第128話 お父さんは先にお部屋へ帰っていてください!

 神様の町の夏祭りには、全国から信者が集まり、宿舎にもいろいろな人たちが出入りして、にぎやかになる。

 急に見知らぬ人が増える。


 宿舎のゴミ集めを終えて、ロビーへ戻ると、ソファーで娘が知らない中年女性と話していた。

 その女性に挨拶をすると、娘が右手の手のひらを私に向けて言った。

「今、この人とお話しているから、お父さんは先にお部屋に帰っていてください!」

 驚いた。

 ここへ来て、だいぶ娘も変わった。成長した。

 自宅にいた頃は、私にべったりくっついて離れなかったのに。

「わかった。お部屋にいるから、戻り方はわかる?」

 部屋は、三階だ。老人と障害者以外は、エレベーターを使わない決まりになっている。

「だいじょうぶ!」


 本当に大丈夫か心配だったが、一人で部屋に帰った。

 夕方まで、少し昼寝をした。目を覚ますと、まだ娘は戻って来ていなかった。夕暮れになり、館内は薄暗くなりつつあった。

 夕食の準備もある。部屋を出ると、階段の下の方から娘の泣く声が聞こえた。


 一階まで駈け降り、号泣する娘を抱きしめた。

「なんで、呼ばなかったの?!」

 いつもは、戻りたいときは事務所の人に言って、館内放送で私が事務所まで迎えに行く。

「言った…(ヒックヒック)

 でも、だれもお父さんを呼んでくれなかったの…(ヒックヒック)」

 子供の世話で日々のボランティアやお参り、楽器や踊りの練習に穴を空けがちな親子の存在が、だいぶ煙たくなってきていたようだ。

 同じ学期生は二十代後半の女性、三十代男性、そして私たち親子だけしかいない。昔と比べて、この町に修行に来る人の数が減ったそうだ。

 世話係を務める中尾や西山にとっては、役に立たないどころか、楽器や踊り、お参りの邪魔をする目障りな存在だったのだろう。


 一か月半で、宿舎での扱いも変化していた。

 四歳の娘が一人で泣いているのを放っておけるほど、彼らは強靭な人間性と強固な宗教性の持ち主なのだろうか。これが、迷惑をかけるだけの未信者の親子に対する正当な扱い方だったのかもしれない。

 ひどいものだと腹が立ったが、何も言わなかった。

 もともと、この宗教の信者ではない。この施設の体制や職員の人間性の改善など、私が関知するところではない。そうやって、信者を減らし続けることも、自業自得だろう。


 それ以上に、発見があった。

 あとで、食堂のおばちゃんから聞かされた。以前、ひどいことを言った太ったほうじゃなく、優しい細いほうの女性からの情報だった。

 昼間、会った女性と娘が、あのあと二人で食堂へ来て、カレーライスを食べたそうだ。しかも、少しにするように言っても、大人と同じ量をリクエストして、最後は残して帰ったという話だった。

 娘は、強い。私が四歳だった時、これほどの強さはなかった。祖母の陰から離れられない弱いおばあちゃん子だったのだ。娘は、私よりはるかに強い。

 少しずつ私から自立してきていることを直感した。


 ここへ来た一か月半前は、まだまだ幼かった。私の中では、相変わらず赤ちゃんのままだった。

 異常な家庭で父の育児を受け、嘘の裁判で父親から引き離されようとしている娘があまりに哀れで、できる限り娘の希望を叶えてあげたいと思った。

 妖怪ウオッチの本やカード、Tシャツもそうだ。USJでは、キラキラのスパンコールの付いたドレスを着たキティちゃんを買った。

 宿舎の中では、いつもキティちゃんと一緒だった。宿舎の副主任の子供たちと遊ぶ時も、いつも持ち歩いた。

 キティちゃんが無くなって、大泣きする娘と一緒に、一般客の宿泊施設を一階から四階まで探し歩いたこともあった。結局、見つからなかったが、翌日、副主任の奥さんが発見した。ロビーのソファーの後ろにあったそうだ。

 何でも買ってもらえる娘への意地悪だったのかもしれない。娘は何かを察したのか、副主任の子供たちを避けるようになった。

 あの頃は、と言ってもまだ一か月半前のことだが、あまりにも幼くて、私にはまだまだ赤ちゃんで、必死で守り続けなければいけない弱々しい存在だったのに。

 今では、私から離れて行動できる強さを身に着けていた。


「今、この人とお話しているから、お父さんは先にお部屋に帰っていてください!」

 力強い言葉だった。

 しかも、知らないおばさんと二人で御飯を食べに行ったなんて。

 少しずつ、娘を手放せる時期が近づいていると感じた。


 家庭裁判所がやっていることは、あまりに理不尽で非常識で不道徳だが、それは別の方法で裁かれるべきだ。国民の信頼を踏みにじる家裁の悪行は、家事審判被害者自らが、公に露見させていけばいい。密室の家事審判における悪事を、このまま野放しにしておいてはいけない。日本の将来、我が子の未来のために、家庭裁判所は百害あって一利なしだ。

 これ以上、狂人と子の奪い合いを続けるつもりはなかった。

 異常な家裁の審判に従う日が来ることを覚悟していた。


 ここの宗教は、理不尽な家裁の審判から一時的に身を潜め、最後の父と娘の貴重な時間を過ごすには、あまりに過酷だった。

 一切の温情はなかったと言える。幼児と父親に、非常に厳しかった。早く出て行けと言わんばかりの対応だった。

 でも、そのスパルタな扱いのおかげで、私たち親子は強くなったと断言できる。

 不思議な感覚はあった。神さんに会えたと言えるかもしれない。

 それでも、この宗教を信じない。

 ここから、私たち親子は、強く生きていける。

 もはや、裁判所は恐くない。裁判官も調査官も、自己保身優先で、正義を貫く勇気のない臆病者の公務員にすぎない。


 何を恐れることがあろうか。

 親と子の愛情のほうが、強い。娘を思う父の愛情は、何よりも強い。

 神の奇跡なんて、なくていい。

 家裁と狂人から集中攻撃を受け続けた、人生最大の苦難の中、必死に娘を守り抜いて来られたことこそが、本当に奇跡だった。

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