第29話 失踪
今回の妻の殴打について、義父を呼んで話し合った。
「これからは楽しく笑顔で暮らせるようにしていきたい」
そう言って、妻は謝った。
「自分で感情をコントロールしないと、どんどんエスカレートしていっているから、これからは、自分でもキレないように気をつけてほしい」
私は妻に頼んだ。
それからの妻は、キレそうになると気を落ち着けるために、夜でも一人でコンビニに出かけた。無理やり感情を抑えているように見えたが、それでも私は良い方向に進んでいるんだと自分に言い聞かせた。
それから、三週間が過ぎた、ある朝。
「お父さん、お父さん」
二階で出かける準備をしていると、下から娘が泣く声が聞こえた。あわてて下りると、玄関で娘がゼリーを投げ、妻がそれを傍観していた。
泣く娘を抱いて、リビングに入った。
「お父さんと一緒にゼリーを食べよう」
娘をなだめて、スプーンを持って来て食べさせる。
「感情的になった時は、放っておくしかないんや」
妻は冷淡に言い捨てた。
その日の昼、午前中の仕事を終えて、家に帰ると、食卓に書置きがあった。
「結婚生活について考えたいので、娘を連れて実家に帰ります」
そう記されていた。
「また、なんで勝手なことを!」
「やっと収まって、これから何とかやっていこうとしているのに!」
心の中で叫んだ。
怒りに震える指で、携帯で妻に電話した。
「メモの通りです。冷却期間を置きたいんや」
そう繰り返し、電話を切った。保育園も休んでいた。父に電話すると、保育園のことも聞いておらず、夕方には迎えにくるつもりをしていた。事情を話し、二人で妻の実家を訪ねることにした。
「知らない。分からない。」
義父は妻と娘の行き先について、そう繰り返すだけだった。
「三十五歳の立派な娘がやっていることだから、本人に任せている」
義父は無表情で、いつもの作り笑顔はなかった。
「ここから入ったら、警察を呼びます!」
玄関を指さし、義父は声を荒らげた。
「ここから入ったら、警察を呼びます!」
必死の形相で繰り返す。
言い返そうとする父を押し止めた。
「この前の話は何だったんですか」
義父は目線を下げたまま、何も答えない。
「保育園はどうするんですか」
「たぶん連絡すると思います」
義父は無表情で答えた。
「そんないい加減な…」
思わず言葉が漏れた。
いい加減な人間だったんだと思う。何度話し合ってでも問題を解決して、娘の家庭を丸く収めるつもりなんてなかったのだろう。感情的になる自分の娘の言いなりになって、母子家庭になった時のこと、孫娘の将来なんて想像もせず、ただ今だけをやり過ごせればいいのだろう。あきれて、言葉が出なかった。
理屈が通らないのは、妻だけではなかった。幼児期の家庭環境だけではなく、遺伝的な問題もあるのだろう。
こういう人間を頼みにして、妻の問題行動を収めようとしていた自分は、今になってみれば、本当に馬鹿だったと思う。妻が反省して良くなっていくと心から信じてしまった自分は、今思うと、本当に愚かで世間知らずだった。
平然と嘘をつき、平然と人を裏切ることができる。世の中には、こういう人間が存在するのだ。
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