20191020:Hacking Looking AR

【第85回 二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 秋の夜長に

 お砂糖は多めで

 いつまでもあると思うな

 甘やかされ

 眼鏡


<タイトル>

 Hacking Looking AR


<ジャンル>

 ちょびっとSF。サイバーよりは現代寄り。


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 夢香は電気を落とした部屋の中、そこで煌々と光を放つモニタを睨みながら慎重にEnterキーを押し込んだ。カーソルは点滅をやめ、コンソールは次々と文字を吐き出していく。無音の部屋に心臓に悪いビープ音が響くことも無く、コンソールのサイドバーがマウスでのコントロールも難しいほど短く小さくなった頃、ようやく文字の流れは止まった。

 ゴミ取り(デバッグ)も終了し、本番環境を組み合わせて始めて動作させるその瞬間だった。モニタの脇に置かれた筐体から伸びるコードは夢香の眼鏡に繋がっている。夢香は一度目を閉じる。眼鏡のレンズが輝き出す。夢香は闇に沈む天井を仰ぐ。そして、口元を思い切り緩めた。

『OK』モニタのコンソールの最終行にはそう文字が表示されている。

 夢香のかける眼鏡は、厚いリムに分厚いレンズで、テンプルにもかなりの厚みがあった。その特徴は最新のARグラスに酷似していた。そして、レンズ自体が輝きを持ち、色と強さを変えながら淡く強く光を放ち続けていた。ARグラスと同様、何かの画像を投影しているようだった。

 夢香は口元を緩めたまま、チラリとモニタへ目をやった。マウスへと手を伸ばし、幾度が確認しながらクリックする。

 幾度目かクリックした後、夢香ははっとして耳元へ手を当てた。無線ヘッドホンの位置をいじり、細かな音さえも確かに聞こえる、最適な角度へと調整する。

 にやり。口元はさらに明確に、だらしなく、緩んだ。

「お砂糖は多めで頼むよ……」

 夢香は呟き、思わず手で口元を拭っていた。よだれを拭うような仕草だったが、よだれが垂れる気配は無かった。――多分それは、夢香の好ましいとは言えない癖なのだ。


 *


 ARグラスは、現実の風景に情報を表示すると言う機能を持つ眼鏡のシステムの総称だった。ARを写し出す眼鏡とARへ写し出すデータをコントロールするサーバー、そして、データをやりとりする通信の三つの機能で成り立っている。

 最も安価なARグラスはサーバーの静的なデータをユーザーの任意の位置(距離)に表示するだけであり、サーバーを省略し、眼鏡と拡張コントローラだけで完結するものもあった。

 逆に高級で最新型のARグラスは、PC本体側でさらに通信機能を使用し、管理サーバで他ユーザと更新することができるものもあった。

 夢香が使用しているグラスは、その最新タイプのものだった。


 *


 数ヶ月前、その最新型ARグラスの開発が発表されたとき、夢香は直感した。これは今まで想像するしか無かった『夢』を実現するチャンスなのでは無いかと。

 夢香には幸いなことに、その手の事に比較的明るく、そしてまた、頼りになる友人知人も幾人かいた。


 *


 最新ARシステムは『秘密の逢瀬』を売りにしていた。


 *


 一般ユーザ試用機をコネで入手した夢香は、同好の士と実際に試してみた。システムに付属しているカメラを夢香の正面となる位置に設置した。同好の士も同じ事をしたはずだった。IDを交換し、スイッチを入れた。何度か実際にも会ったことがある同好の士が、はたして、夢香の視界に現れた。

「やぁ、鬱宮」

 鬱宮という文字通り鬱陶しいハンドルネームの同好の士は、夢香とは違うつやつやのロングストレートの髪を揺らし、窺うように夢香の方を確かに見ている。夢香の視界の中で半透明で壁も机も透かしていたが、確かに夢香を首を傾げて見ていた。

『夢香。久しぶり。本当に幽霊がそこにいるみたい』

 半透明だから幽霊。付属のヘッドホンから聞こえてくる声へ言い得て妙だと軽く笑い声をたて、夢香は仕様機の電源を切った。


 *


 入力画像に対し『拡張(Augmented)』部分を算出し、レンズに像を投影する。計算とは、画像を出力するサイズと位置を算出するものであり、それ自体は投影対象とはならない。

 しかし、入力はあり、PC本体へのデータの送信は行われている。出力データと、入力データを組み合わせれば、ARグラスを掛けた本人が現在見ている映像が見える。

 つまり、通信している組み合わせ二人のデータがあればいい。一組の通信を、ハッキング出来ればいい。


 *


 まずはユーザ情報の入手。その中から、めぼしいアカウントをダークネットの情報を使い絞り込む。

 ユースケースは、『二人』の間に距離があること。『二人』の逢瀬は秘密のものが望ましいこと。『見る』『会う』のプライオリティが高いこと。

『開発』の隙間で夢香は同好の士の協力も得て、そんな『組み合わせ』を探し出した。


 *


 天井を見上げる夢香の視界の中で、細マッチョが胸筋を盛り上げている。ぎゃははと軽い声が、軽い声の合間の吐息が、確かにヘッドホンから響いてくる。

 手を伸ばしてマウスに触る。ボタンを探してクリックする。

 視界が変わる。上半身裸のわずかに小柄な細マッチョが『自分』を指さし笑い転げる。

『良い色になったじゃ無いか!』

『サンルームに籠もったんだよ。ほれほれ』

 マウスをクリック。胸筋をピクピクさせる画が見える。

『いい、いいよ、その動き!』

『返して見ろ、ほれ、ほれ!』

 マウスをクリック。小柄な方が同様に。

『あ、悔しいなぁ、僕、上手く出来ないんだ』

『ほれ、それ!』

『いいなぁ、触りたいなぁ!』

 二人の細マッチョのたわいない触ることだけが出来ないじゃれ合いは続き。

 夢香は幾度も口元を拭う仕草をした。


 *


 すっかり頬を紅潮させ目を輝かせた夢香は、眼鏡を外し、モニタに向かう。

「いつまでもあると思うなセキュリティーホール」

 夢香のように見るだけで終わるハッカーばかりでは無い。そうで無くては得られない情報を使い、行動を起こす馬鹿(もの)が出てくるだろう。

 そうなれば、開発者は全力を挙げて対応する。おそらく馬鹿が出て二日後にはパッチが当たってしまうだろう。

「甘やかされた馬鹿は自分のことしか考えないからなァ」

 夢香は、ダークウェブの片隅に、そっと総合試験を終えたばかりのアプリケーションをアップする。クローズドのチャットへIPアドレスを書き込んだ。

 同好の士と、秋の夜長に楽しむものとして、ひっそりと。



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