第34話 強い殺意

 娘が帰ったあとのこと。

 娘を連れて、雑貨店に入ろうとした時だった。急に娘は泣き出し、店から必死に離れようとした。あわてて後を追いかけ、うずくまって泣く娘の背中をなでた。

 ログハウス風の雑貨店の外観は、ダークブラウンで薄暗い雰囲気だった。その様子は、妻の実家を思わせた。妻の生まれは山際の集落で、町全体が伝統産業を営む地域であり、昭和初期の作りの家は華やかさに欠けていた。

 娘は妻の実家を思い出した。そう思った瞬間、はらわたが煮えくり返る思いがした。

 へらへらと笑う義父の顔が浮かんだ。

 生まれて初めて、心の底から、人を殺したいと思った。

「娘に会わせてください」と頼む私に、野次馬が集まる中で恥じる様子もなく「警察が来てからです!」と大声で叫んでいた、あの男のせいだ。

 妻の父親に対して、強い殺意を抱いた。ナイフで腹をえぐってやりたい!それぐらいの強い思いだった。

 自分の孫の心に恐怖を刻んだ祖父。幼い子が世話をしていた私のもとを離れ、どういう思いで過ごしていたか。幼心を平然と傷つけた義父が、ただただ憎かった。心の底から憎悪した。


 妻の生まれた伝統工芸の町は、高度成長期に経済的に大いに潤い、家内制手工業だった実家もあわただしく生産に追われた。妻が幼児期に他家に預けられた理由も、そこにある。

 義父自身の育てられ方も、妻と同じようなものだったかもしれない。家族で工芸品を作っていた家だ。育児よりも、生活が大事、生産が第一にされたのだろう。

「出戻り通り」

 その町に住む人が、自嘲気味につけた町の呼び名。

 工芸品の生産に追われ、育児もしつけもまともにできなかったために、離婚して帰ってくる娘が多いという意味だ。妻と姉は嫁いだが、他の従姉は誰も結婚していないと妻から聞いたことがある。

 結婚の挨拶に、父と私が妻の実家を訪ねた日、

「うちには、神棚も仏壇もないんです。死んだ者より生きている者のほうが大事だから」

 そう言い訳するように語った義父は、生きている者さえも大事にする人間ではなかった。そもそも、本当に人間だったのか。

 一歳にならない娘が妻の実家に行くと、いつも必ず泣いていた。妻の姉の子は、実家に帰ると、いつも必ず熱を出した。

 神も仏もいない家には、いったい何が住んでいたのだろう。

 赤ん坊だった頃の実の娘の気持ちも、幼い孫娘の心も理解できない鬼が棲んでいる家だったのだろう。

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