第102話 娘と初めての映画鑑賞

 平成二十六年、いつものBSディズニーチャンネルを見ていると、前年末から年明けにかけて、「アナと雪の女王」の予告CMが流れるようになった。

「ありの~ままの~」

 娘は決まって、CMに合わせて大きな声で歌い出す。


「アナと雪の女王」は、娘が生まれて初めて見た映画。

 一歳と十一か月の時に、私と二人で初めて見たミュージカルは、アンパンマン。送り迎えの運転をしただけで、妻は一緒に行かなかった。母親と一緒でもよかったのに、娘がミュージカルの途中でぐずったりオムツ交換になったら、妻の手に負えなかったからだろう。

 どこか特別な場所に出かけるのは、いつも父親の私とだった。こういうところをきちんと家庭裁判所が判断できれば何の問題もないのに、我が身の立場だけに気になるのか、職場の規則に従うのが無難だからか、裁判官も調査官も事実より判例に従ってしまう。


 平成二十六年四月五日、「アナと雪の女王」鑑賞。

 椅子に座って場所取りしたあと、娘に飲み物を聞いて、席を立って売店へ。

 ジュースを持って、入口のドアを抜けたら、

「おとうさ~ん」

 頼りないけど大きな声で私を呼んで、席を立ち上がろうとしていた。

 誕生日まで約十日。まだ三歳の映画鑑賞は不安だったけど、最後まで静かに見ていた。

 川に落ちたアナが「凍っちゃう、凍っちゃう」と言えば、娘も「こおっちゃう、こおっちゃうだって」と笑い、「ギューって抱きしめて」というオラフのかわいらしさに、二人で笑い合った。

 二回目のアナ雪鑑賞は、四月十二日。

 この日は朝から海までドライブに出かけたら、もう一度「アナと雪の女王」が見たいと言い出し、お昼から急きょ映画館へ。

 前の一人ぼっちでこりたのか、一回見ていて席にこだわりがないからか、二人一緒に飲み物を買って、お菓子も選んでから、席に着いた。

 今振り返ると、父と娘だけど、まるで小さな恋人と毎日デートをしているかのような仲の良さだった。

「愛が何か分からない」

 アナの言葉に、オラフが答える。

「大丈夫! 僕わかる!

 愛っていうのは、自分より人のことを大切に思うことだよ」

 オラフの言葉に、胸が熱くなった。


 家裁の間違った判断で捻じれ歪んで進んでいく裁判の数々。

 万が一、犯罪者の汚名を着せられたとしても、それが大事な娘のためなら覚悟しよう。裁判官に事実を見極める判断力がないのは、残念だが仕方ない。妻の狂気の姿を目の当たりにしたのは、確かに私だけだから。

 娘を傷つけさせないために、妻、住居侵入弁護士コヤブ、そして家庭裁判所から娘を守るために、誘拐犯となることも甘んじて受け入れよう。

 どこまで国家権力の横暴から我が子を守れるか。

 頼りない知識ない根性ない三重無弁護士をほったらかしておいて、神様の町に娘と二人で身を寄せることを決めた。

「神さんに会える」

 その言葉を頼りに、儚い奇跡を信じて。

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