20201213:浮世離れの忘れ物

【第143回 二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 答えの出ない問題

 行くあてのない旅の途中

 手も足も出ない

 忘れ物

 浮世離れした性格


<ジャンル>

 概念系。SF


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「何故生命があるのか。何故生命は生きるのか。意識とは何か。例えば、植物に意識はあるのか」

「哲学」

「そう。哲学は答えの出ない問題を解釈することさ」

 行くあてのない旅の途中なのだと、金色の髪を窓から吹き込む風に遊ばせながら綺麗な日本語で彼は言った。

 彼の横には大きなバックパックが一つ。私の手元には小さな旅行鞄が一つ。

「解釈だったら人によって違う事もあるんじゃないの?」

「もちろんさ。年齢、教育、国、地域、社会、嗜好、傾向、家族構成。同じモノがないように、解釈だってもちろん違う」

「双子なら一緒じゃない?」

 私は言いながら一人の顔を思い描く。あの子の。私の? 私の。あの子の?

 私のものであり、あの子のものである、見慣れた顔だ。

「双子だって違う。立場が違う。嗜好・傾向が違う事もある。発達していく段階で脳の神経網はカオティックに発達する。スタートが一緒でも、できあがりは一緒にならない」

「一緒にならない」

 いつからだろう。あの子と私は少しずつ異なっていった。社交的なあの子に対して私は一人でいることを好んだ。あの子がいろいろなことを学んでいく中で、私は子供であり続けた。

 あの子は私と同じでありながら、私の未来のようであり、並行世界の決して交わらない自分でもあり、赤の他人なのではないかとすら思うことがあった。

『学生らしく』色のない両手の爪。あの子の爪はうっすらとピンクの色が乗っていた。

 手癖で触ってしまう唇。あの子の鮮やかなルージュとは違う薬用リップクリームの残滓を指先に感じる。

「違う人の違う解釈を聞き、自分の解釈を深めていく」

「解釈出来ないことはある?」

 旅行鞄の取っ手をなんとはなしに持ち直す。窓に映った彼はニコニコと微笑んでいる。

「もちろん、手も足も出ないこともある。至高の存在でもいなければ説明できないこともある」

 彼はニコニコと実に楽しそうに微笑み続け。

「哲学でも、科学でも」

 言葉を添えた。

「全く解釈が違っていたら」

「エキサイティングだ。素晴らしくて楽しいことだ」

「喧嘩にはならないの」

「どうして? 僕らには口があり、耳があり、目があるだろう?」

 こう言うものを浮世離れした性格とでも言うのだろうか。

 同じところから出発した異なる人間同士が一緒でいられるとは限らない。、

 私は微笑む気になどなれなかった。

 二両編成の小さな列車に二人きり。終着駅で私は少ない荷物を掴んだ。

 彼もまた。バックパックを背負って降りる。

「どこまで行くの」

「ミハルこそ、どこまで行くの」

「私は海まで」

「ぼくもだ」

 気付いているだろうか。私の片手で持ててしまう小さな小さな旅行鞄。終着駅の駅前はロータリー。脇には小さな土産物売り場があるきりで、ホテルの案内一つない。

「海へ何をしに行くの」

「忘れ物をしたんだよ」

「来たことがあるの?」

「来たことはないよ」

 よく、判らない。

 判らなかった、けれど。

「そう」

 私は先に立って歩き始める。

「双子は本質的に遺伝情報が同一なだけの他人だ。人が二人集まれば社会が生まれる。同一の社会でも当事者それぞれで意味も、あり方も、感じ方も異なる」

 彼の持論が着いていくる。道を渡っても、幾度か折れても、波音が聞こえても。

「では、脳の神経をトレースした存在を作ったなら、それは解釈の異なる他人となるか。自分ではない他者であり得るか。サイエンスは違う取り組みを持ち込んだ」

 松林を抜けて砂浜に出る。初夏というには幾分早く、午前十時という中途半端な時間には、人の姿などほとんどなかった。

「人を一人トレースし、二人トレースする。最初のオリジナルをA、二番目をBとする。AとBはどのような社会を二人の間に築いたか。もしくは、トレースの出力結果は、オリジナルと同じ社会を築くだろうか」

「SFね。ファンタジーの方」

「君は辛辣だ」

「褒め言葉だと思っておく。で、アナタの解釈は」

 荷物を置く。砂に汚れても構わない。

 靴を脱ぐ。どうして靴を脱ぐ習慣があるのだろう。

「科学には本来解釈という言葉は存在しない。データがあり、データから導き出される結論がある」

「じゃぁ、そのデータが導き出した結論は?」

「ぼくは忘れ物をしたと言った」

 彼の腕が私の肩を柔らかく拘束する。身長の差は顎の高さの差になって。彼の顎は私の頭の上にあった。

「ぼくの結論は完全な再現を行うことが出来たとすれば、関係性もまた完全に再現される。再現をシミュレートし観測しているぼくは、外的パラメータを加え、その挙動を見続けている。そして、再現が完全であり、関係性の再現も完全であるのならば、つまりオリジナルと同一の思考をしているということ。オリジナルと同一であるということは、つまり」

 私は彼の手をはずそうと試みる。私より幾分か熱い腕は、押しても率いても、びくともしない。

「離して」

「いまここにいるぼくには、ぼくがシミュレーションの存在であるのか、それともオリジナルそのものであり、夢を見ているだけなのか、区別が付かない」

「離して」

 彼の手に力が入る。きゅっと肩が強く抱かれる。

 私は振りほどこうと躍起になる。彼の腕はびくともしない。

「離して!」

「離さない。過去の二五五回の試行の結果、何れの時も君は一人でシミュレーションを停止した。ぼくの心残りで忘れ物だ。ぼくと君の関係性はどの試行でも同じであり、違うのはぼくの行動だけ」

「離して!」

 彼が何を言っているのか、何が言いたいのか、私にはさっぱりかけらも判らない。

 私の社会は私ともう一人の私で閉じていた。けれど、もう一人の私はそうではなかった。

 私の社会は壊れ、私は私を社会の中で支える術を失った。

 だから。

 概念の中の私と物理的な私を同じ位置に置こうと思った。

「オリジナルは少しだけ進んだ時間で君と出会う。君はぼくと関係性を築きかけて、それを果たすことができない。ぼくはその事実を変えたいと願った」

 力が入る。温かい腕が私を優しくつなぎ止める。

 知らず涙が溢れてくる。何の涙か、自分でも判らない。

「オリジナルと同じぼくは、ここがシミュレーションであったとしてもオリジナルと区別を付けられない。ぼくには今この時と、少しだけ前の時間の今の君しかいないから」

「何言ってるのか、わかんない」

「……答えの出ない問題の答え見つける、行くあてのない旅の途中で、手も足も出せない事実に少しだけ手も足も出せたら良いと思っただけだよ」

 浮世離れしている。私は思う。

 そして、海へ来た決心の前で、忘れ物に気付いたのだ。


 ――温かい手への未練、という。





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