するさ。ただし、近くの……と言っても往復で4日掛かるんだけどね。その村に行く隊商の護衛だ」

「じゃあ、急がないとマズいんじゃないですか?」


 優が受付を見ると、長蛇の列ができていた。

 列に並ぶことを考えるとうんざりするが、文句は言えない。


「焦るこたないよ。村に向かう方は人気がなくてね。どうせ、予定の人数が集まらなくて向こうから声を掛けてくるさ」

「どうして、人気がないんですか?」

「そりゃあ、報酬が安いからさ。王都は1日当たり300ルラ、村は200ルラ。200ルラなら森に足を伸ばせば稼げなくもない額だからね」


 昨日、グリンダはフランが優に合わせなければ300ルラ稼げたと言っていた。

 好意的な査定を抜きにしても200ルラ稼ぐのはそう難しくないはずだ。

 だったら、どうして報酬が安い仕事を引き受けようとするのか。


「どうして、そんな安い仕事を引き受けようとするのか分からないってツラだね」

「……はい」

「モンスター狩りってのは不安定なんだよ」


 フランはボヤくように言った。

 まあ、言われてみればという気はする。

 狩猟採集で安定的に食料を確保できるのならば農耕は発展しなかったはずだ。


「短期・単発の仕事で金を稼いでダンジョンに挑戦する。これがあたしのスタイルさ」

「夢がないですね」


 まるでフリーター、いや、非正規雇用者だ。


「夢ならあるだろ。運がよければ一攫千金、こんなに夢のある職業はないよ」

「そんなことを言い出したらギャンブラーだって夢のある職業ですよ」

「ははっ。いいねぇ、ギャンブラー!」


 フランは手を叩くと背もたれに寄り掛かった。

 口元には世の中を嘲るかのような笑みが浮かんでいる。


「でも、そんなに稼いでいるんですか?」

「嫌なことを言うね」


 フランは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 低階層でマジックアイテムを使い果たしているようでは一攫千金は難しいのではないだろうか。


「いつもはそれなりに稼げてるんだよ、それなりに」

「それなりに稼げてるのに赤字なんですか?」

「うっさいね! あたしは宵越しの金を持たない主義なんだよ!」


 図星だったのか、フランは声を荒らげた。

 それでも、怒りが収まらないらしく、不機嫌そうに腕を組んだ。

 どうやら、お金に関する話題は避けた方が無難なようだ。

 どんな話題を振れば機嫌を直してくれるのか考えていると、カラン、カランという音が響いた。

 冒険者ギルドに入ってきたのは黒髪を紐で束ねた青年だった。

 気品を感じさせる容貌の持ち主である。

 白銀の胸甲冑を身に付け、純白のマントを羽織っている。

 かなりの長身だが、弱々しさは微塵も感じられない。

 腕には潜り抜けてきた戦いの激しさを物語るように無数の傷が刻まれている。

 属性の異なる敵に対応するためか、4本の魔法剣を腰から提げている。

 彼に付き従うのは強面の戦士、魔女っ娘、爆乳神官の3人だ。

 強面の戦士は重厚な全身鎧に身を包み、巨大な盾を背負っている。

 腰から提げているのは一方が刃になった戦斧だ。

 魔女っ娘は露出度の高い衣装に身を包んでいる。

 もう少し胸があれば様になっただろうに残念だ。

 彼女は何かを包んだ布を抱えている。

 巨乳神官は白いローブに身を包んでいる。

 髪は青年と同じ黒だ。

 腰まであり、緩くウェーブしている。


「そんなに胸が気になるのかい?」

「神官って神様に祈って傷を治したりするんですね?」

「それが神官ってもんだろ?」


 フランは困惑しているかのように眉根を寄せた。


「神様は現世に干渉する術を失ったって言ってませんでしたっけ?」

「村の坊さんは神々の魂は永遠とか言ってたよ」

「滅んだのは肉体だけってことですか?」

「そんなこと聞かれてもあたしに分かる訳ないだろ」


 どうやら、フランはあまり深く考えない質のようだ。


「あの人達は何者ですか?」

「エドワード達が来たぞ」

「あれがエドワードか」

「何でもダンジョンの29階層まで到達したって話だぜ」

「不破の盾、爆炎の魔女、大地の癒やし手を従えた辺境の勇者だ」

「大地の癒やし手ってのはエドワードの恋人なんだろ」

「ドラゴンを退治したって話だぜ」

「俺は爆炎の魔女が恋人って聞いたぜ」

「2人と付き合っているって聞いたぞ」


 優の疑問に答えたのは受付に並ぶ冒険者達だ。

 人垣が十戒のように割れ、エドワード達はその中央を悠然と進む。


「買い取りを頼む」

「ふふん、擬神デミ・ゴッドを倒して手に入れたのよ」


 エドワードが指を鳴らすと、魔女っ娘が布をカウンターに置いた。


「割り込みは止めて下さい。皆、並んでいるんですよ」

「そうなのか?」


 エリーが窘めるが、エドワードは悪びれた様子がない。


「なあ、アンタは並んでるのかい?」

「……い、いや、並んでねぇよ」


 エドワードが声を掛けると、禿頭の男は顔を背けながら答えた。


「並んでないってさ」


 エドワードは布の結び目を解こうと手を伸ばすが、爆乳神官が手首を掴んだ。


「なんだ?」

「軽々しく結び目を解かないで下さい。封印は施してありますが、下手をすれば人が死にます」


 冒険者達がどよめく。


「まさか――ッ!」

「そう、聖晶石だ」


 エリーの目が驚愕に見開かれ、エドワードはニヤリと笑った。


「私の一存では聖晶石を買い取ることはできません」

「だったら、預けていく。これから王都に行かなきゃならないんでね。代金は王都で受け取るからのんびり査定してくれ」

「分かりました」


 エリーが頷くと、エドワードはヒラヒラと手を振りながら踵を返した。

 そして、仲間を引き連れて冒険者ギルドを出て行った。


「フランさん、擬神って何ですか?」

「神官、もしくは特殊なマジックアイテムがなけりゃ対峙することもできない超強いモンスターのことだよ」


 あたしらが戦うことはないだろうけどね、と付け加える。


「聖晶石は?」

「擬神から取れる超レアな素材さ。その力を解放すれば死者すら甦らせることができるとか」

「凄いんですね」

「こっちもあたしらにゃ縁がないよ」


 フランは溜息交じりに言った。


「やっぱり、勇者って凄いんですね。でも、勇者の割に……」

「まあ、勇者って言っても色々だからね」

「勇者って沢山いるんですか?」


 優は首を傾げた。

 勇者と言えば物語の主人公格だ。

 そんな人物が何人もいるのはおかしいような気がするのだが――。


「勇者なんて自称から国家公認まで掃いて捨てるほどいるよ」

「……自称」

「資格が必要なもんでもないからね。自称したり、他人に呼ばれたりしている間に勇者だってことになるんだよ」

「何処からが正式な勇者なんでしょう?」

「そりゃ、まあ、国に召し抱えられたら正式な勇者だろうね」

「じゃ、さっきの人は?」

「う~ん、エドワードは仕官を断ってるからねぇ」


 フランはこめかみを押さえ、呻くように言った。


「どうして、断ったんでしょう?」

「自由に世界を見てみたいなことを言ったって話だよ」

「へ~、凄い人なんですね」

「あれだけ強ければ好き勝手できるだろうさ」


 フランはふて腐れたように唇を尖らせた。

 ロマンを追い求める姿勢は称賛に値すると思うのだが、フランの見解は違うらしい。


「まあ、確かに協調性はなさそうでしたけど……」

「冒険者は実力主義だからね」


 突き抜けた実力があれば協調性がなくてもやっていけるが、実力がなければ協調性が必要になると言うことだろう。

 それにしても――。


「……神官か。欲しいな」

「――ッ!」


 何気なしに呟いたつもりだったのだが、フランはギョッと目を剥いた。


「どうしたんですか?」

「あんな顔を見たら誰でも驚くに決まってるだろ」

「顔ですか?」


 優は自分の顔に触れた。


「でも、神官がいれば便利じゃないですか」

「そりゃ、便利だけどね」


 フランは深々と溜息を吐いた。

 エドワードのチームが神官を残して全滅して欲しいと言った訳ではないのに、どうして溜息を吐くのだろう。


「どうすれば神官を仲間にできるんでしょう?」

「駆け出しの内からそんな心配をするんじゃないよ」

「それもそうですね」


 優は育成されている立場なのだ。

 将来のことを考えるのは大事だが、今は目の前の問題を1つ1つこなしていくべきだろう。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 冒険者ギルドがいつもの落ち着きを取り戻したのは昼過ぎ――優が他の店で昼食を済ませるべきか、本格的に悩み始めた頃だった。


「フランさん、お時間を頂いて宜しいでしょうか?」


 話しかけてきたのはエリーだった。

 今までに何度も同じ遣り取りをしているからか、簡単な食事――パンとスープをテーブルに置いた。

 フランの分だけではなく、優の分まである。


「ありがとうございます」


 軽く会釈すると、エリーは嬉しそうに目を細めた。


「いつもの話だろ?」

「その通りです」


 エリーは申し訳なさそうに言うと優の隣に座った。


「……今回も村に行く隊商の護衛が集まらなくて」

「追加料金は出るんだろうね?」


 フランは親指と人差し指で輪を作った。


「出せるのは1日200ルラです。これ以上は出せません」

「はぁ? 人手が欲しいんだろ?」


 フランは身を乗り出し、エリーを睨み付けた。

 まるでチンピラだ。

 こんな風に凄まれたら頷いてしまう自信がある。

 しかし――。


「人手は欲しいですが、追加料金は出せません。同じ仕事をしているのにフランさんに多く支払ったら、他の冒険者から不満が出ます」


 エリーは毅然とした態度で拒否した。

 格好いいと素直に思う。

 まあ、こちらをチラチラと見ていなければ。

 多分、デキる女をアピールしているのだ。

 スキルの効果とは恐ろしい。


「アタシらからピンハネしてるんだから、その分を還元すると思えばいいじゃないか」

「ピンハネと言いますが、私達が仲介することで本来ならば一生縁のない大商人と顔見知りになれるんですよ」

「随分と見下してくれるじゃないか」


 2人の間に険悪な空気が漂う。

 恐らく、冒険者ギルドは派遣会社のように中間マージンを差し引いた額を報酬としているのだろう。

 フランが不機嫌になるのも無理からぬ話だ。

 ただ、すぐ近くで言い争うのは止めて欲しい。

 1秒でも早く逃げ出したい。

 それほど険悪な空気にもかかわらず――。


「仲介だけじゃありません。冒険者の管理、魔晶石を始めとする鉱石の売買、クライアントとの折衝、少しでもクエストが増えるように営業及び広報活動、さらに駆け出しの冒険者が食事をできるように食堂まで経営しているんです」


 エリーは一歩も退かずに捲し立てた。

 もっともな言い分だ。

 冒険者ギルドは冒険者がするべき仕事を肩代わりしているのだ。

 ここまでしているのにピンハネ扱いされたら気分を害するのも無理はない。

 2人は無言で睨み合った。


「……はいはい、分かったよ。あたしがわるぅございました。引き受けりゃいいんだろ、引き受けりゃ」


 先に折れたのはフランだった。


「分かって下されば結構です」

「……チッ」


 フランは面白くなさそうに舌打ちした。


「ユウ君、何かあったら私に相談して下さいね?」

「はい、エリーさん」


 エリーは優の手に自身のそれを重ね、優しげな声音で言った。

 だが、その瞳は飢えた獣のようにギラギラと輝いていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 夜――。


「使用頻度の低い物は底、重量物は背中に寄せるようにして詰めるんだよ」

「……はい」


 優はフランの指導を受けながら荷物をリュックに詰める。

 荷物と言っても食料とコップくらいなものだが。

 肩越しに背後を見る。

 フランはベッドに座り、太股を支えに頬杖を突いていた。


「そう言えば夜はどうするんですか?」

「そりゃ、野宿に決まってるだろ」


 当たり前のことをと言わんばかりの口調だ。


「寝袋も、テントも持ってないんですけど?」

「それじゃ、いざという時に動けないだろ。冒険者はマントに包まって寝るんだよ」


 なるほど、と優は頷いた。

 言われてみれば敵に襲われるかも知れない状況で寝袋を使うのは危険だ。


「そう言えば食料はどれだけ用意したんだい?」

「何を買っていいのか分からなかったので、宿の人に任せました」

「中身は確かめただだろうね?」

「パンが6つ、干し肉が1ブロック、飴玉が10個です」

「金額は?」

「宿をキャンセルした分で」

「ってことは30ルラか。そりゃ、ぼられてるよ。何なら、あたしが文句を言ってやるけど?」

「いえ、急にキャンセルして迷惑を掛けてしまったので」

「お人好しだねぇ」

「もちろん、下心はありますよ」


 稼げるようになるまでこの宿を使うつもりなのだ。

 これから宿泊をキャンセルすることはたびたびあるだろう。

 そんなことを繰り返していたら宿泊を拒否されるようになるかも知れない。


「他に必要な物はありますか?」

「アンタが魔法を使えなけりゃ火を点ける道具が必須なんだけどね」

「……炎の魔法は使えますけど」


 炎弾は炎の塊を放つ魔法だが、火を点けるのに適しているかと言えば疑問だ。


「……あ」


 ふと思い付いたことがあり、コマンドを表示、炎弾を選択。

 さらに1/10と入力してみる。


「うわ、入力できちゃった」

「何をやってるんだい?」


 フランは胡散臭そうな目でこちらを見ている。

 優の視界には炎弾×1/10と表示されているのだが――。


「炎弾!」


 優が人差し指を上に向けて呟くと、小さな火が一瞬だけ灯った。

 多分、少量のガソリンに火を点ければこんな感じになるだろう。


「うん、これで火の心配はいらないですね」

「びっくりさせるんじゃないよ!」


 フランがパシッと優の頭を叩いた。


「叩かなくてもいいじゃないですか」

「叩かれたくなけりゃ慎重になりな」


 優は言い返されて口を噤んだ。口喧嘩は苦手だ。

 自分に少しでも非があると、言葉が出てこなくなるのだ。


「まあ、これで準備は整った。今日はゆっくり休みな」

「え~、もう少しお話しましょうよ」

「真っ平御免だよ!」


 フランは真っ赤になって叫んだ。

 どうして、怒っているのか分からずに首を傾げていると、隣の部屋から音が聞こえてきた。

 それは何かが軋む音であったり、女の喘ぎ声であったり、男の野太い声だった。


「……フランさん、これは?」

「わ、分かってるのに聞くんじゃないよ! あたしゃ行くからね!」


 フランは大声で言うと部屋を出ていった。

 安い安いと思ったら、ラブホテル的な宿だったらしい。

 その日、優は眠れぬ夜を過ごした。

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