スーサイド・プリンセス

チョコチーノ

物語のカケラ

 この国は、なんというか単純だ。ハッキリクッキリしていると言い換えられるかもしれない。

 この国の富裕層とそうでない層の区別が大きく、それもしっかりと生活区域からして分けられている。


 腐った金持ちが多いのが『A区域ADVANCE』。高級店や高級住宅の立ち並ぶ、パッと見だとキラキラしている街だ。

 バカ真面目に働く一般庶民が多いのが『B区域BASIC』。何の変哲も無い、いたって普通の街並みだ。ま、見回りの兵士が多すぎて監視社会になってはいるが。

 さらに、城下町は『S区域SPECIAL』なんて呼ばれて、立派な王城までこさえている。あんまりに大きすぎて俺が今いる場所からでも、どこからでも城の一部を見ることができる。


 そんな俺が今いるのは、最低も最低の『C区域COARSENESS』だ。

 ここはまさに無法地帯、犯罪は当然のスラム街のような場所だと思えばいい。万引きはもちろん、窃盗や暴力や強姦麻薬恐喝密輸誘拐放火殺人となんでもござれだ。


 ここにいる奴らは例外なくクズばっかり。

 国が信用できなくてやって来た奴もいれば、元々性格がねじ曲がっている奴もいるし、生まれた時からここにいるって奴もいる。ま、そういう奴はどうせ不純な関係から出てきたに違いないが。


 ともかく、俺はそんな最低最悪劣悪非道のこの区域に住んでいる。理由は単純。国王がいけ好かないからだ。

 前国王のジジイが死んでから、この国は全てが変わった。王権は全て王族の長男に受け継がれ、そいつは好き勝手に国をいじり始めた。富裕層とその他の格差作りに税金の変更などなど。どれもこれも、得しまくる人と損しまくる人が出るシステムに変わっていった。


 当然、こんな事をされれば国民は黙っていない。デモは日常となり、犯罪者も激増。王権剥奪まで追い込まれた。

 だが……まあ。なんというか、新国王は狡猾な男だった。ありとあらゆる手を尽くし国民を言いくるめ、現在のこんなクソのような国を見事作り上げた。

 もう誰も新国王には反抗しない。B区域のやつはA区域のやつに食いつぶされる存在だと薄ら認識しているにも関わらず、腑抜けたように今日も今日とて必死こいて働いている。


 俺はそれが嫌で嫌でC区域へと転がり込んだ。俺は現実から逃げるのに夢中で、自分がどんな場所に入っていってしまったのかすら理解はしていなかった。

 あの時のことを思い出すと、今でも鳥肌が立つ。毎日が地獄だった。食料を得るためならなんだってした。生きたいんだか死にたいんだか、俺も分からなくなった時もあった。


 俺は、少なからずだったのだろう。でなければ、ここまで生き残れているわけがない。

 今じゃ俺は立派なC区域の住人だ。今日も今日とて『便利屋』としてただぼんやりと椅子に座り酒を飲むだけ。



 これが、俺がこの区域にきて学んだ事だった。


 だが、まあ。流石に金が尽きてきたか。

 こっちから仕事を探してもいいが、そういう場合は相手から下に見られるから得策じゃない。

 仕方ない、そこらのゴロツキからぶんどる事にしよう。このC区域では奪うことは悪ではない。戦いに負けたやつが全てを失うだけだ。一般的な善悪の常識とかいう代物は、このC区域では意味をなさない。


 重い腰を上げ、隠れ家から外に出る。一歩外に出たのであれば、そこから先は戦場だ。いつ、どこから、どうやって、どれくらいの敵に襲われるか分かったものではない。

 自衛用のナイフをしっかり確認しつつ、狭い道路を進んでいく。最初の頃は、一歩一歩が重く恐怖しかなかった。

 今ではもう、慣れたものだ。


 右側からギャーギャーと騒がしい声がする。静かに素早く駆け寄り様子を伺うと、典型的ゴロツキが強盗をしている真っ最中だった。


「や……やめてくれぇ……」

「あ? やめるかバーカ。てめえは今ここで死ぬんだよ。遺言も聞いてやらねえからな」

「頼む……!」


 ゴロツキは拳銃を持っているようだ。スーツ服の男を足で押さえつけ見下し、嘲笑っている。見た所、スーツ姿の男はB区域の人間のようだ。どうやら、攫ってきたらしい。


「お願いだ……! 見逃してくれぇ……」


 にしても、バカな男だ。まるで戦意がない。

 あれじゃあ殺してくれと言っているようなものだ、命乞いというものがC区域で通じると本気で思っているのだろうか。

 そして、ゴロツキはそのまま発砲。脳天を撃ち抜かれたスーツの男は死んだ。


「さてと……金目のものは……」


 

 俺は幽霊のようにその男に近づいていく。ゴロツキは俺に全く気付かず、呑気に死体を漁っている。真後ろに俺が立っているというのに、気付かない。

 それは当然、死を意味する。名も知らぬゴロツキの首は、静かに飛んだ。


 ……なるほど、どうやらこいつはB区域の人間じゃなくてA区域の人間だったらしい。ナイフを懐にしまいながら無駄に豪華な腕時計をもぎ取り、そいつの身ぐるみを全て引き剥がす。

 A区域の服となれば、それなりに値はつくだろう。それと、ゴロツキが持っていた拳銃もしっかりと貰う。武器はいくらあっても困りしやない。


 ……荷物が多すぎるな。ある程度は諦めて置いていくか。見つけたやつは、幸運ということで。

 そして俺はその場を後にした。

 これが、C区域の日常だ。



   ▼



「いらっしゃあい……なあんだ、君か」


 いつも利用させてもらっている質屋のメッカがニタニタと笑う。

 メッカは人格に難があるが、金に関しては誠実だ。ある意味、最もC区域に適しているとも言えるだろう。


「なんだ、不服か?」

「いやいやあ…で、今日は何を持ってきたんだあい?」


 メッカにスーツや腕時計、空にした財布なんかをバラバラと乱雑に置いていく。メッカはそれを見た瞬間、「おお!」と興奮した。確か、メッカは高級品に目がなかったか。


「これはまたあ。人攫いでもしたのかあい?」

「落ちていたものを拾っただけだ。で、いくらになる?」

「まあ待ちなってえ。久々の上物だ、ちゃあんと鑑定しなくっちゃなあ」


 メッカは1つ1つを手にとって、じっくりと舐めるように鑑定してく。だが、その時間は長くない。この区域じゃあ時間はあまり無駄にはできないからだ。


「よおし、15万ベールでどおだい?」

「十分だ」

「にひひ、成立だなあ。……ほおら、これが金だ」

「………」

「なんだよお、偽札なんて入ってねえぜ。君だってよおく分かってんだろお?」

「念のためだ。……問題なさそうだ、またな」

「ひひひ、ところでエリックう。その指輪は何時になったら売ってくれるんだあい?」

「これはダメだ。お前には売らねえよ」

「そおかい、そおかい。ま、気長に待ってるよお」


 メッカの薄気味悪い笑い声を背中に受けながら、店の外へ。

 質屋を後にし、金の入った袋を隠して道を歩く。このタイミングが一番危ない。なぜなら……


「おい」

「………」

「てめえの有り金、全部置いていけ」


 こういうアホがよく現れるからだ。

 まったく、呆れてものも言えない。なぜ無言で俺を殺りに来ないのだろうか。バカはよく喋るから、やりやすくて仕方ない。

 振り向いて男の方を見ると、拳銃をこちらに向けているようだ。絶対に勝てるという自信があるのだろうか。


「その金袋をよこせ。そうすれば命は取らない」

「………はあ」


 慈善家のつもりだろうか。「命は取らない」だって?

 よくこれまで。ここまで生きてられたものだ。それとも、新人だろうか。


「聞いているのか? 金を置けと言って……」

。撃たなきゃ金は手に入らねえぞ」

「………っ」


 男は指に力を込め引き金を引こうとする。案外、思い切りはいいようだ。

 だが、遅すぎた。この男がこの区域で生き残るには、その覚悟を初めから持っている必要があった。


 男は発砲。しかし、その弾丸は俺が引き抜いたナイフに弾かれ、その跳弾は男の脳天に直撃した。あっけない最期だ。

 俺は道を引き返し、またメッカに顔をあわせる事になったのだった。



   ▼



 さらに膨らんだ金袋を懐に隠しながら帰路につく。なんだかんだもう夕方、完全に夜になる前にさっさと帰らなくては。


 ゴロツキは暗闇によく群がる。まるで軟弱な虫だ。なんてことはない存在だが、一々突っ掛かれていたらキリがないし面倒臭い。無駄なことをすればするほど、ここC区域では命取りだ。

 とはいえ、今の俺のようにさっさと撤収していれば害虫に出会う事は殆ど無かったりする。今日は……まあ、運が悪かった。


 これ以上の不運はもう無いと祈りつつ。気が付いた時にはすでに隠れ家にたどり着いていた。太陽は、もうすっかり沈みきっている。

 灯りのようなものはこの部屋には無い。人の目は暗闇に慣れていくものだし、光る物のような目立つ物を置いていたら隠れ家の意味がない。


「………?」


 隠れ家の中は、相変わらず殺風景だ。なにもないし、あるといえば少しばかりの食料や机、そして大量の武器。

 「家は人の心そのものだ」と聞いたことがある。まったくその通りだ、今の俺はこの隠れ家と同じ。いつもこれを思い出すたびに、ますます心の中の『何か』が消えていく。


 俺は壊れたロボットのように、いつものルーティーンをこなし……気がつけば、太陽が顔を出していた。俺は壁に背を預けたまま眠っていたようだ。

 気が付いたら眠っていることは全く珍しくない、いつものことだ。始まる前にはもう終わっていて、新しい一日がやってくる。


「………さて」


 立ち上がり肩を回すと、関節がポキポキと音を立てる。これで幾らかは体が軽く………


「すぅ……すぅ……」

「は?」


 俺の目の前に、いる筈もない物体が転がっていた。

 ガキだ、それもぱっと見だと十歳程度の女。ボロボロの布を羽織り、俺の目の前で寝息を立てて眠りこけている。

 俺が寝ている間に入ってきたのなら、俺は絶対に気づく。つまり、俺が昨日帰ってきた時点でもういた事になるのか。こんな事にも気づけないなんて。


 しかし、このガキは一体何者だ? 暗殺者なら俺はもう死んでいる筈だし、ここで呑気に寝ているわけもない。

 となれば……なるほど、捨て子か。随分といい趣味しているやつもいるな。よりにもよってC区域にガキを放り投げるなんて。

 運良く俺の隠れ家に転がり込んだようだが、不幸な奴だ。俺がこのガキを助けてやる義理はない。さっさと身包み剥いで道端にでも放り投げれば誰かが拾うだろう。

 ここで殺すのは後処理に困る。何より、女の幼児ともなれば買う奴だって出てくる。そこは俺の管轄外だから、他のチンピラにでも譲るとしよう。

 そう思って俺は服に手をかけると……ガキの首に、一本の首飾りを見た。その先端部には、青い宝石が輝いている。


「…………おい、起きろ」

「んぅ……あれ……? 誰…?」

「こっちのセリフだ。寝ぼけてねえで立て」


 ガキは俺に叩き起こされたことを不満そうに声を上げた。まだ夢の世界に未練があるらしい目をこすりながら、ゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がった時に、ガキの首元にぶら下がっているネックレスから、キラリと青い輝きを放つ宝石がはっきりと見えた。


「いくつか質問をする、全て答えろ」

「んー?」

「そのネックレスはどこで拾った?」


 ガキが首からぶら下げているのは、ただの宝石ではない。S区域の中でも最上級、つまりは『スカイフィア』と呼ばれる幻の宝石。

 当然、そんなものがこんな場所では見られないのはもちろん、S区域の人間でもおいそれと見ることはできない代物だ。


「これの事?」

「そうだ。ただの宝石じゃねえだろそれは」

「拾ってないよ? だって私のだもん!」

「……名前は?」

「セリカ=テロール! 今年で十二歳!」


 なるほど、なるほど。

 テロールというのは、確かに王族の名前だ。わざわざ王女様がC区域に偵察に来るなんて、嬉しい事だ。


 なんて冗談を言っている暇は無く。俺にとって、これは一大事だ。何たって始末が悪い。

 セリカとかいうこのガキは何らかの理由でC区域に転がり込み、ふらついた結果俺の部屋に偶然たどり着いたというわけだろう。このガキの正体は、明らかに面倒ごとだった。

 もしそれがゴロツキどもに知られでもしたら、俺はきっと安定という思想からは最も遠い状況になってしまうだろう。それだけは避けなければならない。


「……おい、どうやってここまで来た?」

「んーとね……わかんない!」

「そうか」


 となると、間違いないだろう。捨て子だ、こいつは。

 まあ、あいつならやりそうな事だ。邪魔になったか、政治的な問題が起こったか……ま、そこはどうでもいいが。


「おい、お前には二つの選択肢がある。今から決めろ」

「?」

「一つ、ここから追い出されて後は勝手にする。二つ、俺と一緒にS区域に向かう。だが、その場合はそのネックレスを貰おう。さあ、どっちがいい?」

「うーん……」


 頭をひねりながら考えているようだが、実質のところ選択肢は一つだ。

 C区域でお嬢様がフラフラ観光なんてしようものなら、1分とたたないうちに間違いなく拐われるだろう。その後どうなるかはお察しだ、精々いい趣味を持った奴であることを祈るほかない。

 そして、帰ってきた返事は当然のものだった。


「帰る!」

「じゃあ、そのネックレスを寄越せ」

「はい!」


 セリカはいとも容易く最高級の、それも王族の証であるネックレスを俺に手渡した。あいつの目的は……きっと、そういうことだろう。それが崩れた瞬間の、あいつの顔が楽しみで仕方がない。


「それじゃあ。お前の護衛の仕事は引き受けた。30分後には出発するぞ。準備しとけ」

「今からじゃないの?」

「俺も人間だ。腹くらい減る」


 こうして俺がC区域に来て以来、間違いなく史上最大級の仕事は幕を開けたのだった。

 『王族の娘をS区域へ送り届ける』

 無茶しすぎであるが、それをするだけの十分な報酬がある。今の俺に、この仕事を断る理由などありはしなかった。


   ▼


「ねえお兄ちゃん! これは何? 他のとちょっと違うね」

飾弾かざりだまだ。撃っても音だけ出る、玩具のようなもんだな」

「へえー! じゃあこっちは?」

「拳銃やら散弾銃だ。危ねえから触るな」

「そっか! ならこっちは…」

「おい、少しは大人しくできないのか?」


 なんなんだ、この状況は。まるで保育所じゃないか、全くもって俺らしくもない。

 朝食を摂り終えたセリカは、やかましい事この上なかった。現に、暗にうるさいと忠告しても、このガキは騒ぎ回るのを止めようとしない。元気一杯に銃器をこねくり回している。

 誤射で死んだら、もう俺は知らん。捨てる。


「ほら、どけ。準備の邪魔だ」

「私の準備はもう終わってるよ?」

「俺のだよアホ」


 セリカを武器庫から追っ払い、淡々と準備を進める。C区域で仕事する際には、武装は必須事項だ。ほっつき歩くだけならナイフ一本で十分だが、仕事となるとそうはならない。


「………」


 しかも今回はビックイベント。

 いつもとは違う準備もしておく必要があるだろうな。


「よし、じゃあ行くぞ。ガキ」

「セリカ!」

「知ってるさ」


 こうして俺らは隠れ家を出てC区域へ飛び出した。いつも見慣れた道は、仕事のときに限って『死の道』に変わり果てる。

 昨日のゴロツキが、数時間後の俺になっているかもしれない。そうはならないことを願いつつ、護衛任務は始まった。





 C区域は広くない。そもそもここら辺は俺らのようなクズの集まりだ、他の区域と比べれば人口も少ない。

 だから、C区域は簡単に抜けられる。


「いや! 離してよっ!」

「暴れるんじゃねえぞこの小娘が!」

「……はあ」


 と、思っていたのは反省するとして。

 テーマパークにでも来たように目を輝かせながらウロウロしていたセリカを一瞬で奪われ、この有様だ。相手はたった一人、面向かっている状況。

 やりにくい事この上ない。


「……まずは、忠告しておこう。そいつを返せ、今なら穏便に済ましてやる」

「何言ってんだテメエ。ははーん、さては小娘の護衛でもしてんのかよ。だがまあ、俺には関係ねえな」


 思ったより鋭いようだ。

 C区域2年生くらいだろうか? それこそ、俺には関係ないか。


 にしても、この状況はお世辞にも良いとは言えない。向こうには『壊れやすい盾』がある以上、ナイフも銃弾も出せない。かなめの『壊れやすい盾』はすっかり怯えきって、話にならない状態だ。

 さてと、この状況はどうするか。

 ともかく、緊張状態をこのまま続けるつもりはサラサラない。俺は足を進めて距離を詰める。


「動くんじゃねえ! それともやる気か? そうしたらこいつはどうなるんだろうなあ」

「忠告はしたはずだ。それに、報酬ならもう貰っている」

「は…?」


 俺はそのまま距離を詰め、懐から拳銃を取り出した。


「お兄ちゃん…?」


 それをそのまま、セリカに銃口を向ける。

 俺は躊躇ためらいなく引き金を引いた。鼓膜を貫くような、聞き慣れた銃声が辺りに響く。


「テメエ……!」


 セリカの体から力が抜け、首がガクンと俯くように折れる。

 そして、相手の首が晒された。必然的に首に一閃が走り、頭は宙へと舞いそして不快な音とともに落下する。


「……ビビりすぎだろ」


 ナイフに付着した血を拭いながら、俺は残念な元盾を抱えてその場を去る。本当ならその場で引っ叩いて起こしたいところではあるが、そうもいかない。

 飾弾とはいえ発砲音を響かせてしまったんだ。いつどこから野次馬が現れるか分かったもんじゃない。


 こうなったらさっさとC区域を脱出する他ないか。思ったよりこいつが軽くて助かった。

 C区域の道を、近道も使いながら全力疾走で一気に駆け抜ける。五分もかからない、数秒前のいざこざが夢だったかのように、いとも容易くあっさりと俺はC区域を脱出できた。


 ここまでくればC区域の人間は俺らにちょっかいは出せない。臆病な連中だ、わざわざB区域まで追ってくる者はいないだろう。

 さて、起こすか。


「おい、いつまでノびてんだ」

「…………あ………れ……?」

「ここはまだあの世じゃねえ。さっさと起きろ」


 セリカは目を何度も開いたり閉じたりしている。そして勢いよくに跳ね起きて自分の体を、特に頭をペタペタと触って無事を確認していた。


「どうして……?」

「種明かしする暇はない。歩くぞ、ついてこい」

「あ……ま、待って!」


 普通のガキならB区域まで来た時点で放り投げても良いのだが、生憎コイツは王族のお嬢様。たとえC区域の連中でなくとも、悪い気を起こす奴はいる。

 せめてA区域までは面倒を見なければならないだろう。あとは、どう呼び出すかだが……


「ね、ねえ…」

「なんだ。気になる事でも?」

「どうして、私を助けたの?」

「仕事だからだ。それ以外に理由はあるか?」

「……そっか」


 ただの幼いガキではないと思っていたが。コイツ、俺とだったのかもしれない。『人の顔色と利害を伺う』ことに慣れていそうだ、昔の俺もまさにそうだったか。

 まあ、あくまで昔のことだが。


「おい。もし俺が、ここからは自分で歩けと言ったらどうする」

「え……そうする、けど……」

「そうか、しねえから安心しろ」


 さらに、自分にとって不利でも受け入れてしまう性格らしい。

 なんともまあ、ご立派な教育をされたものだ。ま、あいつのことだ。こうなるのは必然っちゃあ必然なのだろう。


「俺が送り届けるのはA区域までだ。S区域からは申請無しに入ると面倒ごとになるからな。そこからは自分で帰れ」

「う、うん」


 目的地に辿り着くまでは何も起こることはないだろう。そんでもって肝心な呼び出し方は……派手にぶちかますとしよう。


「………荒れそうだな」

「?」



   ▼



 S区域は俺らがいたC区域は当然のことながら、A区域と比べても綺麗にまとまっている。

 誰も彼もが従者を率いて歩いているから、現在二人きりで歩いている俺らは目立ってしょうがない。先ほどから感じている奇怪な視線がチラチラと向けられ、この上なくうざったい。


「お兄さん……ここ……」

「気にするな。目的地を変更したまでだ」


 俺らは今、。門番は適当に眠らせて、今はこの通り堂々と街を闊歩かっぽしているわけだが。当然、意味も無くこんなことはしない。


 目指すは、S区域ならではのド派手な噴水のある広場だ。ここに来るまでに、おそらく何人もの人々や兵隊に見られていることだろう。そしてその中には、きちんと国王に通報する真面目くさった奴もいる。

 俺は右折左折を極力せず、ほぼ真っ直ぐに目的の広場に向かっている。待ち構えているとしたら、その辺だろう。


 そして単純思考の国王は俺の予想通り、お迎えに来てくれたようだ。広場にはずらりと銃を構えた兵隊どもが並んでいて、安全そうな場所に王はいた。

 俺が姿を見せると同時に、兵隊どもは一斉に銃をこちらに向ける。まあ、そんなことでビビりはしないが。


「おい、そこまで歓迎するほどのことか?」

「貴様が誰なのかは知らん。だが、貴様は罪を犯している」


 国王が微妙に大きい声で話している。

 俺の隣にいるセリカが、俺の服をギュッと握りしめてきた。銃を向けられているこの状況だ、飾弾で失神するようなコイツからすれば恐怖以外の何物でもないだろう。

 というか、コイツら一国のお嬢様に銃を向けているということを理解しているのか? それとも、知らされていないだけか。


「罪? ありすぎて何のことか分からないな。教えてもらえないものかな」

「ならば教えよう。『不法侵入』だ、貴様はS区域に不当に侵入した。


 王が片手を振り上げる。

 っておいおい、本気か? 少なくとも国王は分かっているはずだ、俺の隣にいるのが手前の妹であることが。それを無視して……そんなことかとは思っていたが、まさかガチとは。


 『不法侵入』は死罪じゃない、どんなに悪くても終身刑だ。つまり、コイツらが殺したいのは俺じゃない。

 


「セリカ、来いっ!」「撃ち殺せっ!」


 俺がセリカの手を握り走り出すと同時に、兵隊どもによる一斉射撃が始まった。数多の銃弾が身を掠める中、俺らは何とかして大きな噴水の裏に隠れる。

 だが、この噴水もいつまでも俺らを守ってくれるわけではない。現に立派だった噴水は、銃弾によって削られつつある。

 自ら招いた状況とはいえ、かなり厳しい。


「おいセリカ、お前には二つの選択肢がある。今すぐ決めろ」

「えっ……?」

「一つ、ここに残って殺される。二つ、俺と一緒にB区域に向かう。今のお前はただの小娘にしか見えん、隠れて暮らすのは可能だろう。さあ、どっちがいい?」

「…………………………………………………………………」


 兵士どもの一斉射撃によって噴水が徐々に削られていく。これが盾として機能しなくなるまで、残り二十秒ほどといったところか。

 そうだというのに、セリカは中々答えを決められないようでいる。コイツにも色々ある、迷うことをとがめることなど俺にはできはしない。


 だが、この状況だ。あいつらはセリカの決断をチンタラ待つなんてことは、絶対にしないであろうことは容易に想像できる。


「おい、もう時間がない。お前をB区域に連れてい……」

「嫌」

「……は?」

「……C区域までか?」

「うん」


 何を馬鹿なことを言っているんだ、と俺は耳を疑った。

 やはりセリカはただのガキだ。C区域で生活するということは即ち、人間であることを捨てる事に等しい。

 それは紛れもなく、『自分を殺す』ことだ。自殺と何も変わらない。


「どうせBに行っても見つかるから……お兄さんと一緒に、暮らしたい」

「……覚悟できているんだろうな」

「うん」

「…………………まったく。とんだ自殺願望を持ったお嬢様だ」

「え、えへへ……?」

「褒めてねえよ」


 こんなことになるとは。

 だが、いくら俺が拒否したとしてもコイツはきっと意地でも俺にくっ付いてくる。結果、それが弱点になってしまう。それは一番まずい。


 俺の目的は、わざと事を大きくさせた上で兵士どもから逃げ切り、だ。つまり俺かセリカのどちらが殺されたとしても、俺の目的は失敗したことになる。

 デカい弱点を抱えている場合じゃない。もしかしたら、セリカもそれが分かっていて言っているのかもしれない。

 ………だが、まったく。仕様が無いお嬢様だ。


「これを持て」

「拳、銃? お、重い…!」


 俺もセリカに渡した拳銃とは別に、二丁のリボルバーを両手に構える。二丁拳銃なんて持ち方、久しぶりだ。

 かなり危ない時にしかしない構えだが、今がその時だからするべきだろう。


「お前のに弾は入ってねえが、脅しにはなる。行くぞ!」

「うんっ!」


 そして俺らは銃弾の飛び交う戦場に飛び出した。当然、兵士どもがリロードする人数が多いタイミングを見計らってだ。

 その隙に俺は二、三発だけ弾丸をぶっ放し、四人の兵士の頭を貫いた。頭蓋骨は頑丈で通常の弾丸は貫通しないのが普通ではあるが、C区域で生き残るには通常の弾丸じゃあ足りる訳が無い。


「今だ走れっ」

「うん!」


 後ろの声を聞く限り、困惑が広がっているようだ。だが、その困惑も二秒すれば落ち着き、再び発砲してくる。俺らはその前に、建物の陰に逃げ込む必要があるな。

 と思っていた矢先、その建物の陰からは勇敢にも剣を掲げた兵士が飛び出してくる。敵の数は三人、俺が発砲できる最大数は二発だけだが……この待ち伏せを予測できていた俺だ、コイツらを倒すのは造作もない。

 二つの拳銃から同時に二発の弾丸を発砲し、


「!」


 『爆弾で一番恐ろしいのは、爆破よりも飛んでくる破片だ』と言った人がいるらしい。爆発による火傷はすぐに治るが、飛んできた破片に心臓を貫かれたならどうしようもない。全くもってその通りだ。


 空中で飛散した銃弾だったものは、勇敢な特攻隊の体をいとも容易く蜂の巣にした。勢いそのままこちら側に倒れてくる兵士を横に蹴り飛ばしながら、逃走を続行する。


「追えっ! 追えーっ!」


 後ろから焦り気味の国王の怒号が聞こえてくる。そら焦るだろうな。

 何処の馬の骨とも知れないクズと幼いガキに逃げられたという話が広まったとしたら、致命傷にはならないが少々マズいことにはなるだろう。

 それはつまり、この国の警備態勢に疑問を持つ市民が増えるということだ。ひょっとしたら、またデモが起こってくれるかも知れない。


「お兄さん、今———」

「なんとか逃げ切るぞ、セリカ」

「———うん!」


 あいつらは俺たちの正体がまるで分かっていない。C区域まで逃げ込めれば俺らの勝ちだ。

 そうして、俺の『真の作戦』の火蓋が切って落とされた。



   ▼



「ただいま」

「おう」


 決死の逃避行から約2年。

 俺はそこそこの痛手を負ったものの、見事に国家の追跡を相手に勝利を収めることができた。C区域に俺らがいるなんてことは当然分かってはいるだろうが、この区域には俺ら以外にもゴロツキや俺と同様にほんの少し腕の立つ住人がいる。

 わざわざ俺ら二人を殺すために、C区域にいる全員を敵に回すなんて事はバカのする事だ。そもそもC区域にいる連中は、国に不信感を持っていて血気盛んな奴らばかり。兵士どもからすれば面倒な事この上ないだろう。


「拳銃、使ったのか」

「ううん、脅しに使っただけ」


 今や拳銃はセリカが常備している。あの逃避行で左腕を落としてしまった俺では、満足に拳銃技は使えない。

 というより今となっては、セリカの方が全盛期の頃の俺より上手い。もともと俺はナイフの方が馴染んでいるしな。


「今日はどうだった?」

「ぼちぼち」

「そうか」


 セリカも初めて会った時と比べたら、見事にC区域に染まっている。そこら辺の暗殺者よりかは、完全に腕が立つだろう。

 もちろん一国の元お嬢様がC区域で暮らしているなんて周りに知られたら、そりゃもう大変なことになる。主に、騒がしくなるという意味で。

 だが、まあ今のところは問題ない。


 ……いや、1人知っているか。


「メッカは変わりないか」

「少し気持ち悪い」

「変わりなさそうだ」


 セリカがここに転がり込んできたおかげで、より金が必要になったわけだが。それはセリカが持っていた首飾りを換金する事で事なきを得た。

 メッカはぼったくり蔓延るC区域でも珍しく、いつも正当な値段で買ってくれている。もっとも、売る時には買った時の値段の数倍で売っているんだろうが……一体、あのボロ屋のどこに国家レベルの金が隠されているのだろうか。


「……その指輪」

「これか?」

「それも売れば良い」


 セリカが俺の左手につけている指輪を指差す。いつも言われている事だ、そして俺もいつもこう返している。


「悪いが、これは売れない。売るなら、いざという時だけだ」

「?」

「……金がありすぎても狙われて困るだけ。メッカだけだ、バカみたいに資産を持っているのは」


 俺はオンボロの木材でできた指輪に嵌め込まれた一つの宝石を眺めながら言う。もちろん、これを手放す時はいつか必ず来るだろうが……まだ、今でなくても良いだろう。


 俺も、C区域のどこかで野垂れ死ぬ日が来るだろう。それはもちろんメッカや、ここにいるセリカも近いうちに死ぬことになるだろう。


(その前には、手放さないとな)


 同じ左手の指で指輪をいじりながら考える。

 指輪に嵌め込まれた宝石が、キラリと青い光を反射させた。

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